Friday, July 31, 2020

全日本プロレス動き出す

七月二十三日新潟大会、試合後のコメントビデオを見て、いま全日本を動かしているのはジュニア級の選手、それも若い人々であるという印象を強くした。

ライジングHAYATO は宮原のチームに参加し、今後はアキラなどともタッグを組むことになるだろう。彼は真面目な、好感の持てる選手だが、大森や田村と比べると身体がまだ細い。その分、二人には地力で負けていると思う。それがはっきりわかっただけでも「あすなろ杯」は彼にとって意味があった。全日本で刺激を受けながら、さらに強くなって欲しい。ビデオでアキラと並んだところを見ると、彼はアキラよりほんの少し背が高い。あれを見て、もっと身体に肉がつくはずだと思った。これで宮原のチームはさらに人数が増え、活気も出て来た。

アンファン・テリブルに入った大森はいいチームメートを得たと思う。リーダーの芦野はちょうどいい程度に彼を突き放し、かつ激励を与えている。大森に必要なのはこういう距離感だ。彼は新人から一個のレスラー、ヘビーもジュニアも関係ない、一国一城の主へと変貌しようとしている。道のりはまだ長いが、さして大きくもない体格でヘビーと互角に渡り合っている芦野は大森にとって目指すべき格好の目標となるだろう。わたしは大森にはなにか一つ強烈な、ヘビー級を相手にしたときでもインパクトのある技を習得して欲しいと思う。

岡田はエヴォルーションを抜け、まだ自分の方向性がわかっていないようだ。あるいは、自分の実力を開花させるきっかけをまだつかんでいないようだ。きっかけは同期の選手の活躍とか、頼りになる相棒との遭遇とか、尊敬できる指導者との出会いとか、彼女とか、いろいろある。しかも後になってわかるのだが、そうしたきっかけは意外と自分の普段の生活のなかにたくさん転がっているのだ。迷っているときは、そうとは思えないが、あるとき、ふと、見方が変わって、これこそ自分に必要なものだと気がつくのだ。岡田は今はどこにも所属していないのだから、いろいろな人と組んで戦ったらいい。意外な組み合わせの中に自分の方向性を見出すかも知れない。

Wednesday, July 29, 2020

オリヴィア・ド・ハヴィランド

オリヴィア・ド・ハヴィランドが先日亡くなった。ああ、とうとうこの時が来たかと胸に迫るものがあった。わたしは彼女の大ファンで、ほとんどの映画を見ている。彼女は1930年代、40年代のハリウッド女優の中で、演技力が抜群の女優だった。ただし彼女の演技力は、30年代、40年代のメロドラマ向きの演技力であって、それ以後の現代的な演技とは質が違っていた。だから「女相続人」を境に彼女の活躍がほぼぷつりと途切れたのはいたしかたのないところだった。

しかし彼女の隙のない、濃厚な演技力はメロドラマの中ではそのたぐいまれな効果をフルに発揮していた。彼女の代表作と言われる作品をどれでもいいから見たらいい。彼女の舞台演劇風の仕草、表情に圧倒されるだろう。しかも彼女は知的な女優であって、自分がどのような演技をし、どのような作品に向いているかと言うことをよく理解していた。だから監督がこんなストーリーはだめだとあきらめても、彼女は「いや、これでいいのだ」と監督を説得し、映画を作らせた。そして見事にその作品をヒットさせたのである。

彼女について忘れられないエピソードが二つある。一つは彼女が「女相続人」に出ることになったときのことだ。彼女は自分が演じるヒロインをどう演技すればいいのか、いまひとつ把握し切れていなかった。そこで恋人の家へ行き、彼の母親を観察した。恋人の母親は、ちょうど物語が繰り広げられる時代に生まれていたからである。そしてあるときふっとヒロインを演じるコツに気がついた。恋人の母親はいつも髪の毛をきつく引っ詰めにしていたのだが、そこにヒロインを演じる鍵があると彼女は直感したのだ。それを読んだとき、女優というのはこういうものかと、感服した。髪の毛はファッションとして時代をあらわすが、引っ詰め髪はさらにその時代の女の精神のあり方まであらわしていたのではないだろうか。それを感じ取ってド・ハヴィランドは自分の演技に生かした。彼女の知的さを感じさせるすばらしいエピソードだと思う。

