Tuesday, October 30, 2018

「恐怖の城」 Castle of Fear

メイベル・エスター・アラン(1915-1998)が1968年に出した小説。聞いたことのない作家だが、子供向けの本をたくさん出していたらしい。

本書も文章が平易で、中学生か高校生向けに書かれたような作品だ。タイトルから推測されるようにゴシック風味の内容である。

グウェンダはパリの貸本屋で働く若いイギリス人女性だ。貸本屋というのは、全国各地に住む顧客からしかじかの本を送ってくれと頼まれると、その本を箱に詰めて送り、顧客のほうは返却期限までにそれを店に返すという仕組みで成り立っている。グウェンダはブルターニュに住むとある顧客の返却本の中に奇妙な手紙が混じり込んでいることに気づく。それには「城の中の様子がおかしい。不安だ」ということが書かれていた。これに興味を惹かれたグウェンダは休暇をブルターニュで過ごすことにする。

ふとした偶然から彼女は問題の城で休暇を過ごすことになる。二週間だけだがこの城に住む幼い女の子に英語を教える仕事を得たのだ。さらに返却本の中にはさまっていた手紙の主も発見した。なんと彼女は城の中の階段から滑り落ち、病院に入院していた。誰かに紐か何かで足をすくわれたようなのだ。

グウェンダも次第に城の中の様子がおかしいことに気づいていく。よくわからないが、城の主は不機嫌で、彼の弟は明らかに悪いことを企んでいるようだ。そしてついに彼女と幼い女の子にも危険が迫ってくる。

正直な感想を言うと、あまりたいした作品ではなかった。若い女の子の願望成就みたいな物語で、読み終わってばかばかしい気がした。グウェンダは貸本屋で働いているときアナトールという退屈なボーイフレンドがいた。彼女はこの男と手を切りたいと思っていた。そしてブルターニュへ行き、ミステリアスな環境の中でセバスチャンというロマンチックな男と出会い、恋に陥る。後にアナトールもブルターニュに乗り込んでくるのだが、さんざん無能っぷりを発揮してぷんぷんしながらパリに帰っていく。それを見てグウェンダとセバスチャンは笑いこけるのだ。そして二人は結婚し幸せになる。これはもう、テレビでやっているようなドラマチックな恋をしてみたいと思う、若い女の夢物語ではないか。こういう幼稚な物語に興味はない。

Saturday, October 27, 2018

マッチョのための文学案内(2)

ガーディアン紙の文芸欄を見ていたら「ステロイドにまつわる本トップテン」という記事を見かけた。書いたのはマシュー・スパーリングという小説家で、彼は「人工芝」というタイトルの作品を出したばかりのようだ。これは彼の言葉によると「一部はブラック・コメディで、一部は文学的スリラーとなっている。アクションはほとんどジムと、ネット上のボディビルおよびステロイド関係のフォーラムで展開する」。なんと面白そうではないか。以前にも書いたけれど、ボディビルを扱った小説は極端に少ない。いや、わたしがマッチョのための文学案内(1)であげた「ボディ」という作品くらいしかなかったのだ。少しずつ作品数が増えていくというのは、新しいジャンルの勃興を見ているようで、なにか心をわくわくさせる。

