Thursday, February 25, 2021

ゲーム実況者のための英語 (1)

以前、YouTuber によるゲーム実況が初級の英語学習に役に立つという話をした。どれくらいわかりやすいか、いくつか実例を示してみたい。初回はオーストラリア人のジュリエットさんが Shadows of the Colossus を初見(blind)でプレイした動画から。ジュリエットさんはどんなときも穏やかに丁寧な言葉を話す、上品な女性である。発音もオーストラリアなまりが多少聞き取れるがわかりやすい。ゲーム実況を楽しみながら英語の聞き取りを鍛えたいなら、まずは彼女の動画にあたるべき。

18:13~18:57 の部分

What on earth!?

OK. I think we found our first buddy. What...on...earth1? That guy's huge2. That guy's huge. To switch weapons.... I have a bow or a sword. Ok. I am a tiny little man3. I am a tiny little man, and4 I have to kill this thing? I don't thik this is gonna5 work6.

最初のお友達が見つかったみたい。 なに、これ……。 あの人、とんでもなく大きいわ。 とんでもなく大きいわ。 (コントローラーの説明を読む)武器を換えるには……わたしは弓か、あるいは剣が使えるのね。 わたしはちっぽけな人間よ。 わたしはちっぽけな人間よ。それなのにこれを倒さなければならないの? うまくいくわけないわ。

1. What on earth 「なに、これ」は What is this? あるいは What is that? というが、それに強調を加えて「いったいぜんたいなに、これ」という場合は What on earth is this? あるいは What on earth is that? という。on earth は「地上で」という意味だが、この場合はたんに語勢を強めるだけの役割。似たような表現に What the hell is that? という言い方もある。the hell はもちろん「地獄」という意味だが、これも強調表現にすぎない。「地上で」を付加しようが「地獄」を付加しようが結局は「いったいなんなのよ、これ」という強意をともなう意味になる。ただし前者の方が上品な響きを持つ。いずれの表現も最初の三語 What on earth あるいは What the hell だけで、驚きを示す言葉として使える。ほかにも What in the world とか、What the fuck とか、What in the holy fuck とか、what のあとにさまざまな強調表現が用いられる。どの人も特定の表現を多用する傾向があるので、言いやすい句、気に入った句をひとつ覚えていつも使うようにするといい。What on earth の場合、earth の最初の曖昧母音をうまく発音できるとかっこよく聞こえる。 2. huge は big よりもはるかに大きい印象を与える。 3. a tiny little man tiny も little も小さいを意味する。同じような意味の言葉を重ねて小ささを強調するわけである。 4. and ここでは「にもかかわらず」という意味になる。前文と対照的な内容を導入する and である。yet とか and yet と同じ。 5. gonna は going to の省略形。 6. work は「うまくいく」という意味。I hope this will work. 「これで(こうすれば)うまくいくと思う」などと使う。

訳と註をつけてみたが、結構役に立つ教材になるのではないか。「驚き」「感動」「恐怖」「悲しみ」等々をあらわす感情表現や、「方向」「時間」「手順」などを示す表現など、うまくまとめることはできないかと思っている。

Monday, February 22, 2021

Little Nightmare II

最近ゲームの実況を見るようになった。新しい YouTuber が雨後の竹の子のようにあらわれ、また消えて行く分野である。なぜ見るようになったのかというと、実況者がしゃべるセンテンスが短く、かつ基本的な表現を多く含んでいるからである。そりゃそうだろう。ゲームの中では上に行く、ものを掴む、右に曲がる、中に入るなどといった人間の基本動作をコントローラーで行うのだから。また最近用いられる俗語が豊かにあらわれる。これを英語の教材に使えないか、と思ったのがきっかけである。

実際に教材もいくつか作ってみたのだが、そのうちゲーム自体の面白さにのめりこんでしまった。たとえば最近出た Little Nightmare II はラカンの理論の影響がよく見て取れる作品で、高等理論がポップカルチャーに(変形をともないつつ)吸収されていくいい実例である。

どこがラカンの理論なのか。あのゲームでは大勢の人がテレビに見入ってそこから動かない。テレビからは意味のない idiotic な音楽や笑い声が繰り返し流れてくるだけなのだが、彼らはあきもせずそれに聴き入っている。そのテレビをゲームの主人公がリモートコントロールで消してしまうと、全身で怒りをあらわし、あるいは別のテレビに向かって盲目的に突き進み、崩壊した壁から下へと落下してしまう。テレビというのは、彼らにとって命よりも大切なもの、彼らの存在を支える究極のものなのである。このような次元をラカンは享楽と名づけた。

