Wednesday, May 8, 2024

英語読解のヒント(113)

113. every

基本表現と解説
  • I have every respect for your opinion. 「あなたの意見にはこのうえない敬意をもっています」

このような every は very great とか all possible といった意味。

例文1

Every precaution is necessary when dealing with such a fellow.

Arthur Conan Doyle, "The Adventure of the Dancing Men"

こういう奴を相手にするときは、なにからなにまで注意することが必要だ。

例文2

At daybreak the wind freshened still more, and there was every appearance of a storm.

Jules Verne, Round the World in Eighty Days (translated by Henry Frith)

夜明けに風はさらにいっそう強くなり、どう見ても嵐が来そうであった。

例文3

Knowing that every attention would be paid to his son's comfort, Lord Earle thought but little of the matter.

Charlotte Mary Brame, Dora Thorne

息子が快適に過ごせるようあらゆる注意が払われるであろうと思っていたアール卿は、そのことはほとんど気にしなかった。

Sunday, May 5, 2024

英文読解のヒント(112)

112. never so / ever so (2)

基本表現と解説
  • Home is home, though it be never so homely.
  • Home is home, be it ever so homely.

「いかに粗末でも家は家」。譲歩を示す節のなかで使われる場合は never so と ever so は「いかに……であっても」の意味と解される。never so の形のほうが文語的響きを持つ。

例文1

She would trust him as a brother, and his words should be sweet to her were they ever so severe.

Anthony Trollope, The Vicar of Bullhampton

彼女は彼を兄のように信頼していて、彼の言葉はどんなにきびしくても彼女の耳にはやさしく聞きなされるのだった。

例文2

Grammarians differ with regard to the correctness of using never in such sentences as, "He is in error, though never so wise," "Charm he never so wisely." In sentences like these, to say the least, it is better, in common with the great majority of writers, to use ever.

Alfred Ayres, The Verbalist

文法学者はつぎのような文章における never の用法の正しさに関して意見が割れている。「彼はいかに賢くとも誤っている」「彼はたくみに呪文を唱える」。このような文章においては大多数の人がするように ever を用いたほうがよろしいといわざるをえない。

 "Charm he never so wisely" は聖書の詩編の言葉。

例文3

Betide what may, we will not despair, were the world never so unfriendly.

James Anthony Froude, Thomas Carlyle

なにが起きようと、世間がいかに冷たかろうと、われわれは失望しない。

Thursday, May 2, 2024

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1)

基本表現と解説
  • He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」
  • He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見えた」

never so も ever so も very とか awfully といった意味になる。

例文1

Ask me never so much dowry and gift, and I will give according as ye shall say unto me: but give me the damsel to wife.

King James Bible

いかにおほいなる聘物おくりもの禮物れいもつもとむるも汝らがわれに言ふごとくあたへん唯このむすめを我にあたへて妻となさしめよ

 New American Standard Bible ではこの部分が ever so を用いて書かれている。

Demand of me ever so much bridal payment and gift, and I will give whatever you tell me; but give me the girl in marriage.

例文2

When you need me again I will come ever so far.

William Makepeace Thackeray, Henry Esmond

もしもまたわたしに用があったら、わたしはどんなに遠くてもあなたのところへ参ります。

例文3

"We won't take a tent," suggested George; "we will have a boat with a cover. It is ever so much simpler, and more comfortable."

Jerome K. Jerome, Three Men in a Boat

「テントは持っていかない」とジョージは言った。「覆いつきのボートにするんだ。そのほうがずっと面倒がなくて快適さ」

Monday, April 29, 2024

ロジャー・トーリー「殺人への四十二日間」

ロジャー・トーリーは1901年に生まれ、1946年に急性アルコール中毒で亡くなったアメリカのパルプ作家である。ハードボイルドをたくさん書いているが、いずれも短編か中編で、長編は本書だけではないだろうか。ハメットやチャンドラーのようなトップレベルの作品ではないが、しかしこの時代のある種の雰囲気を身に纏っていて、わたしはそこが楽しかった。

主人公で語り手の私立探偵ショーン・コネルは、意外にももとピアニストで、昔は仲間とクラブで演奏し金を稼いでいた。この物語のなかでもリノのとあるバーで昔の音楽仲間に出逢い、そこで演奏をはじめるという場面がある。そのあたりの描写は非常に活気に満ちていて、バーの騒然とした情景が映画のように彷彿と目の前に浮かんでくるのである。三十年代後半の風俗を、誇張をまじえてはいるのだろうが、これほど活写できる人はあまり記憶がない。

