Friday, August 28, 2020

基準独文和訳法

 権田保之助著

有朋堂発行

「基準独文和訳法」より


問題14(p. 53)


Wenn wir heute die „ökonomistische Betrachtung" der Geschichte, nachdem sie uns ein Menschenalter hindurch Dienste geleistet hat, verabschieden, so entlassen wir sie mit den Gefühlen, mit denen man einen alten, treuen Dienstboten aufs Altenteil setzt, nicht weil er nichts taugt, sondern nur weil er alt geworden ist und nichts Rechtes mehr leistet. Den man auch weiter noch in Ehren hält. 


研究事項

1)die ökonomistische Betrachtung der Geschichte の訳は?

2)ein Menschenalter hindurch の句の意味?

3)jm Dienste leisten といふ熟語の意味は?

4)jn aufs Altenteil setzen ,,  ?

5)nichts Rechtes mehr leisten ,,  ?

6)jn in Ehren halten ,,  ?

7)此処の wenn..., so は如何に訳すべきか?

8)mit denen man...mehr leistet の文章を説明せよ。

9)最後の文の Den は何を指示するか?


解釈要項

1)die ökonomistische Betrachtung der Geschichte は直訳すると「歴史の経済主義的観察」であるが、意訳して「唯物史観」とする。

2)ein Menschenalter hindurch は「人間一生涯を通じて」「一世代を通じて」である。ein Menschenalter は eine Generation と同一であつて、約三十年(これを「一世紀」だの、「五十年」だのと訳しては誤である)。

3)jm Dienste leisten は「或人に奉仕する」。

4)jn aufs Altenteil setzen は「隠退させる」。

5)nichts Rechtes mehr leisten は「最早碌なことが出來ない」。

6)jn in Ehren halten は「或人を尊敬する」。

7)此処の wenn..., so は「…なのであるから」といふ軽い意味の原因文章に解すべきである。

8)mit denen man...mehr leistet は Gefühle の Attributivsatz であるが、其の中に含まれている nicht weil..., sondern weil... の対句的副文章は aufs Altenteil setzt にかゝる原因文章である。

9)Den は einen alten, truen Dienstboten を指示する。


訳文

唯物史観が一世代の長い吾人の用役に服し來りし暁、今日にして吾人が之を捨つるものなるが故に、宛かも人が忠実なる一老僕を、それが無能為すなきが為めに非ず唯だ年老いて最早碌なことを為し得ずなりしが故にのみ、隠退せしむる時の如き感情もて、吾人はそれを去らしむるのである。斯くても尚ほその老僕は、人これに依然として尊敬を払ふのである。


Tuesday, August 25, 2020

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 115-117)


範例

He has no clothes to his back.

彼には背部を蔽ふ可き衣服なし。

彼には身體を蔽ふ可き衣服なし。

彼には着す可き衣服なし。


解説

Back = the (whole) body

背部 = (全)身體


背部は衣服を着くる時、充分に蔽はるゝ處なるを以て修辭學上の Synecdoche (提喩)として身體の意に用ひらる。


用例


1.  I bought you a dozen of shirts to your back.

    Shakespeare

    余は汝の着用す可き一打のシヤツを購へり。


2.  Without clothing to his back or shoes to his feet.

    R. Dana

    着る可き衣も無く、穿く可き靴も無し。


3.  There, if people can take the coat off your back they can't off mine.

    J. R. Sims

    さあ、御覧なさい、お前さんの上衣を脱がせる事は出來ても私の服を脱がせる事は出來ません。


4.  William the Conqueror had neither a shirt to his back nor a pane of glass to his windows.

    S. Smiles

    ヰリヤム勝王は體を蔽ふ可き衣も無く窓に箝む可きガラス板も持たざりき。


5.  When discovered, the messenger was immediately to seize him, take his shirt off his back, and bring it to the caliph.

    S. Smiles

   發見した時には使者は直に彼を捕へ、シヤツを剥ぎ取り、之を國王の所へ持て來る事になつて居た。


6.  But when the ambassador proceeded to seize him, and undress him, he found that the Irishman had no shirt to his back!

