Thursday, February 28, 2019

マッチョのための文学案内(3)

「スーパーマッチョ」 Le Surmale, roman moderne by Alfred Jarry

スペイン語の書籍カタログを見ていたら
El Supermacho
なんてタイトルがあった。誰だ、ふざけやがって、と思って作者を見たら、アルフレッド・ジャリとある。ジャリは十九世紀の終わりから二十世紀のはじめにかけて活躍したフランス人の作家・劇作家だ。わたしは作者名を見て、ああ、あれか、と思い出した。El Supermacho は、日本語では「超男性」とか訳されている本だ。そうか、スペイン語では「スーパーマッチョ」なのか。

「超男性」なんて週刊誌の広告にでも出て来そうな言葉だが、実際、絶倫男の話でもあるのだから、この日本語のタイトルは間違いではない。主人公は肉体を鍛錬し、人間をも、機械をも越えようとする。この本を読むと今のボディビルダーがジムで訓練する様子を思わず思い起こす。トレッドミルの上でいつまでも歩き、走り続ける人々。ダンベルを反覆して持ち上げる動作の繰り返し。しかもより大きな重量を扱えるように努力を重ねる。まさしく自己の身体をより優秀な機械に変貌させようとしているのではないか。筋肉を鉄に変えようとしているのではないか。この本の主人公も最後には、肉体を鉄の塊にないあわせるようにして死ぬ。

性行為は愛の行為であり、機械的動作とは対極にあるように思われるが、しかしあれは煎じ詰めれば in-out-in-out という反覆行為に過ぎない。鉄の筋肉を持てば、この反覆行為はいくらでも続けることが出来る。それゆえ主人公は絶倫男、「超男性」なのである。

いったい主人公(マルクイユ)はどれくらいの肉体能力を持っていたのか。それは自転車と汽車による凄絶な一万マイルレースを読めばわかる。無限の運動を可能にする、新発明の永久運動食を食べた五人のサイクリストと、機関車が一万マイル競争をすることになる。五人のサイクリストは一台の自転車、つまり五人乗りの自転車をこぐ。彼らは一秒も休むことなく、糞尿も垂れ流しのまま自転車をこぎ、ついにそのうちの一人は死んでしまうのだが、それでも機関車とデッドヒートを演じながら何昼夜もゴールを目ざす。レースの最中にサイクリストの一人が、彼らの後ろから追いかけてくる一台の自転車に気づく。それは影のように彼らのあとについてきたかと思うと、ゴール直前で彼らを抜き去り、もちろん機関車も抜き去ってゴールする。これが主人公マルクイユである。

「超男性」は、肉体を鉄化する、というある種のロマンティシズム、そしてグロテスクさを描いた代表的な作品と言えるだろう。

もっとも現在のボディビルダーはステロイドにまみれて死んでいく。そこには鉄化とは微妙に違う何かがあるようだ。それを洞察し小説化することはジャリの切り開いた伝統を引き継ぎ、更新することであると思うのだが、なぜかボディビルを扱った作品を小説家は書こうとしない。

Tuesday, February 26, 2019

2019 チャンピオン・カーニバル

今年のチャンピオン・カーニバルの出場選手とブロック分けが発表された。迫力のあるメンツが揃った。

Aブロックは宮原、ゼウス、石川、青柳、崔、真霜、ジェイムス、ヴァレッタ、岡林。
Bブロックは諏訪魔、野村、リー、ドーリング、ヨシタツ、橋本、アドニス、レッドマン、吉田である。

KAI や火野の名前がないのは寂しいが、ある意味では今までにないくらい所属、他団体・フリー、海外選手のバランスがうまくとれた大会になりそうだ。われわれファンはどうしても馬場社長時代の全日が忘れられず、やはり少なくとも四人くらいは海外の大きな選手が出ていないと、チャンピオン・カーニバルという感じがしないのである。

Aブロックはとんでもない猛者の集まりになっている。誰も怪我をしないで全日程を終了してくれと願うのみである。わたしは実力だけでなく、クレバーさを持ち合わせた真霜が好きなのだが、このリーグ戦を抜けるにはプロレスの技術だけじゃなく運も必要だと思う。

Bブロックにはよく知らない選手が三人もいる。リストの最後の三名のことだ。サム・アドニスは去年も全日に来ていたようだが、試合を見たことがない。全日のホームページに彼の紹介が残っていたが、その写真を見るとなんとメキシコ在住のくせにトランプ大統領支持者であるらしい。キャラづくりでやっているのかどうなのか知らないが、身長が193センチもあるので大暴れして欲しい。

ジョエル・レッドマンはイングランドの出身で三十一歳とまだ若い。宮原と一歳くらいしか違わない。鍛え上げた見事な体つきでハンサムだ。こういう見かけに華のある選手が活躍すると女性ファンも増えるんじゃないだろうか。

吉田隆司は現オープン・ザ・トライアングルゲートの王者であると紹介には書いてある。最近はインディの団体にもものすごい体格の(もちろん実力もある)選手がいてびっくりさせられるが(去年の鷹木信悟はすばらしかった)、吉田はどんな選手なのか、試合を見るのが楽しみだ。

去年は秋山と丸藤のあいだにある「因縁」がリーグ戦にピリッとした味わいを与えていたが、今年は凄絶な星争いに終始するかも知れない。

Monday, February 25, 2019

文学とは


ほとんどの人が絶望的なまでに誤解していることなのだが、文学というのは、まさしく文学を批判することなのである。うんとわかりやすく言うと、蝶よ、花よと歌うことが文学ではなく、そうした文学に対する観念を批判することこそ文学なのである。

そして文学とは閑文字なりと思い込んでいる人々こそ、こうした「ダメな」文学的観念にやられてしまう。最近のいい例は安倍首相で、自衛官の息子が「自衛隊は違法なのか」と眼に涙をためて尋ねた、などと話をしている。「眼に涙をためて」。文学を知らない人は、自分が文学にやられていることを知らない。

Sunday, February 24, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 3-7)

範例
I
(a) There is (he has) queerness about him.
(b) There is (he has) queer look about him.
(c) Is there (has he) anything queer abuot him?
(d) There is (he has) something queer about him.
(e) There is (he has) nothing queer about him.
II
(a) There is (he has) queerness in him.
(b) There is (he has) queer look in him.
(c) Is there (has he) anything queer in him?
(d) There is (he has) something queer in him.
(e) There is (he has) nothing queer in him.

