Monday, June 7, 2021

マイルズ・バートン「ダッフルコート殺人事件」(1956)

物語はいきなり死因審問からはじまる。ロッジ・カテージという家にミス・プライスとミス・マースランドが一緒に住んでいたのだが、前者が凍った庭に死亡して倒れているのが発見されたのだ。石炭を取りに行ったらしく、彼女はダッフルコートを着用し、側にはバケツが転がっていた。おそらく足を滑らせ、転んだ際に頭部を打ったのだろう。ところが死因審問で検死官がこれを他殺と断じたのである。首の後ろに打撲のあとがあり、誰かに襲われた後、後ろ向きに倒れ、頭を打ったということらしい。さらに奇妙なことに、この事件を境にミス・マースランドが姿を消した。誰もその行方を知らず、いなくなった理由もわからない。果たして彼女が同居人を殺したのか。それとも彼女も殺され、死体をなってどこかに転がっているのか。あるいはなにかの理由で姿を隠しているのか。デズモンド・メリオンとアーノルド警部が事件の解決に乗り出すが、捜査の最中にさらなる殺人事件が発生し……。

いかにもミステリの黄金時代に書かれたという感じがする細かい推理が随所で展開されていた。しかしはっとさせるような閃きはない。手堅くまとめられているけれども、しばらくすると忘れてしまいそうな作品である。ただ風俗の描写はちょっと印象に残った。本作にはたとえば、昔使われていた井戸が水道の発達により無用の長物と化し、人々が井戸の中にものを捨てて埋めていくといった記述があるのだけれど、井戸から下水道に移り変わる過程でなにが起きたのか知らない私は、これを読んで、「ああ、そうだったのか」と感心してしまった。あるいは夜になると村の道には外灯がなく、ほんとうに真っ暗になるとか、当時の人々が石炭をバケツで取りに行ったりとか、ダッフルコートが流行っていて、それを着ると男女の区別がつかなくなるとか、ヘリコプターの教習の話とか、そうした描写にはっとさせられるのである。そしてなぜだかわからないが、懐かしさを感じるのだ。私が生まれる以前の社会の様子がこんなに懐かしく感じられるというのは、いったいどういうことだろう。そういえば最近英訳が出て欧米ですこし評判になった横溝正史が描く社会にも私は妙なノスタルジーを感じる。敗戦後の混乱した社会。伝統的な村社会が資本主義的経済原理によって脅かされ、崩壊していく時期。そうした情況に潜む痛みが、いまのわたしにも伝わってくるからだろうか。

独逸語大講座(20)

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