さてスパーリングがあげているトップテンを紹介しよう。

1. Pumping Iron: The Art and Sport of Bodybuilding by Charles Gaines, with photographs by George Butler (1974)

これはボディビルを世に知らしめ、1977年に映画化もされた有名な作品。若きアーノルド・シュワルツネッガーの見事な肉体が写真で見られる。

2. The Hero’s Body by William Giraldi (2016)

1990年代、十代の少年がボディビルにいそしみながら体験したことが書かれているらしい。

3. The Men Are Weeping in the Gym, from Physical by Andrew McMillan (2015)

アンドリュー・マクミランという詩人が書いた「フィジカル」という詩集に「男たちはジムで泣いている」という作品が収められているらしい。探し出して読まなければ。

4. At the Gym from Source by Mark Doty (2002)

これもマーク・ドウティという詩人が書いた詩である。

5. Against Exercise from Against Everything by Mark Greif (2016)

この本は面白そうだ。ジムにおけるトレーニングを、工場労働にたとえているのだから。ダンベルを持ち上げたりトレッドミルの上を走るのは、その単純さ、反復性において工場労働者を想起させる。スパーリングはその意見に疑義を呈しているが、しかしこれは日頃わたしが思うことでもある。最小のトレーニングで最大の効果を上げようとする考え方は、資本主義的な効率主義の思考とまったく同じではないか、などなど。もっともわれわれの持つ観念はほとんどすべてが資本主義に染まっている。アリ・モウルドによると創造性という観念すら資本主義に汚染されているのだそうだ。

6. Against Ordinary Language: The Language of the Body by Kathy Acker (1997)

キャシー・アッカーの考え方は上記のマーク・グライフとは真っ向から対立する。彼女はトレーニングを「複雑で豊かな世界にひたることである」と考えるのだ。ボディビルダーはトレーニングを通して言語の向こうにある死と混乱に直面すると、彼女は言う。ニュー・エイジみたいな考え方だ。

7. Testo Junkie: Sex, Drugs, and Biopolitics in the Pharmacopornographic Era by Paul B Preciado (2013)

闇市場で購入したテストステロン(男性ホルモン)を使用したときの記録。恐ろしいが、ちょっと読みたい。

8. Testosterone Rex: Unmaking the Myths of our Gendered Minds by Cordelia Fine (2017)

心理学者がテストステロンの効果について語った本。上の「テスト・ジャンキー」を読んだら、そのあとにこの本を読もう。きっと気持ちを冷静にしてくれるのではないか。

9. Game of Shadows by Mark Fainaru-Wada and Lance Williams (2006)

BALCO と呼ばれる会社が九十年代と二千年代初期に、アメリカの野球選手やアスリートにステロイドを供給していたというスキャンダルを扱った本。

10. The Secret Race: Inside the Hidden World of the Tour de France by Tyler Hamilton and Daniel Coyle (2012)

自転車競技でも薬が使われていることを告発した本。

非常にいい参考書を教えてもらった。「マッチョのための文学案内」を書く際に大いに役に立つと思う。

Thursday, October 25, 2018

脂質に気をつけろ

食品の包装の背後にはたいてい栄養成分の表が載っている。カロリーがいくらとか、タンパク質がいくら含まれるとか、炭水化物が何グラムとか書いてある。わたしはまずその表を見て脂質がいくら含まれるか注意する。

脂質の多いものを食べていると、血中の脂質の値も増える。わたしは以前は血中の脂質の値がやや高かったが、食べ物の脂質に気を配るようにするとたちまちその値が正常に変わった。

成分表示を見るようになってから、自分がいかに脂質を摂取していたかということがわかった。菓子パンなどはよく半額で売っているので買うことが多かったが、あれはとんでもなく脂質を含んでいる。マヨネーズをあえたお惣菜なども脂質が多い。今はそうしたものは徹底的に避け、一日に摂取する脂質の量を30グラムくらいに抑えている。

脂質だって人間の身体に必要なのだが、以前はおそらく100グラム以上取っていたのではないだろうか。それではいくら運動したって消費しきれない。血中の脂質の値が上がるはずである。

ただ鯖の脂は毎日少量ずつ取るようにしている。あれはいろいろと身体にいい効果があるからだ。幸いなことに近くの店で一缶を89円で売っている。タマネギなどをスライスしていっしょに食べるととてもおいしい。

Tuesday, October 23, 2018

「十三番目の椅子」The Thirteenth Chair

バヤード・ヴェイラーのかなり有名なミステリ劇である。1916年に出ている。

とある屋敷で降霊術が開かれる。降霊術というのは霊媒がトランス状態に陥り、死者と交信するというやつだ。二十世紀の初頭はこれが英米で大流行した。さて劇の中の霊媒も電気を消した真っ暗な部屋の中で、守護霊に憑依され、丸く円を描くように椅子を並べて座っている参加者たちの質問に答えはじめる。

