ブルース・フィンクといえば「ラカン的主体」で明快にラカン理論を説明した人として知られている。現代思想というと難解な概念がいきなり飛びかい、素人はその空中戦に呆然とするしかないのだが、フィンクは地面にいるわれわれのレベルから話をはじめ、徐々にラカンという高みに連れて行ってくれる、まことにありがたい解説者なのである。わたしは「ラカン的主体」がフィンクの代表作なのだろうと思っていたが、「ラカンの欲望論」はそれに優るとも劣らない、いや、もしかしたら優っているかもしれない精神分析入門書となっている。副題には「セミナー6を読む」とあるが、ラカンのセミナー6を通してラカンの議論全体が概括できるような書き方になっている。高校生でも理解できるような平易さなので、ぜひとも翻訳を出してほしいものだ。
われわれは言語の中に生まれつき、その言語でコミュニケーションしなければならないのだが、じつはその言語が伝えたいことを完全に伝えられる媒体ではないことをフィンクはいろいろな例を示して教えてくれる。ここは誰にでも理解できる話だ。そこからフィンクは、「欲望」の話に移って行く。人間は他者に要求をするが、たとえばわれわれが恋人に「この前つくってくれたカクテル、また飲みたいなあ」と言っても、たんにそのカクテルだけを与えられれば欲望が充たされるわけではない。カクテルをつくるときの仕草やそれを差し出すときの顔の表情や、それを味わいながら交わす恋人との会話などが伴うものでなければならない。しかしそうしたことすべてを言語で表現などできるわけがない。百万言費やしても指示しきれない残余があらわれる。また説明すればするほど逆に誤解されることだってありうる。ここからフィンクは「欲望」とは言語で表現しきれない部分に宿るのだと教えてくれる。
さらに議論は「欲望の対象」へと移る。精神分析で言われる対象はいつも「失われた対象」である。母親の愛に包まれて満足している幼児は、母親との一体感の中に存在しており、そこには「主体―対象」という区別はない。一体性が崩れたときにはじめて幼児は「対象」としての母を求めるようになる。母が失われてから、幼児は母を欲望の対象にするようになるのだ……という具合に、フィンクの議論は少しずつ複雑になりながらラカンのパラドキシカルな理論の核心へと進んで行く。いやはや、これだけ平明に説明できるというのはたいした才能である。ラカンにはじめて接したという人は、ファルスの話あたりからさすがに難しさを感じると思うが、辛抱強く読めばラカンの議論のリズムはつかめるだろう。人によっては否定神学と呼ぶこのリズムを知るだけでも大きな価値がある。
本書を読みながら考えたことはいろいろある。たとえばわれわれは言語という領域に参入したとき言語の「使いにくさ」を経験しているのだが、それをすっかり忘れてしまうとラカンは指摘している。それを読みながら、わたしがジェイムズ・ジョイスから学んだのもまさにそれだし、ジョイスが偉大なのは言語の根源にさかのぼって文学を考え、政治や文化をとらえ直したからなのだと思った。またブルース・フィンクは理論家であるだけでなく、臨床医でもあるらしく、その経験をいろいろと語っている。子供は生まれてから母に養われ、ある種の全能感にひたされるわけだが、これが失われる瞬間が来る。これが精神分析では「去勢」と言われているものだ。この全能感、享楽の状態を奪ったものを子供は激しく憎む場合があるらしい。たとえばその子に弟や妹ができた場合、今まですべて自分に振り向けられていた母親の注意が他者に奪われるわけである。ある人は四十になっても五十になってもそのような弟や妹に憎しみを抱くらしい。sibling rivalry はよくある話だが、それが殺したいと思うほどの憎悪に転化するのは結構あることらしい。それを読みながら外国人への憎悪もそれと似た点があるのではないかと考えた。日本人の享楽を乱したり奪って行く存在に対する憎悪である。日本の代表的な食べ物であるすし、しかし今は高くて日本人には手が出しにくいすしを、外国人旅行客が金にものをいわせてばくばく食べていくのを見て、日本的な「享楽」が他者に奪われていくような気がしないだろうか。あるいは帰化した外国人になんらかの補助金が支払われるとき、日本人が受け取るべき「享楽」を侵蝕されているような気がしないだろうか。
さらに分断政策とは国民を「去勢」するものではないか。高齢者と現役世代を対立させ、あるいは生活保護者を狙い撃ちするような政策は、ある人々が楽しむべき「享楽」が他者によって奪われているという意識を植えつける。
精神分析は個人の心理という枠組みを超えて社会分析、政治分析にも応用されるようになっているが、たしかにいくつかの局面をパワフルに説明する力を持っている。
ブルース・フィンクはミステリも三冊ほど書いているらしい。さっそく手に入れて読もうと思っている。