Tuesday, June 29, 2021

軍隊による文学研究

文学作品が政治的カタスロフィの予兆になりうることは知られている。たとえば人種的な対立から一方が他方の殲滅へと進展する場合、最終段階へ踏み入る前に、その準備をととのえるものとして、プロパガンダ的な詩や小説が書かれるのである。プロパガンダの浸透には時間がかかるから文学の傾向を注意深く見ている人なら政治的カタストロフィを数年前に予知することができる。とりわけわたしがよく読むジャンル小説は、いい意味でも悪い意味でも、この手のプロパガンダに敏感に反応するものである。

さて、ドイツではこうした現象の研究が三年前から軍の主導により進行しているらしい。軍は、文学作品から紛争や戦争の予兆を読み取れないかと考えたのだ。このほどこの研究の有用性が認められ、継続的に研究が進められることになったと言う。(ガーディアン紙 'At first I thought, this is crazy': the real-life plan to use novels to predict the next war)

軍の依頼を受けて文学研究者がプロジェクト・チームを結成し、海外の文学の動向から戦争や紛争の起きる可能性を予知するわけだが、これがなかなか的確なのだ。たとえばアゼルバイジャンが反アルメニア的な詩や小説を図書館に納入させたとき、この地域に近く紛争が起きることをプロジェクト・チームは予告できた。もっともこの紛争が起きたときドイツは傍観者を決め込むしかなかった。紛争への対処の方法はまた別問題なのだ。しかし紛争が起きるということは確かに予知できた。

カッサンドラと命名されたこのプロジェクトを取材したガーディアンの長文記事を読むと、さまざまな思いが心の中に湧きあがってくる。

まず一つ目は文学研究が軍事と結びつくことの問題。これは日本の大学でも議論を呼んでいるから説明の必要はないだろう。では、ドイツでは問題にならなかったのか、というと、じつはまるで問題にならなかったらしい。このプロジェクトが発足したとき、メディアは軍事と文学というあまりにも大胆で突飛な結びつきに、あきれかえっただけらしい。そしてこんなプロジェクトが実を結ぶわけがないと高を括っていたようだ。ところが意外な有用性が証明され、見くびっていた人々は慌てふためき、まさか軍産学複合体に組み込まれると思っていなかった文学者・研究者も今後はこの問題に向き合わなければならない事態となってしまった。わたしは軍事と結びつくことによって文学の一面(すでに知られていた一面)が強調されることになるだろうけれど、とくに新しいなにかが出て来るとは思っていない。しかし作家や研究者が「軍事と文学」という問題にどう反応するかは興味をもって見守りたい。

二つ目に思ったのはドイツ軍の優秀さである。このプロジェクトは文学研究者の発案ではない。軍部の要請によって発足したものだ。いったいそんなことを考えついた天才は誰だと思ったが、それは記事には書かれていない。たぶん機密に属することなのだろう。たしかに軍隊や秘密諜報部が作家の想像力に着目したことはエピソードとしてさまざま残っているが、文学を組織的に軍事利用しようとした例はないはずだ。ドイツ軍のレベルの高さを物語る事例であり、本を読まず、学問を理解しない指導者が跋扈する国ではありえないことだと思う。

三つ目に思ったのは、プロジェクト・チームが文学テキストを扱うその方法である。詳しくは記事を読んでもらうしかないが、プロジェクト・チームがどのようにテキストに向かうか、その方法を決めるにあたっては紆余曲折があったようだ。彼らは知らない言語で書かれた本も大量に読まなければならないのだが、こんなことはできるわけがない。そこで本をデジタル化し、特定の主題に関してどのような「感情的」語彙が使われているか、調べようとしたのだが、これだとアイロニーだとかメタファーだとか曖昧さが排除されてしまう。そこで彼らは作品をめぐってなにが起きたかを調べることに方向転換した。作品は文学賞を取ったか、それはどんな賞なのか、発禁となったか、作者は国を離れざるをえなくなったか。そうしたことを調べるようになったのだ。それによって政治の情勢が判断できるというのである。たとえばクウェートでは2010年以降、少数民族で無国籍状態のビドゥーンを描いた小説は発禁措置となった。プロジェクト・チームはこれをビドゥーンに対する迫害が起きる兆候と判断したのだが、実際2019年に弾圧が起きた。

 文学は現実逃避だとか、閑文字といった言葉で侮蔑的に扱われることがあるけれど、じつはそれが政治情勢、あるいは科学を含めた知の状況と深く連動していることは、一般の人にはあまり知られていない。それまで注目されていなかった作家が突然世界的名声を得たり、ある時期から特定の研究が学会を席巻したりといった現象は、社会的・政治的現象としてとらえられなければならないし、実際、そうした研究もたくさんあるのだ。しかしそうした文献は博士論文を書くような人でなければ知らないだろう。今回のプロジェクト・カッサンドラは、そうした側面を世間に知らしめる効果が、もしかしたら、あるかもしれない。

 しかし文学テキストの政治性は、テキスト外の現象によって測れるものではない。テキストという奇々怪々なモノは、見えない部分において強烈な政治性を持つことがある。そういうテキストの不思議さは、まだまだ研究が足りないし、一般の人にむかって啓発もされていない。

Saturday, June 26, 2021

忘れられた作品を電子書籍化する

オーストラリアにはマイルズ・フランクリン文学賞というものがある。マイルズ・フランクリンは二十世紀前半に活躍した女流作家で、「わが輝かしき生涯」という小説で有名。同時に文学活動の支援も積極的に行い、その功績をたたえて文学賞が1957年に設置された。その第一回目の受賞作品はあの名作「ヴォス」である。

ところが2019年までにこの賞を受賞した62冊のうち、23冊はまだ電子化されておらず、40冊はオーディオブック化されていない。さらに10冊は完全に絶版状態だ。これではいけないと Untapped (「手つかず」という意味)というプロジェクトが開始された。要するに作家、図書館、研究者が寄り集まって絶版となっているオーストラリアの文学遺産を電子化しようというのである。

彼らはまずオーストラリアの読書家たちから、絶版となっているが文化的に重要な書物(それもまだ著作権の切れていないもの)を募ろうとしている。そこから専門家が二百冊にしぼりこみ、プロジェクトチームが個々の作家と権利関係の交渉にいどむという段取りらしい。

プロジェクトチームは消滅した著作権をもう一度復活させることによる経済的効果を検証したり、図書館と書籍売り上げの関係についても調べると言っている。アマゾンなどは図書館に電子書籍を貸し出す権利を与えるのは商売にとってよくないと主張しているが、これはアマゾンの勝手な主張であって、これを変える方向で検証を進めたいをしている。

