Thursday, February 26, 2026

ルイ・ニコライ・レヴィ「タマネギ人間クスラドック」

 


去年 google books でデンマーク語版(原作)の「タマネギ人間クスラドック」を見つけたときは椅子から飛び上がって喜んだ。この本はヴァルター・ベンヤミンがゲルショム・ショーレムに読むのを勧め、ショーレムが大いに褒めたという本なのだが、なにせ原作もドイツ語の翻訳版も手に入らず、わたしの中では伝説級の一冊となっていた。いや、正確に言うと日本のある大学図書館にはドイツ語訳があるのだが、古い本のせいだろうか、貸し出してくれなかったのである。それが2017年にはじめての英語訳が出てむさぼるように読み、これは訳すに値する本だと感心したのだが、しかし英語版から重訳するのはちょっと気が引けた。英訳はよく原文を簡素化して訳してしまうことが多いからだ。すくなくともドイツ語の訳と突き合わせて日本語訳をつくりたいものだが、と思っていたら、デンマーク語版が見つかり、欣喜雀躍したわけである。

それからPDFをプリントしてせっせと辞書を引き、AIにも教えを請うてようやく原文を読み終わった。英訳は案の定訳すのを飛ばした文章があったり、段落が変えられていたり、勘違いによる誤訳もいくつかあった。逆に原文の誤植を英訳者が正しく直して訳している部分もあった。作品の内容が幻想的というかサイケデリックというかシュールレアリスチックというか、読み手の読解力・解釈力をためすようなところがあるので、細部まで自信を持って理解したとは言えないが、これならわたしでも翻訳を出せそうだという感触は得た。

物語の中心にいるのはクスラドックという狂人とその治療にあたっているドゥ・モンテパシエという医者である。クスラドックはある犯罪を解く鍵をフローレンス夫人の催眠術によって心の中に植え付けられる。医者はそれを催眠療法によって取り出そうとするのである。その過程でじつにパルプ小説じみた、あるいはゴシック小説じみた、どぎつい色合いの事件が立て続けに発生する。こんな要約ではわけがわからないと思うが、夢野久作の「ドグラ・マグラ」の欧州版みたいな作品とでも思ってもらったらいいと思う。実際、この二つの小説は互いに光を当て合い、新しい読みの可能性を切り開いているのではないか。短い小説だが、抜群に面白く、知的刺激に満ちている。


Monday, February 23, 2026

王谷晶「ババヤガの夜」

 


日本人初のダガー賞を取ったということで、読まずにいられなかったのだが、図書館の予約が詰まっていて、ようやく手垢とコーヒー染みとお菓子をこぼしたらしき跡のついた本が手に入った。

一気に読んだ。

極上のパルプ小説である。

パルプには粗製乱造のイメージがつきまとうが、わたしが極上のパルプというとき、それは物語への熱気にあふれた作品という意味だ。何か語りたくてたまらないものが身体のなかにある。表現しなければならないなにかがある。それを爆発させた作品、リアリズムや小説のコンベンションやしゃらくさい枠組みを無視した、いや、それらを崩壊させるように炸裂した作品、それが極上のパルプだ。

わたしは読みながら過去においてそのように熱くはぜちった作品をいくつも思い出した。平林たい子の一連の極道小説や石川淳の知的でかつドスのきいた小説群、いわゆるバイオレンス小説とか任侠小説といわれるもの、RGGのビデオゲーム、ヤクザ映画や漫画のたぐいにいたるまで、すべてのエッセンスが「ババヤガの夜」に流れ込んでいる。後書きで作者は「ジョー・R・ランズデール、ジェイムズ・サリス、テリー・ホワイト、フラナリー・オコナー、ジェイムズ・エルロイ。少しでも、僅かでも、ちょっとでいいから自分もそこに近付きたくて、肩にガチガチに力を入れながら書いた」と告白しいているが、わたしはさらにリザ・コディや、ドリス・レッシングとすら共鳴関係にあると思った。日本の作品だけでなく世界のさまざまな作品を想起させる広がりを持つからこそダガー賞を獲得できたのだろう。