I & II
(a) 彼には奇異(な性質)が有る。
(b) 彼には奇異なところが有る。
(c) 彼には何か奇異なところが有るか。
(d) 彼には何やら奇異なところが有る。
(e) 彼には少しも奇異なところは無い。

解説
 about(周圍に)、in(中に)は或る性質、趣等が人或は物に附屬する意を示すPreposition にして前者は偶然外部に附着し、後者は必然内部に固有する意有り。
 Anything, something, nothing の thing は一種の Pronoun の如き役目を爲すものにして本文の如き場合にありては air, look 等に相當するものなり、故に(c)(d)(e)の anything, something, nothing は(b)の look の Pronoun たる thing に any, some, no
の加はりたるものなり。

用例
1.  There is a great mystery about it.
    Mark Twain
  それには非常に不思議な點が有る。
2.  She has not a cheerful feature about her.
    Max O'Rell
  彼女には快活な所は無い。
3.  There is cheefulness about flowers.
    S. Smiles
  花には快活な趣が有る。
4.  There never was any truly great man with less of brag about him.
    三四・海兵
  古來如何なる偉人にても彼ぐらゐ自慢氣の少ない人は無かつた。
5.  But with strangers there was a certain severity of manner about her.
    A. Trollope
    併し知らない人に對しては此女には一種過酷な樣子が有つた。
6.  There was about Mrs. Reed a kindly manner wich pleased all who knew her.
    N. N. R. IV.
  リード夫人には親切な所が有て知る者皆喜んで居た。
7.  Very well, then, I don't see that there is any mystery about it, after all.
    Mark Twain
  併しさうした所で別段それに不思議が有るとは思ひません。
8.  She has a timid look about her.
    V. Hugo
    彼女には臆病な樣子が有る。
9.  There was an air of respectability about her.
    Max O'Rell
    彼女には尊敬す可き趣が有る。
10. He was not sailorly, and yet he had a smack of the sea about him too.
    R. L. Stevenson
    彼は船頭のやうでは無かつたが、併しまた彼には何となく海臭いところが有つた。
11. There was nothing commonplace about it {=face}.
    M. Clay
    それには平凡なところは少しもなかつた。
12. There was nothing ignominious about poverty.
    S. Smiles
    貧窮は耻づ可きで無い。
13. In other respects there was nothing remarkable about it.
    G. R. Sims
    他の點に於いては何も變つた所は無かつた。
14. Now, it is a fact that there was nothing at all particular about the knocker on the door, except that it was very large.
    C. Dickens
    さて、其戸叩きにはそれが非常に大きかつたと云ふ外變つた所は少しも無かつた。
15. The clock was hard on ten when the patrol went by with halberds and a lantern, beating their hands; and they saw nothing suspicious about the cemetery of St. John.
    R. L. Stevenson
  夜番が其手を打ち乍ら戟と角燈を携へて通つたのは十時近くであつたがセント・ヂヨンの墓所には何の變りも無かつた。
  hard on 近く
16. On the outside, the private mansions have nothing remarkable about them; but what wealth and luxury was hidden behind their high dark walls?
    Max O'Rell
  これ等私邸の外部には何等變りたる所なし、されど其高き暗き壁の後に隱るゝ富と驕奢とは幾何ぞや。
17. I always think that there is something human about them {=the baboons}.
    H. R. Haggard
    私はいつもさう思ふ事だが彼等(狒々)には何となく人間らしいところがある。
18. There was something original, independent, and heroic about the plan that pleased the camp.
    Bret Harte
    其考には人夫全體の満足を買つた斬新な、掛け離れた、勇ましい所が有つた。
19. The evening before I had detected something forced, something not quite natural about her.
    Turgenev
    前夜私は彼女の樣子に無理な所、全く自然で無い所の有るのを見た。
20. There was something of a gymnast about him; he used with great facility his right hand or his left hand.
    V. Hugo
    彼には體育家の趣が有つて、右手をも左手をも自由自在に用ひた。
21. As I saw the landscape under these atmospheric aspects, there was something positively ghastly about it.
    J. E. Muddock
    斯う云ふ天氣模樣で四圍の光景を眺めた時には確かに氣味惡い趣が有つた。
22. Altogether he reminded me forcibly of a gorilla, and there was something very pleasing and genial about the man's eye.
    R. Haggard
    全體から云ふと、どうしても彼は猖々としか思へなかつたが其眼には非常に氣持の善い優しい樣子が有つた。
    riminded me...of「を私に思ひ起さしめた」「を私に思はせた」。
23. This place has something of the solemn grandeur of a wood about it...something uncultivated that delights the eye.
    Max O'Rell
  此公園には森林の如き雄大の趣が有る、人目を喜ばす自然の儘の趣が有る。
24. There was something so awful, though, about talking with living, sinful lips to the ghastly dead, that I could not hardly bring myself to rise and speak.
    Mark Twain
  併し此生きてる罪の深い唇で亡靈と話をするのは何となく恐ろしくて殆ど立ち上つて切り出す勇氣が無かつた。
  bring myself to...する氣になる。
25. I hate a man who goes to sleep at once; there is a sort of indefinable something about it which is not exactly an insult, and yet is an insolence; and one which is hard to bear.
    Mark Twain
    俺は直ぐねる人間は嫌ひだ、直ぐねると云ふ事には元より侮辱ではないが、無禮とでも云はうか一種名の附けようの無いものが有る、耐え難いものが有る。
26. There is something fiendish in the look of exulation that delights Arthur Dynecourt's face.
    The Duchess    アーサー・ダインコートの顔に浮んだ得意の樣子には惡魔の樣な趣がある。
27. When her husband was paying the bill there was something disagreeable in the eye of the man who was taking the money.
    A. Trollope
    良人が勘定を拂つて居る時金を請取つて居る男の眼中にいやな樣子が有つた。
28. He left the bench, walked straight up to the man, and with his eagle eye actually cowed the man, who dropped the weapons, afterwards saying, "There was something in the eye I could not resist."
    O. S. Marden
    彼は椅子を離れ、眞直ぐに其男の所に進んで行き其鷲の樣な眼を以てとうとう其男を威壓して了つたので、其男は武器を落して了つた。そして後になつて斯う云つた「あの人の眼には私に抵抗の出來ぬ何かがある」。
29. She was aware that it was not his wont to be so loud -- that there was generally something more delicate and perhaps more querulous in his nocturnal voice, but then the present circumstances were exceptional.
    A. Trollope
    こんなに鼾の高いのは例で無いと云ふこと、鼻息に何となく平素より優しい所が有り、平素より震へて居る樣子があると云ふ事を夫人は知つたのである、けれども今日の場合は別物である。
30. If there should be anything disagreeable in the operation, he must submit to it.
    A. Trollope
    よし其手術にいやな所が有つても、彼はそれを忍ばなくてはならぬ。