さて話のほうだが……。ウェンデルという船会社の社長が南アメリカから戻ってくると妻がリノの町へ行き、離婚の手続きを開始していた。どうやら彼女は悪党弁護士にそそのかされて夫に話をすることなくいきなりリノへ出発したらしい。ウェンデルは妻に事情を聞こうとリノへ乗り込むが、悪徳弁護士が警察に手を回し、彼を捕まえさせて強制的にニューヨークへ帰してしまった。そこでウェンデルは私立探偵のショーン・コネルに妻との話し合いの場を設けて欲しいと頼むのである。

悪徳弁護士と警察権力が手を結んだろくでもない離婚騒動だが、コネルがリノに乗り込んで直ぐに、事件がそれだけではないことに気づく。ウェンデルの妻は小間使いを連れてリノへ行ったのだが、その小間使いが殺されていたのである。しかもコネルが調べたところ、その小間使いは過去につまらぬ犯罪を幾つも犯していたようだ。今回の離婚騒動は見た目よりももっと大きな事件とつながっているらしい。それをコネルが探っていくという物語である。

本作は脇役が大勢登場する。コネルの助手役を務めるレスター青年、ウェンデルをコネルに紹介する飲んべえのジョーイ・フリー、リノの保安官、ジーメン(G-man)、コネルがピアノ演奏をするバーの店主等々、彼らが物語にたいへんな活気を与えている。どれも個性豊かで、その会話はユーモアに満ちている。たとえばコネルが部屋を借りたアパートの大家(女)がこんなことをいう。


 「あたしはセブンアップで、そこらへんの女が手にする以上の金をすってしまったよ。でもお金なんかなんの価値があるんだい。食えもしなけりゃ、寒いときに毛布の代わりにもなりゃしない」

 「ものが買えるだろう」とおれは言った。

 彼女はにやりと笑った。「はっ! 食事だって一度に一食食うだけさ。寝ると言ったって一つのベッドに寝るだけさ。金なんてひざまづいて拝むようなものじゃないよ」

 悪徳弁護士のクランドルが同じような考えの持ち主なら、ウェンデルも苦労はしなかっただろうに、とおれは思った。


悪徳弁護士は馬鹿高い手数料をふんだくるためにウェンデル夫人に離婚手続きをさせるのだが、下宿のおばさんはその形而下的議論で弁護士の拝金主義を批判する。これによって脇役にすぎない一登場人物は、一瞬、大役を担う登場人物と同じレベルまで引き上げられる。どの登場人物もこんな具合に一瞬光るものを見せるのだ。こういう書き方がなかなかうまい。

 ハードボイルドとしてはせいぜい良く言っても中の中といったところだが、ほかの部分で面白いものを見せてくれる作家だ。かえすがえすも若くして亡くなったことがおしまれる。

Friday, April 26, 2024

ウォルド・フランク「チョーク・フェイス」


この本は近いうちに読み直さなければならない。じつに奇妙な、魅力たっぷりのホラーである。

作者のウォルド・フランクは1889年、ニュージャージーに生まれ、政治的な活動家として生涯を過ごした。ラテンアメリカに関する著作が多数あり、小説も数作書いている。しかし「チョーク・フェイス」みたいなホラーを書いているとは知らなかった。

この本の語り手は若い医者である。勉強はよくできるようなのだが、精神的にはどことなく不安定で、その文章は妙にドラマチックになったりセンチメンタルな部分を見せたり、わたしの読解力に問題があるのかもしれないが、なんだかわけのわからない部分もある。両親とも仲がうまくいっていない。母親は彼が独立することを嫌い、ずっと自分の保護下に置こうとしている。彼はそれに反発しているが、どう見ても両親に守られている今の境遇に満足しているようだ。要するにこの男は世間で言う「わがままなぼんぼん」であり、物語論的に言えば「信用できない語り手」ということになる。彼は気に入っている女性と結婚したいと考えているが、彼女のほうは、彼を嫌ってもいないが、特に好きでもないらしい。

細かく書くと話がややこしくなるし、ネタバレにもなるので短くはしょると、この若い医者が連続殺人とおぼしき奇怪な死に興味を抱くようになる。その事件のいずれにおいても背の高い、黒いスーツを着た、白いつるつる頭の男が目撃されているのだ。しかも顔はのっぺりしているという。これが表題のチョーク・フェイスである。医者はこのチョーク・フェイスの正体を突き止めようとする……。

