Monday, July 30, 2018

ボディガー vs. 火野裕士を望む

七月二十九日の全日本プロレス・大阪大会でタイトルが三つも移動したようだ。大きな打ち上げ花火が景気よく三発、大阪の空に打ちあげられた。

その中でもボディガーが崔領二からアジアヘビーを奪い取ったのには驚いた。崔はその日三冠を取ったゼウスと死闘を繰り広げている、油ののった強豪選手である。年齢的にも体格的にもボディガーを上まわると思われたのに、挑戦者が見事にベルトを獲得。しかも試合時間は約二十分だ。スタミナをふりしぼっての戦いだったろうと思う。おめでとう。

たしかボディガーがアジアヘビーのベルトに挑戦表明したのは、チャンピオン・カーニバルの最中、崔領二戦に勝った試合の直後だったと思う。それからふとボディガーがチャンピオン・カーニバルで勝利を挙げたもう一つの試合、ボディガー対火野裕士戦を思い出した。あれは残念な試合だった。

あのときボディガーは足を負傷し、ほとんど試合に出られるような状態ではなかった。それを無理して出たものだから、火野裕士も戦いようがなく、かなり困惑していた。火野はリング上ではふてぶてしいが、挨拶などを聞くと、図太いだけでなく、意外と気配りのできる人物なのだと思う。だからあのような試合は彼にとっては不本意だったはずだ。

ボディガーと火野裕士の戦いはゼウスと崔の戦いとおなじくらい興味深い。二人とも体格・身長がよく似ているし、パワーファイターだからである。わたしはチャンピオン・カーニバルで戦う二人を見ながら、ボディガーの体調が万全だったら、この試合はどれだけ面白かっただろうと思った。じつは、そのことをいつかこのブログに書こうとしていたくらいなのだ。

ボディガーがタイトルを取った今、わたしは彼が火野裕士を挑戦者に指名することを切に希望する。最高の舞台を用意したぞ、あの不本意な試合をもう一度やり直そう、と。あの異様なまでに分厚い肉の鎧がぶつかるさまを見たいと思うのはわたしだけではないはずだ。

Sunday, July 29, 2018

なぜ筋トレをするのか

筋トレをはじめたのは十年くらい前(五十歳ころ)だ。胆嚢に石ができ、切除したのがきっかけだった。お医者さんが優秀だったため、術後の回復は快調で、すぐに元通りの生活ができるようになった。しかしあるときふと気がついた。買い物袋を右手で持つと、身体がやや外側にたわむのである。左手で持つときは体側はまっすぐなのに。

おそらく胆嚢がなくなった分だけ右の体側は折れやすくなっていたのだろう。わたしはぎょっとした。そして欠損を補うために、筋肉をつけようと思った。

筋トレといっても、わたしがしているのはいわゆるホーム・ワークアウト。ジムには行かない。使う器具はヨガマットと辞書だけ。辞書はダンベルがわりにしている。ついでにいうと辞書を使うと腕だけでなく握力も鍛えられる。

身体を大きくすることは目的でなかったが、筋トレを十年も続けるとさすがに腕の太さや胸の厚みが増す。腹回りもしぼれたし、健康状態はすこぶるいい。なによりうれしいのは尿検査をいつやっても正常と出るようになった。それまでは血尿やタンパクが出ていたのに。

わたしがやっている翻訳という作業は、へたをすると一日中、パソコンの前に座っていることを強いられるが、筋トレはいい気分転換になる。


Friday, July 27, 2018

「夜明けの境界」

ウィリアム・スローン(William Sloane)は1906年に生まれ、74年に亡くなるまで編集者として活躍したが、実は30年代に二冊だけ小説も書いている。これが非常に出来のよい作品で、なぜ日本語の訳が出ていないのか、不思議なくらいである。