もう一つは彼女と妹のジョーン・フォンテーヌとのエピソードだ。英語ではシブリング・ライバルリーというけれど、二人は烈しく対立した。オリヴィアは年上で、十代の頃から演劇や映画に出て一家の稼ぎ頭だった。(二人は東京で生まれたのだが、母親は浮気をする夫と別れて、娘二人とともにアメリカに移住する。)しかしフォンテーヌは彼女より先に結婚し、先に子供をつくり、先にアカデミー賞を取った。オリヴィアのプライドはずたずたである。それゆえ二人の仲はけっしてよくなかった。

しかしジョーンが夫婦関係で悩み、かつまた病気になったとき、オリヴィアは彼女を熱心に看護した。オリヴィアも夫婦関係で悩んでいたから、妹に同情したのかも知れない。そのとき彼女は妹の着替えを手伝い、ベッドに寝かしつけ、彼女を抱きかかえながら子守歌を歌ったのだ。どんな子守歌を? フォンテーヌが書いた No Bed of Roses という自伝本によると、その歌詞はつぎのようなものだった。

"Nen, nen, korori, okororiyo."

フォンテーヌは涙が止まらなかったそうだ。

Tuesday, July 28, 2020

オリヴィア・シェイクスピア「美の時間」(1896)

メアリ・ガウアはウィットに富む知的な女性だが、容貌はまったく冴えない。舞踏会ではいつも壁の花、結婚のあてもなく、とある慈善家の秘書をしている。ところがある晩、彼女は自分の意志で自分の容貌を変えられることに気づく。たぐいまれな美人になり、背までのばせるのだ。彼女はこの機会にいままで味わえなかった女としての楽しみを味わい尽くそうとする。では彼女は喜びを味わったのか。いや、知的な彼女は美というものが結局のところその人の本質を示すものではないことを悟り、自分の特殊な能力を使って美人に化けることは二度とするまいと決意するのだ。

簡単に言ってしまえばそんなお話である。副題には「ファンタジー」とついているから、まあ、軽い読み物として書かれたものなのだろう。「サヴォイ」誌に掲載された短い小説である。

しかしながらこの短編小説は世紀末の英国社交界の雰囲気を非常にうまくとらえている。有閑階級のぼんぼん、美貌と言うだけでちやほやされる女性、こっそりと交わされる恋愛の噂話、舞踏会のきらびやかさ、そうしたものが短く、印象的に描かれている。また彼女が突如、美女に変貌する不思議な場面も雰囲気があっていい。物語は古くさい教訓じみた終わり方をするが、そこここに才能を感じさせる部分がちりばめられていて、「ジキル博士とハイド氏」とか「ドリアン・グレイの肖像」などと一緒に読まれるべき秀作だと思う。

Friday, July 24, 2020

ガートルード・アサートン作「ミセス・バルフェイム」(1916)

「ミセス・バルフェイムは殺人の決心をした」という一文で本作ははじまる。

ミセス・バルフェイムは当時で云う「新しい女」の一人である。家に閉じこもる古いタイプの女性ではなく、男性顔負けの知的な会話もすれば、地域の社交をリードしもする。

彼女の良人デイブは考え方がやや古い政治家で、妻の活動ぶりがお気に召さない。二人の間はしだいに冷えていくが、しかしミセス・バルフェイムは離婚することは考えていない。彼女もその程度には社会的な体面を考えているのだ。彼女は若い法律家の卵から「自分と結婚してくれ」と迫られるが、断る。

さて、あるとき、酔っ払った良人に知人達の前で恥をかかされたミセス・バルフェイムは、良人を毒殺しようとする。良人が家に帰ってきたら毒入りの飲み物を飲ませようと考えたのだ。ところが良人は家に入る前に何者かによって銃殺される。

はたして殺したのは誰か。

良人は政治家だから、敵は何人かいる。さっそく捜査がはじまった。しかし政敵にはみなアリバイが成立し、一方ミセス・バルフェイムは不審な行動ゆえについに逮捕される。彼女を愛する若い法律家が彼女を助けようとするのだが……。

これはミセス・バルフェイムの欲望を犯人が模倣する物語だ。こういう「代理」の構造を持つミステリはほかにもたくさんある。シリル・ヘアの「イギリス的な殺人」などはその代表作と言えるだろう。