わたしは学者ではないので享楽を正確に定義づけることはできないし、したくもないが、わたしなりに説明を加えるとしたらこんなふうになる。

享楽は快楽とはちがう。快楽は生を楽しむものだ。仕事が終わって自分へのご褒美にと、ケーキを買ったりするけれど、これは快楽である。享楽は快楽の次元をとことん突き進んだ先にある。突き進むとメビウスの帯の上を進むように、いつのまにか反転現象が起きる。快楽は快楽ではないもの、つまり苦痛へと転化する。しかしこの苦痛は「快楽―苦痛」という二項対立の「苦痛」ではなく、苦痛でありつつ「なおかつ」快楽のように人がそれに淫してしまうものなのだ。

たとえば恋する人に振られた男がなかなか思いを捨てきれずノイローゼになるケース。合理的にはさっさとその女のことは忘れて新しい女を捜せばいいのである。動物はそうするらしい。しかし人間は忘れることができず、いつまでもどんより澱んだ心持ちを持ち続ける場合がある。そんな心持ちが不快なことは男自身わかっているのだが、なかなかそこから抜け出せない。なぜ抜け出せないのか、逆に言えばなぜ男がその状態に固執するのかというと、じつはそのような状態から快楽を得ているからである。いわば黒い快楽とでもいったものがそこにあるのだ。これが享楽の次元である。この次元がフロイトのいう「死の欲動」と通底していることはなんとなくおわかりになるだろう。

スラヴォイ・ジジェクはこのような享楽がナショナリズムとかイデオロギーの根底に潜んでいることを示し、またポップカルチャーにあらわれた享楽の次元をさまざまな作品の例を挙げて教えてくれた。興味があるなら是非ジジェクを、とくに映画やジャンル小説を扱った彼の作品に目を通してほしい。

Little Nightmare II に見て取れるのはこのような享楽の次元である。このゲームで活躍する Mono は絶えずテレビの世界に引き込まれる。テレビの世界が他の多くの人々に取ってと同様、彼にとっての享楽の次元なのである。Six は Mono をテレビから幾度も引き戻しているが、これは享楽の次元に落ち込むことを防ごうとしているのだろう。一方 Six はオルゴールに固執する。その音が Six にとっての享楽の次元なのである。そして Mono はその次元を破壊し、Six を解放しようとする。

しかしながらこうした試みは失敗するにきまっている。なぜなら享楽の次元はけっしてなくならないからである。それどころか享楽は人間の核心の部分を形作っている。人間が人間であるということは、享楽の次元に浸されているということでもある。それゆえわれわれにとって問題なのは、この恐るべき次元を除去することではなく、いかに手なずけるかということなのである。ジジェクが啓蒙の伝統を強調するのは享楽に対抗するための手段となるからだ。わたしが日本において知的なものを軽視する風潮が見られると何度もこのブログで書くのも、享楽の次元にひきずりこまれるのを怖れるが故である。

Thursday, February 18, 2021

エリザベス・サンクセイ・ホールディング「悪魔の噂をすれば」(1941)

ミス・ピーターソンはハバナへ向かう船の上でフェルナンデスという男と出会う。フェルナンデスはリケサスという島にホテルを構えているビジネスマンだ。彼はミス・ピーターソンに惚れて結婚を申し込むのだが、断られる。あきらめきれない彼は、彼女に自分のホテルでホステスの役を務めてくれないかと頼む。ミス・ピーターソンは給料もいいし、フェルナンデスが気に入らないこともないので、その申し出を受ける。

ホテルのホステスというのは、客のお相手をし、裏方の仕事一般を監督するような役である。彼女は結構巧くこの仕事をこなしていくのだが、さっそくトラブルが発生した。シシリーという使用人の一人が、フェルナンデスの部屋で男を殺したと告白したのだ。しかしシシリーが本当に犯人なのか、疑問が生じた。なぜなら彼女が告白したその直後に、べつの二つの殺人が連続して起きたからである。

誰も彼もが正体を偽っていて、それが一つ一つ暴かれていく。いったい背後で何が起きているのだろうという興味が、最後まで読者を引っ張っていく。

本作はホールディングの作品としては珍しく異常な性格の持ち主が出てこない。強烈な異常性が磁場のように働いて、まわりの人々をまきこんでいくという恐怖、それがホールディングの特徴なのだが、この作品はちょっと毛色が違う。シシリーが多少、今の言葉で言う「メンヘラ」的なところを持っているが、彼女は端役にすぎない。本作はあくまでも「背後でいったい何が起きているのか」という謎を解き明かす物語であり、その過程でミス・ピーターソンが感じる不安や恐怖や疑心暗鬼を描いたものである。