参加者の一人が、彼らの知人で、最近殺された男と話がしたいと言う。そしてその男の霊に、おまえを殺害した犯人は誰かと問うたのである。

その瞬間、問いを発した男は悲鳴をあげる。

異変に気づいた参加者の一人が明かりをつけると、問いを発した男は背中にナイフを刺され事切れている。

犯人は参加者の誰かだ。

さっそく警察が呼ばれ、ドノヒューという警部が犯人を追い詰めていくのだが、その過程で降霊術が開かれるに至った裏の事情も明らかにされていく。

本作は推理劇ではない。犯人は、登場人物の一人が打った芝居にまんまとひっかかり、その尻尾をあらわすにすぎないからである。証拠を積み重ねて論理的に警部が犯人を推測するわけではない。

しかしミステリのある種の型はちゃんとできあがっている。つまり警部が登場し、「誤った結論」を導き出し、その「誤り」が正され、真犯人がつかまる、という具合に物語は推移するからだ。

この誤りの訂正の部分が、のちの本格推理小説では、名探偵が開陳するところの推理となるのである。

1916年の段階では、まだその部分が充分に開発されていなかった。これはわたしのブログで何度も書いていることだが、本格的な推理は「事件=物語」の外部に立つ探偵があらわれるようにならなければならないのだ。

しかし降霊会というのはじつに魅力的なセッティングである。神秘的な闇があり、霊媒のいかがわしさがあり、日常を反転した奇怪な瞬間が現出する。

Sunday, October 21, 2018

全日本プロレスに望む

わたしは全日本プロレスのファンだが、その情報源は全日のホームページと YouTube に出ている動画だけである。それ以外はなんにも読まないし見ない。つまりあまり熱心なファンではない。

熱心ではないファンが全日に要望を出すなんて、勘違いもはなはだしいと思われるだろうが……しかし同じことを考えている熱心なファンの方も多いのじゃないだろうか。

つまり最近、全日のホームページから出ている試合の情報がずいぶん少なくなったということである。以前は地方で興業が行われると、それが短く動画化されて紹介されていたが、今は全日本プロレスTV というのができたせいか、それが消えてなくなった。いや、まったくなくなったわけではないが、動画の紹介はごくごく稀になってしまった。

昔は「Sushi チャンネル」というのがあって、巡業の様子などを伝えて貴重だった。アメコミが大好きな青柳選手の好青年ぶりを知ったのもあの番組を通してだった。また、Sushi 選手の口べたなところも、なんとなく親近感を与えてよかったと思う。ああいう試みは一月に一度、十分程度でもかまわないので、やっていただければありがたい。

佐藤光留選手なら金を払って情報を得ろというだろうが、わたしのように貧乏をしているとなかなかそうもいかないのである。たまにまとまったお金が手に入ったら、それを大事に半年くらい取っておいて、北海道まで来てくれた全日の試合を見に行く。病気をしたりして意想外の出費がなければ、年に一回、贅沢に試合を楽しむ。そんなファンもいるのである。

Saturday, October 20, 2018

筋トレはのんびりと

世間一般の「筋トレ」なるものは、「最短の時間で最大の効果を得る」という、きわめて資本主義的な効率思想に基づいている。

わたしははなからこれを否定する。筋トレは自分の体力や性格に合わせて自由にやればいいのである。どんなにチョビチョビとトレーニングをやっていても、持続的に筋肉に負荷をかけ、その後栄養の補給や休息をしっかり取るならば、筋肉は少しずつ成長する。

筋トレのやりはじめはとにかく無理に身体を動かさないこと。わたしは五分くらいしかやらなかった。しかも「関節が鳴ったらすぐビールを飲む」というルールをつくった。やりはじめの頃は身体が硬く、関節がよく鳴った。筋トレを開始して十秒もたたずして冷蔵庫を開けることもよくあった。