AがBの代理をするとき、非常に奇妙な現象が起きる。AとBはたしかに異なる人物だ。本作に於いてもミセス・バルフェイムは魅力的で、社交の中心的存在である。それに対してBは容貌的にもずっと劣り、結婚もしていない。ところが両者のあいだには恐ろしく奇妙な類似が発生する。本作の場合、犯人はバルフェイムの良人を撃ち殺すが、ミセス・バルフェイムもピストルを撃っている(もっともこれは良人に当たらない)。ミセス・バルフェイムは犯人から盗んだ毒薬を良人に飲ませようとして失敗するが、犯人もおなじ手口で彼を殺すことができたことは最後で明らかにされる。BがやったことをAも「ほとんど」やっており、AがやろうとしたことはBが実行したかも知れないことなのだ。

この不思議な同一と非同一の関係がミステリにはよく見られる。わたしはこれをトポロジカルなねじれの関係として考えようと思っている。

Monday, July 20, 2020

基準独文和訳法

権田保之助著
有朋堂発行
「基準独文和訳法」より

問題12(p. 51)

Im 19. Jahrhundert wurde seit der französischen Revolution bei allen Kulturvölkern der rechtliche Unterschied und die Erblichkeit der Stände beseitigt, die persönliche Freiheit und die rechtliche Gleichheit aller Menschen anerkannt, die Stände wurden zu Berufsklassen, und so trat neben die drei alten Stände der vierte Stand der handarbeitenden Klassen, dem die großen Volksmassen in Stadt und Land angehören.

研究事項
1)der rechtliche Unterschied und die Erblichkeit der Stände は其の意味如何? der rechtliche Unterschied /und /die Erblichkeit der Stände か、der rechtl. Unterschied u. die Erblichkeit←(der Stände) か、又 der Stand と die Klasse との左は如何?
2)die persönliche Freiheit und die rechtliche Gleichheit aller Menschen の意味も亦如何?
3)Berufsklasse の訳は?
4)neben die drei alten Stände の四格支配に注意。
5)der vierte Stand der handarbeitenden Klassen の der handarbeitenden Klassen といふ二格は何を表はすか? 尚ほ der handarbeitenden Klassen は Handwerkerstand と如何に異るか?
6)最後の副文章の dem die großen Volksmassen in Stadt und Land angehören のみが現在の時称で表はされてゐることに注意。

解釈要項
1)der Stände の二格は der rechtliche Unterschied と die Erblichkeit との両方にかゝる。故に「階級の法的差別と相続」の義である。又、der Stand は古き身分に即した階級であつて、die Klasse は所有の有無によつて分たるる新しい社会階級を表はす。故に der Stand を「身分階級」、die Klasse を「社会階級」と訳して其の差を表はす方法もある。
2)die persönliche Freiheit und die rechtliche Gleichheit aller Menschen は「凡べての人間の人格的自由と法的平等」。(persönliche と rechtliche との対立を翫味すべし。 persönliche を「個人的」と訳すは不可)
3)Berufsklasse は「職業階級」。
4)neben die drei alten Stände は、「かの古い三個の階級の傍へと…が歩み寄つた」といふ運動を表はすもの。従つて其の心持で訳すべきこと。
5)der handarbeitenden Klassen といふ二格は「…である所の」「…たる」の義を有するものである。又、handarbeitenden は「力で働く」「筋力労働をする所の」であつて、kopfarbeitend の「頭で働く」「頭脳労働を為す所の」と相対せるもの、Handwerker 「手工業者」、Handwerkerstand 「手工業者階級」とは全然異つてゐる。
6)他の文が皆、過去で表はされてゐるのに、最後の文が angehören といふ現在で表はされてゐることは、訳出の際特に注意を要する。つまり現在の事を表はしてゐるといふことを意識的に表はす必要がある。

訳文
佛蘭西革命以降、十九世紀に於て、凡べての文明国民にあつては、諸身分階級の法的差別と相続とが撤廃され、一切の人間の人格的自由と法的平等とが承認され、身分階級は職業階級となつた。斯くして、彼の古き三個の身分階級の傍に筋肉労働階級たる第四階級が出現した。都市及び地方の大なる民衆は今それに属してゐる。

Friday, July 17, 2020

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 119-123)

範例
I
(a) Scarcely (hardly) have you passed through the gate before (when) you can hear some sweet music from within.
(b) You have scarcely (hardly) passed through the gate before (when) you can hear some sweet music from within.
門を入るか入らぬに中から妙なる音樂が聞える。

II
(a) Scarcely (hardly) had I crossed the bridge before (when) it fell down.
(b) I had scarcely (hardly) crossed the bridge before (when) it fell down.
橋渡つたか渡らぬにそれが落ちた。