同時にこの作品にはロマンチックな側面もある。物語の冒頭でミス・ピーターソンは、フェルナンデスの愛情表現の強引さに辟易し、かつまた彼の紳士的な抑制的態度に惹かれる。ホテルの経営者に対してアンビバレントな感情を抱くわけだ。この二重性が物語のなかでずっとつづく。事件が起きてからは彼が事件とどのように係わっているのか、つまり彼は悪者の側なのか、被害者の側なのかがわからず、ミス・ピーターソンは思い悩む。しかしこの複雑な事件がついに明らかになり、フェルナンデスの役割がはっきりとわかったとき、ミス・ピーターソンは彼を「立派な男だ」と認めることになる。この物語は強烈なサスペンスを放ちながらも、ロマンチック・ミステリとしての魅力も兼ね備えている。

Monday, February 15, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Das Suchen

 Ich suche1 nach2 meiner Pfeife. Wo mag3 sie4 nur5 stecken6? Sie ist nirgends7 zu8 finden. Ich muß sie aber9 unbedingt10 wieder haben, sonst11 kann ich nicht rauchen. Zigaretten12 habe ich keine13. Ich habe nur Pfeifentabak.

 So geht14 es, wenn man sich aufs Suchen verlegt15: man findet alles, nur nicht das16 wonach17 man sucht. Man findet eine alte Brille, die18 man nicht mehr braucht19: man findet eine alte Uhr, die nicht mehr geht20; man findet eine alte Banknote21, die nicht mehr gilt22 -- kurz23, man findet da alles, wonach man nicht sucht, nur nicht das, wonach man gerade24 sucht.

 Vielleicht25 ist es besser26, daß ich nicht mehr suche? Vielleicht kann ich meine Pfeife gerade deshalb27 nicht finden, weil ich danach28 suche? Vielleicht findet sie sich29 von selbst30, wenn ich nicht mehr an31 sie denke?

 In der Bibel heißt32 es zwar33: Suchet, so werdet ihr finden34. Das war35 so in der guten alten Zeit. Heutzutage36 müßte37 der38 Spruch so heißen39: Suchet, so werdet ihr nicht finden.

逐語訳:Ich 私は nach meiner Pfeife 私のパイプを suche 探す。Wo 何処に sie 彼女(パイプ)は nur いったい stecken 隠れている mag のだろう? Sie 彼女(パイプ)は nirgends 何処にも zu finden 見出すべく ist ない。aber しかし Ich 私は sie 彼女(パイプ)を unbedingt 絶対的に wieder ふたたび haben 持た muß ねばならぬ。sonst でないと ich 私は rauchen 煙草を吸う kann nicht ことができない。Zigaretten 巻煙草というやつは ich 私は habe keine 持たない。Ich 私は nur ただ Pfeifentabak パイプ煙草を habe 持つ(のみである)。
 man 吾人が sich 吾人自身を aufs Suchen (=auf das Suchen) 探索の上に verlegt 投ずる wenn と So geht es 斯くの如くそれは行く(こんな事になって来る):man findet alles 吾人は凡てを見出す、nur ただ wonach man sucht 吾人が探しているところの das その物は nicht 見出さない。Man 吾人は man 吾人が mehr もはや braucht 要し nicht ない die ところの eine alte Brille 古い眼鏡を findet 見出す。man 吾人は mehr もはや geht 動か nicht ない die ところの eine alte Uhr 古い時計を findet 見出す。man 吾人は mehr もはや gilt 通用し nicht ない die ところの eine alte Banknote 古紙幣を findet 見出す。――kurz 要するに man 吾人は da 其処に wonach man nicht sucht 吾人が探してもいないところの alles すべてを findet 見出す、nur ただ man 吾人が gerade ちょうと sucht 探しつつある wonach ところの das その物 nur だけは nicht (見出さない)。
 Vielleicht ひょっとすると ich 私が mehr もはや suche 探さ nicht ない daß ということ es そのことが ist besser より良いか? Vielleicht ひょっとすると ich 私は ich わたしが danach それを suche 探す weil から gerade ちょうど deshalb そのために meine Pfeife 私のパイプを finden 見出す kann nicht ことができない(のだろうか?)Vielleicht ひょっとすると ich 私が mehr もはや an sie 彼女(パイプ)のことを nicht denke 考えない wenn ならば sie 彼女(パイプ)は von selbst おのづから findet sich 見つかる(のだろうか?)
 In der Bibel 聖書の中には zwar なるほど heißt es (次の如く)言われている:Suchet 求めよ! so 然らば ihr 汝等は finden 見出す werden であろう(と)。Das それは in der guten alten Zeit 良き古き時代に於て so 左様で zwar あった。Heutzutage 現今では der Spruch 此の金言は so 斯く(次の如く) heißen 云われ müßte ねばなるまい:Suchet 求めよ。so 然らば ihr 汝等は finden 見出さ werdet nicht ざるべし。