**********
トランスクライバー独白
29 の訳文はあまりよくない。「彼女は鼾がいつもよりひどく高いことに気づいた。普段はもっとかすかで、震えるような感じがあるのだが、そのときの鼾は異常だった」

Friday, February 22, 2019

闘う文学者

トランプ大統領がメキシコとの国境に壁を作ろうとしているが、ミステリ作家のドン・ウインズローがそのことに関しツイッター上で「フォックス・ニュースでおれと討論しようぜ」と持ちかけた。それを知ったスティーブン・キングは、「そいつは見たいな。一万ドル出すぜ」とウインズローに言った。ただし二十一日の時点ではトランプからはまだ返事がないそうだ。

ウインズローが出したツイートの内容はこんな感じだ。「親愛なる本物のトランプよ。トランプ・ウオールについて議論しようぜ。そして国民に決定してもらおう。おれはあんたのニュース・ネットワークにだって出る。フォックス・ニュースだ。どんな番組でもいい。アンカーも誰でもいい。時間もいつだっていい。大統領選挙のときは十八人の共和党の人間と議論したんだから、作家を一人相手にするくらい朝飯前だろう。返事を待つ」

これはガーディアンの記事を読んで知ったのだが、彼はもとから壁の設置に反対していて、二年前には全面広告を出して「交通事故でより薬物の過剰摂取で死ぬ人が多いこの時代、ドラッグ問題を根本的に解決する代わりにトランプは国境の壁というファンタジーをわれわれに与えようとしている。そんなものはドラッグの流入を防ぐのにちっとも役に立たないのだが」

彼はこんな具合にさかんにトランプ批判をやっているようだ。キングもトランプにたいして臆することなく批判する。つい先日、トランプの国家非常事態宣言に対して「民主主義からの大きな後退、独裁主義への大きな前進だ。二百年以上つづいてきたアメリカの統治の形を彼は破壊しようとしている」とやった。

ひるがえって日本の作家はどうだろう。文化人はどうだろう。議論しようぜ、と安倍首相にもちかける人間はいるだろうか。そっちの都合のいい条件を呑んでやる、と言える人はいるだろうか。わたしはおそらく野坂昭如ならやっていただろうな、と思う。かなり確信を持ってそう思う。

しかし不幸なのは安倍にしろトランプにしろ教養がないから(どちらもゴルフはするが読書はしない)議論らしい議論にならないという点が残念である。論点をずらすとかヒステリックに関係のない話をするとか(とくに安倍)、そんな程度しかできないのだ。論理的に問い詰めることを知っているなら高校生でも安倍首相を容易に窮地に追いやることが出来るのだろう。

だからだろう、ウインズローがディベートのセッティングはいっさい大統領の判断に任せると言ったのは。まともにやったのではトランプ不利は明白。そこで相手の都合のいい条件、たとえばアンカーがトランプに口添えすることもできるような状況でやろうと言ったのだ。さすがアメリカ人、ウエスタンに出てくるガンマンのような格好良さだ。わたしはウインズローが最近出した「国境」という本をさっそく読んでみようと思う。

Thursday, February 21, 2019

H.G.ウエルズの「ワシントンと平和の謎」から

本書には次のような一節がある。

Japan is not a people trying to express itself through a Government as we Atlantic peoples are, but a Government, a small ruling class, in effective possession of an obedience-loving people.

日本は大西洋の国の人々と違い、その国民は政府を通して自己を表現しようとしない。逆に少数の支配階級によってつくられる政府が実質上、従順に従うことを好む人々を支配している。

これは今でも変わらない。なぜ安倍政権がつづくのか。日本人は、「従え」と命令する首長を好むからだろう。それで生活が経済的に苦しくなろうが、関係ない。それどころか「苦しくても従う」というところにある種の快楽・享楽を見出しているのだ。このマゾヒスト的な快楽・享楽こそ日本的性格の根本にあるのではないか。

谷崎潤一郎が描くマゾヒスチックな快楽も、じつはこれと関連している。「春琴抄」において佐助は春琴に献身的につくす。春琴の暴力的なわがままにひたすら耐える。そして春琴がその美を失っても、みずから失明することにより、不都合な現実を見ないことにする。晩年の春琴はさすがに弱気になったようだが、佐助はそれを許さず、あくまで彼女を玉座につけ、自分はその前にかしずこうとする。これはマゾヒスチックな享楽を決して手放さなかった男の物語であり、日本人の本質に迫るという意味で傑作なのだと思う。

ただウエルズのようにこのような特質が「大西洋の国の人々」にないとはいえない。たとえばドイツはどうだろうか。ゲッベルスが国民にむかって「今まで味わったことのない苦難が強いられることになるが、きみたちはそれに耐えられるか」と言ったとき、国民は大歓呼して苦難を味わおうと答えたのである。

わたしはこれと同じことが近い将来日本に起きても驚かないし、現在それは起きていると考えてもいいのだと思う。誰もが日本の豊かさに関する政府の統計が嘘であることを知っている。そして今後生活はさらに苦しくなることを知っている。しかしほとんどの人はそれを喜んで受け入れようとしているのだ。政府は無言のうちにこういうメッセージを発している。「その通り、統計にあらわれた豊かさなんてまやかしだ。諸君は苦しい生活を送っている。しかしこれからはもっと苦しい生活になるだろう。きみたちはそれを迎え入れるか」国民はそれに対して言いしれぬ享楽を感じ、無言の内に歓呼しているのである。

