Friday, August 30, 2019

「西部戦線異状なし」

もちろんレマルクの名作だが、新潮文庫に収められた訳文は、はっきりいってあまりよくなかった。自分の日本語能力を棚に上げて言えば、文章がぞろっぺえでがある。

こういう文章は一文一文を丁寧に、かみしめて読むことができない。ついつい走り読みになってしまう。軍隊に関する用語、訳語をチェックするつもりで読みはじめたのだが、内容のよさが感じ取られただけに、しみじみと作品世界にひたってみたかった。

一つだけ感想を書いておく。この作品の中で、新兵が(はじめて戦場に来た兵士たち)が毒ガスの性質を知らずに死んでいったり、恐怖のあまり塹壕を飛び出したり、爆弾の音を聞き分けられずに命を落としたりという、実に生々しい事実が語られる部分がある。あれを読んだとき、黒部ダムの建設に携わった人から聞いた話を思い出した。それによると落盤事故などで死ぬ作業員は、やはり新人が多かったのだそうだ。ある程度経験を積むと、危険な場所や事故の発生を、徴候や勘で察知することができるのだが、それができない新人は危険な場所で危険な真似をしてむざむざ死んでしまうこともよくあったそうだ。黒部ダムの建設もある意味では戦争状況だったのだ。そしてそのような状況に置かれる人々はいつも同じである。さらに、兵士が死のうと戦況報告は「異常なし」となるように、黒部ダムでいくら人が死のうと、一般の人はダムの栄光のことしか聞くことがない。

Wednesday, August 28, 2019

F教授の思い出

わたしが卒業した大学にF教授という人がいた。わたしが発表した論文を非常に高く評価し、自信をつけさせてくれた人である。別に親しい間柄ではなかったけれど、彼がこんな話をしてくれたことがある。

とある茶の湯の家元からその大学に、茶室を寄贈したいとの申し出があった。これが教授会で諮られたとき、F教授は猛反対し、結局彼がこの話をつぶしたというのである。

理由はこうだ。人間はある程度金を儲けると、今度は名誉をほしがるものだ。茶室をただでもらったりしたら、今度は名誉教授の地位を要求されるだろう。学問の府が名誉欲を充たすための道具にされてはいけない。

今年の正月に、どこかの企業家がお年玉として百万円を百人に渡し、ツイッターのフォロワーを増やそうとした。フォロワーの数と社会的認知度を混同するあたりにこの起業家の見識のなさがよくあらわれているが、それはともかく、F教授は、大学に対して、百万円をもらってその企業家のフォロワーになるような不様なことはするな、と言ったのである。

しかし今の大学はどうだろう。商業施設と化しているから、F教授の議論は理解されないかもしれない。

Sunday, August 25, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 51-54)

範例
(a) He can arrive at any moment.
(b) He may arrive at any moment.
(c) He is expected to arrive at any moment.
(d) The door is liable to be opened at any moment.
    Etc. etc.
(a) 彼は何時(なんどき)でも來られる。
(b) 彼は何時來るか分らない。
(c) 彼は今にも來る筈である。
(d) 戸は何時開かれぬとも限らぬ。

解説
At any moment (hour, time, etc.).
    何時  |
    今にも | (……するかも知れぬ)。
 常に may, can, be liable, be expected 等、すべて Potentiality (可能性)を表す語と共に用ひらる。