:【1】suche: 不定形:suchen (探す)。発音に注意:ズッヘンではなく「ズーヘン」。
【2】nach: これは「……の後」、「……を追って」「……を求めて」の意の前置詞。「私は私のパイプを探す」ならば、単に Ich suche meine Pfeife でもよさそうなところを、わざわざ nach という前置詞を用いるのは、suchen という動詞の用法から来ています。即ち suchen は大抵 nach という前置詞と共に用いるのです。直訳して「私は私のパイプを求めて探す」といえばわかりましょう。nach は三格支配ゆえ meine Pfeife が三格の形になって meiner Pfeife となっています。
【3】mag (英:may):不定形 mögen、『……だろう』という、推測を意味する助詞。(ich mag, du magst, er mag, wir mögen, ihr mögt, sie mögen)
【4】sie: Pfeife が女性ゆえ、それを指すときには sie というわけ。英語なら it というところ。
【5】nur: これは「ただ」という助詞ですが、ここではその意ではなく、とにかく「いったい……なのかしら?」、「いったい……なのだろう?」と云ったような「不審る」意味の疑問文には nur を用いることが多いのです。つまり「いったい」「そもそも」等にあたります。例:Was hast du nur? (おまえはいったい何を持っているだ)Wo geht er nur him? (あの男はいったい何処へ行くんだろう?)
【6】stecken: 元来は「挟まっている」、「ささっている」ですが、なんでも目に見えない所にひそんでいることを stecken といいます。Was steckt in deiner Tasche? (おまえのポケットの中に何が這入っているんだい?)というわけです。
【7】nirgends (英:nowhere)『何処にも(……しない)』という否定詞。否定詞ですから、これを使えば、他に nicht を要せずして文章全体が否定になります。
【8】zu finden: これだけでは「見出すべく」ですが、前の ist と結びついて「見出すべくある」すなわち「見つかる」という意味になります。(英語では斯ういう時には受動形を用いて is not to be found (見出されるべくない)といいますが、ドイツ語は受動形を用いません。「それは期待すべくある」「それは期待できる」:Es ist zu hoffen (英:It is to be hoped)。「それは否定すべくない」「それは否定できない」:Es ist nicht zu leugnen (英:It is not to be denied
【9】aber: Aber ich muß sie......とおなじ。
【10】unbedingt: 元来は「無条件の」、「絶対的」という形容詞、または副詞。従って「何とあっても」、「何が何でも」、「是が非でも」の意になる。
【11】sonst: 「然らずんば」、「さなくんば」、「そうでなければ」(英:else, otherwise)即ち「見つけないと」という意になる。
【12】Zigaretten: eine Zigarette (シガレット)の複数。
【13】keine: この文は本当なら Ich habe keine Zigaretten となるところです。ところが、特に Zigaretten を強めて「シガレットなんてものは一つも持っていない」と云おうとすると、本文のような語順になります。
【14】So geht es: 正順では Es geht so. 『それが斯く行く』ですが、これはつまり『だいたい斯う云った調子だ』ということ。会話でも『どんな調子ですか?』は Wie geht es? (How do you do? How are you?) と云います。
【15】wenn man sich aufs Suchen verlegt: „sich verlegen“ は分解すると「自己を置き移す」、aufs Suchen は「探索の上へ」です。しかし、この sich auf......verlegen というのは熟語で「……に身を投ずる」すなわち、なんでも「急に気が向いて何かに熱中しはじめる」ことを云います。たとえば「あいつは何と思ったか急にドイツ語に凝り出した」は Er verlegt sich auf die deutsche Sprache です。Suchen は、suchen から作った名詞で、「物を探すこと」、「捜し物」です。aufs は auf das の略形。
【16】das: これは冠詞ではなく、「その物」の意。この語に特に力が這入りますから、「ダース」と長く発音すること。念を入れると dasjenige (ースイェーニゲ)ということもあります。
【17】wonach: 「探しつつあるところの」ならば単に was man sucht でもよさそうなわけですが、註2で述べた通り、suchen は nach と共に用いるので、was の代りに wonach (それを求めて)という関係代名詞が用いてあるのです。(was は前置詞と合する時には wo という形になります。)
【18】die: これは関係代名詞。(女性四格)
【19】braucht: brauchen (英:need)「……を必要とする」