    S. Smiles

    併し使者が彼を捕へ服を脱がせようとすると愛蘭人はシヤツは着て居なかつた。


Friday, August 21, 2020

E.C.R. ロラック「つくられた偶然」(1950)

テンプルディーン・プレイスは英国コッツウォルド・ヒルズにある貴族的な大邸宅だ。そこにはヴィクトリア朝的な伝統がいまだに保持され、ヴァンステッド一族と使用人たちが幸せに暮らしている。そこの主人であるチャールズ・ヴァンステッドが重篤な病にかかり、手術を受けたため、オーストラリアから相続人である彼の息子ジェラルドが一家を伴って見舞いにやってくる。


このジェラルド一家はジェラルド本人も妻のメリエルも息子のアランもじつにいやな性格をしており、テンプルディーンのしきたりになじむこともできなければ、使用人たちからも嫌われていた。さらに問題なのは、もしもチャールズが死に、ジェラルドが邸宅を含む財産を相続したなら、彼はすべてを売り払って、そこに住むジェラルドの妹ジュディスも叔父もチャールズの秘書も使用人も、みんな邸宅から追い出されてしまうことだ。


するとどうだろう、ある日ジェラルドとその妻メリエルは交通事故で死んでしまったのである。ジェラルドは無謀運転を繰り返していたから、まわりの人々はこの事故を起こるべくして起こった事故だと考えた。


ところが一人残された息子アランも毒を含んだ苺を食べて死んでしまうのだ。彼の両親が交通事故で死んだときも、もしかするとこれは殺人かもしれないと考えた地元の警察は、アランの死によってその疑いをさらに強くする。そしてスコットランドヤードの刑事マクドナルドが事件の解明にかけつける。


この物語は二つの点で興味深かった。一つはテンプルディーン・プレイスの古式ゆかしい貴族的雰囲気である。ほかの古い邸宅は、みな博物館のような雰囲気を漂わせているが、テンプルディーンだけはいまもヴィクトリア朝が時間を越えてそのまま残っているような感じなのだ。これに対しては作中人物(エリザベスとかシスター・テンプル)も驚いている。たんに見た目が過去とそっくりというのではない。家も庭も農地も見事に管理され、まさにヴィクトリア朝の理想的貴族的生活を営んでいるのだ。第二次世界大戦後の世界にこんな場所が存在しうるのだろうか。(ちなみにジェラルドとメリエルは、日本軍に占領されたマレーで過酷な収容所生活を送った)


あるはずのないものが存在しているという、不可解な存在の様式は、屋敷の主チャールズについても言える。彼は十九世紀に巨大な富をつくった実業家である。しかし今は老衰し、死を待つばかりだ。ほんとうは彼自身、周囲に迷惑を掛けずにさっさと死んでしまいたいと思っている。しかし周囲の人々は、高齢の彼に手術を受けさせ、たった一年か二年だけだが、寿命を延ばそうとする。もちろん邸がジェラルドに渡るのを少しでも先延ばしするためだ。チャールズは事実上死んでいるのだが、周囲の人々が彼を死なせようとしないのである。生きているのでもなければ、死んでいるのでもないこの邸の主の状態は、ヴィクトリア朝的理想がもはやありえないのに、しかし無理やりあらしめられている状況とパラレルな関係にある。


本来存在していないはずのものが存在しているという歪み、捻れが本書の事件を産む背景を構成している。存在し得ないものが存在しようとすればそこに無理が生じる。その無理が犯罪という形を取るのである。


もう一つ面白いのは探偵の立ち位置である。事件が解決したあと、邸の農場を切り盛りしているバートンがマクドナルド警部とこんなやりとりをする。


 「……そのころには偶然の事故という説が破綻したことにみんなが気づいた。わたしは彼らをあまり丁重には扱わなかったからね」

 「そこがあなたと地元警察との大きな違いだ」とバートンが言った。「ヤングやブラウン(いずれも地元警察の刑事)は彼らがその中で育てられた信念を越え出ることができない。ヴァンステッドみたいな一族には慎重に接しなければならないという考えから脱却できない。しかもジュディスは天使だというみんなの意見を鵜呑みにしていた」

 「だからこそわたしみたいなアウトサイダーがしばしば有用になるのさ」とマクドナルドは同意した。「偏見や思い込みにとらわれないから……」


 コッツウォルド・ヒルズの事件を解決するには、そこの共同体を支配するある種の捻れから自由でなければならない。捻れに囚われている者には真相が見えない。マクドナルド警部がゆがんだ空間の内部において論理を貫き通し、内部の人間の盲点や思考の捻れを指摘する場面は非常に迫力がある。ロラックの小説においてはマクドナルド警部の外部性がよく強調されるけれど、彼女は推理小説の本質的な問題点についてよく考えていた作家なのだと思う。


Tuesday, August 18, 2020

ジョン・ウィラード「猫とカナリア」(1922)

