| 初版の表紙 |
ミッキー・スピレインはずっと昔一冊読んで、そのつまらなさに今までずっと手を出さずにいたのだが、たまたま古本屋で I, The Jury を見つけたので買ってみた。シグネット版のペーパーバックで紙がみごとに灼けている。出だしはこんな具合だ。
I shook the rain from my hat and walked into the room. Nobody said a word. They stepped back politely and I could feel their eyes on me. Pat Chambers was standing by the door to the bedroom trying to steady Myrna. The girl's body was racking with dry sobs. I walked over and put my arms around her.
英語の初学者にはうってつけのやさしい文章だが、これがくせものでもある。この単純さは認識の単純さにも結びつくからである。ポール・オースターの「ニューヨーク三部作」も文章はやさしいが、彼の物語にはいくつもの複雑なひねりが加えられていて、一筋縄ではいかないパラドキシカルかつ形而上学的な深みを持っている。単純なものから複雑なものへ引きずり込まれるそのスリルはたまらない。スピレインの場合はどうか。ノワール小説が持つリビディナルな世界が展開しているだろうか。
残念ながらそうはならない。なるほどノワール風の展開には一応なっているのだが、最終的にそこにあるのは人間の内なる暗黒ではなく、マッチョで身勝手な倫理観である。酒をがんがん飲み、古い女性観にこりかたまり(妻たるは家庭に閉じこもるべきだ!)、容疑者の女とも平気でセックスをし、この「男性的」空間を脅かす存在は平気で殺す、いや、自分には殺す権利があると妄想しているタフガイがマイク・ハマーという主人公である。トランプ大統領はマイク・ハマーの直系の子孫と言えるだろう。「裁くのはおれだ」つまり「おれが法律だ」というマイク・ハマーと、「国際法なんて関係ない。おれが決めるんだ」というトランプ大統領の類似は明白である。スピレインの文章の単純さは、アメリカのマッチョな世界観の単純さを示しているだろう。
スピレインの性的な、あるいは暴力的な描写は、当時いろいろな人から批判されたが、いま読むと「なんだ、この程度のものか」と拍子抜けする。本書には大がかりな買春組織が登場するが、エプスタイン事件の報道に慣れてしまったわれわれにはなにほどのショックも与えないだろう。ジュリアン・シモンズがスピレインの作品を「吐き気がする」と評したのは有名だが、いま読むと「吐き気」すらしない。
ノワールの複雑な世界が戦後アメリカのマチスモによってこんなふうに変形してしまうのか、というのが正直な感想だった。
ただこの記事を書くに当たってウィキペディアを読んだらアイン・ランドがスピレインを評価していたと書いてあって、それは興味深かった。アイン・ランドはスピレインの白黒をはっきりつける道徳観が気に入っていたようだが、なるほど彼女ならそうかもしれない。アイン・ランドもたしか Anthem を一冊読んだだけでその単純さにあきれ、わたしは読まなくなってしまった。