今年の後半には電子化された本が図書館や市場に出回るそうだが、肝心なのはこのように忘れられた書籍を今後もカタログ化し、宣伝していくことだと言う。しかもそれを国家的な規模でやっていくべきだと彼らは考える。

ガーディアンでこの記事を読んだとき、オーストラリアにはまだまだ文化力があるなと思った。前にもこのブログで書いたが、本というのは歴史的に重要なものであっても意外なくらい入手困難になったり、なくなってしまうことがあるのだ。それどころかユニークな作品を残した作家がいつ生まれ、いつ死んだのか、それすらもわからなくなることがある。書籍を保存し、文化を後世に伝えるには不断の努力が必要になる。本来なら国家的事業にしてもよいくらいなのだが、我が国のリーダーはそういうことがまるでわからず、自国の文化力ががた落ちになったことにも気づいていない。彼我の差異に落胆しつつも、海の向こうの同志たちの知らせに勇気を得て、わたしも忘れられた作家・作品を掘り出し、その意義を考え直していこうと思う。

Wednesday, June 23, 2021

ヘレン・ライリー「アロウエイズ邸殺人事件」(1949)

経済的に苦しい生活を送っていたダミアン・ケアリーは、あるときアロウウエイズ邸と呼ばれる巨大な屋敷を遺産として受け取る。彼女の母親は大金持ちの一族の出身なのに、身分の釣り合わぬ相手と結婚したため、勘当同然の扱いを受けていた。その娘のダミアンも暮らしを立てるのに苦労していた。ところが思いがけず大金持ちの祖父の遺言のおかげで遺産を受け取ることになったのだ。

ダミアンは弁護士と面接し、アロウエイズ邸へ行き、そこに住んでいるモント家の人々に出会う。このモント家の人々のあいだには、複雑な人間関係があって、愛憎、怨恨、嫉妬などいろいろな感情が渦巻いている。そして屋敷をダミアンに明け渡すにあたって、その複雑な人間関係が暴発するのである。モント家が営む繊維会社の主任が殺され、ダミアンも命を狙われ、さらにまた殺人が起きる。

本書のいいところは、全編を覆う雰囲気である。ゴシック風の暗く、不吉な雰囲気がじつにうまく醸し出されている。ゴシック・ロマンスを書く女流作家は多いけれども、そのなかでも上位に属する見事な文章だと思う。ラインハートの「螺旋階段」のような、魅力あふれる「闇」が描かれている。物語のペースもよく考えられている。会話が少なく地の文が多い作品なのだけれど、退屈せずに読み通すことができた。

ただし登場人物が非常に多く、人物表を作っておかないと混乱する。また、物語はダミアンの視点で語られるが、進行中の事件だけでなく、過去の回想もまじってくるので、そのつど出来事を時系列でまとめておかなければならない。多少煩瑣な印象を与えるけれども、よくできた作品だと思う。

Sunday, June 20, 2021

Fadepage.com のベストセラー

Fadepage.com はパブリックドメイン入りした作品の電子化を行っている。カナダの団体なので、死後五十年を経過した作家の作品を対象にしている。やり方は基本的にプロジェクト・グーテンバークとおなじで、proofreader たちが本と OCR で読み取ったテキストを比較し、訂正を加えていく。このたび2015年十二月以来そのサイトからダウンロードされた作品のトップテンが公表された。以下に示す作家がそれで括弧内はダウンロード数を示す。


1.Blyton, Enid (297,503)

2.Lewis, C. S. (Clive Staples) (212,289)

3.Hemingway, Ernest (178,248)

4.Fleming, Ian (132,625)

5.Sayers, Dorothy L. (126,551)

6.Elles, Dora Amy (93,601)

7.Faulkner, William (84,687)

8.Smith, Cecil Louis Troughton (76,495)

9.Montgomery, L. M. (Lucy Maud) (75,493)

10.Huxley, Aldous Leonard (64,832)


一位は「フェイマス・ファイブ」のイーニッド・ブライトン。子供向けの冒険小説を書いた人だ。二位はC.S.ルイス。これはナルニア国物語を書いた人。さらに九位は「赤毛のアン」など少女小説を書いたL.M.モントゴメリ。いずれもなつかしてく愛着のある作家だからもう一度読んでみようとか、子供に読ませたいと思う人も多いと思う。子供たちにとって名作が手軽に読めるというのは非常によいことだ。イーニッド・ブライトンについては以前から人種差別的な表現が問題にされてきた。それは批判されて当然なのだが、子供たちに彼女の作品を読ませないようにする必要はない。読みたいのならいくらでも読ませればいいのである。たくさん読んだほうが批判能力が身につく。

三位は「老人と海」のヘミングウエー。ハードボイルドの文体をつくりあげた人の一人だ。翻訳された作品を読んだだけではわからないが、英語で読めば(いや、十九世紀と二十世紀初頭の英語の特徴もよく知っていれば)彼の文体がそれまでのものと画然と違うことがわかる。多くの模倣者を生んだのもよくわかる。

四位はイアン・フレミング。007は永遠である。ジェイムズ・ボンドの映画はアクションとお色気を強調しているが、小説のほうは端正かつジャーナリスチックな文体で書かれていて、はじめて読んだとき、てっきりパルプ小説だと思っていたわたしは愕然とした覚えがある。。フレミングもヘミングウエーのように文体の改革者だった。

五位はドロシー・セイヤーズ、六位はパトリシア・ウェントワースのことだ。いずれも大物女流推理作家である。といってもわたしはウェントワースは、保守的すぎてあまり好きではない。

七位はフォークナー。アメリカ南部を舞台にした作品で有名な作家だ。ミステリがお好きなら「サンクチュアリ」から読み始めるといいだろう。

八位はC.S.フォレスターのこと。歴史小説、海洋小説、ミステリ、児童書、いずれの分野でも読み応えのある作品を書いている。この人も文章がうまい。

十位はオルダス・ハクスレイ。ディストピア小説「すばらしき新世界」が有名だが、思想的・哲学的な作品が好きならどれも面白く読める。

一位はダウンロード数が三十万近い。Fadepage.com が出す書籍は誤植がわりとすくなく(わたし自身は一度も誤植を見つけたことがない)スムーズに読んでいけるので、是非ダウンロードして読んでみて頂きたい。

ちなみに最近出た作品のなかで面白いのはベティ・バード・マクドナルドの The Plague and I (「病気と私」)。結核に罹った作者がサナトリウムで過ごした日々を描いたユーモアあふれる作品だ。

Thursday, June 17, 2021

ゲーム実況者のための英語(7)

クリスタルさんは「ペルソナ」と「ヤクザ」シリーズの大ファン。かつまたコスプレーヤーでありダンサーでもある。見てのとおり美人だが、話し方はけっこう伝法なところがある。そのぶん感情表現が派手で、見ていて楽しい。

What's just happened?