解説
Scarce(ly)|    |before (ere)
Hardly    |…………|when
……する(した)前に辛うじて……する(した)
……する(した)時に辛うじて……する(した)
 =……する(した)かせぬに……する(した)

此構文に於ては、I の如く後の Clause の Verb が Present 又は Future なる時は前の Clause の Verb は Present Perfect となり。II の如く後の Clause の Verb が Past なる時は前の Clause の Verb は Past Perfect となる。
 また (a) の如く Subject と Verb と轉倒せる時は、(b) の普通の形よりも語勢強し。

用例
1.  Scarcely were the words out of my mouth when I heard a stealthy footstep approaching.
    H. H. Haggard
    其言が私の口から出たか出ないに忍びやかな跫音が近寄つて來るのが聞えた。

2.  They took scarcely any notice when the twelve figures in female attire entered the room.
    Parley
    彼等が殆ど氣が附かぬうちに女の姿をした十二人の人が其部屋に入つて來た。

3.  Scarcely had I got round when I heard the reeds parting before the onward rush of some animal.
    H. R. Haggard
    私が廻つたか廻らぬに何か獸が蘆を分けて進んで來るのを聞いた。

4.  Scarcely had the soldier mounted, when a shot from the adjoining heights struck and killed him.
    三三一高
  其兵士が馬に乗るや否や附近の高地より一彈飛來して彼を殺せり。

5.  But scarcely had they received their rations, ere the well-known hurrah of Platoff rang once more in their ears.
    J. G. Lockhart
    併し彼等が食物に有りつくや否や、彼の忘れもしないプラトウのウラーの聲が又もや彼等の耳朶に響いた。

6.  Scarcely had the carpenter gathered up his things and limped off, when a man smoking came hurrying along.
    J. M. Bailey
    大工が道具を拾ひ、跛を引き乍ら行つて了ふと、一人の男が煙草を吹かし乍ら、急ぎ足でやつて來た。

7.  But scarcely had his army landed in Asia, when sultan Solyman attacked them, and made a terrible slaughter.
    Parley
    併し彼の軍隊が亞細亞に上陸するや否やソリマンは彼を邀撃して非常に人を殺した。

8.  Scarcely have you passed your door-step of your friend's house, when you can detect whether tastes presides within it or not.
    S. Smiles
    譬へば友人の家に行つた時など其閾を跨げば直ぐに其中に趣味が存するかどうかが分る。

9.  But scarcely had the charge of Pack proved successful, ere the French were again compelled by shells and cannon to evacuate this prize.
    J. G. Lockhart
    併し乍らパツクの突撃が成功するかせないに、佛軍はまた敵の砲彈の爲に、折角占領した家を撤退せねばならなかつた。

10. I had scarcely got round the hill when I perceived the giraffe surrounded by the dogs, and endeavouring to drive them away by heavy kickes.
    四三 高商
  小丘を廻つたから廻らぬに、私はジラフが犬に圍まれ、烈しく蹴つて之を追ひ拂はうとして居るのを見た。

11. Mrs. Reed hurried into the room, and had scarcely passed the threshold, when the tile fell to the hearth and broke into a dozen pieces.
    N. N. R. IV.
    リード夫人は急いで其部屋に入つたが敷居を跨ぐか跨がぬに瓦は圍爐裏に落ちて微塵に破れた。

12. He had scarcely formed his conclusion when he saw in the water a white object, which he knew was the boy's dress and then he plunged into the wild and roaring rapids.
    U. R. IV.
    彼が斯う決心するや否や、水中に白い物を認めたが、之は子供の着物と知つて居たから彼は逆捲く急流へざんぶと計り飛び込んだ。

13. Scarcely were the words out of his mouth before we heard a sort of whine over the other side of the pool, which was instantly answered by a loud coughing roar close to us.
    H. R. Haggard
    其言が口から出たか出ないに水溜りの向うの方で泣くやうな聲がした。すると我々の直ぐ側に大きな咳のやうな哮聲が起つて、件の泣聲に答へた。
a sort of whine 泣くやうな聲。the other side 向側。

14. Little time was left to me for consideration, as the next moment a smart breeze began to agitate the taller trees. Two minutes has scarcely elapsed, when the whole forest before me was in fearful motion.
    N. N. R. V.
    考へる暇も有らばこそ忽ち烈風吹き起つて高い木を動かしはじめ、二分と經たぬ間に私の前面の森は見渡す限り恐ろしく動き出した。
Little time was left to me for consideration「考へる時間は殆ど私に殘されなかつた」「考へる時間は殆ど無かつた」假に left to me を there に改め見よ。as 故に。in fearful motion 恐ろしく動いて。