【20】geht: 時計が動くことを gehen と云います。時計のみならず、何でも廻転していることを gehen というのです:Die Mühle geht 水車が動いている、der Fahrstuhl geht エレベーターは動いている。
【21】Banknote: 紙幣。――Bank, f. (銀行)、Note, f. (券)
【22】gilt: 不定形は gelten (通用する、有効である)
【23】kurz: 形容詞としては「短い」の意の語ですが、それが「短く」(言えば)の意に用いられ、遂に「簡単に云えば」という意の接続詞にも用いられるのです。
【24】gerade: 「ちょうど」(英:just, precisely
【25】vielleicht: 「多分」、「おそらく」(perhaps)の意から、「事によると……」「ひょっとすると……?」の意になります。(英:maybe)。発音は「フィール」のところを少し短く「フィル」と発音する方がよろしい。
【26】besser (英:better
【27】deshalb は weil と結びついて、「……なるが故に其の為めに」すなわち「……である故にこそ」、「……であるばっかりに」となります。それにおまけに gerade (ちょうど、正に)がついて、「……であると云う正に其の原因のために」、となっているわけです。
【28】danach: これは das (それ)という語と nach との結合した形。(was と nach との結合が wonach となるのと同じ関係)ここでは、やはり suchen という動詞が nach と共に用いられるから、「それを」の代りに danach (それを求めて)を用いたわけ。
【29】findet sich: 直訳すると「自分を見出す」であるが、意味は「見つかる」。こういう風に「自分を」という sich と結合した形の動詞を再帰動詞と云います。再帰動詞は大抵「見つける」が「見つかる」になるように、自動詞に変るものが多い。たとえば verbreiten は「ひろげる」、sich verbreiten は「ひろがる」;biegen は「曲げる」、sich biegen は「曲がる」;schließen は「閉める」、sich schließen は「閉まる」。
【30】von selbst: 「おのずと」、「自然に」
【31】an sie: suchen を nach と共に用いるように、denken (考える)も an と共に用います。(英:think of......)
【32】heißt: heißen には色々な意味がありますが、ここでは es heißt (……と云ってある、……と云う文句がある、……に曰く)という熟語と思ってよろしい。heißen には、つまり「……と云われる、……と云われている」という意味もあるわけです。また『Zigarette の複数は Zigaretten と云う』(Die Mehrzahl von Zigarette heißt Zigaretten) といったような時にも用いることは既に御存じでしょう。
【33】zwar: という語は『なるほど云々ではあるが、しかし……』という風に、仮に譲歩して或る事実を認めてかかる時の『なるほど』という日本語にあたります。だから、一度この zwar を用いると、その次には大抵 aber (しかし……)と来るのが普通です。本文の中にはそれは見えていませんが、入れるとすれば Heutzutage aber (現今では併し……)と補って考えてみるとわかりましょう。
【34】Suchet, so werdet ihr finden: これは聖書マタイ伝(7,7)の中の有名な文句『求めよ、さらば与えられん、尋ねよ、さらば見出さん、門を叩け、さらば開かれん』(Bittet, so wird euch gegeben: Suchet, so werdet ihr finden; klopfet an, so wird euch aufgetan)です。Suchet というのは命令形という形で「汝等」という意味で命ずる時には -et! または -t! の語尾をつけます。現代文でなら Sucht! でいいのですが、聖書では少し古い形が用いてあるので Suchet! となっているわけです。――werdet は werden (……するであろう)という助動詞。
【35】war: 英:was
【36】Heutzutage: 英の nowadays (現在では、当今の世では)、分解すると heute, zu, Tage の三語から成っています。
【37】müßte: これは muß (……せねばならぬ)と大体同じような意味の語ですが、『……せねばなるまい』という風に、やや婉曲に穏便に云う場合には muß よりも müßte の方を用いた方が適当です。文法的に云うと、müßte という形は müssen (……せねばならぬ)という助動詞の「接続法」という形です。
【38】der Spruch: 「此の金言は」ですから dieser Spruch と云いそうなところですが定冠詞が用いてあるところに御注意。定冠詞を用いる場合でも最も多いのが、dieser と同意の『此の』という用法です。
【39】heißen: 『……という文句である』という時に用いる heißen です。こういう場合には他になお lauten という動詞も用います。