おそらく語り手のコンプレックスや不燃焼的恋愛関係がなんらかの形で連続殺人やチョーク・フェイスという形象に反映されているのだろう。とにかくサイケデリックというか、シュールというか、珍妙な作品なのだが、しかし面白い。明らかにフロイトの影響を受けて書かれたとわかる。わたしは読みながらルイス・レヴィの「たまねぎ男クスラドック」を思い出した。再読の際はノートを取り、じっくり考えながら読まなければならない。内容の議論はそれからだ。さっきも言ったように、語り手の精神状態が非常に特殊で、一回読んだだけではわたしにも理解できていないところが多いからである。ひょっとしたらとてつもなく不思議な、知られざる傑作なのかもしれない。今回はそんな予感を抱かせる小説だと報告するにとどめておく。

Tuesday, April 23, 2024

デイ・キーン「疑惑の種」

 

キーンは1969年に65歳くらいで亡くなっている。本書が書かれたのが1961年だから、晩年の作といっていいだろう。キーンの作品は前期や中期に書かれたミステリがおもに注目されるので、後期はどうなのだろうと興味をもって読んだ。

正直、悪くないという印象だ。

本書は人工授精をめぐる風俗小説である。物語が丁寧に書き込まれていて、50年代、60年代のフロリダの、そしてアメリカの人々の考え方がほんとうによくわかる。しかも叙述に工夫を施しているので、サスペンスというか、緊張感があり、こういう手並みはさすがキーンだなと思わざるをえなかった。


とあるハンサムな男と美しい女が結婚したが、両者のあいだにはいまだに子供ができない。男の父親は不動産で大儲けし、今はフロリダの実力者となっているのだが、その彼は自分の冨を受け継がせる孫の誕生をいまかいまかと待ち受けている。女も子供ができないことにいらだちを覚え、さらに義父のプレッシャーもあって、どうやら精神的に少々病んでいるようだ。彼女はかつて、他人の子供を勝手に連れ帰ったことがあったが、おなじような事件をまたもや引きおこす。前回の事件は大富豪の義父が金で表沙汰になるのを防いだが、今回は新聞社にかぎつけられ、ピンチだ。同時に義父は医者や精神科医に依頼して、不妊の根本原因をさぐってもらう。すると医者はすぐに夫のほうに問題があることを知る。昔かかった淋病のせいで子供をつくれない躰になっているのだ。いろいろ複雑な事情を勘案するなら、若夫婦にとって最善の対処法は、人工授精であろうと医者たちは結論した。

彼らはそれをまず妻に告げた。すると妻は人工授精の提案を受け容れるが、一つだけ条件をつけた。夫には内証でそれをやってほしい、なぜなら夫は子供っぽくて、自尊心が強く、他人の精子で子供ができることに耐えられないだろうから、というのだ。そこで医者は違法を承知で(人工授精には夫と妻の同意がなければならない)妻の要求通りにするのだが……。


人工授精は十八世紀から行われていたようだが、アメリカで一般になったのはここ半世紀あまりのことらしい。それまでは人工授精を姦淫と見なす風潮があった。が、いくつかの州がこれを認めるようになると、いろいろな法律制度がととのえられるようになった。本書の出版時期を考えると、これは人工授精が話題になりはじめた初期のころに書かれたのだろう。非常にトピカルな作品だと言える。

舞台はフロリダの港町で、登場人物はかなりの数になる。視点が次々と移り変わり、いろいろな人の生活ぶりが示されていく。本書の中心人物である、若い夫婦の過去や現在が示されるだけではない。朝鮮戦争に徴兵され、性格も人生も一変してしまう若い男、生活の安定を求め三十近くも年上の男と結婚するが、こっそり浮気をし奔放な性生活を送る女、好色な医師、警察や司法すら金で威圧するビジネスマン、大富豪の情婦、こうした人々の生活ぶりを通じて、当時のアメリカのありようがパノラミックに浮き彫りにされていくのである。

とりわけ人工授精に対する人々の反応は、当時の宗教的考え方や世相を反映していて勉強になった。人工授精なんて牛のやることだ、という侮蔑の言葉にはびっくりである。いまの我々は人工授精の「治療」的側面を重視するが、ほんの五十年程前まではそうでもなかったのだ。

多視点を利用した書き方は非常に有効で、後半に入って人工授精の事実があばかれる過程は、軽く胸がどきどきした。標準以上のいい作品である。

Saturday, April 20, 2024

アダム・ベッカー「リアルとはどういうことか」

 


量子力学の入門書というより、幾人かの物理学者に焦点を合わせ、詳しくその考え方を論じた本で、深みのある内容になっている。科学的事実そのものよりも、科学者の哲学といったものに焦点を合わせており、量子力学に興味のある人文系の人間には格好の参考書だ。翻訳も出ているようだ。