 サイラス・ウエストは変人だった。彼は死んでから二十年後に遺言を開封させ、遺産の配分をあきらかにしたのである。


さてその二十年後がやってきた。弁護士と相続人の資格のある人々が、サイラスの屋敷、幽霊が住むと言われる気味の悪い家に集まる。


遺言書には、相続人資格者のなかで、「ウエスト」の名を持つ者、しかも正気と認められる者に、すべての財産が渡されるとあった。ウエストの名を持つのは若く美しいアナベル・ウエストのみ。彼女が巨大な財産を受け継いだ。


すでに帰りの汽車もないため、弁護士と相続人たちはサイラスの屋敷に泊まるのだが、そこで奇怪な事件がいくつも起きる。不気味な鐘が鳴り、精神病院から逃げ出した男が屋敷に入り込み、弁護士はアナベルがちょっと目をはなした隙に姿を消す。そして数時間後に彼は死体となって発見されるのだ。いったい屋敷ではなにが起きているのか。


こんなふうに書くとホラーのようだが、読んでみると会話や登場人物の奇矯な性格が面白くて半分はコメディーのように感じられる。「この屋敷には幽霊がいるのですぞ」と目をむいて言う召使いのマミー、「そうなんだけど、でもその一方で……」というのが口癖のポール、アナベルをめぐっていがみ合うハリーとチャールズ、怯えているくせに空元気を出して振る舞うアナベル、いずれも生き生きと描かれていて楽しい。


ただこの作品は観客を楽しませようとするあまり、余計にどたばたを描きすぎてしまった感じがあり、そこが不満ではある。

Wednesday, August 12, 2020

2020年チャンピオン・カーニヴァル

 全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルが九月から開催されることになった。きっとスポンサーががんばってくれたのだろう。全日本プロレスだけでなく、ファンからも感謝申し上げたい。


出場人数は少ない。所属の選手と、準所属選手が十名、二ブロックに別れてリーグ戦を展開する。無能な政府のせいでコロナの感染が拡大しているため、他団体から選手を呼びにくいというのは仕方がないだろう。


しかしメンツの豪華さはなくても、全日本プロレスのコア・メンバーによる、全日本プロレスの神髄を見せる、いいチャンスではないか。超ヘビー級がそろった全日本はぶつかりあう肉体の音も、ぜいぜいとあえぐ息の音も、使われる技も、他の団体とはひと味違う。技の重みや怪力ぶりもレベルが違う。そういう違いを際立たせることができるなら少ないメンバーでも充分見応えのあるリーグ戦となるだろう。


芦野と羆嵐には大いに期待する。芦野の強烈なアンクルホールドは本気の全日勢からタップを奪えるのか。そしてあの岡林祐二とシングルでほぼ互角に戦った羆嵐はジェイクやゼウスや諏訪魔とどこまで勝負できるのか。イケメン二郎も面白い存在だ。実力者というよりもムードメイカーのおもむきが強いが、勝ち負けにこだわったときの彼も見てみたい。


優勝予想はゼウスである。


Monday, August 10, 2020

基準独文和訳法

 権田保之助著

有朋堂発行

「基準独文和訳法」より


問題13(p. 52)


Die Kunst der Primitiven ist in Wahrheit nicht primitiv -- der Mensch der Zeit lebt primitiv, seine Wirtschaftsform ist primitiv -- seine Kunst ist der reinste Ausdruck seiner Welt, die nie primitiv, sondern nur anders geschaut, unter anderen Formen erlebt ist. Die Kunst hebt sich noch nicht ab von übrigen geistigen Dingen, sie ist verbunden, verwoben mit tausend Fäden dem Leben, ist das Leben des Primitiven selbst. 


研究事項

1)die Kunst der Primitiven の der Primitiven の意味は?

2)in Wahrheit の句の意は?

3)Wirtschaftsform の訳は?

4)die nie primitiv, sondern...erlebt ist といふ副文章の性質と意味は如何?

5)sich von etw abheben の熟語の意味は?

6)sie ist verbunden, verwoben...dem Leben の verbunden, verwoben は如何なる表現か?

7)最後の selbst は何の強力代名詞か?


解釈要項

1)der Primitive 「原始人」の複数二格である。故に「原始人の芸術」。

2)in Wahrheit は「実際は」「まことは」。

3)Wirtschaftsform は「経済形態」。

4)die nie primitiv, sondern...erlebt ist は seine Welt の Attributivsatz であつて、die nie primitiv ist, sondern nur anders geschaut ist, unter anderen Formen erlebt ist と前の二つの ist が共通部分として省略されてゐる。

5)sich von etw abheben は「或物から抽き出てゐる」。

6)verwoben は verbunden を少しく異つた語で言ひ表はしたものである。

7)selbst は das Leben の強力代名詞である。


訳文

原始人の芸術はまことは原始的なものではない。――その時代の人間の生活が原始的であり、その経済形態が原始的なのである。――而してその芸術はその世界の最も純粋なる表現なのであつて、その世界たる決して原始的なるものに非ず、唯だ異つて観察され、他の形式の下に体験されゐるに過ぎぬものである。その芸術は尚ほ未だ爾余の精神的事物より抽んでゐず、百千の糸もて生活に結び付けられ、織り込まれてゐるものであり、原始人の生活そのものなのである。


Friday, August 7, 2020

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 123-125)


範例

I

(a) He could scarcely believe his own senses (eye, ears).