15. From this motive, I had scarce taken orders a year before I began to think seriously of matrimony, and chose my wife, as she did her wedding-gown, not for a fine glossy surface, but for such qualities as would wear well.
    O. Goldsmith
    私はこの考からして牧師になつて一年經つか經たぬに眞面目に結婚の事を考へ、今の妻を撰定したのだが、其撰び方は妻が結婚の晴着を撰んだと同じで、表面(うはべ)の美しく光るのよりは地質のよく持つのを撰んだのである。
taken orders 聖(僧)職に就く、牧師になる。did (=chose) 撰んだ。not......but なくして。wear もつ。

Tuesday, July 14, 2020

もはや新人でなく

全日本プロレス七月十三日新木場大会はすばらしい興業だった。その立役者は大森北斗と田村男児の二人である。

彼らはメインイベントで「あすなろ杯」の決勝戦を戦い、大方の予想を裏切って、田村が大森を制した。うれしい優勝である。

大森は自分が勝つと確信していたようだが、それが隙を生んだのかも知れない。田村は弱点(身体の固さ)をカバーしながら戦いを進め、その分体力を温存できたのだろう、相手のジャーマンを喰らってもぎりぎりで返すことができた。最後はダンロックを決め、大森からギブアップを取った。

総じて田村が作戦勝ちをしたという印象だ。逆に言えば、大森は田村の弱点を攻めて体力を削らなかったことが敗因だと思う。

田村ははじめてのリーグ戦、はじめてのメインで勝利を収めることが出来、うれしいにちがいない。しかも先輩格の大森からもぎ取った勝利だ。序列に大変動が生じはじめた。

しかし試合では田村が燦然と光ったものの、試合後は大森がファンを驚かせてくれた。なんと Enfants Terribles 入りを表明したのだ。会場が騒然となったけれど、わたしもびっくり。しかし同時にこれは面白くなると直感した。大森の加入により、元レッスルワン勢が全日本プロレスのリングにしっかりした位置を占めることになる。これこそわれわれファンが待ち望んでいた動きではないか。全日本は外部の選手を巧みに取り込んで試合を盛り上げてきたが、今回の大森の決断もそうした全日本の一貫した戦略の一部だとみなすことができる。

今回の興行はジュニアヘビーの選手が大活躍し、楽しませてくれた。全日本の目玉がスーパーヘビーの選手だけではないことを証明してくれたのだ。それも次世代を担う若手選手が大きな動きをつくってくれた。コロナ騒動の中で久しぶりに明るい希望の光を見た。

Monday, July 13, 2020

あすなろ杯

全日本プロレスで若手選手四人による「あすなろ杯」が行われている。ずっと昔、小橋建太がこの「あすなろ杯」に出場していたのを見たことがあるが、あれから中止されていたのを今年になって復活させたらしい。

出場選手は大森北斗、青柳亮生、田村男児、ライジングHAYATOだ。総当たり形式で今のところ大森が青柳とHAYATOに勝ち、また田村が青柳、HAYATOに勝ち、トップ。青柳とHAYATO は共に二連敗である。最終戦では大森と田村、青柳とHAYATOが戦うことになる。

青柳は怪我のために長期間欠場していたが、それが田村との差になってあらわれたかもしれない。しかしこれは仕方がない。気を取り直して練習を重ねれば身体も大きくなるし、自力も増していく。あわてず根気よく遅れを取り戻してほしい。

大森は四人のなかでいちばん身体に厚みがあって優勝候補なのだが、田村の成長も著しい。明らかに去年より肉が付いて、使える技が増えた。しかも怪力ぶりを発揮しはじめた。ロープに飛んでのぶつかり合いで、ヘビー級のヨシタツをはじきとばす姿を見たときはびっくりした。ファイトクラブ五分一本勝負で大森と対戦したときも時間切れ引き分けに持ち込んでいる。試合後、田村はくたくたに疲れていたようだが、それでも大森に決着を付けさせなかったのはたいしたものだ。「あすなろ杯」は二十分一本勝負。大森は引き分けに終わった試合の反省をして作戦を練ってくるだろうから、田村はそれを上回る戦略を用意しなければならない。できるだけ寝技に持ち込まれないように工夫し、力で対抗するようにすれば勝機があるのじゃないだろうか。楽しみな一戦だ。