用例
1.  Further arrests may be expected at any moment.
    Mark Twain.
    未だ此上に何時捕縛が有るか分らぬ。
2.  M. Myrie! might be called at any hour to the bedside of the sick and the dying.
    V. Hugo
    ミリエル氏は病人や死にかゝつた人の枕邊に何時よばれぬとも限らぬ。
3.  Or, if engaged in speculation, the rich man's wealth may fly away at any moment.
    S. Smiles
    或は又投機に從事すれば富者の富も何時飛び去るか分らぬ。
4.  There is constant trouble with France, which may at any time see a spark fanned into a blaze.
    Munsey's Magazine
    佛國と紛擾が絶えず、一點の火花が煽り立てられて何時焔々と燃えぬとも限らぬ。
5.  He would answer, -- "Tomorrow, perhaps; she can arrive at any moment, for I am expecting her."
    V. Hugo
    彼は斯う答へた「明日は來るだらう、いや今にも來るかも知れぬ。わしは今待つて居るのだから。」
6.  She was breathing, but so faintly that it seemed as if the respiration would cease at any moment.
    V. Hugo
    彼女は呼吸はして居た、併し實に虫の息で今にも止まつて了ひそうで有つた。
7.  By this time we were suffering greatly from the effects of the heat, and we were afraid that our horses would be overcome and drop down at any moment.
    N. N. R. IV.
    此時我々は熱さの爲に非常に困却し、乗つてる馬も疲れて何時倒れるかも知れぬと心配した。
8.  She who was once been a woman, and ceased to be so, might at any moment become a woman again, if there were only the magic touch to effect the transfiguration.
    N. Hawthorne
    一度女であつて、もうそうでなくなつた人は其の變化を起すべき魔術的作用が有りさいすれば何時又もとの女とならぬとも限らない。
9.  He got up to one hundread and twenty, and was feeling as if he would drop off at any moment, when, just as his one hundread and twenty-first sheep was to take that fence, the baby began to cry.
    Max Adeler
    段々算へて行つて百二十匹に達し、直ぐにも寢つきさうになつて來た。所が百二十一匹目が今しも垣根に差し掛らうとすると赤ん坊が泣き出した。
10. Glad to know from your report on practical work that the lump on your head where the door-knob struck it is getting better. In doing key-hole work, the journalist has to be very wary. The door is liable to be opened at any moment.
    H. Carruth
    貴下の頭の、戸の握節(にぎり)の當りし所に生じたる瘤の漸次快癒に向へる趣、實地練習の報告にて拝承、一同喜び居り候、およそ鍵孔仕事をするに際しては新聞記者たるものは用心の上にも用心をせざるべからず、夫れ戸てふものはいつ何時開かるやも知れざれば也。
11. Hardly more than five minutes had passed since he entered the cottage, but it seemed to Dunstan like a long while; and though he was without any distinct recognition of any possibility that Marner might re-enter the cottage at any moment, he felt an indefinable dread laying hold on him, as he rose to his feet with the bags in his hand.
    G. Eliot
  ダンスタンが、此家に入てから五分以上とはたゝなかつたのだが彼には長い間の樣に見えた、其してマーナーが、生きているかも知れぬ、從て何時此家に入つて來るかも知れぬと云ふ事を、はつきり認めた譯では無いが、金袋を手に持つて立ち上つた時には何とも知れぬ恐怖の念が襲ひ來るのを感じた。
  though he was without any distinct recognition of nay possiblity(と云ふ事が)有るかも知れぬと云ふ事をはつきり認めないでもないが。laying hold on 捉ふ、襲ふ。rose to his feet 起ち上つた。
12. We are expecting the telegram to begin to arrive at any moment now.
    Mark Twain
    もう何時電報が來はじめるか知れないのだ。

Wednesday, August 21, 2019

「バッカスの祭り」ルネ・フュレップ=ミラー作

本作は「闇に包まれて」(The Night of Time)の続編となるファンタジー。前作では東部戦線と思われるどこかの高地で、主人公のアダムが墓堀り班の一員として活躍するのだが、本作では疲弊しきった軍隊がドロヒッツの町に到着する場面からはじまる。彼らはここで大歓迎され、負傷兵は手厚い看護を受けることになる。将校たちは町のお偉方と贅沢な晩餐会に招かれ、したたか酔っぱらい、ついつい紅灯の巷に繰り出してしまう。

ところが、そこでお楽しみにふけっているとき、町長やら売春婦が奇怪な死を遂げてしまうのだ。軍医の診断によると疫病であるという。指揮官はさっそく紅灯街地区を隔離し、疫病との戦いがはじまる。前作は本物の戦争を描いていたが、本作では疫病との戦いだ。そしてアダムは相変わらず死者の埋葬に携わることになる。

