Tuesday, September 20, 2022

パット・フランク「禍なるかな、バビロン」

パット・フランクのこの小説は日本ではなぜか翻訳が出ていないが、デイヴィッド・プリングルがSF小説百選のリストにも入れた名作である。

まず時代は1959年。場所はフロリダのフォート・リポーズという小さな町だ。主な登場人物は、フォート・リポーズに住むランディ・ブラグという三十代の男と、空軍士官であるその兄マーク・ブラグになるだろう。メイン・ストーリーは、マークからランディのもとに電報が届くところからはじまる。その電報には、自分の家族をフォート・リポーズに送るのでよろしく面倒を見てくれと書いてあり、一番最後に「禍なるかな、バビロン」と記してあった。この「禍なるかな、バビロン」は「ヨハネの黙示録」から来ている言葉で、兄弟のあいだでは核戦争の開始を意味していた。

当時アメリカとソ連は中東と地中海地域をめぐって緊張が高まっていた。具体的に言うと、ソ連はエジプト、シリア、イラクを使ってトルコを脅していた。ボスポラス海峡を軍事利用するためである。それに対してアメリカはレバノンに基地を構え、トルコやイスラエルといった同盟国に支援をしていた。

スプートニクを飛ばしたソ連はアメリカよりも軍事力において一歩上を行っていたが、三四年もすればアメリカもソ連に追い付くと考えられていた。しかしソ連は自国の優位を保とうと、アメリカとNATO の軍事施設に核による先制攻撃を加えようとしていることがわかった。ソ連は先制攻撃により反撃を最小限に抑えようと考えていたというから、今、敵基地攻撃能力を議論している日本とおなじようなものだろう。それでも NATO の反撃を完全には防げず、二千万から三千万の人が死ぬことはいたしかたないとソ連は考えていた。(日本はどれだけの死者数を想定しているのか)

この小説が面白いのは、戦争が起きるきっかけが、「間違い」であるという点だ。地中海を航行中のアメリカの艦隊が、敵機に追跡されていることに気づく。アメリカは迎撃のために戦闘機を一機出すのだが、若いパイロットはシリアにあるソ連の潜水艦基地を「誤って」爆撃してしまうのだ。ソ連は翌日アメリカとその同盟国に全面核攻撃をする。アメリカも報復攻撃。フォート・リポーズにいたランディとマークの家族は近くの軍事基地に落ちた爆弾の衝撃に目を覚ます。

そのあとは大混乱が生じる。観光客はホテルに閉じ込められ、通信網はずたずた。脱獄が発生し、取り付け騒ぎの結果、貨幣は価値を失う。病気治療をしていた人々は停電のために命を失い、遺体は墓地ではなく、家の近くに埋められる。遺体を墓地へ運ぶ車のガソリンがないのだ。食糧不足のため人々はやせ細り、強盗団があらわれ、自警団が結成される。

アメリカの大都市は壊滅状態に陥り、核に汚染された地域が広がったが、ソ連もアメリカの攻撃で指導者を失う。西ヨーロッパも大きな被害を受けた。しかし戦争はそれでも止まず、アメリカの空軍とソ連の原子力潜水艦による攻撃が何ヶ月も続いた。

陸軍予備役将校であったランディは大統領からフロリダ地区の非常事態に対処することを命じられる。彼は自警団を作り、放射能に汚染されたマイアミから持ち込まれる貴金属類を押収し、食糧や塩の確保に大車輪の働きを見せる。

終局的にはこの戦争はアメリカの勝利に終わるのだが、大量の死者(国内の生存者は四千五百万人だけ)を出し、インフラは破壊されつくし、自然の資源を失った。政府は軍事用に大量にストックしてあったウラニウムとプルトニウムを使って発電をしようとまで考える。アメリカはいわゆる第三世界から食糧や燃料や医療の援助を受け、アメリカとソ連に代わって「三大強国」(作中に名前は挙げられていない)が世界をリードするようになる。

以上がだいたいの話の筋である。冷戦時に書かれたという古さはあるけれども、日本はその冷戦時に周回遅れで戻りつつあるので、結構面白く読めた。ランディは兄からの知らせで戦争が起こることを知り、いろいろな準備をはじめる。食糧も水も貯めておかねばならない、ロウソクやランプも必要だ、その燃料も、車のガソリンも、薬だっている。第一に、現金がなければならない。それも一週間程度の短期間でなく、数カ月にわたる備えが必要だ。この日常的で、具体的な描写がなかなかいい。戦争が起きてからの庶民の生活ぶりは、日本でもパニックが生じた時に起きることとまったくおなじで、ひどくリアルだ。(みんなトイレットペーパーを買いに走り、店から品物がなくなり、ガソリンスタンドもなにもかもあっという間に休業状態に陥る)

が、いちばん興味深かったのは、戦争が「誤爆」から始まったという点だ。緊張関係が高まれば、「誤り」が発生する確率はぐんと高くなる。戦争への備えとは、戦争を抑止するどころか、機械の故障や不具合、人間のミスによって突然全面破壊へと向かう、想像以上に貧弱なものなのである。


追記

セオドア・ルーズベルトの The Strenuous Life を読んでいたらこんな一節にぶつかった。メモ代わりに書きつけて置く。

It ought to be no less unnecessary to say that any man who tries to solve the great problems that confront us by an appeal to anger and passion, to ignorance and folly, to malice and envy, is not, and never can be, aught but an enemy of the very people he professes to befriend. In the words of Lowell, it is far safer to adopt “All men up” than “Some men down” for a motto. Speaking broadly, we can not in the long run benefit one man by the downfall of another. Our energies, as a rule, can be employed to much better advantage in uplifting some than in pulling down others. Of course there must sometimes be pulling down, too. We have no business to blink evils, and where it is necessary that the knife should be used, let it be used unsparingly, but let it be used intelligently. When there is need of a drastic remedy, apply it, but do not apply it in the mere spirit of hate. Normally, a pound of construction is worth a ton of destruction.

アメリカがいい国とは思わないけれど、ちゃんと考えている。文学者も哲学者も政治家も考えている。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...