Saturday, July 11, 2020

哲学者ゼウス

いつだったか全日本プロレスのゼウスが試合後のインタビューですばらしい冗談をとばした。三対三の戦いで、おなじチームの中島(めんそーれ)が佐藤光留からスリーカウントをとった。中島はコミックなプロレスを目指していて、実力的には全日本でいちばん下かも知れない。それがトップ選手である佐藤からスリーカウントをとったのだから、大金星である。その翌日にはジュニアヘビー級をめぐるトーナメントが行われ、そこで中島と佐藤が再度対峙することになっていた。そんなときにゼウスがこんなコメントを発したのだ。

「今回はたまたま中島が勝ったけどな、次の試合も(つまり翌日のトーナメントの試合でも)たまたま勝つぞ」

強面のゼウスだが、大阪人だけあって「おもろい」ことも言う。しかしこれは「おもろい」だけではなく、考えてみると哲学的に「おもろい」意味を持っている。

「たまたま」起きる事象、つまり偶然が、次の機会にも、その次の機会にも生じるとしよう。それは「必然」になるだろうか。

さいころを転がして一の目がでる確率は六分の一だ。それが一億回転がしても一しかでなかったとしよう。そのとき一の目が出る確率は一となるだろうか。

ならない。世界中の人が二千年掛けてさいころを転がし続け、そのすべてにおいて一しか出なかったとしても、一の出る目は六分の一だ。「たまたま」という事象の性格は変わらない。

しかし無意識においては「たまたま」が必然として生じうる。偶然と必然は対立項ではなくなってしまう。ここにおいては必然的な「たまたま」が発生するのである。

無意識というのは、自分がまったく何も知らない知の領域を指すのではない。知っていることを知らない領域の謂いである。無意識の知に直面しそうになると、なぜか「たまたま」人はそこから目をそらしてしまう。そして結局無意識を知ることはないのである。無意識がその人の顔をのぞきこもうとすると、なぜかその人は「ふと」横を向いたり、はっとなにかを思い出し、後戻りしたりするのだ。そんなふうにして人は無意識を「偶然」にも避け続けるのである。偶然がシステマチックに反復される場所、偶然と必然の区別が判然とはつかない領域が無意識だ。もしも明暗、正邪、有無といった二項対立によって成立する世界がわれわれの通常の世界、存在論的世界だとすれば、それが成立していない世界、前-存在論的世界が無意識の働く領域である。

Thursday, July 9, 2020

旧漢字のロマネスク

以前、久生十蘭の「鉄仮面」を読んで、意外とその訳文がよいのに驚いた。「意外と」などというと失礼かも知れないが、黒岩涙香のあとは久生十蘭というくらいジャンル小説の翻訳で立派な足跡を残していると思う。そこで今は近代デジタルライブラリで読める久生の翻訳小説を読んでいる。

近代デジタルライブラリで読めるのはもちろん古い本で、旧漢字、旧かな遣いである。たまたま図書館に久生の全集があったので覗いてみたら、それはすべて新漢字、新かな遣いに改められていた。そこでわたしは読み比べをしてみたのだが……

字面の違いは予想以上に大きな印象の違いとなってあらわれていた。端的に言って、新漢字のすかすかした字面は、旧漢字による原文のロマネスクな印象を無慙なまでにそぎ落としてしまっている。旧漢字は物語の濃密な印象を字面によっても表現しているのだが、新漢字はふわふわ、すかすかしていて、今にもどこかへ飛んで行きそうな感じがし、とても落ち着いて物語空間に浸ることが出来ない。

この印象は谷崎潤一郎の新しい全集が出たときにも感じた。新しい全集では新漢字、新かなが用いられているのだが、谷崎の初期の官能的で濃厚な世界が、新漢字だとどうしても薄れたものになってしまうのは不思議だ。旧漢字に馴染みのない人が多いから、新漢字に置き換えて古い本を出版するのは時代の成り行きだが、しかしそれによって原作にあったなにがしかの要素が消えてしまうことも事実である。

わたしは新漢字、新かなを非難しているのではない。両者のあいだには大きな懸隔があり、単純に一方を他方に置き換えて、内容は全く変わらない、とは主張できないと考えているのである。たとえば塚本邦雄は旧漢字をつかって短歌を書いたが、あれを新漢字に置き換えたら、歌の印象はまるで違ったものになるだろう。