ネタ晴らしになってしまうけれど、疫病は結局克服できない。ドロヒッツは死の町と化する。しかし軍隊はこれを逆用するのだ。もうすぐ敵がこの町に来る。そうすれば敵は疫病にかかって全滅するだろう、と。この強烈なシニシズムでもって本作は終わる。

前作も本作もどこかシュールな印象のある不思議な物語だが、それでいて現実に非常に鋭く切り込んでいる。

Saturday, August 17, 2019

「甲賀忍法帖」 山田風太郎

久しぶりに山田風太郎の作品を読んだ。やっぱり面白かった。

将軍家康は二人居る後継者候補のいずれかを選ばなければならないのだが、彼はコイン投げをするかわりに伊賀の忍者と甲賀の忍者を戦わせることにしたのである。家康は自分の内的な葛藤を伊賀と甲賀の忍者に投影し、責任を転嫁したのだと言える。

甲賀の忍者の一人、朧がひどく印象的なのは、彼女が政治的パペットとなることを断固拒否するからである。彼女はリベラルが大好きな可憐な抵抗を示しているだろう。

朧がもう一つ面白いのは、彼女が見つめると忍者の忍法が無効化されるという点だ。つまり彼女の忍法は「忍法は存在しない」ことを告げる忍法、忍法の中でもまさしく忍法を否定する忍法なのである。資本主義の世界は自由だと云われるけれど、実はこの自由の中には奇怪な自由が含まれている。言論の自由、宗教の自由、住む場所の自由、そして自由を売る自由。そして最後の奇怪な自由こそが資本主義の世界を支えている。それとまったく同じ異様な集合論がここに示されている。もちろん「自由を売る自由」が資本主義の核心であるように、忍法を否定する朧は甲賀の忍者の首領挌である。

Thursday, August 15, 2019

現代食物事情

ビー・ウィルソン(Bee Wison)という人がガーディアンに現代の食物事情に関してやや長めの記事を出していた。彼は最近 The Way We Eat Now 本を出したばかりで、その要旨をざっとまとめたような内容である。(Good enough to eat? The toxic truth about modern food)

記事はまず葡萄の話からはじまる。われわれは今われわれが食べている葡萄も、よく絵画で見かける葡萄もおなじものだと思っているけれど、じつは両者の懸隔は大きい。第一に、今の葡萄はほとんどが種がない。第二に今の葡萄はやたらと甘い。第三に今の葡萄は季節の別なく手に入る。

栄養面で違いがあるのかというと、現代人の嗜好に合わせて造られた葡萄には、植物性栄養素(phytonutrients)というものが少ないのだそうである。

人々の生活が豊かになっても、食べ物の栄養の豊かさは減少している。

ここがビー・ウィルソンが指摘する問題点の一つだ。

考えて見ると林檎だって、昔とはずいぶん変わった。昔の林檎は猛烈にすっぱいものが多かった。青林檎と聞くと口もとに皺がよるくらいすっぱかったものだ。甘い林檎は高級種だったのだが、それがいつの間にかすべての林檎が甘くなった。

なぜこんなに甘くなったのかというと、やっぱりそのほうが売れるからだろう。品種改良の結果栄養がどうなろうが、売れたほうが勝ちという考え方があるのだろう。するとビー・ウィルソンの指摘する問題の根底には、資本主義体制への批判があると考えられる。

実際彼はこんなことを書いている。2015年、たばこの影響で命をなくした人は約七百万人、アルコールの影響で命をなくした人は二百七十五万人、野菜や木の実やシーフードの欠如、あるいは加工肉や砂糖の多い飲料を取りすぎて命をなくした人は一千二百万人いる。

ところが現代においてはジャンク・フードを売って儲けている企業にたいしてよりも、ジャンク・フードを食べる人間が批判される。ある調査によると、世界の政治家の90%は、肥満の原因は意志の弱さにあると考えているらしい。