ウエルズの本(Washington and the Riddle of Peace)はプロジェクト・グーテンバーグで読める。

Wednesday, February 20, 2019

全日本プロレス ジュニアヘビー級リーグ戦決勝

ジュニアヘビー級のリーグ戦は吉岡世起と岩本煌史で決勝を戦うことになった。W-1 対 全日本という構図、そして生きのいい若い世代のぶつかり合い、じつにいい組み合わせが実現した。

吉岡はきっと決勝に出てくるとリーグ前から思っていた。彼は勝負に貪欲で、どこかぎらぎらしている。まだ子供っぽさを残した顔立ちだが、野性味も兼ね備えていて、持ち技はあらあらしく多彩だ。わたしはこういう一匹狼的なレスラーが好きである。

岩本は初戦で鈴木鼓太郎に敗れ、どうなるかと思ったが、その後持ち直したのは立派である。彼は吉岡とは逆に、闘志を内に秘めるタイプだ。最近は技の使い方・タイミングに工夫を凝らし、戦い方がすこしうまくなったようだ。たとえば彼の得意技の払い腰(わたしは「孤高の芸術」という名称を好まない)を、相手が予期しない場面で使うようになった。相手の意表を突けば技の威力は何倍にもなる。そういう効率的な戦い方をおぼえてきた気がする。

岩本はチャンピオンだが、吉岡を格上の選手くらいに考えて試合に臨まないと、えらいことになるだろう。吉岡の技の豊富さとスピードに翻弄されるか、それとも岩本が吉岡の動きを読んで返し技をかけるか。普段から戦っている相手ではないので、岩本の対応能力が問われると思う。

Tuesday, February 19, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 8)

範例
(a) He spoke far above the other voices.
(b) His voice rose far above the others.
(a) 彼は他の聲よりはずつと高い聲で話した。
(b) 彼の聲は他の人の聲より遙かに高く聞えた。

解説
To rise (speak, etc.) above......
......の上に出づ、......よりも高く聞ゆ、匂ふ、等。
音響、香等の他のものよりも高く聞え又は匂ふに云ふ。

用例
1.  At length, one voice, sharp and shrill, was heard above the rest.
    Mrs. Craik
    終に一つの鋭い聲が他のものよりも高く聞えた。
2.  Here the mason was interrupted by some of the voices rising above the others.
    Souvestre
    此時石工は他の聲よりも高い声の爲に遮られた。
3.  Clearly, the pungent smell of the creosote rose high above all other contending scents.
    C. Doyle
    色々の香がしたがケレオソートの強い香が特に著しくにほつた。
4.  Thaddeus Sholto talked incessantly, in a voice which rose high above the rattle of the wheels.
    C. Doyle
    サデユース・シヨルトは轍の音よりもずつと高い聲で絶えず語つて居た。
5.  What cares Henry L. Balwer for the suffocating cough, even though he can scarcely speak above a whisper?
    O. S. Marden
    ヘンリ・エル・バルワーは窒息するほどの咳嗽が出て殆ど囁きより大きな聲は出なかつたが、それを何とも思はない。

Monday, February 18, 2019

「隠された手」(1859)

アメリカの女流作家E.D.E.N.サウスワース(1819-1899)の一番有名な小説である。二百万部売れたと言うから人気のほどが知れる。ここでレビューするのは二部あるうちの最初の第一部である。

わたしが興味を抱いたのはこの作品における固有名の扱い、それが伝達される過程である。二箇所だけ例をあげる。

第一の箇所はウォーフィールド大佐と青年ハーバート・グレイソンが会話をする場面だ。後者は前者に、困難に立ち向かいながらもけなげに息子を育てるある女性の話をするのだが、ここでは彼女の名前(固有名)が一切用いられずに会話が進行する。名前の代わりに「友人の母」とか「そのたくましい女性」などといった表現で彼女が示されるのである。それを聞いていた主人公キャピトーラは青年が帰ったあと、大佐にこう言う。「その女の人を支援するとおじさんはいうけど、名前を知らないじゃない!」

じつはこの女性は、かつてウォーフィールド大佐の恋人であったのだ。ところが彼女が同じ軍人の仲間であるルノワール大佐といっしょにいるところを見て、裏切られたと思い、彼女と絶縁してしまう。トラウマとまでは言わないが、決定的な裏切りの記憶と結びついた固有名が伏せられた形で大佐のもとに届くわけである。もちろん固有名が明らかになるときは、ドラマチックな瞬間になる。

第二の箇所は、不義を疑われたこの女性マラー・ロックが、自分を破滅に追いやったルノワール大佐の固有名をつかみそこねる部分である。筋の紹介は省くけれど、彼女はルノワール大佐と面談することになる。しかし彼女はこれから面談する相手がルノワールであることを知らないのだ。彼女の息子はその名を一度聞いているのだが、なぜか失念し、母親に「ちょっと変わった名前」の人、「ドゥ・モインズとかドゥ・ボーンズとかドゥ・ソールみたいな名前」の人と告げるだけなのである。さらに面談する相手が到着し、召使いが彼女のもとに男の名刺を持ってくるのだが、活字が古英語のそれであるため、彼女にはまるで読み取れない。男の固有名は彼女のもとに届いているのだが、それはいわば微弱な電波のようなもので、ひどく聞き取りにくいか、べつの言葉のように聞きなされてしまうのである。そして彼女と面談相手の男が顔を突き合わせ、相手を認めた瞬間は、固有名が発せられる瞬間、ドラマの一瞬である。メロドラマに特徴的な瞬間の一つ、それは「きみの名は」の一瞬ではないだろうか。

このことに気づいてからわたしは「隠された手」が急に面白くなった。正直に言うと、キャピトーラの冒険以外の部分は、「くさい」ドラマが展開するばかりでちっとも面白くなかったのだ。しかし固有名の問題に気づいてからは、シニフィアンの伝達の問題があちこちに隠されていることに気づき、興味を惹かれだした。