Oh my God!
I can't walk two fucking streets1 in this game without2 somebody just wanting to beat me up!3
Oh God!
I really just kicked these bikes like4 they were nothing.
Whoa!
I just killed him with my orange?
Oh my God!
What's just happened?5
My Orange!
What's just happened to my orange?
Oh my ...
My orange......no......no......what!?6

もういやねえ!
このゲームじゃ、二丁とまともに歩けやしない。わたしをぶん殴ろうと誰かが待ち構えているんだから。
うわっ!
わたし、いま自転車をボロ切れみたいに蹴飛ばしちゃった。
ええっ!
わたし、今の人をオレンジで殺しちゃったの?
ちょっと!
なにが起きたの?
わたしのオレンジが!
ああ……
わたしのオレンジ……ない……ない……どういうこと?

1. fucking はこの場合、いまいましい気分をあらわす言葉で、street が fucking であると言っているのではない。いまいましい気分のとき fucking という言葉が名詞に付加されることは非常に多い。Urban Dictionary のサイトに面白い例文が載っていた。
If I hear people using the word "fucking" one more fucking time, I'll... oh, wait...
(誰かが fucking という言葉をもう一度使ったなら、おれは……おっと、待てよ……)
fucking という言葉が嫌いでいらだっている人間が、うっかり自分でも fucking (one more fucking time) と言ってしまい、おっとっと……となったわけだ。
2. cannot...without... 「~せずには~できない」。つまり「殴りかかる相手に会わず、二丁と歩くことができない」ということ。
3. beat me up 「ぶちのめす」。beat up は実況中継に頻出する言い廻し。
4. like は as if とおなじ。ただし口語では使えるが、あらたまった文章では as if を用いなければならない。like they were nothing は「なんでもないみたいに(蹴飛ばした)」だが訳では「ボロ切れみたいに」にしてみた。
5. What's just happened? What's は What has の省略形。「今、いったいなにが起きたの?」とびっくりしたときに使う。What happened? は過去に於いてなにが起きたのかを問うが、現在完了形の What's just happened? は「つい今しがた」なにがあったのかを問う。
6. ここでプレーヤーの Chrystal さんは inventory (所持品) を調べ本当にオレンジがなくなったことを確認している。

Monday, June 14, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Der Mond

GRETE: Warum sieht der Mond1 so groß aus2, wenn er soeben3 aufgegangen ist4? Später5, wenn er mitten6 am7 Himmel steht8, scheint9 er doch10 ganz klein zu sein11?
HANS: Das ist nur eine Augentäuschung12, Grete. Unten am Horizont13 gibt es Bäume, Häuser und verschiedene andere Gegenstände14; und nur im Kontrast zu15 diesen Gegenständen sieht er so groß aus. Mitten am Himmel aber gibt es gar nichts.

逐語訳:GRETE: Warum なぜ der Mond 月は er かれが soeben たった今 aufgegangen ist 昇った[ばかりの] wenn 時には so groß あんなに大きく sieht aus 見えるか? Später その後 er かれが mitten am Himmel 中空に steht 立つ wenn 時には er かれは ganz klein ごく小さく zu sein ある scheint ように思われる doch ではないか?
HANS: Das それは nur ただ eine Augentäuschung 眼の錯覚 ist である、Grete グレーテよ。Unten 下の方の am Horizont 地平線に接したところには Bäume 樹々や Häuser 家家や und また verschiedene 種々の andere 他の Gegenstände 物体が(四格) gibt es ある。und そして zu diesen Gegenständen これらの物体との im Kontrast 対照に於て nur のみ er かれは so groß あんなに大きく sieht aus 見える[にすぎない]のだ。aber ところが Mitten am Himmel 中空には gar nichts 全然何物も gibt es 無い。

:【1】der Mond: 発音に注意、o は長く、『ーント』と発音します。
【2】sieht aus: aussehen (見える、英:seem)という分離動詞。ゆえに『外観』、『様子』(appearance)のことを das Aussehen という。
【3】soeben: 『たった今』(云々したばかり)。単に eben とも云い、また gerade ということもあります。
【4】aufgegangen ist: aufgehen (昇る)に対する現在完了の形。aufgegangen hat ではなくて ist である点がドイツ語の特徴。aufgehen の反対の untergehen (没する)も同様で、たとえば『太陽はとっくに没した』ならば Die Sonne ist längst untergegangen.
【5】später: 元来は spät (英:late)の比較級ですが、こういう場合の später (later)は、比較級という観念をはなれて、単に『その後』とか『後刻』、『後ほど』(afterwards)という副詞と思った方がよろしい。たとえば Davon später! といえば、『その件に就いてはいずれ後程!』です。
mitten in と inmitten【6】mitten: これは「真只中に」という副詞。ただし、此の副詞は、独立しては用いず、必ず mitten an、mitten auf、mitten in 等、前置詞と結合して用います:mitten im Kampf (戦いの真最中に)、mitten ins Gedränge (人ごみの真っただなかへ)、mitten auf dem Teller (お皿のまんなかにのっかって)、など。――似たのに inmitten (……の真只中に)という二格支配の前置詞もあります:inmitten des Küssens (キッスしている真最中に)。
【7】am Himmel: 「空」を意味する Himmel には an を用い、「天国」の意の時に限って in を用います。im Himmel というと、死んで天国へ行っている意味になります。(英語では heaven、天、と sky 、空、との両語がありますが、ドイツ語では Himmel が両者を兼ねています。)
stehen の微妙な一用法【8】steht: 月や日が空に「かかる」ことを「立つ」というのは、日本語で「虹が立つ」とか、「八雲たつ云々」とか、あるいは「青筋がたつ」「八卦がたつ」と云うのに多少似ていますが、詳しく云うと一寸した相異点があります。すなわち、日本語では『出場する』、『あらわれる』ことを『立つ』というのですが、独逸語では、なんでもとにかく『或る一定の箇所に位置する』という意味での『在る』を stehen というのです。大雑把に云うと sein と同じですが、『位置』ということ、『どの点に』ということを厳密に考える時には stehen を使う方が好いのです。Der Mond ist mitten am Himmel でも間違いではありませんが、日や月は位置が主として問題になるから普通は steht am Himmel と云います。将棋の駒などもそうで、たとえば盤が動いたために駒が横っちょへ動いてしまったとすると『この歩はいったいどこにあったんだろう?』(Wo hat dieser Läufer gestanden?)と云います。起立した姿勢の西洋将棋(Schach)だから「立つ」というのではなく、寝ている日本将棋の駒の時でもそういうところをもって見れば、姿勢の問題ではないことがわかります。また時計の指針(Zeiger)が何処へ行っているなどいうのも、位置の問題ですから、『分針は3と4の間にある』ならば Der Minutenzeiger steht zwischen 3 und 4 と云います。また印刷されたものを指して『此処にコンマが打ってある』というのも Hier steht ein Komma です。名簿などに名前が『載っている』というやつも、どの辺に載っているか、何番目か、などと、位置を厳密に考えるものですから、『君が筆頭だよ』と云ったような時には Dein Name steht voran in der Liste と云います。――もっとも、日本語の『青筋が立つ』、『八卦が立つ』と同様の、『現れる』という用法もあるにはあります:Verzweiflung stand in seinen Augen (かれの眼元にはありありと絶望の色があらわれていた)等。
【9】scheinen: 前出の aussehen と同義。あとの方の zu sein は取ってしまってもかまわないので、そうすれば aussehen と用法は同じになります。
【10】doch: 疑問文の形をとらない普通の文を疑問文として用いる際には此の doch (きっと、もちろん)を入れるのが普通です。即ち、『きっと云々なんでしょう?』、『もちろん斯々でしょうね?』という際。たとえば Sie verstehen mich doch? (僕の云う事はおわかりになりますね?)Das Mittel hat doch gewirkt? (あの薬は効いたろう?)
【11】zu sein: 英:seems to be 云々という to be.
【12】Augentäuschung: täuschen (だます、たぶらかす)、sich täuschen (カン違いする、考え過る)と関係して Täuschung (幻覚、錯覚)、という語があります。
【13】unten am Horizont: 英独とも、こういう風に、副詞的なものを二つならべて、両方で一つの句をなします。『下方で、地平線で』です。反対に『上空に』ならば oben am Himmel です。前出の mitten am Himmel もこれと同じ構造の句です。その他 Hier in Japan (此の日本では)、Drüben in Amerika (アメリカの方では)、Hinten auf dem Rücken (うしろの背中には)、nebenan im Kaffeehaus (すぐお隣の珈琲店では)、Vorn auf dem Führersitz (前方の運転手席に)、Draußen auf dem Weltmeer (遠く大洋上を)など。
【14】Gegenstände: der Gegenstand (物体、英:object)の複数。物体というと、いかにもいかめしい科学用語のようですが、ドイツ語では普通の単語で、普通の会話にも盛んに用います。たとえば、写生するのにも『どんなものを描こうか?』というときには、Ding や Sache は不可で、やはり Welchen Gegenstand wollen wir zeichnen? というでしょう。とにかく多少たりとも『眺める』対象になって、何等かの『姿』をしているものはすべて Gegenstand (物体)というのです。
【15】im Kontrast zu: これは『云々とのコントラストにおいて』(比べて見て)という前置詞だと思えばよろしい。単に gegen といっても好いこともありますが、gegen は単に『云々に比して』であるに反し、im Kontrast zu は『彼比対照して』という考えが這入ります(英:in contrast with)。