どんな話なのか。

おそらく物語が始まるのは1970年代後半だろう。女だがケンカに強くて暴力に取り憑かれた新道依子が、内樹というヤクザの令嬢のボディーガード兼運転手になる。尚子というこの令嬢は女らしい女になることを父親に強制され、いろいろな習い事に励んでいる。内樹という親分のファンタジー、女は女らしくあらねばならぬというファンタジーを実現させられているのが尚子だ。不細工でどこの国の血が混じっているのかもわからない新道依子とは住む世界が違う女だ。この異形の女に尚子は徐々に親しみを感じるようになる。そして新道依子が尚子のフィアンセ(サディスティックなヤクザ者で、変態的な性的嗜好を持つ男)の鼻をへし折ったとき(文字通り依子は男の「鼻を折り」、「顔を潰した」のである)、新道依子と尚子は報復を逃れるために逃避行の旅に出る。それは四十年という長い旅になるのだ。

尚子は依子を見て、父親の愛玩物である自分から抜け出そうとする。そしてその後四十年間不自由な暮らしを強いられ、さらには男どもとの闘いのなかで左足さえ失うだろう。男の(家父長的な)ファンタジー空間から抜け出そうとした代償がこれだ。この作品がフェミニズムの観点から書かれているのは明白である。

では新道依子とは何者なのか。彼女は荒ぶる力、彼女が子供のころ祖母から語り聞かされた「鬼婆(ババヤガ)」である。良いことも悪いこともする。敵か味方か分からない。そんな力だ。しかし心のきれいな女であれば鬼婆は助けてくれるという。依子はそのような力にあこがれ、実際そのような力になっている。尚子を触発し、男のファンタジー空間から抜け出す手助けをするのだから。新道依子は男(家父長)という暴力に対抗する暴力だとわたしは思う。彼女に内面がないという批判はあたらない。彼女は個として存在しているのではない。力なのだ。その力に触れたとき男のファンタジー空間に閉ざされて生きていた女は別の生き方を夢見るようになる。イギリスのフェミニズム運動でもおなじだ。その中心にはいつも暴力的と言っていい力が存在していた。その力が女性たちを鼓舞していた。

この闘いは現在も進行中である。多くの人々が不自由を強いられ、その闘いのために左足を失っている。世界中で繰り広げられているこの闘いが最後の一文「明るい太陽が、泥と血でできた依子の足跡を照らして乾かす。波が、寄せては返す。何度も何度も、寄せては返す」に暗示されているようで、わたしは深く感じ入った。すぐれたパルプというものは、荒唐無稽、現実離れした話のようで、じつは確かな世界認識に支えられているものだ。

Friday, February 20, 2026

今月の注目作

 


El espejo de la muerte : Cuentos cortos by Miguel de Unamuno

Project Gutenberg

ミゲル・デ・ウナムーノ(1864ー1936)はスペインの文人で哲学者。今回出たのは「死の鏡」という1913年出版の短編集である。この翌年1914年にいまわたしが注目している「霧」というモダニズム小説や、代表作のひとつ「ドン・キホーテとサンチョの生涯」を出している。ウナムーノはジョイスばりに外国語のできた人だが、わたしは大学のときにもっとちゃんとスペイン語を勉強しておけばよかったと後悔しきりである。


Disarm! Disarm! by Bertha von Suttner

Project Gutenberg

フォン・ズットナーは反戦小説「武器を捨てよ」を書いてノーベル賞を取った女性である。ドイツ文学では「西部戦線異常なし」と並んで重要な作品である。今回電子化されたのは1914年に Hodder and Stoughton から出版された英訳版。原作よりやや短くなっているようだ。「武器を捨てよ!」という上下二巻本で日本語訳も出ている。