簡単に筋をまとめておこう。

ルノワール大佐は悪徳貴族である。彼は遺産を受け継ぐために、自分よりも先に遺産を受け継ぐ権利を持つある女の子を殺そうとする。が、たまたま彼女は魔の手を逃れ、ニューヨークのスラム街で十歳になるまで成長する。これが主人公のキャピトーラである。スラム街で育ったから、お転婆で、勇猛果敢、しかも機転がきく女の子だ。

さて産婆さんは死に際にウォーフィールド大佐に事情を打ち明け、キャピトーラの世話を頼む。大佐はさっそくニューヨークへ行き、彼女を探し出し、自分の屋敷で育てることにする。

ここで悪辣なルノワール大佐がまた悪事をたくらむ。自分の地位を脅かす女がまだ生きていることを知り、彼は悪党どもを雇い、彼女を無き者にしようとするのだ。しかしキャピトーラもただ者ではない。なにものをも怖れぬ彼女は、命を狙う悪党どものたくらみを次々とくじいていく。

Sunday, February 17, 2019

2.16 全日本プロレス 熊本大会ダイジェスト

ジュニアヘビー級のリーグ戦が進行中だが、その中で異様な迫力を見せているのが岡田選手である。身体が明らかに大きくなり、それに比例して技の迫力も増した。熊本大会での相手は丸山選手だったが、普段ににあわず殺伐とした雰囲気を漂わせる彼のキック攻撃に耐えて、最後は相手を抱え上げ、背中から落として、そのまま抑えこんだ。これがリーグ戦初勝利とは思えないくらい力強い勝利だった。

試合後のコメントもよかった。全日本でコメントがうまいのは青柳と岡田だとわたしは思っている。青柳は相手の言葉を巧みに、強気に切り返すところに鋭さを見せるが、岡田はどんなときも否定的にならず前を見つめるコメントが特徴的である。この日もリーグ戦線からは脱落したが、「この大会があったから俺は未来の岡田佑介があるって言いたい」といいことを言った。

岡田の次の対戦相手はフランシスコ・アキラだが、アキラも将来が楽しみな選手だ。身体が細いが、動きはすばやく、俊敏さを武器にしているはずのジュニアヘビー級選手さえ、緩慢に見えるくらいだ。ただ、逆に言うと、アキラ選手がひとり相手のまわりを走り回っているように見える。動きを止められ、重い技を食らうとさすがにダメージがあるようだが、しかしあれだけ声を出して動きまくり、新鮮なわざを繰り出しまくる選手は、全日本のリングでははじめて見た。おそらく観衆は誰もが、アキラ選手の五年後、十年後を見たいと思っているのではないだろうか。

Saturday, February 16, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS
早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 1-3)

範例
I made an acquaintance of a Mr. Kate.
I made an acquaintance of a certain Mr. Kate.
I made an acquaintance of one Mr. Kate.
私はケイト氏と云ふ人と相識(ちかづき)になつた。

解説
A Mr. (Mrs., etc.).......
A certain Mr. (Mrs., etc.)......
One Mr. (Mrs., etc.)......
= A man (woman, etc.) named Mr. (Mrs., etc.)......

用例
1.  The murdered lady was a Mrs. Clowbury. 
    G. R. Sims
  殺された女はクロウベリと云ふ婦人であつた。

2.  Many years ago, I contracted an intimacy with a Mr. William Legland.
    E. A. Poe
  餘程以前の事だが、私はヰリヤム・レグランドと云ふ人と懇意になつた。

3.  It is the likeness of a dead friend -- a Mr. Oldeb -- to whom I became much attached at Calcutta, during the administration of Warren Hastings.
    E. A. Poe
  それはヲレン・ヘステイングスの施政中に私が非常に懇意になつた今はこの世に亡い朋友オルデブと云ふ人の寫眞であつた。

4.  She explained that the foreign gentleman was a Signor Moroni, who was a singing master, and that he had been trying to induce her to join a concert company which he was forming.
    G. R. Sims
  「其外人は唱歌の師匠をして居たモロニと云ふ人で當時自分が拵へつゝあつた音樂隊に加入せよと私にも勸誘して居たのです」と彼女は説明した。

    Signor 伊太利語の Mr. なり。

5.  If it were necessary, he would see the strange gentleman -- whom he now ascertained to be a certain Mr. Jones, returning from the east of Europe.
    A. Trollope
  若し又必要ならば彼は其紳士に會はうとまでして居た。其紳士と云ふのは今度歐羅巴の東部から歸つて來たジヨーンスと云ふ人である事が今分つた。

6.  I have had what is called a challenge sent to me this morning.  It is from a certain Jacko, who is a suitor to a Miss Vapour, and has taken offence at an expression of mine to her respecting him.
    H. H. Brackenridge
  今朝或奴から決闘状と云ふものを送つて來た。よこしたはヱ゛ーバーと云ふ女の子の情夫で、ジヤツコと云ふ男だが實はおれが其女に向つてそ奴の惡口を云つたのを聞いて怒つたのだ。

    has taken offense at を聞いて怒つた。

7.  This trait of British obstinacy showed itself clearly in the course of the famous trial of Dr. Eliot, charged with committing a murderous assault on a Miss Boidell.
    E. V. Heward
  英人の頑固と云ふことはミス・ボイデルと云ふ婦人を殺さうとしたと云ふ彼の有名なエリオト博士の公判中に明かに現はれた。

    showed itself 現はれた。in the course of 中に

8.  Residing in Paris during the spring and part of the summer of 18--, I there became acquainted with a Monsieur C. Auguste Dupin.
    E. A. Poe
  千八百ーー年の春から夏の初めへかけて巴里に帶在中私はシー・アウギユスト・デユパンと云ふ人と相識になつた。

    became acquainted with 親しくなった。Monsieur 佛語の Mr. なり。

9.  I am an old resident in this neighborhood, sir, and I never heard of a Mrs. Rochester at Thornfield Hall.
    C. Bronte
  私は古くからこの近傍に住んで居る?ですがソーンフイールド館にロチエスター夫人と云ふのが住まつて居られる事は聞いた事がありません。