この本からわたしが学んだことはいくつもある。たとえば二十世紀における科学の発展は、エルンスト・マッハ流の考え方がその土台となっているという事実。ニュートンなどは、時間と空間は絶対的な尺度であると想定して議論をはじめる。世界はこういうものであるという思い込みがまずあって、そこから世界の探求がはじまるのである。それをオーストリアのエルンスト・マッハは批判した。科学はいかなる想定も、「世界はこういうものだ」という思い込みもなく、実験結果から議論を積み上げていくべきだという。アインシュタインの相対性理論は、マッハ流の思い込みを排した考え方から生まれてきた。だからこそ、のちに彼が「神はさいころを振らない」などと、量子力学の不完全性を主張したとき、他の科学者は驚いたのだ。相対性理論を思いついた偉大な科学者でさえ、思い込みに捕らわれているのか、と。

ただ、本書の後のほうで取り扱われるデイヴィッド・ボームは、果たして科学者は本当に何の思い込みもなく研究をしているのか、という点に疑問をなげかけている。わたしも同じ疑問を持つ。人間はまっさらな状態でものを見るわけではない。なんらかの想定が必ずある。ただその想定が新しい発見を見いだすようなものであるのか、そうでないのか、という違いはある。だからマッハの考え方は、とらわれない発想を持つという意味では賛成できるが、科学者はいかなる思い込みも排さねばならないという禁止を意味するのであれば、わたしは首をひねらざるを得ない。いつかマッハをちゃんと読もうと思う。

わたしが学んだ二つ目はデイヴィッド・ボームが共産主義のシンパだったことである。この事実はほかの量子力学の入門書には出ていなかった(と思う)。しかし粒子を確率論的に広がる波ではなく、どの時点においてもあくまで一つの粒子と見なす彼の考え方は、ある意味で唯物論なのだ。彼は世界中の物理学者から批判され、嘲られたとき、ソ連の科学者なら応援してくれるかもしれないと考えた。唯物論がソ連の国家的イデオロギーであったからだ。しかし「キリスト教的無神論」などを読むと、現代の唯物論者ジジェクはボームの考え方を否定している。ここらへんは面白い。

本書を読んでわたしははじめてボームという人間に興味を持った。彼のパイロットウエーブの考え方がシュレーディンガー方程式から出てきたものだという点も面白いが、それ以上に彼のドラマチックな人生に魅了された。政治的信条や友人関係のせいで、軍が彼のマンハッタン計画への参加を認めず、しかし彼が原爆開発にとって重要な研究をしていたため、その研究ノート類を没収し、論文を書くことまで禁じたという逸話は、今の日本の情報保護法の行く末を暗示していると思う。彼は晩年になって自分の議論が間違いではないかと思うようになったらしいが、多少専門的になってもかまわないから、その理由を知りたいと思った。また彼はアメリカ国籍を再取得しようとした際、国から共産主義とは決別したと一筆書けと命じられ、その要求を拒否した。わたしにはボームが無骨な、しかし筋の通った生き方を貫く、人間くさい科学者に見える。

三つ目の発見は、多世界解釈を提唱したヒュー・エヴェレットがSF小説のファンだったことだ。彼はずばぬけた秀才だった。しかし、情報処理能力に長けた人間にはよく見られることだが、勉強にはあまり時間をさかず、ひたすらSFを読んでいたらしい。多世界などという発想もいかにもSF的だし、実際、SFの領域ではこれをテーマにした作品が目白押しである。しかしエヴェレットの議論は、理論が示唆するところを徹底的につきつめることから生まれてきた。やはりマッハ流の考え方が根底にあるのである。

この発想の根底にあるものに着目するところが本書のいちばんの特徴だし、それがこの本を面白くしている。作者が第八章でクーンのパラダイム論をとりあげるのは当然だろう。そして根本的な考え方を培うものとして人文科学の重要性を意識するのも当然だろう。アインシュタインやボーアのころは哲学が科学者の重要な教養となっていたが、第二次世界大戦以降、物理学は極端に専門化され、物理学の学徒たちは人文科学を習わなくなってしまったと作者は嘆く。

本書に対して一つだけ不満を感じたことがある。それはボーアに対する評価だ。ボーアの文章が曖昧で難解だということは何度も繰り返されるが、作者はボーアを真剣に読み込もうとしたのだろうか。後半部分に進むにつれ、ボーアはいわば悪者扱いされている。けれどもわたしはボーアの認識はいまだ充分に解明し尽くされていないと思う。その可能性はまだ人に知らぬまま残っているのではないか。本書の説明によるとボーアはウィーン学派の影響を受けているとあるが、はたして彼の考え方はウィーン学派とか実証主義の枠内にとどまるものだろうか。


英語読解のヒント(113)

113. every 基本表現と解説 I have every respect for your opinion. 「あなたの意見にはこのうえない敬意をもっています」 このような every は very great とか all possible といった意味。 ...