Saturday, April 20, 2024

アダム・ベッカー「リアルとはどういうことか」

 


量子力学の入門書というより、幾人かの物理学者に焦点を合わせ、詳しくその考え方を論じた本で、深みのある内容になっている。科学的事実そのものよりも、科学者の哲学といったものに焦点を合わせており、量子力学に興味のある人文系の人間には格好の参考書だ。翻訳も出ているようだ。

この本からわたしが学んだことはいくつもある。たとえば二十世紀における科学の発展は、エルンスト・マッハ流の考え方がその土台となっているという事実。ニュートンなどは、時間と空間は絶対的な尺度であると想定して議論をはじめる。世界はこういうものであるという思い込みがまずあって、そこから世界の探求がはじまるのである。それをオーストリアのエルンスト・マッハは批判した。科学はいかなる想定も、「世界はこういうものだ」という思い込みもなく、実験結果から議論を積み上げていくべきだという。アインシュタインの相対性理論は、マッハ流の思い込みを排した考え方から生まれてきた。だからこそ、のちに彼が「神はさいころを振らない」などと、量子力学の不完全性を主張したとき、他の科学者は驚いたのだ。相対性理論を思いついた偉大な科学者でさえ、思い込みに捕らわれているのか、と。

ただ、本書の後のほうで取り扱われるデイヴィッド・ボームは、果たして科学者は本当に何の思い込みもなく研究をしているのか、という点に疑問をなげかけている。わたしも同じ疑問を持つ。人間はまっさらな状態でものを見るわけではない。なんらかの想定が必ずある。ただその想定が新しい発見を見いだすようなものであるのか、そうでないのか、という違いはある。だからマッハの考え方は、とらわれない発想を持つという意味では賛成できるが、科学者はいかなる思い込みも排さねばならないという禁止を意味するのであれば、わたしは首をひねらざるを得ない。いつかマッハをちゃんと読もうと思う。

わたしが学んだ二つ目はデイヴィッド・ボームが共産主義のシンパだったことである。この事実はほかの量子力学の入門書には出ていなかった(と思う)。しかし粒子を確率論的に広がる波ではなく、どの時点においてもあくまで一つの粒子と見なす彼の考え方は、ある意味で唯物論なのだ。彼は世界中の物理学者から批判され、嘲られたとき、ソ連の科学者なら応援してくれるかもしれないと考えた。唯物論がソ連の国家的イデオロギーであったからだ。しかし「キリスト教的無神論」などを読むと、現代の唯物論者ジジェクはボームの考え方を否定している。ここらへんは面白い。

本書を読んでわたしははじめてボームという人間に興味を持った。彼のパイロットウエーブの考え方がシュレーディンガー方程式から出てきたものだという点も面白いが、それ以上に彼のドラマチックな人生に魅了された。政治的信条や友人関係のせいで、軍が彼のマンハッタン計画への参加を認めず、しかし彼が原爆開発にとって重要な研究をしていたため、その研究ノート類を没収し、論文を書くことまで禁じたという逸話は、今の日本の情報保護法の行く末を暗示していると思う。彼は晩年になって自分の議論が間違いではないかと思うようになったらしいが、多少専門的になってもかまわないから、その理由を知りたいと思った。また彼はアメリカ国籍を再取得しようとした際、国から共産主義とは決別したと一筆書けと命じられ、その要求を拒否した。わたしにはボームが無骨な、しかし筋の通った生き方を貫く、人間くさい科学者に見える。

三つ目の発見は、多世界解釈を提唱したヒュー・エヴェレットがSF小説のファンだったことだ。彼はずばぬけた秀才だった。しかし、情報処理能力に長けた人間にはよく見られることだが、勉強にはあまり時間をさかず、ひたすらSFを読んでいたらしい。多世界などという発想もいかにもSF的だし、実際、SFの領域ではこれをテーマにした作品が目白押しである。しかしエヴェレットの議論は、理論が示唆するところを徹底的につきつめることから生まれてきた。やはりマッハ流の考え方が根底にあるのである。

この発想の根底にあるものに着目するところが本書のいちばんの特徴だし、それがこの本を面白くしている。作者が第八章でクーンのパラダイム論をとりあげるのは当然だろう。そして根本的な考え方を培うものとして人文科学の重要性を意識するのも当然だろう。アインシュタインやボーアのころは哲学が科学者の重要な教養となっていたが、第二次世界大戦以降、物理学は極端に専門化され、物理学の学徒たちは人文科学を習わなくなってしまったと作者は嘆く。

本書に対して一つだけ不満を感じたことがある。それはボーアに対する評価だ。ボーアの文章が曖昧で難解だということは何度も繰り返されるが、作者はボーアを真剣に読み込もうとしたのだろうか。後半部分に進むにつれ、ボーアはいわば悪者扱いされている。けれどもわたしはボーアの認識はいまだ充分に解明し尽くされていないと思う。その可能性はまだ人に知らぬまま残っているのではないか。本書の説明によるとボーアはウィーン学派の影響を受けているとあるが、はたして彼の考え方はウィーン学派とか実証主義の枠内にとどまるものだろうか。


英語読解のヒント(145)

145. 付帯状況の with 基本表現と解説 He was sitting, book in hand, at an open window. 「彼は本を手にして開いた窓際に座っていた」 book in hand は with a book in his hand の...