ドイツ語にはフクラトゥールというひげ文字があるが、あれも旧漢字のような独特の雰囲気を漂わせている。第二次大戦ころまではあの複雑な文字がまだまだ使用されていたのだが、とくにゴシック小説やゲーテのような古典を読む場合は、フクラトゥールで印刷されているほうが読んで味わいがある。デザインが単純なアンティカ体は現代小説を読むならともかく、出版されてからずっとフラクトゥールで印刷されてきた作品に関しては、やはりフラクトゥールで印刷された本を読みたいと思う。この印象はわたしだけの印象では無いはずだ。ドイツではフラクトゥールをアンティカ体に置き換えるのははたしてよいのかどうかという論争がずいぶん長く続いていた。

旧漢字の複雑な線の交差とルビという奇怪な補助文字により、文字はなにか呪術的な構造物へと変身する。あの不思議さを文学研究者は説明すべきだと思うのだがどうだろうか。

Monday, July 6, 2020

基準独文和訳法

権田保之助著
有朋堂発行
「基準独文和訳法」より

問題11(p. 50)

Die Masse trägt in sich den Willen zu einer neuen Bildung, von der keiner weiß, wie sie aussieht, von der jeder ahnt, daß sie anders ist als die bürgerliche Bildung. Die bürgerliche Bildung ist individualistisch, aller Individualismus widerspricht dem Begriff der Masse, -- sie ist überindividualistisch.

研究事項
1)die Masse -- eine neue Bildung -- die bürgerliche Bildung の訳は?
2)individualistisch と überindividualistisch との訳語は?
3)etw in sich tragen の熟語の意味は?
4)最後の sie ist überindividualistisch の sie は何を指すか?
5)第一文の zu einer neuen Bildung, von der...以下の構文を分解すれば如何?

解釈要項
1)die Masse は「大衆」。(das Maß の「尺度」「度合い」と混同し易い。注意を要す)。
eine neue Bildung は「一つの新しき教化」
die bürgerliche Bildung は「ブルヂョア的教化」(bürgerlich に就いては問題2参照)
2)individualistisch は「個人主義的」(「個人的」は individuell)であり、überindividualistisch は「超個人主義的」。
3)etw in sich tragen は「己の中に蔵する」「抱懐する」。
4)sie は直ぐ前の Masse を指す。
5)第一文を分解すれば:...zu einer neuen Bildung, 〔von der keiner weiß, (wie sie aussieht)〕, 〔von der jeder ahnt, (daß sie anders ist als die bürgerliche Bildung)〕. で、二つの〔 〕が Bildung の Attributivsatz であり、keiner weiß と jeder ahnt とが対句をなしてゐる。

訳文
大衆は一つの新しき教化への意志を抱懐す。その教化に就きては、それが如何なる外貌を有するかを知る者一人もなくして、しかも夫れがブルジョア的教化と相異るものなるは何人も予感する所である。蓋しブルヂョア的教化は個人主義的であり、一切の個人主義は大衆てふ概念に背反しゐるものであつて、大衆は超個人主義的なるものなるが故である。

Friday, July 3, 2020

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 117-119)

範例
(a) Tall and slender, she stood before a large looking-glass.
(b) Deserted, despised, he submitted to everything with gentle patience.
(c) Son of a Boston merchant, he was sent to England at an early age.

(a)丈高くすらりとして、彼の女は大きな姿見の前に立て居た。
(b)世間よりは捨てられ、卑しめられて、彼はおとなしく何事に從つて居た。
(c)彼はボストンの商人の子で、子供の時に英國に遣られた。

解説
斯の如く用ひたる Adjective, Past Participle, Noun の前には總て Being を補ひて解す可し。

用例
(a)
1.  Tall, stately, self-possessed, she went forward to greet him.
    M. Clay
    丈高く、凛として、落着いて、彼女は彼を迎へに出て行つた。

2.  Indignant, I went next day to the shopkeeper, and produced the offending boot.
    Max O'Rell
    自分は翌日怒つて其靴屋に行き、その癪に障る靴をつきつけた。

3.  Confident that Dantes could no longer escape, the gendarmes released him and awaited orders.
    A. Dumas
    ダンテは最早逃げる事は出來まいと信じて憲兵は彼を放し、命令を待て居た。

4.  Weak, and thin, and pallid, he awoke at last from what seemed to habe been a long and troubled dream.
    C. Dickens
    衰弱し、憔悴し、色蒼ざめて、彼は長い苦しい夢のやうなものから目覺めた。