しかしビー・ウィルソンが言うように、1960年以降急にわれわれの意志が弱くなったとは思えない。変化したのは市場のほう、カロリーばかり高くて栄養価の少ない食品を大量に出回らせた市場のほうだろう。

この記事には中国の食事情についても言及がある。わたしも中国に数年間住んでいたので興味深く読んだ。

中国人がスナックを食べるようになったのは2004年だそうだ。それ以前は食事と食事のあいだに食べる物といったらお茶か白湯だった。ところが収入が増加しはじめるとスナックを食べる習慣が定着し、現在ではロンドンの人々と同じようなものを、たとえば、スターバックスなどで食べているという。

わたしがいたのは寧波の田舎町で、家のまわりには畑が広がっていたけれど、農民たちはスナックがわりに向日葵の種や、サトウキビをかじって栄養を補給していた。お茶か白湯だけ、ということはなかった。しかし男も女も脂肪の少ない、ひきしまった身体をしていて、いわゆるデブに出会うことは一度もなかった。

ところが上海に行くと、事情はまったく異なった。あそこは2000年頃、猛烈な発展途上にあり、人々の収入も多かった。そして子供たちは洋風のスナックを食べていた。その結果、彼らの身体はぱんぱんに張り切り、あちこちで肥満児を、あきらかに病的な肥満児を見かけたものだ。

今は、2000年当時には沿岸地域のみにあった富裕さが、内陸にも波及していったということだろうか。そして経済的に豊かになったが、栄養的には貧しくなったということだろうか。中国のような環境では、先進国では数十年かかって進行したことが、数年で起きてしまうことがある。

記事の末尾のほうにはこんなことが書いてある。第二次大戦の配給制度が終わって以後、農業は人々に充分な食料を供給することに専念してきたが、最近は量ではなく質に対する認識が高まってきているという。とくにイギリスにおいては、Brexit とのからみでこれが大きな問題として浮上してきている。

アムステルダムでは子供の肥満を防ぐためにドラスチックな手段を取り、2012年から三年間で肥満を12%減らすことに成功したそうだ。子供たちにジャンク・フードを食べさせないという方針を徹底してつらぬいたのである。誕生日にすら甘い物を食べることを禁じたらしい。

こんなことをしたら、一般の人からも批判が噴出し、企業から抗議の声があがるだろう。しかしビー・ウィルソンは健康的な食のためにも変革が必要だと訴える。たしかに1960年以後の三十年間で食が変化したのであれば、おなじように三十年で健康的な食への変革が可能でないとは言えない。

Tuesday, August 13, 2019

精神分析の今を知るために(7)

ヒステリーの問いとは、「なぜ私はあなたが私がそうであるといっているものなのか」である。つまり、主人によって私に押しつけられた象徴的同一性を私は問うのである。私は「私の中の私自身以上」のもの、小文字の対象aの名において抵抗する。ここにラカンの反アルチュセール的な要素の根本がある。$としての主体は、呼びかけ、イデオロギー的な召喚における再認の結果〔効果〕ではない。それ〔主体〕はむしろ、呼びかけによって私に与えられた同一性を疑問に付す身振りそのものを表しているのである。

(スラヴォイ・ジジェク「否定的なもののもとへの滞留」田崎秀明訳から)

Saturday, August 10, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 50-51)

範例
In another five minutes they swam across the river.
もう五分のうちに彼等は河を橫ぎつて泳いだ。

解説
上文の如く Singular Noun に冠す可き another を five minutes の如き Plural Noun に附したるは five minutes を以て一個の Noun of Multitude の如く見たるが故なり。

用例
1.  In another five minutes I was there.
    H. R. Haggard
    もう、五分して私は其處に達した。
2.  In another two minutes we were all three sucking the pulppy fruit.
    H. R. Haggard
    もう、二分の中に我々三人は皆其柔かい果實を吸うて居た。
3.  I reflected that in another two seconds it would have fallen on me.
    H. R. Haggard
    もう、二秒たつたらそれは私の上に倒れたで有らうと考へた。
4.  In another few seconds my shelter world be torn away, and I should be done for.
    H. R. Haggard
    もう二三秒の中に私の隱れ家は引きむしられ、而て私はやられて了ふで有らう。
5.  My mother and sister had spoken so many last words, and had begged me to wait another five minutes so many times, that it was nearly midnight when the servant locked the gardengate behind me.
    W. Collins
    母と妹は別れに臨んで色々の事を云ひ、もう五分もう五分と何遍となく引き留めたので下女が私の出たあとを閉めた時には夜半頃であつた。