しかしそれでいいのである。いい加減なトレーニングでも継続していれば身体は新しい動きや負荷に順応し、しだいにさらなる負荷に耐えられるようになる。

最初の頃は英和中辞典などを持って腕のトレーニングをしていたが、それがいつの間にか大辞典に変わり、大辞典二冊を紐でくくりつけて持つようになり、十年たったら大辞典三冊を紐でまとめて持ち上げている。多分十キロくらいだ。片手で頭の上に持ち上げ、二百回は上げ下ろしができる。本当はもっと重くしたいのだけれど、持つところがなくて危険なのでこれ以上冊数を増やすことはしない。筋トレ器具を買わずにやるホーム・ワークアウトの限界である。

しかし逆に、のんびりとホーム・ワークアウトをしていても、長くやっていればこの程度まではいけるということを強調したい。なるほど片手で四十キロも五十キロも挙げる人からすればたいした成果ではない。しかし筋トレは競争ではない。自分の健康を維持することが最大の目標なのである。

Wednesday, October 17, 2018

「転換点」 All Change, Humanity!

クロード・ホートンが1942年に出した作品。

このタイトルは訳しにくい。All change! は「乗り換えてください」という意味だが、「みんな変化しろ」という意味もこめられている。

そう、これは人類が古い態度を捨て、新しい考え方を身につけるべきだと主張している作品である。人類は物質主義、拝金主義に陥り、どん詰まりまで来てしまった。もはやわれわれは路線に切り替えて進まなければならない。この物語の中では人々が記憶喪失にかかり、しかも記憶を失ったことを喜んでいる。人々は目覚めつつあるのだ。過去と手を切り、新しい方向性へと導かれることを喜んでいるのだ。

一方ではナチズムが台頭し、戦争への準備が進む。他方ではそうした戦争産業で資本主義が発達し、人々の考え方を支配していく。こういう状況において、ある種の閉塞感が人々のあいだに蔓延していたのだろう。「転換点」はそこからの離脱を夢見た作品と、ひとまずは言えるかもしれない。

物語の出だしは「わが名はジョナサン・スクリブナー」と似ている。語り手のドレイクが無一文でパリをうろついているとき、知り合いからクリストファーという男の付き人にならないかと持ちかけられる。クリストファーは才能にあふれた若者だったが、その後精神病院に入れられ、つい最近「正常」と判断され、退院することになったのだという。彼は巨万の富を持ち、血縁であるマナリング家とティーズデイル家がそれを付け狙っている。語り手のドレイクはこの両家の人々の醜い抗争の中に放りこまれることになるのだ。

マナリング家とティーズデイル家の人々は金の力によってしか生きていくことができない現代人をあらわしている。クリストファーは古い物質主義的な考え方を脱し(だから彼は狂人扱いされたわけだ)、新しい、豊かな精神主義を体現している。

正直に言えば、この作品はあまりにも図式化されていて、つまらない。「ジョナサン・スクリブナー」においてはスクリブナーの謎がうまく形成されていたが、クリストファーには(明らかに彼はスクリブナーの後継者ではあるものの)謎めいたところ、神秘的なところがないのである。あまりにも対立が明瞭すぎるからだ。

またクリストファーによってあらわされる新しい精神主義がいかなるものなのかも曖昧だ。現代のわれわれは資本主義に代わるシステムを見いだせずに苦しんでいる。しかも資本主義的な考え方がますます支配的になりつつある。民主主義も人権も資本主義がますます猛威をふるえるように変形されつつある。そんな戦いの渦中にあるわれわれから見て、クリストファーが曖昧にあらわしているような新しい道は、懐疑の対象でしかない。

おそらく作者のクロード・ホートンは同時代の精神状況をアレゴリカルに表現したかったのだろう。しかし彼が現実の中核にある問題を充分明瞭に把握していたとはいえない。この作品のすべてがどこか的外れな感じを与えるゆえんではないだろうか。