意訳:私は私のパイプを探している。いったい何処へまぎれこんでしまったんだろう?何処を探しても見つからない。ところが、どうしても探し出さないと困るんだ。出てこないと煙草を吸うわけに行かないのだ。巻煙草というやつは御相憎なんでね。パイプタバコしか無いんだ。
 いったいどうも、物を探しはじめると必ずこういうことになって来る。ありとあらゆる物が出て来るが、探している物だけは絶対に出て来ない。もう用のなくなった眼鏡が出て来る。動かなくなった時計が出て来る。もう通用していない札が出て来る。要するに、探してもいない有りと有らゆるものが全部出て来る。たた、今ちょうど探している物だけは絶対に出て来ない。
 ことによると、むしろ探さない方が好いのじゃないかしら?パイプパイプと云って探すもんだから、それで出て来ないんじゃないかしら?むしろしばらく考えないでいた方が、ひょっこりひとりでに出て来るのじゃないかしら?聖書にはなるほど『尋ねよ、さらば見出さん』と云ってある。大昔はまあ、そうだったのかも知れない。しかし当今の世では、此の文句はむしろ『尋ねよ、さらば見出さざらん』と云った方が本当じゃないだろうか。

Friday, February 12, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 140-142)


範例

(a) I breathed again; my blood resumed its flow.

私は胸撫で下した、血液も循環を始めた。

(b) The three looking into one another's faces, seemed to breathe more freely.

三人顔見合せてやつと安心したらしかつた。


解説

(a) To breathe again.

(b) To breathe freely.

(a) 再び息す。

(b) 安らかに息す。

    =To recover from anxiety, excitement, etc.

    =To be relieved in mind.

    =To be in one's element.

    =To be at ease.

    重荷を卸しゝ心地す。

  蘇生の思を爲す。

  ほつと一息す。

  胸撫で下す。

  安樂になる。

  寛ぐ。


用例

(a)

1.  Denis breathed again.

    R. L. Stevenson

    デニスはほっと息をした。


2.  Marius breathed again, for she was saved.

    V. Hugo

    彼女が助かったからマリアスはほつと一息した。


3.  The crowd breathed again, as they saw him saved at the last moment.

    V. Hugo

    最後に彼の助かったのを見て群衆はほつと息をついた。


4.  And then it moved out into the white lane of moonlight, and I breathed once more.

    C. Doyle

    それからそれは白い月光の照して居る道へ出たので私はほつと一と息した。


5.  The second and the third day passed, and still my tormentor came not.  Once again I breathed as a free man.

    E. A. Poe

    二日目も過ぎ、三日目も過ぎたが猶ほ私を苦しめるものは來なかつた。で、私は自由の人間のやうにほつと息をついた。


6.  At length the convict raised his eyes to heaven and advanced a step. The crowd breathed again, as they saw him run along the yard.

    終に罪人は天の方に眼を擧げ一歩進んだ、群衆は彼が帆桁に沿うて走るのを見た時にほつと息を吐いた。


(b)

7.  His attentive face brightened and relaxed: he seemed to breathe more freely.

    彼の注意深い顔は輝きで和らぎ、前よりも安心したらしく見えた。


8.  When the party is complete, she disappears from the side of her hostess, who begins to breathe more freely.

    Max O'Rell

    客が揃ふと彼の女は主婦の側を退いて了ふ。すると主婦は重荷を下ろした心地がする。


9.  "We are safe now, messieurs!" exclaimed Pierre at last; and we all, in one sense, began to breathe more freely, although the feeling of suffocation from the smoke was trying in the extreme.

    W. H. G. Kingston

    「旦那方、もう大丈夫です」とペアルは終に叫んだ、而て一つの意味に於ては我々は皆安らかに息をしはじめた、煙の爲に息が詰るやうな氣がして實に堪へられなかつたけれども。


10. For some time he appeared doubtful whether he ought to be relieved or disappointed by the intelligence; but at length he breathed more freely; and withdrawing his eyes, observed that it was no great matter.

    C. Dickens

    彼はこの事を聞いて暫くは安心してよいか失望してよいか分らぬやうであつた。併しやつと安心の胸を撫で下し、それから眼を他に轉じて「別に大事件でもありません」と云つた。


11. At Madeleine's voice she turned, and from this moment, without uttering a word, without even daring to breathe freely, her eyes wandered from Madeleine to Javert and from Javert to Madeleine, according as each spoke.