Wednesday, August 7, 2019

コンピュータと翻訳

首藤瓜於という人が「脳男」という作品を書いている。このタイトルは「電脳男」とでもしたほうがわかりやすい。自分では何もせず、他人から命令を与えられてはじめて動くという人間が主人公である。まるでコマンドを打ち込まれてはじめて仕事をするコンピュータみたいなものだ。それがあるとき自律的に行動することをおぼえ、凶悪犯を殺害していくのである。

コンピュータが進化していつか意識を持つようになるのではないか、などと考える人がいるが、そうした一般的想像力に依拠した、他愛のない物語である。

コンピュータが人間から職を奪うと言われ、実際に会計士とかは被害にあっているようだが、こういう単純作業はできても翻訳のような作業はコンピュータには無理である。スラヴォイ・ジジェクがこんなことを言っていた。砂糖・ミルク抜きのコーヒーとブラックコーヒーは、実体としては同じものであるにもかかわらず、人間はちがうものとして認識することがある。たとえばこんなジョークがある。ある客がカフェで「砂糖抜きのコーヒーをくれ」と言う。それに対してウエイターは「旦那、うちに砂糖はないんだ。ミルクはあるから、ミルクなしのコーヒーならできますぜ」問題はコンピュータにこうした違いがわかるかということである。ジジェクは何人もの専門家に聞いたが、曖昧な返答しか帰ってこなかったと言う。

翻訳に於いてはこのような「差」をきちんと表出できるかどうかが大切なのだ。わたしは作品を読み込んでそのテーマについて考える。そしてわたしが見出した解釈にそって訳文を決定していく。どういう名詞を使い、形容詞を使うか、それはわたしの作品にたいする解釈次第で変わってくるのである。そのような行為がコンピュータにできるとはとても考えられない。

ちなみにわたしが翻訳書の後書きで積極的に作品の解釈について語るのは、その本を訳す際の方針となった考え方を明示するためである。

Tuesday, August 6, 2019

読書のためのノイズキャンセリング

ソニーのノイズキャンセリング機能がついたヘッドフォンを愛用している。ノイズキャンセリングというのは、まあ、外界の音を遮断する機能といっていい。わたしが使っている製品のこの機能はおそろしく強力だ。部屋の中でヘッドフォンをつけると、完全な静寂が訪れる。そのせいで音楽を聴くときなど、音量を絞らないと耳を傷めるくらいである。安いヘッドフォンだとどうしても外界の音を拾ってしまい、その分、音量が大きくなるようだ。

今日はわたしの窓の正面に見える公園で、盆踊り大会が行われているのだが、いつもの年なら大きなレコード音楽に閉口するわたしも、今日は全く苦にならない。ノイズキャンセリングを使うと太鼓の音が遠くでかすかになっているくらいにしか聞こえないのである。さらに音楽とか、自然音とかを流せば、外界の音は完全に消える。

人ごみの中でこのヘッドフォンを使うとどうかというと、低い声や、ざわめきは聞こえないが、どうやら甲高い音や声は完全にはシャットアウトできないようだ。女性のアナウンスの声とか、子供たちの嬌声は聞こえてくる。しかし大人が普通に話しているときの声などはカットしてくれる。音楽を流せば、たぶん、外界の音はほとんどわからなくなるだろう。

わたしがこの高いヘッドフォンを買ったのは、翻訳の作業や読書をするとき、余計な外部の音を遮断し、集中したかったからである。その目的には十分こたえる製品で、満足度は非常に高い。眼鏡をかけているせいで装着したとき違和感があるのではないかと思ったが、柔らかいパッドを使用ていて数時間かけていても気にならない。もっとも今は夏なので、ヘッドフォンは耳がむれるような気がするが、これは仕方がない。