GRETE: Ja, aber......das will mir nicht in den Kopf16: Erscheint17 ein Ding klein, wenn es allein dasteht18?
HANS: O ja, freilich19. Denke20 z. B.21 an unsern Peter22. Scheint er nicht ein ziemlich23 großer Junge24 zu sein, wenn er sich hier in der Stube herumtreibt25, wo sich allerlei26 Hausmöbel27 befinden28? Und dünkte29 er uns nicht zum Totlachen30 klein, als er jüngst31 mutterseelenallein32 mitten auf dem menschenleeren33 Marktplatz34 stand und jämmerlich35 heulte36?

逐語訳:GRETE: Ja, aber...... えゝ、しかし…… das それは mir 私に in den Kopf 頭の中へ will nicht 這入ろうとしない:ein Ding [いったい]物というものは allein 一つきりで dasteht 其処にある wenn 時には klein 小さく Erscheint 見えるものですか?
HANS: O ja そうだとも、freilich 勿論。z. B. (= zum Beispiel) たとえば an unsern Peter 我々のペーテルのことを Denke 考えて見ろ。er かれが allerlei Hausmöbel いろいろな家具が sich befinden 存在する wo ところの hier in der Stube ここの部屋の中で sich herumtreibt うろうろしている wenn 時には er かれは ein ziemlich großer Junge 相当大きな男の子で zu sein あるように Scheint nicht 見えはしないか? Und ところが er かれが jüngst さきごろ mutterseelenallein ひとりぼっちで auf dem menschenleeren Marktplatz 人の居ない市場の広場に stand 立って und そして jämmerlich 哀れに heulte 泣いていた als ときには er かれは uns 我々には zum Totlachen 大笑いするほど klein 小さく dünkte nicht 思われたではないか?