    V. Hugo

    マデラインの聲を聞いて彼女は振り向いた。この時から一言も云はず、息もしないでマデラインが何か云へばマデラインの顔、ジヤヴェールが何か云へばジヤヴェールの顔と云ふやうに、二人の顔を見較べて居た。

Monday, February 8, 2021

ドイツのパブリックドメイン

ドイツの著作権は著者の死後七十年で切れる。今年の場合、1950年に亡くなった作家の著作はみな著作権切れとなる。その中でもっとも大物と言えばハインリッヒ・マンだろう。云わずと知れたトマス・マンの兄である。弟ほど有名ではないが、映画ファンなら「嘆きの天使」の原作が彼の「ウンラート教授」であることを知っているかもしれない。

もう一人有名なのはアルマ・カーリン。スロベニア人のジャーナリストであり、作家であり、詩人であり、かつ神智学者だ。彼女は単独で世界一周をした二人目の女性である。

三人目は、わたしは読んだことがないが、エルンスト・ヴィーヒェルトという人。ヒューマニズム豊かな作品を書いた、三十年代の人気作家だという。

しかしわたしが注目したのはアルノ・アレクサンダーという作家。彼は犯罪小説を書いているようで、先月一月にプロジェクト・グーテンベルグ(ドイツ)から三冊の本が出された。そのうちの一冊の表紙はこんな感じ。

 


パルプっぽくていいではないですか。わたしは Wang Ho というタイトルの小説を読んでみようかと思っている。出だしが気に入ったのだ。

Der Fernsprecher klingelte. Einmal, und noch einmal. Und dann immer wieder - lange und unaufhörlich.

Mit einem Satz sprang Inspektor Muratow aus dem Bett. Was mochte das bedeuten? Dieser Anruf mitten in der Nacht? Das konnte doch nur die Polizei sein! Nur dort war seine zweite Rufnummer bekannt. Den anderen Apparat hatte Muratow, wie er sich genau entsinnen konnte, wie immer am Abend vor dem Schlafengehen, abgestellt.

引用でもわかるように、短文を重ねるタイプの文章で読みやすい。最初の章をちらっと読んでみた。真夜中にムラトフという刑事が電話にたたき起こされる。受話器を取ると匿名の男が、ムラトフの親友の刑事の家に来いと言う。胸騒ぎのしたムラトフが外に出ると、なんと都合よくタクシーが待っていて、ムラトフが行き先を告げると、「知っていますぜ」と返事をしたので彼は仰天する。親友の家に着いて中に入ると、なんと親友は死んでいた。さらにそこには彼と同じように電話を受けたという殺人捜査課の刑事たちが次々とあらわれる。彼らも電話を受け、家を出るとタクシーが外で待っていて、それに乗ってきたという。どうやら殺人犯が犯行後に電話やらタクシーの手配をしたらしい。いったいなぜそんなことをしたのか? ミステリファンの心をがっちりつかむ出だしで、しかもパルプらしいチープさもある。楽しみな作品・作家だ。

Saturday, February 6, 2021

カール・ヴァン・ヴェクテン「スパイダー・ボーイ」(1928)

 アンブローズ・ビーコンは無欲で素朴で内向的な劇作家である。それなりの評価とそれなりの収入を得ている作家で、そのお金で静かに、人知れず暮らしていくことを望んでいた。しかし彼の書いたある作品がブロードウエイで大ヒットし、たちまち彼は時の人となる。インタビューを受け、新聞の取材を受け、写真を撮られ、レビューを書かれ……。そんな大騒動から逃げ出すように彼はニューメキシコへこっそり旅に出る。そこにいる友達を訪ねようと思って。

ところが列車の中で彼は偶然今をときめくハリウッド女優インペリア・スターリング(とんでもない名前である)にばたりと出会い、彼女から「私が主演する映画のシナリオを書け」と言われる。そしてニューメキシコではなく、カリフォルニアに連れて行かれてしまうのだ。そこで彼は映画産業の狂態ぶりを目の当たりにする。それだけではない。映画関係者は時の人であるビーコンに脚本を書かせるため、彼を監禁しようとするのである。

これには羊のようにおとなしいビーコンもかっとなり、即座に窓から脱出、予定通りニューメキシコの友達の家へ行く。しかし……なんということだろう、インぺリア・スターリングは彼を警察に逮捕させ、ハリウッドに引き戻そうとするのである。

ハリウッドの異常さを描いた作品はたくさんある。私が訳した「黒に賭ければ赤が」もそうだし、ナサニエル・ウエストの「イナゴの日」やゴア・ヴィダルの「マイラ・ブレッケンリッジ」などいずれも名作だ。ヴェクテンの本作も快作といっていいだろう。十分に面白いし、文章もいい。上等な喜劇になっている。