5.  Proud, he will never doubt of the success of his undertaking; brave, he will carry it through; calm, he will calculate with a cool head the material advantages of the victory; tenacious, he will know how to make it fruitful.
    Max O'Rell
    彼は自尊心が篤い、故に事業の成功を疑はない。勇敢である、故に之を實行する。冷静である、故に冷頭以て勝利の實益を算する。堅忍である、故に之をして功果有らしむ可き方法を知つて居る。

(b)

6.  Terrified, I implored him not to risk his life.
    Mrs. Craik
    私は驚いて「どうぞ、そんなあぶない事はして呉れるな」と彼に嘆願した。

7. Horrified, we looked at one another by the light of the lamp.
    Mrs. Craik
    我々兩人はびつくりして街燈の光で互に顔見合せた。

8.  Asked his name, he had given it as George Clowbury, and had been detained.
    D. Donovan
    姓名を問はれると、彼はヂョーヂ・クロウベリと云ふ者だと答へ、而て拘禁せられた。

9.  Granted that Makaline has beauty, grace, purity, she is without fortune, connection, position.
    M. Clay
    マダラインは縹致は好し、上品であり、純潔であるとしたところで、財産もなく、立派な親戚もなく、地位もないのである。

10. Tired, I alighted and fastened my horse to something like a pointed stump of a tree which appeared above the snow.
    Baron Munchausen
    わしは疲れたから馬を下り、雪の上に出て居る尖つた木の株のやうなものに馬を繋いだ。

11. Foiled at all points, but still not able to rest, Miss Halcombe next determined to visit the asylum in which Ann Catharick was for the second time confined.
    W. Collins
    有らゆる點に於て失敗したが、猶ほ安んずる事が出來ないで、ミス・ハルカムは今度はアン・カサリックが再び幽閉されて居る癲狂院を訪ねることにした。

(c)

12. A Provencal by birth, he easily accustomed himself to all the dialects of the South.
    V. Hugo
    生れはプロヹンサル人であつたから、彼は容易に南部の言語に馴れる事が出來た。

13. A moralist of the highest order, defender of the rights of small nations, apostle of the suppression of slavery, propagator of the true faith, John does not allow any one else to have a hand in the protection of petty states; it is his privilege and his only.
    Max O'Rell
    ヂョンブルは最高の道徳家、小國民の權利擁護者、奴隷廢止の使徒、信仰の宣傳者であるから小邦の保護に他人の干渉を許さぬ、これ彼の特權である、彼のみの特權である。



Wednesday, July 1, 2020

「ジュリアン・グラント 道に迷う」

クロード・ホートンの Julian Grant Loses His Way (1933) を読んだ。主人公のジュリアンは、変人の父親に育てられ、俗世間から隔離されたハーミテイジ(「隠者のいおり」という意味)というお屋敷で成人になるまで育てられる。ところがロンドンで働くようになってすぐ、父が亡くなり、彼は莫大な遺産を受け継ぐことになる。今まで質素な暮らしをしていた人間が急に大金を手にすると生活習慣も性格も変わってしまうように、ジュリアンも途端に贅沢で我が儘な人間になる。彼は若く魅力のある男なのだが、その我が儘さゆえに、四人の女性を次々と破滅に追いやる。

しかしこの小説は単に主人公の女性遍歴を追っているだけではない。冒頭にある種の謎がおかれていて、読者はその謎の解明を期待しながら主人公の破壊的な愛の物語を読むことになる。

ホートンの小説はどれもこれも似通っている。主人公の生い立ちやら、行動パターンもそっくりだ。それはホートンがきわめて狭い範囲内で小説を書いていたということを意味するとわたしは思っていた。しかしこの小説を読みながら、ちがう解釈も可能ではないかと気がついた。

ホートンはよく、ある種の人間はいくつもの可能性を持っている、という。その人は芸術家としても成功するし、実業家としても成功しうる。一流の俳優にもなれれば、碩学にもなれる。単に才能豊かであるという言い方では片付かない、まったき他者になる可能性、それがある種の人にはあるというのだ。このモチーフがいちばん見事に表現されているのが、彼の代表作である「わが名はジョナサン・スクリブナー」だろう。

彼はAにもなれたし、Aとはまるきり正反対のBにも、Bとはまるで方向性のちがうCにもなれた。ホートンの小説は一作一作がその異なる可能性を描いているのではないだろうか。だとすれば、彼の小説世界は狭いけれども、彼の文学的キャリアは一貫した、ある思考の線に貫かれている、と言えるだろう。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...