:【16】das will mir nicht in den Kopf: 度々申すごとく、will 等の助動詞は、方向表現(In den Kopf)があるときには gehen 等の動詞を省く方が普通です。
【17】erscheinen: これも scheinen、aussehen と殆んど同じに用います。
【18】dasteht: da steht でも同じですが、現代文のドイツ語では dasein、dableiben、daliegen、dastehen 等、つづけて書く方が普通になりつつあります。もっとも書く人の趣味の問題でもありますが。――allein dasteht は『一つきりでポツンと其処にいる』わけで、これもやはり位置がハッキリしている存在ゆえ stehen を用いるのです。
【19】freilich: ほとんど natürlich と同意の語。
【20】Denke: 命令形。
【21】z. B.: zum Beispiel (たとえば、例せば)の省略形。この外に z. E. (zum Exempel)というのも時に用いることがあります。(英語にも for instancefor example の二形あり)。
【22】unsern Peter: うちのペーテルの奴、即ち今問答している夫妻の子供です。(Peter という名前は、あんまり通俗で、我国の太郎吉みたいに、しばらくはいやがられて、あんまり附けなかったものですが、最近になってまた急にひどく人気を恢復しました。現在のドイツ人の少年、青年には Peter がうんとあります。
【23】ziemlich: 「非常に」というほどえはないが、「かなり」、「相当」、「随分」、というときに ziemlich といいます。英語の fairlyprettytolerable ぐらいなところにあたります。
【24】Junge, m.: 『男の子』は、正語は Knabe、通俗語は Jung、もっと砕けた通俗語は Bub。
【25】sich herumtreiben: うろうろする、うろつきまわる、其の辺を行ったり来たりして色んなイタズラをするからそう云ったのです。もしアバレ廻るのだったら sich herumtummeln です。ハネ廻るだったら herumspringen、herumhüpfen、匍いまわるのだったら herumkriechen、等々。
-erlei という語尾は種類を意味する。【26】allerlei: いろんな、種々の。―― -erlei という語尾は『……種類の』という形容詞を作るための形式と思ってよろしい。einerlei (一種類の)、zweierlei (二種類の)、dreierlei (三種の)、等々。beiderlei 両種の、solcherlei (そんな種類の)、vielerlei (多種の)、derlei (かくの如き種類の)、welcherlei (如何なる種類の?)、keinerlei (如何なる種類の……もせず、等)。―― -erlei という語尾がつくと、アクセントは必ず lei のところにあります。それから、この語尾は性と格の変化語尾を省いて此のままの形で用います。たとえば『両性の学生』すなわち『男女両性の学生』なら Studenten beiderlei Geschlechts で、二格語尾 -es や -en はつけません。
【27】Hausmöbel, n.: Möbel n. は家具。Haus- がついても同。
【28】sich befinden: 『ある』、『存在する』という再帰動詞。これは別にむづかしい意味ではなく、普通よく用いられる語です。
【29】dünken: これも scheinen とほとんど同意で、『云々のように思われる』という『思われる』です。
【30】zum Totlachen klein: 『腹を抱えて笑いたくなるほど小さい』、sich totlachen (自分を笑い殺す)ということを云うので、それから zum Totlachen という句ができたわけ。
【31】jüngst: 『最近』、『しばらく前』(vor kurzem とか kürzlich とか unlängst とか、同様の語がたくさんあります)。
誇大的『合成形容詞』:mutterseelenallein【32】mutterseelenallein: allein (英:alone)を強めてかく云います。形容詞や副詞の前には、意を強めて誇張するために、いろいろな変なことをつけ加えます。たとえば reich を強めて steinreich (大金持ちの)と云ったり、arm を強めて blutarm (赤貧洗うが如き)と云ったり、sehr müde という代りに hundsmüde (くたくたにくたびれた)、その他 pudelnaß (ずぶぬれの)、bitterkalt (極寒の)、pechschwarz (まっ黒けの)、blitzschnell (電光石火のごとく)、stockfinster (まっ暗闇の)、などと云います。ところが、なおも輪をかけしんにゅうをかけて、もっと長ったらしいものをつけると、単に seelenallein (天涯孤独の)いうのを mutterseelenallein と引きのばし、rabenschwarz (まっ黒けの)を kohlrabenschwarz と云い、『真っぱだか』を splinterfasernackt、 『わんぐりと』を sperrangelweit、『まっさらの』を funkelnagelneu、『まっ暗の』を stockrabenfinster、『とても熱い』 brühsiedeheiß、『どえらい鼻息の』を fuchsteufelswild、『くたくたに疲れた』を todessterbensmüde、『静まりかえった』を mucksmäuschenstill、――小生の眼にふれた限り一番長いのでは、Platen という作家の(Die verhängnisvolle Gabel、第四幕)捏造にかかわる ohnmachtfloskelragoutsteifleindürrnüchtern という形容詞です。けっきょく『野暮くさい』ことですが、これでも大体ドイツ人の此の種の誇張を好む傾向がおわかりでしょう。
【33】menschenleer: 「人通りのない」、「人のいない」(これは文字通りで、前項のタイプの形容詞とはちがいます)
【34】Marktplatz, m.: 市の立つ広場。西洋は、町にも村にも、たいてい市の立つ広場があります。
【35】jämmerlich: 「哀れに」、「みじめに」(erbärmlich ともいう)。Jammer, m. (悲惨、みじめさ)という名詞から。
【36】heulen: 泣く。(weinen は正格的な「泣く」という語ですが、これは通俗語です)。

GRETE: Du magst37 schon38 recht haben39. Aber wie40, wenn man den Mondaufgang am Meer beobachtet41? Dort42 gibt es doch43 keine Bäume, Häuser und dergleichen44 Gegenstände am Horizont45? Du willst doch46 nicht behaupten, daß dort der aufgehende Mond kleiner aussieht als hier?
HANS: Ja47, am Meere! Da48 weiß ich keinen Rat49 mehr. Da50 müßte51 man wohl52 einen Naturforscher53 fragen. Übrigens54 weiß ich nicht, ob55 es überhaupt56 eine zuverlässige57 Theorie darüber gibt.

逐語訳:GRETE: Du あなたは schon それはマア recht haben 正しい magst かも知れません。Aber しかし man 人が den Mondaufgang 月の出を am Meer 海辺で beobachtet 観察する wenn ときには wie どうです? Dort 其処には doch まさか Bäume 樹々 Häuser 家々 und dergleichen と云ったような Gegenstände 物体が(四格) am Horizont 水平線に gibt es......keine ありはしますまい? Du あなたは doch まさか dort 其処では der aufgehende Mond 昇る月が hier 此処で als よりも kleiner より小さく aussieht 見える daß などと behaupten 主張なさる willst nicht つもりではありますまいね?
Hans: Ja, am Meere! そうか、海辺か! Da こうなると ich おれは mehr もはや keinen Rat 策を weiß 知らない。Da こうなると man 吾人は wohl おそらく einen Naturforscher 誰か自然科学者に(四格) fragen 問わ müßte なければなるまいな。Übrigens 但し ich おれは überhaupt そもそも darüber その事に関して eine 何等かの zuverlässige 信頼するに足る Theorie 学説が(四格) es gibt 存在する ob かどうかを weiß nicht 知らないんだよ。