主人公のビーコンが田舎者みたいに不器用で、ノーが言えず、周囲に振り回される人間と設定されているところがこの作品のミソである。そのせいで映画業界の異常さがいっそう際立つという仕掛けになっている。

しかし異常というものは正常な状態を反省するいい機会を与えてくれる。コロナ禍にあるわれわれは、それ以前の「正常と見なされていた事態」がいかに珍妙奇怪なものであったかを見せつけられている。あるいはもっと学問的な例を出せば、フロイトが精神異常を調べたのは、まさにそれによって「正常」なるものの本質が解き明かされると考えたからである。本書にもそうした瞬間がいくつかある。たとえばこんな一節。「きみは格(class)と呼ばれる商品を知っているか。……表面はどんなにシニカルな人間でも格ってものにたいしては弱いものだ。人は格を見てもそれとは理解しない。だから教えてやらなければならないんだ。しかしいったん人間がそれを信じると、そいつの前に跪いて崇拝するようになるんだな」これはハリウッド人士の狂気じみた振る舞いを説明している言葉なのだが、そっくり我々の普段の生活にもあてはまる。格というのはオーラといってもいい。ある商品を所持することは、あなたの格をあげることなのだ、とコマーシャルは叫び、プラダのバッグの前にみんなが拝跪する。二十年代のハリウッドはその狂気の中に資本主義の未来の姿(われわれの姿)を示していたのである。


Wednesday, February 3, 2021

E. C. R. ロラック「火事」(1946)

事件はイギリスのデボン州の田舎で起きる。第二次世界大戦中のことで、この頃はまだ都会と田舎の差が大きかった。デボンの住民は昔ながらの泥臭い生活を送り、都会の人間や都会的なものに対して猜疑心や嫌悪感を抱いていた。

セント・サイレスも伝統的な生活を愛する老人だった。畑をたがやし、ほぼ自給自足の生活を送っている。彼の家のはなれには庭付きの小さな小屋があった。彼は友人の紹介でやってきたニコラス・ボーンという若い男にその小屋を貸すことになる。

ニコラスは頑強な体の持ち主で、田舎暮らしが大好きだ。農業の知識もある。毎日黙々と働いて、小屋の中や周囲の庭を整備していく。セント・サイレス老人もニコラスが来たことを喜ぶ。

ニコラスが借りた小屋をもう一人の人物が借りようと思っていた。それがトミー・グレッシンガムという都会者とその友人たちである。彼らは小屋をあくまで「物件」とみなし、売り買いをして儲けを得ようと考える。つまり、土地と家屋と人々の生活が有機的に一体化した伝統的生活が、資本主義的な分断や断片化の危機にさらされている状況を本書は描いている。

このような対立的状況においてニコラスの小屋は火事で焼け落ち、ニコラス自身も焼死するのだ。小屋の内装に使う可燃性の薬品に火がつき、寝ていた彼は逃げ遅れたのだと考えられた。

しかしセント・サイラス老人に彼を紹介した友人は、ニコラスは性格的に可燃物を小屋に置くような不用心な男ではないと主張し、スコットランドヤードのマクドナルド警部に調査を依頼する。

マクドナルド警部はまず地元警察の事故による火事という見立てを否定する。ニコラスの性格、暮らしぶり、過去を知れば知るほど、うっかり火事を起こすようなずぼらさがまったくない人間だとわかったからである。地元の警察は、ニコラスが住んでいたような茅葺きの小屋の火事は見慣れていて、「いつもの火事」と片づけてしまうのだが、そうした地元の人々の判断から一歩離れて客観的に事件を見るのがマクドナルド警部のすぐれたところである。

彼はまたじつに論理的であり、しかも事実を丁寧に追っていく。容疑者と接するときも相手の気持ちをおもんばかる、じつに立派な態度を示すし、相手が議論をしかけてきたときは、堂々とそれを上回る議論で切り返す。名探偵の多くはよく奇矯な癖を持っていたりするが、マクドナルド警部は徹底して礼儀正しい。

わたしは本編がさほど優れた作品とは思わないけど(都会と田舎の対立の構図が最初のうちは強調されているのに、それが途中から雲散霧消してしまうのだ。また、都会育ちのジューンが義父であるセント・サイレスと対立して強い印象を残すが、それは最初の一章だけで、その後ジューンは伝聞の形でしか物語にはあらわれない。物語の焦点が定まっていないという感じがする)、ただ戦時中の疎開の様子がよくわかる、貴重な資料にはなっている。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...