Monday, October 15, 2018

世界最強タッグ

全日本プロレスが開催する本年度の「世界最強タッグ決定リーグ戦」参加チームが決まった。

諏訪魔と石川も怪我から復帰して参加するようだ。充分身体をメンテナンスして大舞台に望んで欲しい。

びっくりしたのは秋山と関本が組んだこと。この組み合わせは新鮮で、年長組だが、どれだけ暴れてくれるだろうかと期待させられる。普通、ひと暴れなどというのは野村・青柳組のような若手のタッグに期待することだが、ベテラン組が気を吐いたっていいではないか。以前、このブログで、他団体の選手やフリーの選手と積極的に組み、新しい組み合わせを見せてくれるのが全日本の魅力だと書いたが、秋山社長みずからがそれを実践し、全日本プロレスの幅を広げている。

大森も征矢をパートナーにして、リーグ戦にかける意気込みを見せている。大森は長期戦になるとスタミナ切れするので、それを征矢がどれだけカバーできるか。征矢はあんな性格だが、意外といいアシストをする。彼らは人気もあるし、大いに奮起して欲しい。

参加選手の中に外国人選手が五人もいるという点も今回のシリーズを面白くしている。「世界最強」を決めるのだから、最低でもこれくらいは外国人選手がいないとサマにならない。とくにパロウ・オディンソン組には期待する。どちらも身長が190センチを越え、筋肉ががっちりとついた三十代の選手だ。アメリカのエヴォルヴという団体から来る。ちなみにエヴォルヴは諏訪魔たちのユニット、エボルーションの動詞形である。すなわち諏訪魔・石川組がパロウ・オディンソン組と対決するときは、どちらが本当の「進化形」なのかを決定する戦いでもある。

Saturday, October 13, 2018

蔵書と知的能力

本の多い家庭に育った子供は、知的能力が高い。

これは昔からいろいろな研究が出ていて確認されている事実だ。五百冊の本がある家庭に育った子供と、なにもない家庭に育った子供では、知的レベルに雲泥の差が生じる。

ガーディアン紙に、その事実をふたたび裏付ける研究の報告が出ていた。ただし今回の研究では、「効果が生じるには最低八十冊の本があることが必要」と結論づけている。

三十一の国、十六万人の大人から収集したデータを、オーストラリア国立大学の研究者が分析して得られた結果である。十六歳のとき家庭に何冊本があったかと参加者に尋ね、その後、言語運用能力、数量的思考能力、情報通信技術能力に関する試験を課して、その能力を測定した。

ホーム・ライブラリの平均冊数は国によって違う。トルコでは二十七冊、イギリスでは百四十三冊、エストニアでは二百十八冊だ。しかしホーム・ライブラリの大きさが知能に与える影響力はどの国においても確認された。

(元の論文 Scholarly culture: How books in adolescence enhance adult literacy, numeracy and technology skills in 31 societies が読みたかったが、有料のためあきらめた。恐らく日本におけるホーム・ライブラリの冊数や、日本人の能力試験の結果が出ていたと思う)

本のない家庭でティーンを過ごした人々は、言語運用も数量的思考も平均以下だった。思春期に八十冊以上の本がある家に育った人々は、平均的な成績を残した。しかし三百五十冊を越えたホーム・ライブラリがあっても、それはとくに知的能力に反映されることはないようだ。つまり、八十冊から三百五十冊までは、冊数が増えれば増えるほど、知的能力があがる傾向が見られるが、三百五十冊を越えると、それ以上は知的能力にさしたる変化が見られないということだ。情報通信技術についても同じ傾向が見られるが、言語運用や数量的思考能力の場合ほど大きな差が出るわけではない。

中等教育しか受けていない人でも、本がたくさんある家に育った人々は、上記三つの能力において、本のない家庭に育った大学卒業者なみの力を見せた。もうちょっと詳しく言うと、本のない家庭に育った大学卒業者は言語運用能力試験で平均的な成績を残した。中等教育で教育課程を終えたが、本がたくさんある課程に育った人も平均的な成績だった。このことは数量的思考能力においても同じである。

この研究を主導した研究者は「生涯にわたって身に備わる認識能力を高めるためには、親の家で早期に本に親しむことが必須である」と言っている。

人間はシンボルを操作する動物だと言われる。シンボルの中でも言語はもっとも大切なもので、その能力を鍛えることが、知性の発達に大きな影響を与えることは間違いない。

家に本がたくさんあるにこしたことはない。しかしもしもないのであれば、子供に図書館に親しむことを教えてやるべきだろう。電子図書館を利用するという手もあるが……小さいうちは紙の本のほうが子供には受けがいいような気がする。

Thursday, October 11, 2018

「殺人者よ、ノックせよ」 Knock, Murderer, Knock!