The Old Wives' Tale by Arnold Bennett

Project Gutenberg

この名作は2004年に電子化されていたが、今年になってアップデート版が出た。十九世紀は小説の世紀とも言われるが、その最良の作品の一つといっていいだろう。二人の姉妹の異なる運命を描いて、読後にしみじみと「これが人生か」と深い溜息をつかせてくれる一作。


The Woman Who Did by Grant Allen

Project Gutenberg

1895年に出版された小説で、フェミニズム運動を語る上で重要な一冊。十九世紀後半になると労働力として女性が社会的価値を増し、同時にさまざまな権利を要求するようになった。古い因習のくびきから抜け出そうとするこうした女性たちは「あたらしい女」などと呼ばれ、賛否両論の大渦を巻き起こした。こうした歴史に興味のある人なら本書は必読である。

Tuesday, February 17, 2026

Elementary German Series (14)

14. Der Frühling

Der kalte Winter ist zu Ende. Der Frühling ist da. Die Tage werden länger und länger. Die Sonne scheint warm. Unsere schönen Bäume im Garten zeigen frische, junge Blätter.1 Auf den Feldern2 steht junges, frisches Gras. Der Himmel ist blau, die Luft3 ist milde und warm, im Walde4 singt die Nachtigall. Die Erde5 beginnt ein neues Leben. Tiere und Menschen sind glücklich. Die Menschen kommen aus ihren Häusern und wandern durch Feld und Wald.

1. das Blatt 葉.
2. das Feld 野原.
3. die Luft 空気.
4. der Wald 森, 森林.
5. die Erde 土, 地面.

Im Frühling kommt unser guter Freund, der Storch, aus dem Süden zurück. Siehst du das Haus dort mit dem roten Dach?6 Dort auf dem Dache steht der Storch mit seinen dünnen Beinen in einem großen Nest.

6. das Dach 屋根.

Die Bienen fliegen7 aus ihren kleinen Häusern. Sie fliegen in die Gärten und die Felder, sie fliegen zu ihrer Arbeit. In wenigen Monaten werden wir ihren süßen Honig essen.

7. fliegen 飛ぶ.

Es wird dunkler. Ein frischer Wind kommt aus dem Westen. Der Himmel wird grau. Wird es regnen? Ja, es regnet. Wir sind im April; im April regnet es oft.

Saturday, February 14, 2026

関口存男「新ドイツ語大講座  下」(17)

§17.„Haben Sie Kinder?“
お子様がたがおありですか?
„Ja, ich habe welche.“
はい、あります。

 英語ならば "Yes, I have." だけでもよいところですが、ドイツ語は welche (英:some)をつけないと文を成しません。こういう時には、英語式に Ja, ich habe というのも不可、ich habe sie も不可、ich habe Kinder と同語を鸚鵡返しに反覆するのはまだしもですが、同語を反覆する代わりに welche を用いるのが普通なのです。

 もし子供が一人あったら welche (いくらか)はおかしいから ich habe eines と答えます。Haben Sie Söhne? に対しての答は、息子は男性ゆえ ich habe einen です。Haben Sie Tee? だったら、茶は有量子名詞 §160 (いわゆる物質名詞、すなわち一つ二つと数えられない名詞)ですから、ich habe welchen です。「ビールが切れたら、また買っておかなくては」は Ist Bier alle geworden, muß welches gekauft werden です。

 以上のような weche や eines を不定代名詞といいます。ところで、それとよく似た場合でも、概念が不定でなくて、物がこれときまってくると、用いる指示詞が違ってきます。「あなたはこの家の持主ですか?」(Sind Sie der Besitzer dieses Hauses?)ときかれたら、Ja, ich bin's. ('s は es)、Ja, das bin ich. または Ja, ich bin ein solcher. と答えます。英語なら Yes, I am. だけでよいがドイツ語はそうはゆきません。(So I am や It is I の真似をして So bin ich とか Es ist ich とかいってはいけません。)

「この家の家主」ではなくて、一般に「家主ですか」(Sind Sie Hausbesitzer?)ときかれたら、これは ich bin einer とも答え、また ein solcher, es, das, でも結構です。否定ならば、Nein, ich bin keiner. (Nein, ich bin es nicht; Nein, das bin ich nicht.)