:【37】magst: 英の may と同じ、「云々かもしれぬ」という助動詞 mögen の変化形。
【38】schon: 「申すまでもなく」という意の「もう」に当ります。仰せの儀は、それはモウ勿論御もっともで……という際の「モウ」が、ドイツ語でも schon で、この微妙な「モウ」は英語にも仏蘭西語にもありません。
【39】recht haben: すでに前号で詳しく説明しました。
【40】wie, wenn......: 「もし……としたらどうです?」という形式。
【41】beobachten の発音に注意。[ベ・ーバハテン]、オーを強く長く発音します。これを[ベオハテン]と発音している人が随分います。「アルイト」などと同じで、よく見受ける誤です。
【42】Dort: am Meer という代りです。こういう時には da ではなく dort です。英語は普通 there ばかり使いますが、ドイツ語には dort と da との二種があって、使いわけがちょっと厄介です。註ではちょっと無理だからお茶だけ濁すしかありませんが、少し遠い気のする、直接の眼の前から遠ざかった場所は dort と云い、すぐ眼の前のもの、あるいは意識に近いものは da と云う、ということになるでしょう。なお182頁の註37を考え合わせてください。
【43】doch: 註10でのべた doch。
【44】dergleichen: (そのような):これは語尾変化をしない語です。und dergleichen という結合でよく用いられますが、「等々の」、「などの」です。「等々」といって後を省いてしまう時にも und dergleichen と云います。(etc. や und so weiter と同じ)。ここは形容詞的。
【45】Horizont: 日本語では地平線と水平線とを区別しますが、ドイツ語や英語は同一語。(英:horizon
doch nicht / doch kein 「まさか」【46】doch nicht: 註10の doch ですが、否定詞につくと「まさか……(じゃあるまいな?)」の「まさか」にピタリとあてはまります。Sie haben es doch nicht vergessen? (まさかお忘れになりはしますまいね?)Er ist doch kein Detektiv? (あいつまさか探偵じゃあるまいな?)――疑問文でなくても用います:Ihr kann man doch nicht so was sagen (彼女にまさかそんな事を云うわけに行かない)。
【47】Ja: 困ったときに ja という。nun (英の well)と同じ。
【48】Da: 「サア斯うなるといよいよ……」という時に用いるのが此の da という副詞です。文が過去形の時には、(たとえば Da wußte ich keinen Rat mehr 「そこで私は知恵が尽きた」)da は「そこで」ですが、此のテキストのように現在形の場合にも用いるということを心得ておく必要があります。Nun (英:now)を用いることもできます。
【49】Rat, m.: 「知恵」、「妙策」、「策」。
【50】Da: 註48と同。
【51】müßte: これは文法的に云うと muß に対する接続法(詳しく云うと接続法第二式)の形です。しかし、語形の文法的説明はどうあるにせよ、実際的見地からいうと müßte という形を一つの単語として特別に覚えておかなければ役に立ちません(此の点、ドイツ語の辞書にはドイツ伝統の欠陥があって、müßte の意味を知るには müssen のところを引かないと出てこないのです。まるで漢和大辞典を引くような大騒ぎです。皮肉に云えば、Gegenstand が stehen のところにおさめられていないのはせめてもの御手柄と云いたくなる……)。英語では shouldwould を一単語として別口扱いにし、shallwill と一緒くたにしていません、ドイツ語もそうなるべきです。諸子もどうか müßte を müssen の接続法形だと形式的に片ずけてそれで何か一かどよくわかったような気になるというドイツ式な悪い癖をよして、それより先ず müßte を「ねばなるまい」という意味の動詞として此の場合の使い方を印象的によく覚えるという方針をお取り下さい。本書が独文テキストと脚注に力を入れるのも、理屈より印象、という主義に向かいたいからであります。ただ印象をホームランせしめんがために脚注の方で声を嗄らして応援歌を歌うので、理屈は要するに応援歌です。感心して聞いてしまってはいけない、片耳に聞いて走れ!
【52】wohl: 「おそらく」(何かあまり自信のないことを云う時に挿んで用いる副詞で、ごく軽いことばです)。wohl etwa を使うこともできます:Da müßte man wohl etwa einen Naturforscher fragen. (etwa は、「科学者にでも……」という「でも」にあたる)。
【53】Naturforscher (自然科学者):Naturwissenschaftler に同じ。
【54】Übrigens: 「但し」、「それに」(何か言おうとしたことを急に思い出して附言する時に用いることば)――すなわち、ある時には aber にあたり、ある時には und にあたります。und にあたる時には「それもあるし、それに……」或いは「それと、ひとつは……」で、aber にあたる時は「但し」と訳すればよろしい。本文のは後者です。
【55】ob (……かどうか):英の whether 或いは if にあたる。「はたして」?です。
【56】überhaupt: 「そもそも」、「だいいち」(übrigens......überhaupt と対照して「それに第一」、「それにそもそも」となる)。
【57】zuverlässig: 「信を置くに足る」、「信頼するに足る」、英の dependabletrustworthy

意訳:グレーテ:お月さまは、昇ったばかりのときには、どうしてあんなに大きく見えるのでしょう? しばらくたって、中天に懸かってしまうと、ちいさくしか見えませんわね。
ハンス:それは眼の加減さ。地平線の近くには、樹とか家とか、その他ゴチャゴチャ色んなものがある、そうしたものと比べて眺めるから大きく見えるだけの話さ。ところが中空にはなんにもないからね。
グレーテ:でも……ちょっとなんだか変だわ。物というものは、一つきりあるときには小さく見えるんですか?
ハンス:そうさ。たとえば、うちのペーテルのことを考えてごらん。いろんな家具の置いてある此の部屋の中をうろついている時には、かなり大きな子のような気がするだろう? ところが何時だったか、誰もいない市場の広場のまんなかにおいてきぼりにされてオイオイ泣いていたことがあったろう? あの時には、とてもチッポケな恰好に見えて、大笑いしたじゃないか?
グレーテ:そう云えばね。でも海岸で月の出るのを見るときはどうでしょう。海にはまさか水平線のところに樹や家なぞがあるわけではないでしょう? まさかうみから出るお月さまは此処より小さく見えるとは仰言れないでしょう?
ハンス:そうか、海岸か! こいつはちょっと参ったなア! これは自然科学者にでも聞かないとわかるまい。しかし、この問題に関してそう確かな学説があるかどうかは疑問だね。

Friday, June 11, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 160-164)


範例

(a) Just at that moment who should enter the room but the missing girl herself(?)!

(b) Just at that moment the girl herself quite unexpectedly entered the room.

丁度其時行衛不明になつて居た娘が思ひ掛けなくも其處へ入つて來た。


解説

(a) と (b) とは全く同意味なれども (a) は案外の意を強く表さむが爲に疑問文を用ひたるなり。從てこの構文には驚愕の意を示す should の伴ふを常とす。

  Who (what) should ......but......

  誰(何)かと思へば。

  誰(何)かと見れば。

  誰有らう。

  None other than......

  に外ならず。

  I (we, etc.) was (were, etc.) surprised to......

  ……して驚いた。

  To my (our, etc.) surprise

  驚くことには。

  驚くまいか。

  Quite unexpectedly......

  案外にも。

  意外にも。

  ゆくりなくも。

  思ひも寄らず。

  思ひ掛けなく。

の如く解す可し。

 猶ほ文尾の印は?!.の何れを用ふるも可なり、これ普通の疑問文と異なるが故なり。


用例

1.  And just as coffee was served who should walk in but Mr. Mildmay and Alice.

    F. Marryat

  そして丁度珈琲が出された時に、思ひ掛けなくもマイルドメー氏とアリスとが入つて來た。


2.  He saw that I was brusque, so what does he do but draw me aside for a quite explanation.

    J. M. Barrie

    私の答が如何にもぶつきら坊で有つたから、先生わしを小脇に読んで靜に言ひ譯をした。

but draw の draw は to draw なり、but, than の次に來る Infinitive には斯く "to" を略すること多し。


3.  As Mr. Grant and his three daughters entered the railway station, whom should they meet but Mrs. Walsh, for whose house they were bound.

    グラント氏と三人の娘がステーシヨンに入つた時、彼等は端なくも、今訪問しやうとして居たウォルシュ婦人に出會つた。

bound for (=going to) 行かうとして居た。


4.  I was gazing after him with bitter thoughts in my mind, when who should touch me on the elbow but the little priest whom I have mentioned.