10.  "Pretty much, but not altogether," said Legrand.  "You may have heard of one Captain Kidd."
    E. A. Poe
  レグランド曰く「殆ど同じだが全く同じでは無い。君は多分キツド船長と云ふ者の有つた事を聞いたで有らう」。

11.  I am one John Duddlestone, sir, only a bodice maker, and I pray you not to take it amiss if I asked you and the gentleman who is with you, to come to my humble home, where you will be most welcome.
    N. N. R. IV.
  「私はヂヨン・タドルストンと申す者で御座いまして唯胸當製造人に過ぎないので御座いますが殿下と御供の御方に拙宅へ御出でを御願ひ致しましても惡からず思召の程を願ひます。拙者方に御出で下さらば充分御歡迎を申上げます」。

    to take it amiss 惡く思ふ。

Friday, February 15, 2019

古い語学書から

国立国会図書館デジタルコレクションの中でもパブリックドメインの扱いを受けた語学書にはいくつか眼を通して見た。わたしは英語とドイツ語と韓国語がある程度読めるのでこの三つの言語に関する語学書が中心である。残念ながらドイツ語と韓国語に関してはたいした本がない。勢い英語の参考書を中心に見ることになった。そこで気がついたのは、確かに古さはいなめないものの、充分参考になる内容だということだ。わたしが英書として読むのはだいたい十九世紀後半から二十世紀前半の作品なのだが、古い参考書はちょうどそのころ活躍した作家、著述家の文章を参考文にあげている。できたらペイターとかニューマン、あるいはディケンズやヘンリー・ジェイムズあたりの、頭が痛くなるような文章もどしどし挙げてあったらわたしの勉強にもなるのだが、とは思うが、しかし今や古典と云われるヴィクトリア朝やモダニズムの頃の古い作品を読む人もかなりいるのではないだろうか。それならやや古い例文を使っているこうした語学書もあながち時代遅れ、無用の長物とは云えないだろう。というわけで、自分の勉強がてら語学書を電子化してみようと思いついた。

デジタルコレクションに収録された本は、原本をコピーしたもので、染みやら書き込みが映り込み、汚らしい感じがするが、電子化すると字面がすっきりして気持ちがいい。原本には間違いも散見されるが、それはできるかぎり直した。しかしもちろんわたしが間違っている可能性もある。

どの書籍を電子化するか、その選択は適当である。最初に

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS
早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

を電子化してみようと思う。原書のスタイルを忠実に守るのは面倒なので(一ページの左半分に英語、右半分に日本語、などという書式を忠実に守ろうとしたら時間がかかりすぎる)原書のスタイルをこのブログでちょいちょいっと加工できるようなスタイルに変更する。ついでに序文なんかも飛ばしてしまう。全体をまとめて EPUB 形式にすることがあるなら、そのときは序文も入れよう。旧かな、旧漢字はそのままにしようと思うが、文字化けする可能性がある字は新字で書く。

いろいろと方針が徹底していないが、とにかくやってみよう。

Thursday, February 14, 2019

精神分析の今を知るために(3)

擬似的現実と真正の現実は区別ができない。われわれのまわりにある現実は、いつも擬似的現実によって補完されなければならない。

(これを理解するにはポケモンゴーを見るといい)これは純粋にイデオロギー的ゲームと言える。これは真正の現実から擬似的現実に逃避するためのゲームではない。デバイスを通してあなたは現実を見るが、しかしそこにはそれ以上のもの、つまりポケモンが見える。それがあなたの欲望をかきたて、それが現実に統一性を与える。最初は混乱した現実があるのかもしれないが、そこにポケモンが登場することで現実に意味が与えられる。

ポケモンゴーのゲームをもっとも巧みにプレイしたのはアドルフ・ヒットラーだ。彼のゲームは反ユダヤ主義という名前がつく。ユダヤ人はポケモンと同じ働きを持っている。1930年代初頭、ドイツは混乱していた。そこにヒットラーがあらわれ、「ユダヤ人を探せ」と言う。面白いことに、そのとたんにすべてが意味を持つようになった。

ポケモンゴーは新しいものをもたらしたのではない。イデオロギーに包まれたわれわれの生活の中に、常にすでにあったものである。イデオロギーはいつも拡張現実として作用する。

われわれが現実を見るとき、気をつけなければならないのは、われわれが見ているものは中性的で無邪気な現実ではないということだ。いつもそれは拡張現実なのだ。

(スラヴォイ・ジジェクの講演から抜粋 元ネタhttps://www.youtube.com/watch?v=P7CYDTSDjA0)

Wednesday, February 13, 2019

古典となるべきジャンル小説二十五選

Flavorwire は絵画、本、映画、音楽、テレビなどに関して情報を提供しているサイトだ。以前、本のコーナーではいろいろなリストを作成して発表していた。「シュールな本トップテン」とか「翻訳で読む女流作家二十二選」とか「最重要カルト小説五十選」などである。どのリストもすばらしくて、わたしはこれが発表されるのをわくわくして待っていたものだ。

「古典となるべきジャンル小説二十五選」もその一つ。久しぶりに見返す機会があったのでここに書きつけておく。

(タイトル, 作者名)
Nights at the Circus, Angela Carter
Embassytown, China Mieville
Solaris, Stanislaw Lem
The Island of Doctor Moreau, H.G. Wells
The Handmaid’s Tale, Margaret Atwood
All the Light We Cannot See, Anthony Doerr
The Daughter of Time, Josephine Tey
Magic for Beginners, Kelly Link
The Blue Flower, Penelope Fitzgerald
In the Woods, Tana French
The Famished Road, Ben Okri
No Beast So Fierce, Edward Bunker
The Unconsoled, Kazuo Ishiguro
Pig Tales, Marie Darrieussecq
Kindred, Octavia Butler
The Thirteenth Tale, Diane Setterfield
Arthur & George, Julian Barnes
The Woman in the Dunes, Kobo Abe
Among Others, Jo Walton
Duplex, Kathryn Davis
The Intuitionist, Colson Whitehead
The Dispossessed, Ursula K. LeGuin
Jonathan Strange & Mr. Norrell, Susanna Clarke
Pure, Andrew Miller
Dealing with Dragons, Patricia C. Wrede