ハリエット・ラットランド(1901-1962)が1938年に出したミステリ。黄金期のミステリの香がページのあいだから匂い立つような作品だ。

場所はイギリスのとある療養所。ご老人や退役軍人やお金持ちが大勢、ここに長期滞在している。療養所だから医者や看護婦や雑用係も大勢住んでいる。

そこに美しい女性が一人やってくる。彼女は男性たちの注目を惹き、女性たちのやっかみの的となる。ところが彼女はある日、編み物用の鋼鉄の針を首の急所に刺され、死体となって発見される。

警察は迅速に捜査を進め、たちどころに犯人を捕まえる。

ところがどうだろう。犯人と思われた男が牢屋に入っているとき、第二の殺人が起きたのだ。しかも手口は第一の殺人とまったく同じ。首の急所に編み物針が突き刺さっていた。

ここで登場するのがミスタ・ウィンクリイだ。彼は療養所に客としてやってくるのだが、実はスコットランド・ヤードの特殊捜査課で活躍していた男である。彼は自分の正体を隠し、こっそりと真犯人をつきとめようと内密に捜査を進める。しかし彼が犯人を突き止めるよりも先に第三の殺人が……。

お屋敷の内部で人が次々と殺される、という設定は、黄金期のミステリにはよくみられたものだが、本編はそれを踏襲している。わたしは読みながらクリスティやヴァン・ダインやいろいろな作家の作品を思い出した。

しかしミスタ・ウィンクリイの推理の部分はまったく感心しなかった。ここには論理性はまったくない。証拠から有無を言わせぬ論理の力で犯人を見出すのではなく、ミスタ・ウィンクリイの印象が推理の決め手になっているのだ。

それ以外にもこの作品には読後、疑問がつきまとう。犯人があのような偏執的人間であるなら、なぜもっと早くに殺人を行わなかったのか。犯人が解剖学的知識を得て、首の急所を知ったとしても、知識と実践のあいだにはかなりの懸隔がある。それを作者は無視していないだろうか……。

ネタバレしたくないので、やや曖昧な書き方をしたが、とにかく、推理の部分は面白くない。ラットランドはまだ本格ミステリの根本的な構造を把握していないのだろう。探偵は物語の外部に立って、物語の徴候から、もう一つの物語を読み取らなければならない。ところがミスタ・ウィンクリイは充分に物語の外部に立ってはいない。彼はこんなことを言う。

「ドクタはわたしの親友ですから、疑いを掛けることはしませんでした……厳密な立場からすれば、もちろん、疑うべきだったんでしょうけどね」

ドクタは事件の関係者だ。本来なら探偵は関係者を例外なく疑うべきなのだ。この引用はミスタ・ウィンクリイの立ち位置が曖昧であることを示しているだろう。そして探偵の立ち位置が曖昧であることは、とりもなおさず、作者が本格ミステリをよく理解していないことを示していると思う。

Wednesday, October 10, 2018

アブローラーの楽しさ

今年の冬、腕立て伏せをしている最中に左右の肘を痛めた。身体はあったまっていたと思うのだが、寒いときはちょっと油断すると関節を痛めることがある。

左の方はじきに治ったが、右のほうはなかなか痛みが取れない。仕方なく右腕の肘に力がかからないように筋トレをやっていた。筋トレをやっている人ならわかるだろうけど、右腕が使えないとなると、できる種目は非常に限られてくる。