    C. Doyle

    「えゝ、腹が立つ」と思ひ乍ら、後姿を見送つて立つて居ると、肱にさわつた者があるから、誰かと見ると、例の小さい坊主だつた。

with bitter thoughts in my mind 憤怒を心に宿して。


5.  Just before reaching the top I heard the sound of voices; and upon rounding a point of rocks, whom should I see but Benjamin P. Gunn, seated on the very edge of the crater.

    Max Adler

    今しも絶頂に達しようと云ふ時、どうやら人聲が聞えた。やがて岩の一角を廻ると驚くまいか、そこに例のベンヂヤミン、ビーガンが噴火口の端に坐つて居るのである。


6.  Well, one cold, wretched night, when I was so tired I could hardly keep myself awake, who should come up for a half of Scotch but Lizzie, in a long fur cloak, elegant and comfortable, with a lot of sovereigns in her purse.

    B. Shaw

    すると或寒いひどい晩に、眠くて起きて居られないほど疲れて居ると、ウイスキーを半パイント呉れろと云つて長い毛皮の、品のいゝ氣持ちのいゝやうな外套を着て、財布には金貨を澤山持て、誰が來たとお思ひだ? リッジーが來たのさ。

keep myself awake 眼を開いて居る。half は half-pint なり(一パイントは我が三合一勺余)。Scotch は Scotch whiskey (蘇國産のウイスキー)の略。lot 澤山。


7.  In the meantime I had broken the canvass that he had drawn up, and whom should I perceive at some distance but your old friend Mr. Burchell, walking along with his usual swiftness, with the great stick for which we used so much to ridicule him.

    O. Goldsmith

其うち私は悪漢が引いた幕を引き破りますと、思ひも寄らず、向うに見えたのは、あなたのお友達のバーチェルさんでした。私共がよくからかってやった太い杖を持て、いつもの様に急いで來ました。


8.  But when he got there, what a delightful surprise awaited him. For not only did all the fairies come out to meet him and welcome him back, but in a moment who should come running forward with outstretched arms but Tom's very own dear father and mother!

    Tom Thumb

併し彼が其處に達した時には、何と云ふ嬉しい喜びが彼を待て居た事で有らう、と云ふのは外ではない、仙女が皆彼を迎へに來た計りでなく、忽ち兩手を擴げて走つて來たのは、誰有らう、トムの本當の戀しい懷

かしい父母であったのだ。

    very own dear 戀ひしい戀ひしい。


9.  After walking about the town four or five days and seeing the outsides of the best houses, I was preparing to leave this retreat of venal hospitality, when passing through one of the principal street, whom should I meet but our cousin to whom you first recommended me.

    O. Goldsmith

四五日間市中を歩き廻つて、立派な家の外側丈見物したあとで、こんな金次第でどんな待遇でもするいやな都は早く逃げて了はうと思つて居ると、其大通りの一つを通行中、思ひも掛けず、初めあなたに紹介して貰つた從兄に邂逅した。

    this retreat of venal hospitality 金次第でおんなにも待遇すると云ふこの郡。


10. It was in this manner that my eldest daughter was hemmed in and thumped about, all blowzed, in spirits, and bawling for "fair play," with a voice that might deafen a ballad-singer, when confusion on confusion, who should enter the room but our two great acquaintances from town, Lady Blarney and Miss Carolina Wilelmina Amelia Skeggs!

    O. Goldsmith

こんな風に総領娘が中に入れられ、叩き廻され、夢中になって、法界屋でも聾になりさうな大聲を出して、ずるいずるいと怒鳴つて居ると、いやはや大変、誰が入つて來たかと思ふと都下りの二人の偉いお友達ブラネ夫人とカロリナ・ウイレルミナ・アメリヤ・スケツグス孃が入つて來たのだ。

hemmed in 娘を中に入れたるなり。thumped about (スリツパを以て)叩き廻され。all blowzed in spirits (=greatly excited) 「一生懸命、夢中になって」blowzed は flushed (顔が眞赤になりて)の意。"fair play" 「やんとやれ」と呼ぶなり(「foul play (ずるいことをすること)をするな」と口々に叫ぶなり)。that might deafen a ballad-singer 往来を歌をうたって歩く門附け(法界屋にも譬ふ可き)の類は大きな聲のものだが、それをさえ聾せしむるやうな。confusion on confusion 混亂又混亂、いやはや大変。from town 倫敦下りの。


11. However unexpected our company might be to them, theirs, I am sure, still more so to us, and I was struck dumb with the apprehensions of my own absurdity, when whom should I next see enter the room but my dear Miss Arabella Wilmot, who was formerly designed to be married to my son George, but whose march was broken off as already related.

    G. Goldsmith

我々の居たのが彼等には嘸意外であつたらうが、彼等を見た我々の驚きと云つたら、更に一層であつた。而て私が自分の失態に言句も出ず、唯、茫然として居ると、續いてまた一人入つて來たのが、意外も意外、伜ヂヨーヂと結婚の筈であつたが、既に前に述べて通り破談になつたあのアラベラ・ウィルモツト孃であつたのだ。

theirs = their company. so = unexpected. was struck dumb 吃驚して言句が出なくなつた。with the apprehensions of my own absurdity とんでもない失態にびくびくして。

Monday, June 7, 2021

マイルズ・バートン「ダッフルコート殺人事件」(1956)

物語はいきなり死因審問からはじまる。ロッジ・カテージという家にミス・プライスとミス・マースランドが一緒に住んでいたのだが、前者が凍った庭に死亡して倒れているのが発見されたのだ。石炭を取りに行ったらしく、彼女はダッフルコートを着用し、側にはバケツが転がっていた。おそらく足を滑らせ、転んだ際に頭部を打ったのだろう。ところが死因審問で検死官がこれを他殺と断じたのである。首の後ろに打撲のあとがあり、誰かに襲われた後、後ろ向きに倒れ、頭を打ったということらしい。さらに奇妙なことに、この事件を境にミス・マースランドが姿を消した。誰もその行方を知らず、いなくなった理由もわからない。果たして彼女が同居人を殺したのか。それとも彼女も殺され、死体をなってどこかに転がっているのか。あるいはなにかの理由で姿を隠しているのか。デズモンド・メリオンとアーノルド警部が事件の解決に乗り出すが、捜査の最中にさらなる殺人事件が発生し……。