すでに古典的な扱いを受けている作品もまじっているが、まあ、それはいいだろう。ただこのリストでちょっと不満なのは古い作品がないこと。日本でパブリック・ドメイン入りしている古い本といえば「モロー博士の島」と「時の娘」くらいだ。しかしタナ・フレンチやアンジェラ・カーター、マーガレット・アトウッド、アーシュラ・ルグウィンなどの女流作家は風格をそなえた堂々たる作品を出しているし、モダンクラッシックと称してもすこしも不思議ではない。また男性作家ではコルソン・ホワイトヘッドは(わたしの好みでもあり)注目すべきだと思う。カズオ・イシグロの The Unconsoled がジャンル小説かどうかはわからないが、わたしも高く評価している。抽象度の高い象徴的な作品をヨーロッパはたくさん生み出してきた。日本でそのような作品が書けた珍しい作家の一人が安部公房で、非英語圏からただ一人選ばれてリスト入りしているのは、彼への評価の高さを示しているといえるだろう。

Monday, February 11, 2019

日本のリベラルの困るところ

少し以前、とあるフリーのジャーナリストがフランスへ行ってマクロン政権に異議を唱える人々(黄色いベスト)の記事を書いていた。そして金持ち優遇政策が日本の現政権のやり方とそっくりだという。

しかしこれは選挙の時からわかっていたことである。フランスがあのとき突きつけられたのは、極右のル・ペンを選ぶか富裕層寄りのマクロンを選ぶかという、ろくでもない選択だった。そしてファシズムを避けるためにもう一方のとんでもない選択肢を選ばざるをえなかったのである。

このような事態はアメリカでも起きた。前回の大統領選挙における真の対立は、トランプやクリントンの富裕層寄りの人々と、バーニー・サンダースという北欧的な社会民主主義をめざす勢力のあいだにあった。ところがサンダースは国民の選択肢とはならなかったのである。民主党自体が彼の行く手をはばんだ。その結果、トランプとクリントンという、どっちもろくでもない選択肢しか提示されなかったのだ。

問題は、選挙において国民に選択肢がないということだ。これは日本にも当てはまる。

リベラルは野党集結を叫ぶけれど、実際は野党といっても、みなこちこちの保守である。自民党の分派といってもいい。立憲民主でさえそうである。共産党もそんな野党に協力しているのだから、世話がない。野党が政権を取ったとしても、前回以上に保守的な政策を実施していくだけだろう。われわれには今、選択肢がないのである。

これこそがフランスと日本の類似点だ。

しかし日本のリベラルはいまだに野党を信じているらしい。野党が野党ではないことを見まいとしている。これではまったく駄目なのだ。このフリーのジャーナリストの記事が感傷的で薄っぺらなのも当然なのである。

Sunday, February 10, 2019

2.9 全日本プロレス 生駒大会

プロレスの記事がつづくけれど、仕方がない。ジュニアヘビー級のリーグ戦が面白いのだ。

まず力が佐藤に勝った。度肝を抜くとはこのことだ。どんなに幸運が味方していても元ジュニアヘビー級チャンピオンに新人レスラーの力が勝つなんて、あるわけがない。しかし生駒大会のダイジェスト・ビデオを見て納得がいった。あれは力の「パワー!」という絶叫と、佐藤の「ぜんぜん痛くありません!」の対決だったのだ。このセリフ対決はあきらかに力が佐藤を上回っていた。というより、佐藤が思いも寄らぬ所で飛び出す「パワー!」にびびっていた。変態をびびらせるだけでなく、わたしの大好きな女性レフェリーまでびびらせていた。恐るべし。

冗談はともかく、力が佐藤に腕を取られ、ほとんどのびきったも同然の状態になりながらもロープにかろうじて逃れたのは立派である。レスラーとしての力量はまだまだだが、根性はある。力道山ゆずりのチョップはまだ腰がひけているけれど、音はいい。一度ラリアットを放っていたが、あれを見ると腕の力は結構あるのだろう。今後も全日本で暴れて欲しい。

TAJIRI とフランシスコ・アキラの試合も興味津々、見せてもらった。アキラはまだ十九歳で身体が細い。しかし技が多彩で、動きがいい。ロープをかいくぐってリングから出たり入ったりを繰り返しながら攻撃する。あんなのははじめて見た。ただ TAJIRI の重量のある攻撃をくらうと、一発で動きが止まってしまう。

アキラにとって全日参戦は、はじめての海外遠征になるらしいが、観客から声援も飛んでいたし、いろいろな意味で日本のリングに慣れてきたら、面白い選手になりそうだ。全日の新人たちにとっても刺激になるのではないか。

試合後、TAJIRI がリングにうずくまるアキラを立たせて、健闘をたたえたが、こういう気遣いは、さすが世界で活躍した男だと思う。所属選手ではないが、全日本にとって貴重な存在である。たんに戦力としてあるだけではなく、ブレインとしてはたらいてもいる。

Saturday, February 9, 2019

2.8全日本プロレス名古屋大会ダイジェスト

最近またダイジェスト・ビデオが復活したようで、とてもうれしい。これで選手の様子がだいたいわかるし、こちらの試合にたいする目の付け所も変わってくる。

吉岡と力の試合は思わず噴き出してしまった。力がわけもなく「パワー!」と叫ぶたびに、吉岡が脱力して横を向く場面は、じつにコミカル。本人の必死さと、外見の滑稽さの落差が大きくて、「楽しい」全日本プロレスにふさわしい試合になったと思う。ただ、力選手は動きがかたいので、怪我をしないかちょっと心配である。ついでにいうとこの試合をさばいていた女性レフェリーは、わたしは大好きである。技を食らった選手に大声でよびかけるのは、なにか女性らしくて感じがいい。

この日、岡田は岩本と当たったが、ずいぶん身体ができてきたのに驚いた。体格では岩本に負けていない。技のレパートリーがまだ少ないけれど、これからが楽しみだ。考えて見ると、連敗していた新人時代はもうとっくに過ぎて、今は後輩が三人もいる立場である。顔つきもきりりと引きしまって、誰を相手にしても気合い負けしない、いい選手だ。岩本は鼓太郎に初戦を落としたのが痛い。チャンピオンにはなったが、一線級にはまだ地力で及ばないところがあるのか、と思われてしまった。佐藤や青木の時代に戻さないためにも、岩本にはがんばってもらいたいのだが。