そこでアブローラーを買ってみることにした。腹筋のトレーニングにバリエーションが加わって面白いだろうと思ったのだ。製品の箱には女の人がアブローラーを転がしている写真が載っている。割と楽なエクササイズなのだろうと、軽い気持ちで買った。

実際やってみるとものすごく腕に力がかかる。肘をのばしたままローラーを前後に動かすのはかなりしんどい。これは腕に負担を掛けてまずいんじゃないかと心配になった。

ところが、買って数回試しに使ってみた次の日のこと、右腕の調子がずいぶんよくなっている。どうやらアブローラーを使うときの腕への力のかかり方がいい刺激になったらしい。毎日ちょっとだけアブローラーを使っているが、明らかに右腕の痛みが小さくなりつつある。今は肘のところはほとんど痛くない。上腕の筋肉が多少痛む程度だ。

アブローラーに馴れてくると、どういう姿勢でやれば腹筋に力が入るのかが、だんだんとわかってくる。わたしはローラーを前に押すときはできるだけお尻を落とした態勢をつくり、そこからネコが伸びをするように、背中を丸めてローラーを引きつけている。こうすると腹筋に力が入りやすい。

わたしが百円ショップで買ったアブローラーは取っ手がごつごつしていて、しかもわたしの手にはちょっと小さい。それで穴のあいた靴下を適当な長さに折り返して取っ手に指しこみ、輪ゴムで留めることにした。こうすると手にまめができるのを防ぐことができる。

コツがわかってくるとアブローラーはなかなか楽しい。今までにない力の使い方をするところもいい。自重運動はどうしてもバリエーションに欠けるので、これからはときどきこうした器具を買おうと思っている。

Sunday, October 7, 2018

筋トレの目標

筋トレをする人はたいてい身体を大きくしたいと考えている。わたしの場合は健康維持が第一の目的である。

筋トレは自重トレーニングであっても続けていればかなり肉がつく。わたしはダンスをやっていたので、もともと足の筋肉はかなりあったほうだが、筋トレをするようになって腕や胸も大きくなった。この調子で毎年ちょっとずつ身体が大きくなれば――たとえば毎年百グラムでも筋肉が増えれば――それで充分である。

歳を取るとどうしても活動量が減り、筋肉が衰えていく。病院の待合室にいると、お年寄りたちは「筋肉が減った」などとよく話をしている。わたしはそれがいやなのだ。つねに自分の内側に活動のためのエネルギーを秘めておきたいのだ。

幸い、筋肉は何歳になっても鍛えることができる。もちろん、どこまでも大きくなるというわけじゃないけれど、元気に生活していけるくらいには発達するのだ。

わたしは平均寿命で死ねたらいい、とは考えていない。やりたいこと、考えたいことがまだまだたくさんある。読みたい本も、訳したい本もいっぱいある。しかし年を取ってもしたいことをしようと思うなら、一定の健康条件がこの身にそなわっていなければならないだろう。

大西巨人の小説のなかに「人は、クリエ-ティヴ・パワーを持続して、長生きをしなければならない。もしくは、人は、長生きをするなら、クリエ-ティヴ・パワーを持続しなければならない」という言葉がある。わたしはまったくその通りだと思う。筋トレで健康を維持するのは、クリエ-ティヴ・パワーを持続するためである。

Saturday, October 6, 2018

「到着」 The Arrival

ブッカー賞候補のロング・リストに Nick Drnaso の Sabrina というグラフィック・ノベルがあがったときはびっくりした。ボブ・ディランがノーベル賞を取ったときよりも驚きは大きい。日本の芥川賞を、漫画家がマンガで受賞したら……そう考えれば一般の人にもわたしの驚きがすこしは理解してもらえるかもしれない。

しかしグラフィック・ノベルにも良い作品がときおり見られることは事実だ。2006年に出たショーン・タンの「到着」もそのひとつである。

これは移民たちが故国における貧困や政治的混乱を脱し、異国での生活に慣れるまでを描いている。

文字は一切なく、すべてが絵によって語られる。まるで白黒映画、それもエイゼンシュタインあたりの無声映画を思い起こさせる作品だ。

また、この作品に描かれている世界は、現実の世界を強く想起させはするものの、すべて想像上の世界である。移民たちが後にする故国は、この地球上のいずれの国とも特定されていない。移り住むことになる国も、おとぎ話に出てくるような、不思議にあふれた国である。