Sunday, August 4, 2019

「プライオリー邸」ドロシー・フイップル作

今年読んだ本の中では出色の出来だった。ドロシー・フイップルはジェイン・オースティンの直系の作家で、上流階級の恋愛や結婚をめぐるゴシップ性の強い物語を書かせたら、右に出る者は……そうはいないと思う。

本作はプライオリー邸に住む貴族一家の没落の過程を描いている。やもめの主人が結婚し、娘二人が嫁ぎ、使用人たちがトラブルを起こし……と、じつにさまざまな人々の人生模様が巧みに語られる。五百ページを超える大作だが、わかりやすくて心地のいい語り口に身を任せると、あっという間に半分近くも読んでしまう。

とりわけ感心するのは、登場人物がそれぞれ粒だった性格を持っていることだ。プライオリー邸の主は金銭感覚のないクリケット狂いで、いかにも没落貴族の中にはこんな人がいそうな気がする。彼と結婚したアンシアが、子供ができてからは存在感を増し、じつに堂々たる女主人となるさまも見事に描き込まれている。いちばん感心したのは、ヌーボーリッチであるとある実業家の母親の、こんな描写だ。彼女はロールスロイスから降りる時、おしりから先に外に出る癖があるというのだ。これを読んだとき、彼女の老齢、自動車が一般化した時代性、実業家の息子を持ったが故の、彼女の人生の変遷、などなどいろいろなことを想像させられ、感慨深かった。

ドロシー・フイップルは今でも十分読むに値する。これだけ自然に、興味深く、語りをつづけられる作家はなかなかいない。もちろんその自然さがある種の犠牲の上に成り立っているにしても。

Friday, August 2, 2019

「青春と泥濘」から

火野葦平の「青春と泥濘」に気になる一節があったので、ちょっと長いが引用しておく。

蟻の活動に見入ると、田丸は自分が今ゐる場所も、なにをしに來たのかも忘れてしまふのだつた。あまり變つた蟻も見なかつたが、臺地脚にちかい窪地に來て、奇妙に頑強な靑綠色の蟻を見た。その蟻たちもせつせと毛蟲やこほろぎを運ぶ作用に大した差はなかつたが、隊長株とおぼしき三倍ほどの大きさの蟻が出て來ると、うやうやしげに通路をひらくのだつた。不似合にでつかい頭に甲蟲のような角が二本あり、それをふりまはしながら、指揮してゐるやうに見えた。怠けてゐる蟻があると、その靑光りのする鋏でつまんだ。鋭利な刃物のやうに、蟻の身體は二つに切れた。田丸はしばらく熱心に見てゐたが、この隊長蟻の威張つた暴君ぶりにむらむら反感がわいて來て、木片をつまむと、その蟻の頸をおさへた。頸といつても、頭と胴の大きさがあまり變らないので、まんなか近所にあたる。瓢箪のやうにくびれてゐる胴中に木片がはさまると、隊長は鋏をふりまはして頭をじたばたさせ、胴の方も必死のやうに尻をもごもごさせ、足をばたつかせた。田丸はちよつと力を入れた。ぷちつと音がして、蟻は二つになつた。ところがその兩方とも活動はくつついてゐたときと、すこしも變らないのである。足のない頭の方は鋏をふりふり轉げまはるだけだつたが、足のある胴はそこらを自在に歩くのである。もつとも方角は、もうわからず、文字どほり盲目的行動にすぎない。ところがその胴の歩行は確固たる方針のもとに動いてゐるやうに、たけだけしく足どりも正しかつた。この別々になつてもなほ行動する蟻に氣味のわるさのわいた田丸は、木片で兩方とも押しつぶしてしまつた。

死んでも蟻にたけだけしく、足取りも正しく動きまわらせるもの。それこそ欲動 drive である。そして蟻はもちろん兵隊たちの比喩となっている。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...