Sunday, May 26, 2024

訳したいけど……女流作家の文章

女流の作品のなかで、訳したいけど、とても自分にはその能力がないなと思えるイギリスの文学作品を四つあげてみる。


1.ステラ・ベンソン「お一人さま荘」(1919)


女流作家のなかには早熟で、驚異的な才能を見せつける人がときどき出て来る。日本で言えば、中沢けいが「海を感じる時」をひっさげて登場したときがそうだろう。あれを読んで脳天に一撃をくらわない人間はいない。ベンソンはそんな感じの、圧倒的才能のかたまりで、どの作品も光っている。「お一人さま荘」は、たぶんファンタジーと呼んでさしつかえないだろう。しかし展開がシュールすぎて短くまとめることができない。主人公は魔法のほうきで空を飛ぶ女の子である、とだけいっておこう。魔女が空を駆け巡るように、作者の想像力が自在に飛翔する。リリカルな描写と機智にあふれた作品で、女性作家の若さと才能がどのページにも爆発している。とてもじゃないが、こんな才能にわたしは太刀打ちできない。


2.E.M.デラフィールド「田舎住まいのご婦人の日記」(1930)


今でも人気のある作品だが、たぶんまだ日本語訳は出ていないと思う。タイトル通り、田舎に住むとある奥さまがその暮らしぶりを報告する日記で、これがとにかく可笑しい。ユーモア文学としては最高級の出来栄えなのである。わたしがなぜ訳さないかというと……全編にみなぎる女性の饒舌体がとてもわたしの手に負えるようなものじゃないからだ。わたしは理屈っぽいところがあって、文章を書くときは論理性が大事だと思っている。言葉が泉のようにあふれてくるような饒舌体は、読むのは楽しいが、自分で書くのは不可能だ。何度か訳文をつくってみたことがあるが、うまくいかない。


3.エリザベス・フォン・アーニム「魅惑の四月」(1922)


これは発表当時ベストセラーとなり、何度も映画化され、舞台でも上演された。ヴィクトリア朝の保守的な価値観に縛られた女性四人が、思い切ってイタリアの古いお城を一月借り、いろいろな「冒険」をするという話だ。この作品はとにかく女性の心理描写が読ませる。窒息しそうな古い道徳観とともに生きてきた女性たちが、小さな自由の可能性を見つけ、どれほど心を震わせるか、読んでいて泣きたくなるくらい感動的にそれが描写される。また、主人公たちがイギリスにいるあいだは、十九世紀の入りくんだ文章が用いられ、彼らの自然な感情がいかに古い思考形態にその発露をさまたげられているかが表現されている。しかしイタリアへ着いてからは、文体がぐっと現代的なストレートなものに変化するという、いかにもモダニズムの時代に書かれた作品らしい工夫が見られる。内容だけでなく形式も繊細なこのような小説は、やっぱり同様の生きた経験を持つ人、そして言語能力に秀でた人でなければとても訳せない。


4.モード・ケアンズ「不思議な旅」(1935)


一般家庭の女性と貴族の女性とのあいだでボディ・スウォップが行われるという物語で、この手の設定をはじめて用いたとされる F.アンスティーの「ヴァイス・ヴァーサ」より面白い。この物語は、肉体が入れ替わる二人の女性のうち、一般人の女性のほうの目線から描かれるのだが、彼女のミドルクラス的態度が、貴婦人たちのあいだに衝撃と恐慌を巻き起こし、これが滅法愉快なのだ。若いお母さんでもある彼女の感性がこの物語の魅力となっていることはまちがいない。しかし彼女のときに怯え、ときに優しく、ときに豪胆で、ときに憤懣を爆発させるという、多面的な女性の感性を日本語に移植するのはとてもわたしにはできない。

ヴィータ・サックヴィルウエスト「ウエストイーズの悪魔」

  Furrowed Middlebrow は、二十世紀前半に活躍した作家たち、それもあまり知られていない女流作家たちに注目したウエッブサイトだ。サイトの管理人スコットさんはサンフランシスコに住み、出版業にも関係しているらしい。アメリカの女流作家のリストや、第二次世界大戦を扱った...