移民にとって風習も生活の仕組みもまるでちがう異国は、おとぎ話の国のように思えるものだ。わたしも外国で生活していたから、その感覚は多少理解できる。

この作品は移民の女の子が新しい国に馴れはじめ、あらたにやってきた移民に道を教えるという、ささやかな、しかし力強い場面で終わっている。わたしはそれこそ「戦艦ポチョムキン」を見たときくらい心を揺さぶられた。

ただ、不満もある。移民を扱った小説や映画は、この作品よりもはるかに複雑で困難な現実を描いている。それと較べるなら、「到着」はあまりにもナイーブな作品だ。絵だけで表現しようとすると、どうしても現実は単純化される。グラフィック・ノベルの欠点のひとつだろう。ブッカー賞の候補にあがった Sabrina がどれくらい現実と切り結んでいるのか、非常に興味がある。

Wednesday, October 3, 2018

Kobo Forma

Kobo から新しい電子リーダーが出る。八インチのスクリーンとページめくり用のボタンがついた Kobo Forma だ。わたしは H2O を愛用しているが、PDF を読むときにときどき画面が小さいと感じるので、こちらを買ってみようかと思っている。

しかし新製品発売のニュースを読んで驚いたのは、スペックのことではない。Kobo の CEO であるマイケル・タンブリンがこんなことを言ったのだ。「当社のトップ・カスタマーは当社の電子リーダーで毎日平均三時間の読書をする。実を言うと、何千何万というトップ・カスタマーは一日に七八時間本を読む。われわれはフルタイムの読書家のために美しくて快適なデバイスを作ろうと努力している」(Good E Reader から

Kobo が読書履歴や時間に関する情報を利用者から収集しているという、感心しない事実はさておいて、トップ・カスタマーの平均読書時間が一日三時間というのはたいした数字である。たとえば日本の大学生でこれだけ読書する人はまずいない。さらに七八時間読むとなると読書狂とか活字中毒と言われるレベルである。そんな人々が「まだ」何万人もいるというのは驚くべき、しかしまことに心強い事実だ。なるほど世界は広い。もっともわたしが小さかった頃は、日本にも外国にも文学青年といわれる連中が掃いて捨てるほどいたけれど。

電子リーダーは心に栄養を与えてくれる、数少ない素晴らしいガジェットである。タブレットと異なり、スクリーンから目を刺激する光線が出ないから、長時間の使用にむいている。もしも個人情報をもらしたくないというのであれば、Koreader のようなソフトを導入すればいい。

Monday, October 1, 2018

岡田佑介という男

全日本プロレスのヘビー級選手が相次いで怪我のため欠場している。秋山、諏訪魔、石川といった主要選手たちである。

筋トレをしていても、寒いときや、体調がよくないときは怪我をする。いわんや身体ごとぶつかり合うプロレスにおいてをや、である。

充分に休養を取って復帰して欲しいと、心から願う。

しかし諏訪魔、石川が欠場というエボルーションの非常事態を見て、これまた怪我で欠場していた岡田佑介が復帰を四日ほど早めて全日本に帰ってくる。

岡田は現役選手の中でいちばんキャリアが浅く、肉体的な条件ももっとも不利な選手かもしれない(これは顔が悪いという意味ではない)。しかしそれを補ってあまりある気迫の持ち主で、わたしは彼が大好きである。確か近藤修司だったか、岡田の熱血ぶりを見て、彼が最前線に躍り出てきたとき、全日本のジュニアは変わると預言した。まったく同感である。

だから彼が帰ってくるのはうれしいのだが……しかしくれぐれも無理はしないでもらいたい。無事これ名馬。馬場さんも欠場しない選手がいちばんだといっていた。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...