§17. alle geworden: alle werden は「すっかりになる」すなわち「無くなる」という通俗語。

Thursday, February 12, 2026

英語読解のヒント(207)

207. 倒置 (8)

基本表現と解説
  • On they flew once more. 「彼らはまた飛んでいった」
  • Out stepped the hunter. 「猟師が歩み出た」
  • Not for a world of bliss would I do it. 「どれほど幸福を得てもそんなことはしない」

副詞、副詞句を主語の前に置くケースを示す。二番目の例のように、さらに主語と動詞が倒置されることもある。

例文1

Out of the gateway we rushed, and on down the snow-covered path until we were on the fringe of the fir forest.

Arthur Conan Doyle, The Exploits of Brigadier Gerard

われわれは門から飛び出し、雪に覆われた道を一散に走って樅の林の縁まで来た。

例文2

Down came the whole side of the mountain, in a cataract of ruin.

Nathaniel Hawthorne, "The Ambitious Guest"

山の片側がごっそりと、破滅の瀑布となって落ちて来た。

例文3

"Oh, Dora, how could you do it!" she falters, and that is all. Never, either then or afterward, does another sentence of reproach pass her lips....

Margaret Wolfe Hungerford, The Haunted Chamber

「ドラ、なんてことを!」と言って彼女はくちごもり、それきりになってしまった。そのときもそれからも、彼女は二度と非難の言葉を発したことはない。

Sunday, February 8, 2026

英語読解のヒント(206)

206. 倒置 (7)

基本表現と解説
  • Silver and gold I have none.
  • Silver and gold have I none.

例文はいずれも I have no silver and gold. 「金銀はすこしもない」の意味。目的語の silver and gold を主語の前に置いたときは、形容詞の no を 副詞の none に変える。また主語と動詞を転倒させた二番目の例のほうが最初の例よりも語勢が強い。

例文1

...banquets at his court there were none, and the sound of the fiddle and the shawm was heard there no more.

R. Nisbet Bain, Russian Fairy Tales

……彼の宮廷で饗宴は開かれなかった。フィドルの音もショームの音ももはや聞こえなかった。

例文2

But sleep had I none; for about me swarmed flies like vultures over a field of battle, and after fighting them for an hour that seemed a week, I acknowledged defeat and trudged drowsily on.

Harry A. Franck, Four Months Afoot in Spain

しかし寝ることはできなかった。戦場の空を舞うハゲタカよろしくハエがまわりで群れをなしていたからである。一時間ほど(それは一週間とも思える長い一時間だった)ハエと戦ったわたしは敗北を認め、眠気をこらえながら重い足取りで先へ進んだ。

例文3

Salt I had none, but I did possess a ship biscuit and a piece of cold baked taro, and with pigeon and crayfish, what more could a hungry man desire?

Louis Becke, "The River of Dreams"

塩こそなかったが、堅パンと焼いたタロイモの冷たくなったやつならひとかけらある。それに鳩とザリガニを捕まえたのだ。腹を空かした男がこれ以上なにを望むだろうか。

ルイ・ニコライ・レヴィ「タマネギ人間クスラドック」

  去年 google books でデンマーク語版(原作)の「タマネギ人間クスラドック」を見つけたときは椅子から飛び上がって喜んだ。この本はヴァルター・ベンヤミンがゲルショム・ショーレムに読むのを勧め、ショーレムが大いに褒めたという本なのだが、なにせ原作もドイツ語の翻訳版も手に...