Tuesday, April 23, 2024

デイ・キーン「疑惑の種」

 

キーンは1969年に65歳くらいで亡くなっている。本書が書かれたのが1961年だから、晩年の作といっていいだろう。キーンの作品は前期や中期に書かれたミステリがおもに注目されるので、後期はどうなのだろうと興味をもって読んだ。

正直、悪くないという印象だ。

本書は人工授精をめぐる風俗小説である。物語が丁寧に書き込まれていて、50年代、60年代のフロリダの、そしてアメリカの人々の考え方がほんとうによくわかる。しかも叙述に工夫を施しているので、サスペンスというか、緊張感があり、こういう手並みはさすがキーンだなと思わざるをえなかった。


とあるハンサムな男と美しい女が結婚したが、両者のあいだにはいまだに子供ができない。男の父親は不動産で大儲けし、今はフロリダの実力者となっているのだが、その彼は自分の冨を受け継がせる孫の誕生をいまかいまかと待ち受けている。女も子供ができないことにいらだちを覚え、さらに義父のプレッシャーもあって、どうやら精神的に少々病んでいるようだ。彼女はかつて、他人の子供を勝手に連れ帰ったことがあったが、おなじような事件をまたもや引きおこす。前回の事件は大富豪の義父が金で表沙汰になるのを防いだが、今回は新聞社にかぎつけられ、ピンチだ。同時に義父は医者や精神科医に依頼して、不妊の根本原因をさぐってもらう。すると医者はすぐに夫のほうに問題があることを知る。昔かかった淋病のせいで子供をつくれない躰になっているのだ。いろいろ複雑な事情を勘案するなら、若夫婦にとって最善の対処法は、人工授精であろうと医者たちは結論した。

彼らはそれをまず妻に告げた。すると妻は人工授精の提案を受け容れるが、一つだけ条件をつけた。夫には内証でそれをやってほしい、なぜなら夫は子供っぽくて、自尊心が強く、他人の精子で子供ができることに耐えられないだろうから、というのだ。そこで医者は違法を承知で(人工授精には夫と妻の同意がなければならない)妻の要求通りにするのだが……。


人工授精は十八世紀から行われていたようだが、アメリカで一般になったのはここ半世紀あまりのことらしい。それまでは人工授精を姦淫と見なす風潮があった。が、いくつかの州がこれを認めるようになると、いろいろな法律制度がととのえられるようになった。本書の出版時期を考えると、これは人工授精が話題になりはじめた初期のころに書かれたのだろう。非常にトピカルな作品だと言える。

舞台はフロリダの港町で、登場人物はかなりの数になる。視点が次々と移り変わり、いろいろな人の生活ぶりが示されていく。本書の中心人物である、若い夫婦の過去や現在が示されるだけではない。朝鮮戦争に徴兵され、性格も人生も一変してしまう若い男、生活の安定を求め三十近くも年上の男と結婚するが、こっそり浮気をし奔放な性生活を送る女、好色な医師、警察や司法すら金で威圧するビジネスマン、大富豪の情婦、こうした人々の生活ぶりを通じて、当時のアメリカのありようがパノラミックに浮き彫りにされていくのである。

とりわけ人工授精に対する人々の反応は、当時の宗教的考え方や世相を反映していて勉強になった。人工授精なんて牛のやることだ、という侮蔑の言葉にはびっくりである。いまの我々は人工授精の「治療」的側面を重視するが、ほんの五十年程前まではそうでもなかったのだ。

多視点を利用した書き方は非常に有効で、後半に入って人工授精の事実があばかれる過程は、軽く胸がどきどきした。標準以上のいい作品である。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...