最後はエヴォルーション軍とネクストリーム軍の八人タッグマッチだった。野村は本当に身体がでかくなり、攻撃が重くなった。腹が出ているけど、あれだけ動けるのだから問題はないだろう。試合は諏訪魔が大活躍してエヴォルーションが勝った。三冠戦にむけて調子をあげているようだ。わたしは彼の万力スリーパーが好きである。腕をがっしり顎のまわりに巻きつけて、ゆさゆさと揺するのは、鶴田を彷彿とさせる。もっとも宮原は前の試合でこの技を食らって負けているから、これで彼を仕留めることはできないだろう。宮原はスピードもタフさもクレバーさも兼ね備えた選手だから。どっちを応援しているというわけでもないが、所属選手同士による「全日本の顔」争いである。選手権までの一戦一戦が気にかかる。

Thursday, February 7, 2019

2.24世界タッグ選手権

関本・岡林のチャンピオン組に崔・ジェイク組が挑戦する世界タッグだが、これはもう若いジェイクにがんばってもらうしかない。わたしはジェイク・リーこそ若手のナンバーワンだと思っているし、全日本のヘビーの顔となるべき存在だと考えている。彼がチャンピオンになれば、若手の勢力図は眼に見えて変動し、活性化するだろう。また崔選手と組んでよい結果を出すことは、積極的に外部の人材を取り込む全日本の方針の実り豊かさを示すことにもなるだろう。

しかし関本・岡林組はとんでもなく頑強な身体を持ったチームである。暴走大巨人組からベルトを奪い取った試合を見たが、彼らの上体の力は尋常ではない。腕力やぶつかりあいでは彼らに勝つことはできないだろう。

ただジェイクにも崔にも蹴りの技術がある。勝つチャンスがあるとすれば、これをうまく使えるかどうかが鍵となるのではないか。暴走大巨人との試合を見て気づいたのだが、石川修司が突進する相手の腹部に膝を合わせたり、リング上にへたり込んでいる相手の胸に膝を当てる攻撃は、かなり効果的だった。相手に読まれると、逆用されるが、不意をつけば、足や膝の攻撃は、チョップのような上体を使った攻撃よりも重くて、与えるダメージが大きい。

それでも関本・岡林はタフだ。先の試合で石川は、膝の攻撃により関本からスリーカウントを取るチャンスを作ったが、必殺技を一発出した程度ではまだ息の根を止めることができなかった。崔・ジェイク組は、膝やキックの攻撃のほかに、決め技を二発目、三発目まで用意しておかなければならないだろう。

容易な相手ではないが、しかし戦いがいはある。挑戦者チームには大いにがんばって貰いたい。

Wednesday, February 6, 2019

野村直矢の成長

二月七日、全日本プロレス・アジアタッグ選手権をめぐって激突する挑戦者チーム、およびチャンピオン・チームの意気込みが記者会見で披露された。このプロモーション・ビデオを見て、野村もだんだんとコメントがうまくなってきたなと思った。

パートナーの青柳は昔から鋭く発言をする男で、挑戦者組(大日本プロレスの河上、菊田両選手)の挑発を強気に、巧みに切り返していて見事だった。しかしわたしがびっくりしたのは、いつもにこにこして、どうでもいいようなことを話す野村が、いつになく顔をひきしめ、「対抗戦はもうちろんそうなんですけど、それを意識しすぎると足もとをすくわれると思うんで、一レスラーの野村直矢として二人を迎え撃って、確実に潰していきたい」と述べたことだ。血気にはやるのではなく、自分を冷静に保ち、その上で挑戦者を退けたいというわけだ。まだ若いけれども、勢いで突っ走らず、いったん足もとを踏み固めようとする用心深さが備わってきたような感じがする。

これからは落ち着きだけでなく、責任感や、追われる立場になったときの力強さも要求されるようになるだろう。若手が次第に成長していく姿を見るのは、ほんとうにたのもしい。わたしは挑戦者組のことはまったく知らないのだが、世界タッグを大日本に取られている現状では、ぜひチャンピオン・チームに防衛してもらいたい。

Sunday, February 3, 2019

「戦争風刺画」ボードマン・ロビンソン作

前回、戦争小説 Through the Wheat 「麦畑を抜けて」を紹介したが、今回は風刺画の紹介。ボードマン・ロビンソンは「ニューヨーク・トリビューン」に漫画を載せていたが、反軍国主義的な傾向の強い漫画家で、あのジョン・リードとヨーロッパに渡ってギリシャ、ロシア、セルビア、マケドニアへ行き、世界大戦のありさまをじかに見てきた。今回、プロジェクト・グーテンバーグから電子化されたのは原題を Cartoons on the War といい、一九一五年の出版になっている。戦争がはじまってすぐの頃出たようだが、彼の政治的姿勢(反軍国主義)のために、すぐに作品の出版に支障をきたすようになった。

「戦争風刺画」の最初の作品を紹介する。






「戦争」は「貪欲」を父、「傲慢」を母として生まれた子供である、という内容だ。

本書は風刺画集で、出てくる英語も短くて難しくはない。一度手にとっていただければと思う。

Saturday, February 2, 2019

名作、ついに電子化

今朝、プロジェクト・グーテンバーグのサイトを見たら、トマス・ボイドの「麦畑を抜けて」(Through the Wheat)が電子書籍化されていた。これは戦争文学の、あまり知られざる傑作である。

今年からアメリカでは1923年出版の書籍がパブリックドメイン入りしたので、それを受けて今回の登場となった。ひたすらすばらしいとしかいいようがない。プロジェクト・グーテンバーグはもっとこの本の登場を宣伝するべきだろう。

ドイツ軍のフランス侵攻を食い止めるため、アメリカ海軍の小隊がフランスの友軍としてかけつける。物語はその中の小銃兵の眼で語られるのだが、これがまことに悲惨。戦争とはこういうものかと、いやというほど知らされる。

わたしは今、戦争文学を手当たり次第読んでいるが、よい機会だから、この本も再読しようと思う。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...