(b) He doubted his own senses (eyes, ears).

(a) 彼は自分の感覺(眼、耳)を殆ど信じ得なかつた。

(b) 彼は自分の感覺(眼、耳)を疑つた。


II

(a) He could scarcely believe the evidence of his own senses (eyes, ears).

(b) He doubted the evidence of his own senses (eyes, ears).

(a) 彼は自分の感覺(眼、耳)の證する所を殆ど信じ得なかつた。

(b) 彼は自分の感覺(眼、耳)を證する所を疑つた。


解説


Cannot believe one's own senses, eyes, ears(五官、眼、耳を信ずる能はず)は事の意外にして卒かに信じ難く、或は五官の迷妄に非ずやとまで疑はるゝ場合に用ふるものにして I は II の the evidence of(の證する所)を略したるものなり。


用例

I

1.  Why do you doubt your own senses?

    C. Dickens

    なぜお前は自分の五官を疑ふか。


2.  Miss Abigail could hardly credit her own eyes.

    T. B. Aldrich

    ミス、アビゲールは殆ど自分の眼を信ずる事が出來なかつた。


3.  I felt almost ashamed to believe my own senses.

    R. L. Stevenson

    私は自分の五官を信ずる事を殆ど耻ぢた。


4.  He was still incredulous and fought against his own senses.

    C. Dickens

    彼は尚信じないで自分の五感と戰つた。


5.  Do I credit my ears? I looked at him to see if he were in earnest. He meant it.

    T. B. Aldrich

    私は自分の耳が信ぜられやうか私は彼が本氣であるかどうかと彼れを眺めて見た。所が果して本氣であつたのだ。


6.  "Mr. Merriman?" he repeated, as if he thought his own ears must have deceived him.

    W. Collins

    「メリマン氏が?」と彼は自分の耳が自分を欺いたに違ひないと思つたらしく繰返した。


7.  When the people went by the house to church the next-day, they could hardly believe their eyes.

    L. R. IV.

    翌朝人々が其家の側を通つて教會へ行つた時に、彼等は殆ど其眼を信ずる事が出來なかつた。


8.  John said this very quietly--so quietly that, at first, the 'squire seemed hardly to credit his senses.

    Mrs. Craik

    ヂヨンは實に落着いて斯う云つた、あんまり落着いて居たから相手は初は殆ど自分の感覺を信じ得ないやうであつた。


9.  And I ran as fast as I could into the kitchen and gave it to Bridget; and that made it all right; and Bridget could scarcely believe her eyes.

    Mrs. Burnett

    而て私は出來るだけ早く臺所に走つて行つてブリツヂエツトにそれをやつた。それで萬事うまく行つた。而てブリツヂエツトは殆ど自分の眼を信じ得なかつた。


10. The men of science examined her skin, and scarcely believing their senses, decided that the woman had been painting herself with some native tincture to simulate leprosy.

    Max O'Rell

    學者が彼女の皮膚を檢査した而て其女は癩病を裝ふ爲に何か其土地で出來る顔料を體に塗つて居たものだと決定はしたが彼等は殆ど自分等の感覺を信じなかつた。


II


1.  I could now find room to doubt the evidence of my senses.

    E. A. Poe

    私には今五感の證する所を疑ふ可き餘地があつた。


2.  Mad indeed would I be to expect it, in a case where my very senses reject their own evidence.

    E. A. Poe

    自分の五感がその證する所を信じない場合に人の信ずる事を豫期したならば、それこそ自分は狂氣の沙汰であるのだ。


3.  My heart gave a great bound, and throbbed as if it would stifle me. I looked again -- I was afraid to believe the evidence of my own eyes.

    W. Collins

    私の心臓は甚しく躍つて窒息せんばかりに鼓動した。私は再び眺めた……私は自分の眼の證明を信ずる事を恐れた。


4.  The general public, however, did not share the opinion that the sun was "neither burning nor glowing"; they preferred rather to believe the evidence of their senses.

