トポロジカル・リーディングとは、今わたしが考えている読解の方法である。ホラー映画「ドールズ」と「わが名はジョナサン・スクリブナー」という小説を解釈したとき、物語構造の類似に気づいて考え始めた。これを用いると物語の様相が見事に反転する。「ドールズ」は、一見すると、父と継母の暴力に対する、幼い女の子の復讐の物語のように見えるが、それがわたしの読解では、自分を裏切った夫や、夫を自分から奪っていった女への恨みをはらす、最初の母親のサディスティックな願望の物語となる。「わが名はジョナサン・スクリブナー」は、語り手のレクサムが自分の雇い主である不思議な男スクリブナーについて語った物語のように見えるが、わたしの読解ではスクリブナーこそがレクサムについて書いていることになる。
わたしはこの読解は重要な意味を持つと思う。映画批評ではよく精神分析学が応用されるのだが、それらはわたしの見る限り、物語の表層にフロイトやラカンの理論を当てはめているだけのものだ。彼らは読解をしていない。読解のしかたを知らない。読解に成功すれば、その読解がすでに精神分析学的なものであると理解されるだろう。
わたしは自分の読解を(たった二つだけなのだが)形式化してみようと思った。そして多少なりとも文学や哲学や理論的なものに親しんでいる人なら、この読解が用いられるようにしたいと思っている。そこで次のように特徴をまとめてみた。
1 作中の主要人物を見定める。
これはわかりやすい。主人公、語り手にまず注目すればいい。「ドールズ」では女の子のジュディ、「ジョナサン・スクリブナー」では語り手のレクサムが主要人物だ。
2 「見えない登場人物」に着目する。
「見えない人物」とは、英語では unseen character とか invisible character とか云われる。物語の舞台にはあらわれないが、その存在が読者に感得されうる人物、あるいは舞台にあらわれる人々によって言及される人物である。わたしは marginal character とか supplementary character と呼んでもいいだろうと思っている。
このような人物は特定するのが難しいようだが、次の点に「一応」注意して欲しい。
2.1 この読解が可能な作品は「主要人物」(A)から「見えない人物」(B)へと向かう、(A→B)の方向性を持っている。
これは二作だけしか例を見つけていないので間違っているかもしれない。しかし見つかった二例の作品はいずれも最後において「見えない人物」が登場し、あるいは「見えない人物」のいるところへと向かう。これは偶然かも知れないが、わたしには意味のあることのように思える。
3 「見えない人物」(B)が「主要人物」(A)を通して語っている構造を見抜く。
「ドールズ」においては、Aの欲望がBの欲望であることに気づけば、BがAを通して語っていることが判明する。「ジョナサン・スクリブナー」においては、Bの正体が作者であることを見抜けば、この構造がわかる。物語が持つ錯視性(アナモーフォシス)に気づくにはある種の慣れが必要だが、数をこなせばそう難しくはない。ここがわかれば、われわれは物語を裏返し、もうひとつの物語(光景)へとたどり着くことが出来る。
4 Bが物語の一要素、しかも marginal で supplementary な要素であるにもかかわらず、物語そのものの枠組みを構成していることを見抜く。
これは3によって物語の裏面を構成することができれば、必然的にわかることである。物語内部の一要素が、じつは物語を成立させているフレームワークそのものであることが判明するはずだ。supplementary な要素が枠組みに反転するこの読み方はデリダが示した読解とまったく同じである。3と4がトポロジカル・リーディングの要になるが、この部分をまとめるとこうなる。「わたしが語るとき、問うべき問題は、誰が語っているのか、そしてどこから」
以下、この読解の特徴について気づいた点をあげておく。
5 トポロジカル・リーディングは同一律の成立しない領域を扱う。
AとBは異なるにもかかわらず、重なり合う。「AはBである」と「AはBでない」という両方の命題が同時に成立する。
6 トポロジカル・リーディングはメビウスの帯やクライン管の構造と類似性を持っている。
裏と表が区別できないメビウスの帯、内部がそのまま連続的に外部となるクライン管。これらとわたしの読解の類似は言うまでもないだろう。映画であれ文学であれ、テキストの内部では奇怪な現象が起きている。それを思考するにはユークリッド幾何学によって規定されるような空間を考えていてはだめだ。
7 トポロジカル・リーディングは古典的な推理小説の構造と類似性を持つ。
古典的なミステリにおいては、もっとも犯人とは思えない人物が、犯罪を構成していたことを解き明かされる。トポロジカル・リーディングは、不在の存在、マージナルな存在が、物語を構成していたことを解き明かす。ちょっと裏話をすると、わたしに3の考え方を教えてくれたのはシリル・ヘアの「英国的殺人」である。
8 Bは充たされない欲望をかかえている。
「ドールズ」を例に取ると、離婚された母親、すなわちBは自分の現状に不満を抱えている。その不満を穴埋めするものとして夢、つまり「ドールズ」という物語を生み出すのである。「ジョナサン・スクリブナー」の場合は自己実現の手段として「作者」は自分が考えるどのようなキャリアにも満足できない。おそらくメタレベルにある種の亀裂が生じているという事態も、単なる偶然ではない。このタイプの解釈が可能な物語に必然的につきまとう現象だと思う。
9 Bが人間ではなく、物であったり、動物であったり、観念であったり、さらには signifier である場合もあるかもしれない。
これはわたしのこれから先の研究課題だ。signifier が人間を通して語る? そう、わたしはこういう例を見つけられるとかなり確信している。フロイトの症例を読むとそうとしか思えない。
10 「ドールズ」や「ジョナサン・スクリブナー」はクライン管型といっていい構造を持っている。他にもメビウスの帯型やクロスキャップ型など、さまざまな奇妙な構造があるはずである。一つの作品の中に二つのクライン管があることだって考えられる。
たとえば「オードリー夫人の秘密」で解説に附けた解釈などはメビウスの帯型ではないかと思う。あるいはこのブログで紹介した今日出海の「山中放浪」もこのメビウスの帯タイプの構造を持っているはずだ。しかもこのメビウスの帯にはあちらこちら穴があいているらしい。非常に面白い。
Friday, April 3, 2020
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