いかにもミステリの黄金時代に書かれたという感じがする細かい推理が随所で展開されていた。しかしはっとさせるような閃きはない。手堅くまとめられているけれども、しばらくすると忘れてしまいそうな作品である。ただ風俗の描写はちょっと印象に残った。本作にはたとえば、昔使われていた井戸が水道の発達により無用の長物と化し、人々が井戸の中にものを捨てて埋めていくといった記述があるのだけれど、井戸から下水道に移り変わる過程でなにが起きたのか知らない私は、これを読んで、「ああ、そうだったのか」と感心してしまった。あるいは夜になると村の道には外灯がなく、ほんとうに真っ暗になるとか、当時の人々が石炭をバケツで取りに行ったりとか、ダッフルコートが流行っていて、それを着ると男女の区別がつかなくなるとか、ヘリコプターの教習の話とか、そうした描写にはっとさせられるのである。そしてなぜだかわからないが、懐かしさを感じるのだ。私が生まれる以前の社会の様子がこんなに懐かしく感じられるというのは、いったいどういうことだろう。そういえば最近英訳が出て欧米ですこし評判になった横溝正史が描く社会にも私は妙なノスタルジーを感じる。敗戦後の混乱した社会。伝統的な村社会が資本主義的経済原理によって脅かされ、崩壊していく時期。そうした情況に潜む痛みが、いまのわたしにも伝わってくるからだろうか。

Friday, June 4, 2021

亀裂

こんな意見がリベラル論者のなかでよく言われる。イスラエルの人々はナチスの迫害を受けたユダヤ人である。彼らは命や人権の価値をよく知っているはずである。その人々がつくった国が(パレスチナに)無慈悲なことをする。その落差が理解できない。

こういう考え方はもうそろそろ卒業しなければならない。人間は分裂しているのが当たり前なのだ。しかも想像しうるもっともグロテスクな形で分裂している。それが人間なのだ。

わたしは先日「悪い種子」という戯曲を訳出した。これはウィリアム・マーチといういう作家が同名のタイトルで書いた小説を、マクスウエル・アンダーソンが戯曲化したものである。主人公はローダという八歳の女の子だ。彼女は分裂した人間の極端な例を示している。彼女は愛らしい顔をしていて、勉強がよくでき、服も靴もけっして汚さないきれい好き。大人たちは彼女の容姿や仕草を見ると思わず甘い表情になる。それくらい魅力的な女の子だ。ところが彼女は欲しいものを手に入れるためなら殺人だって犯す冷酷な人間でもある。このギャップが「悪い種子」という作品を衝撃的なものにしている。

マクスウエル・アンダーソンの戯曲の中では犯罪の専門家が、直接ローダを指して言ったわけではないけれど、ローダのような人間こそが戦争の世紀、つまり二十世紀を生き抜く人種なのかもしれない、と語っている。わたしは後書きのなかで「アメリカン・サイコ」だってそのような人間を描いているのだと主張した。ウオール街でトップの座を取れるエリート・ビジネスマンが、じつは快楽殺人を犯す犯人だったのだから……。

また、後書きでは書かなかったけれど、オルダス・ハクスレイの「灰色の宰相」もおなじテーマを扱っている。これは十七世紀の政治家ジョゼフ神父を分析したものだ。簡単に云えば、著者のハクスレイはジョゼフ神父の分裂ぶりにとまどっている。彼は政治の世界においては血なまぐさい殺戮を平気で行った。ところが同時に彼は神秘学者として超一流の業績を残しているのだ。極度の残虐と極度の精神性がどうして一人の人間のなかに存在しうるのか。それがハクスレイの問いだった。

このような人間の二面性は昔から文学ではテーマ化されていて、「ジキルとハイド」みたいな作品がたくさんある。ついでに言うと、わたしが訳したマリー・コレーリの「悪魔の悲しみ」は、「信心」というもっとも内密なものでさえ、分裂の形態を取ることを描いた作品である。しかし人間の分裂が先鋭な形で思考の対象となるのは第二次世界大戦以降だと思う。あの悲惨のなかでわれわれは人間が非人間化する現象に直面させられた。また学問の世界でこの問題に鋭い光を当てたフロイトの考え方が一九四〇年代から世界的に広まっていったなど、いくつかの要因があるのだろう。

この考え方に立てば、ユダヤ人殲滅を目指したヒトラーだって、家に帰れば子供に優しい、慈愛深い人であったかもしれない、ということになる。あるいは、古典音楽をこよなく愛し、みずから楽器を演奏していたかもしれない、ということになる。しかしそれに騙されてはいけないのだ。われわれはこうした考え方に慣れていかなければならない。さもないと人間の危険性に気づかず、何度でも足を掬われることになるだろう。

Tuesday, June 1, 2021

ジョン・ラッセル・ファーン「見知らぬ男」1950年

この作品は分類するならSFということになるだろう。ペーパーバックの裏に書いてある内容紹介を見て、スリラーだろうと思ったのだが、読み進めるうちに期待は裏切られた。

主人公はグレンダ・カーライルという若い女性新聞記者。彼女が隕石の取材をして疲労困憊しながら家に帰る途中、暴漢に襲われそうになる。そこにどこからともなくあらわれたのが「トマス・スミス」、日本語で言えば「山田一郎」みたいな名前の男だ。彼が暴漢を睨み付けると、暴漢は悲鳴を上げて逃げ出してしまった。

その後トマスはグレンダを家まで送るのだが、グレンダはトマスが世の中の常識を知らないことや、お金を持っていないことに驚く。しかも翌日、新聞社へ行くと、前夜彼女を襲った暴漢が死亡したというではないか。それだけではない。彼女の近所で起きた暴行未遂事件の犯人もトマスに会った後、奇妙な死を遂げているのだ。この不思議な男の記事を書こうとグレンダが編集長と相談していたとき、なんと誰あろう、トマス・スミス本人が新聞社にやってくる。

 こんな具合に話ははじまり、そのあとトマス・スミスの超能力が次々と明らかにされていく。ダイヤをつくってみせたり、人の心を読んでみたり、催眠術師のように人を自由にあやつったり、病気を治したり……。

 もちろんこんな能力を自分の利益のために利用しようと考える不逞の輩が出てくる。産業界を牛耳る億万長者たちだ。トマス・スミスとグレンダは彼らを相手に闘いもする。

 読みながらこれと似たような作品をいくつも思い出した。半村良の「岬一郎」とか、リチャード・マーシュの「キリスト再臨」とかである。よく言われることだけれど、わたしも超能力者の原型はキリストだと思っている。超能力者が市井にあらわれたときの混乱は、おそらくキリストがナザレにあらわれたときの混乱を反覆している。

 しかしこの作品はそんなに出来がいいとはいえない。だいたいジョン・ラッセル・ファーンはミステリはかなり手堅い書き方をするけれども、SFは穴だらけの、奔放すぎる、子供向けパルプみたいな作品になりがちだ。ただし英語はひどく読みやすいので、勉強するにはちょうどいいかもしれない。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...