Wednesday, July 29, 2020

オリヴィア・ド・ハヴィランド

オリヴィア・ド・ハヴィランドが先日亡くなった。ああ、とうとうこの時が来たかと胸に迫るものがあった。わたしは彼女の大ファンで、ほとんどの映画を見ている。彼女は1930年代、40年代のハリウッド女優の中で、演技力が抜群の女優だった。ただし彼女の演技力は、30年代、40年代のメロドラマ向きの演技力であって、それ以後の現代的な演技とは質が違っていた。だから「女相続人」を境に彼女の活躍がほぼぷつりと途切れたのはいたしかたのないところだった。

しかし彼女の隙のない、濃厚な演技力はメロドラマの中ではそのたぐいまれな効果をフルに発揮していた。彼女の代表作と言われる作品をどれでもいいから見たらいい。彼女の舞台演劇風の仕草、表情に圧倒されるだろう。しかも彼女は知的な女優であって、自分がどのような演技をし、どのような作品に向いているかと言うことをよく理解していた。だから監督がこんなストーリーはだめだとあきらめても、彼女は「いや、これでいいのだ」と監督を説得し、映画を作らせた。そして見事にその作品をヒットさせたのである。

彼女について忘れられないエピソードが二つある。一つは彼女が「女相続人」に出ることになったときのことだ。彼女は自分が演じるヒロインをどう演技すればいいのか、いまひとつ把握し切れていなかった。そこで恋人の家へ行き、彼の母親を観察した。恋人の母親は、ちょうど物語が繰り広げられる時代に生まれていたからである。そしてあるときふっとヒロインを演じるコツに気がついた。恋人の母親はいつも髪の毛をきつく引っ詰めにしていたのだが、そこにヒロインを演じる鍵があると彼女は直感したのだ。それを読んだとき、女優というのはこういうものかと、感服した。髪の毛はファッションとして時代をあらわすが、引っ詰め髪はさらにその時代の女の精神のあり方まであらわしていたのではないだろうか。それを感じ取ってド・ハヴィランドは自分の演技に生かした。彼女の知的さを感じさせるすばらしいエピソードだと思う。

もう一つは彼女と妹のジョーン・フォンテーヌとのエピソードだ。英語ではシブリング・ライバルリーというけれど、二人は烈しく対立した。オリヴィアは年上で、十代の頃から演劇や映画に出て一家の稼ぎ頭だった。(二人は東京で生まれたのだが、母親は浮気をする夫と別れて、娘二人とともにアメリカに移住する。)しかしフォンテーヌは彼女より先に結婚し、先に子供をつくり、先にアカデミー賞を取った。オリヴィアのプライドはずたずたである。それゆえ二人の仲はけっしてよくなかった。

しかしジョーンが夫婦関係で悩み、かつまた病気になったとき、オリヴィアは彼女を熱心に看護した。オリヴィアも夫婦関係で悩んでいたから、妹に同情したのかも知れない。そのとき彼女は妹の着替えを手伝い、ベッドに寝かしつけ、彼女を抱きかかえながら子守歌を歌ったのだ。どんな子守歌を? フォンテーヌが書いた No Bed of Roses という自伝本によると、その歌詞はつぎのようなものだった。

"Nen, nen, korori, okororiyo."

フォンテーヌは涙が止まらなかったそうだ。

英語読解のヒント(184)

184. no matter を使った譲歩 基本表現と解説 No matter how trifling the matter may be, don't leave it out. 「どれほど詰まらないことでも省かないでください」。no matter how ...