一冊は37年に出た「夜を歩いて」(To Walk the Night)。これは一人の男が奇怪な炎に包まれて死亡し、べつの男がピストル自殺するまでの出来事を、両方の事件の目撃者である男が語るという物語である。静けさに充ち、かつまた、不気味さをたたえた、秀逸な小説だ。いったい二人の男はなぜ死んだのか。語り手は、最初の事件から次の事件まで、起きたことを順々に語っていく。それが起きた当時はすこしも気にならなかった細部に着目しながら。なぜ細部に着目するのかというと、そこにこそ二人の男の死の謎を解く鍵が隠されているからだ。

しかし語り手は謎を解明することはない。いや、たしかに物語の最後で、読者はなんとなく何が起きていたのかを知ることになる。しかしそれはあくまで「なんとなく」であり、完全な解明からはほど遠いのだ。謎は常にわれわれの理解のほんの少し先で震えている。わたしは作者の繊細で巧妙な書き方に舌を巻いた。

この小説はミステリのようでミステリではなく、SFのようでSFではなく、ホラーのようでホラーではない。では普通の文学作品かというと、そうともいえない。ジャンル分けの難しい作品だ。しかし十九世紀末から二十世紀初頭にかけて流行したスピリチュアリズムから大きな影響を受けていることは間違いないだろう。わたしはこの作品にかすかだが今で言うニューウエーブの予兆のようなものを感じる。

もう一作は「流れる水の縁」(The Edge of Running Water)という作品だ。これにはスピリチュアリズムの影響がはっきり出ている。ある科学者が死んだ妻と交信しようと奇妙な機械を作り、研究の助手として霊媒を雇うという話なのだから。

だが科学者が作ったのは、どうやら宇宙の裂け目、あるいはこの世の裂け目を生成する装置であるらしい。科学者はそれによってあの世の妻と交信が可能だと信じているようだけれど。

物語の前半部分はゆっくりと進行し、後半、お手伝いの女が死んでからは、推理小説仕立てになって、一気にこの奇怪な装置の謎を追究しはじめる。そして当然予想される壊滅的なクライマックスへと突入するのだ。

「夜を歩いて」も「流れる水の縁」も文学とはいえないだろう。明らかにジャンル小説だ。しかしその静謐さ、繊細さは奇妙に文学に近づいている。すぐれたエンターテイメントとして大いに推奨したい。

Wednesday, July 25, 2018

竹田誠志に期待する

全日本プロレスのホームページを見ると、八月三日から開催されるジュニア・タッグ・バトル・オブ・グローリーのポスターが出ている。

出場選手が顔を並べるなか、中央でひときわ大きく腕を撫しているのは、マスクをかぶった青木篤志。彼は全日本の所属だし、実力もトップクラスだから、センターを占めるのは不思議でない。しかし……

……去年の優勝チームである丸山・竹田組が端っこに配されるという扱いはどうだろうか。変幻自在、円転滑脱、容易に尻尾をつかませない不思議なキャラの丸山と、気骨稜々、狷介不羈、野武士のような面構えの竹田が、今年も活躍することをわたしは期待する。

とりわけ竹田誠志。彼はいつもはデスマッチの専門家のようだが、たしか青木にもシングルで勝ったことがある強者である。わたしはデスマッチは好きではないので一切見ないが、しかし竹田のふてぶてしい、気合いの乗ったファイトが大好きである。デスマッチで身につけたであろう迫力が、全日本の王道スタイルで戦ってもにじみ出してきて、われわれファンは普段の全日の試合では味わえない、独特の雰囲気を楽しむことができる。

その竹田が、デスマッチなんて絶対にしそうもない丸山と組むのだから、面白くないわけがない。身体は極力動かさず、舌先三寸で勝とうとする丸山に、言葉より凶器という竹田のコンビ。ただこの漫才のようなコンビは、まだそのよさを充分に表現し切れていない。これだけ戦いの間合いやリズムに違いがあるのだから、そのギャップを利用すれば、相手にもよるだろうけど、試合を面白く組み立てることができるのではないか。彼らのタッグワークがいっそうの進化を遂げることを望む。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...