    E. V. Heward

    けれども一般公衆は「太陽は燃えても居らず輝いても居らぬ」と云ふ説を共にしなかつた。彼等は寧ろ自分等の五感の證する所を信ぜやうとした。


5.  "You don't believe in me," observed the Ghost.

    "I don't," said Scrooge.

    "What evidence have you of my reality beyond that of your own senses?"

    C. Dickens

    幽靈曰く「お前はおれを信じないな」

  スクルージ曰く「信じない」

  「お前自身の五感の證據の外におれが本當だと云ふどう云ふ證據がある?」


6.  As this creature first came in sight, I doubted my own sanity -- or at least the evidence of my own eyes; and many minutes passed before I succeeded in convincing myself that I was neither mad nor in a dream.

    E. A. Poe

    この動物が始めて見えた時私は自分の正氣なるや否やを疑つた……少くとも自分の眼の證する所を疑つた。而て數分たつてから始めて自分は狂氣でもなく又夢みても居ないと云ふ事を信ずる事が出來た。


Wednesday, August 5, 2020

トポロジカルな反転

表題にあるように、単なる「反転」ではない。「トポロジカルな」反転、たとえばメビウスの帯におけるような反転である。誰でも知っているだろうが、メビウスの帯をカニが一周したとする。カニは右か左のはさみが反対のはさみより大きいが、メビウスの帯を一周するとそれが反転するのである。

Fiddler crab mobius strip.gif
By <a href="//commons.wikimedia.org/w/index.php?title=User:Hamishtodd1&amp;action=edit&amp;redlink=1" class="new" title="User:Hamishtodd1 (page does not exist)">Hamishtodd1</a> - <span class="int-own-work" lang="en">Own work</span>, CC BY-SA 4.0, Link

それゆえメビウスの帯は数学的に「方向付けの不可能な」属性を持つと云われる。わたしが考えるトポロジカルな反転は、このような反転現象とよく似ている。

反転というと明から暗に、正から邪へ、上から下への移行を考えるかもしれない。わたしがいう反転は、これとは違う。いわゆる明暗、正邪、上下といった観念は二項対立をなしている。これらの対立はじつは一定の土俵の上でなされる区別である。対立はしているけれども、その対立を構成する土俵は共有しているのである。わたしが考える反転は、このような「明」から「暗」への移行ではない。「明/暗」という対立を構成する土俵そのものを崩してしまう領域への移行を意味している。では土俵そのものが崩壊するような領域とはどんな領域か。明でもあり、かつ暗でもあるような領域、「明/暗」という二項対立がそこから発生するような、原初的な領域である。かりにそのような領域は、暗としか呼びようがなかったとしても、それは「明/暗」の「暗」とは異なる暗なのである。

ラカンは「性的関係は存在しない」といったけれど、それはたとえば男は二項対立の領域に存在し、女はそのような対立が崩壊する領域に存在しているからである。二項対立においては土俵がおなじだから、明と暗は反対物であっても相互にコミュニケーションが可能である。ところがラカンの考える男と女のあいだにはそのようなコミュニケーションを可能とする共通基盤が存在しない。それゆえ両者はいかなる関係も結ぶことが出来ないのだ。

このような関係がラカンの議論の中核にある。この関係は欲望と欲動の差異の中にも認められる。欲望は象徴界という「法」の支配下に置いて作動するが、欲動は矛盾撞着の領域、しかしそこから「法」や「文化」が生まれ出てくる領域で作動している。

Saturday, August 1, 2020

パトリック・ハミルトン「エンジェル通り」発売

パトリック・ハミルトンの「エンジェル通り」は「ガス燈」というタイトルで二回も映画化され、とくにイングリッド・バーグマンが主演したほうはアカデミー賞を何部門か受賞して有名になった。そのおかげで、「ガス燈」gaslight という言葉から gaslighting という新語が造られた。これは(女性を)「狂気に追いやる」とか「精神的に苦しめる」といった事態を指す。現在でもよく使われる言葉である。

映画「ガス燈」は有名なのだが、どういうわけか原作の日本語訳は出ていないようだ。そこで出したのが今回の作品である。タイトルは原作のまま「エンジェル通り」にし、アマゾンの作品紹介の中で「ガス燈」の元になった作品であることを言及した。バーグマンの「ガス燈」を見ていても、この作品は十分に楽しめるだろう。原作と映画では描き方がずいぶん違うからだ。原作のほうでは、霧の濃いある晩の数時間の中に、すべてが凝縮されて描かれている。アンソニー・シェーファーとかJ.B.プリーストレーの実験的なミステリ劇が好きな人ならきっと気に入ると思う。


英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...