Friday, July 30, 2021

ミチオ・カク「パラレル・ワールド」

以前、ひも理論について書かれたカクの入門書を読んでいろいろと刺激を受けたので、今回はコスモロジーを扱った本をのぞいてみた。これまたよくできた素人向けの本でほとんど一気に読み終わってしまった。

面白かった点をいくつか書き記しておく。

1 天文学者のトマス・ゴールドが同僚のフレッド・ホイルやハーマン・ボンディに Steady State Theory (宇宙はビッグバンによってできたのではなく、ずっと静的な状態で存在してきたとする考え)を説明した後、「まあ映画の Dead of Night に似ているね」と云ったという。Dead of Night は一九四五年につくられた幽霊映画だ。これは映画の終わりが映画の始まりにつながるように作られている。つまり初めも終わりもない物語構造なのだ。小説ならジョイスの「フィネガンス・ウエイク」とおなじである。このような円環的な物語を引き合いに出すことよってゴールドは、宇宙には始まりも終わりもないという点を表現したのだろう。

わたしは科学者が新しい理論を組み立てるとき、どんな物語がその構造を支えているのか、興味がある。どんなに奇怪な現象を説明する、どんなに奇々怪々な理論も「物語性」を持っている。量子力学に含まれる物語は科学の分野で一般に見られる物語とは異なるので、多くの人々が困惑しているが、しかし「物語」という点から見るなら、量子力学はそれほど不思議なものではない。なにもないところから、なにかが生まれる、などという話は神話時代からたくさんあるからだ。

人間は言語・記号で思考する。だから基本的にわれわれは言語・記号によって表現しうる範囲内でしか思考できない。(「基本的に」と書いたのは言語・記号で思考しうる外のことがらについてもぼんやりとならわかるからである。また言語・記号は根本的なパラドックスをはらんでいて、言語・記号による思考もこのパラドックスを逃れ得ないはずである)この言語・記号による思考の型をわたしは「物語」と呼んでいる。どんなに驚くような科学的発見もじつはこの「型」「物語」に沿ったものなのである。

2 わたしは筋トレをしているせいか、「あなたの身体はあなたが食べる物でできている」という言葉をよく聞く。しかし宇宙論学者にいわせると、われわれの身体はスター・ダストによってできているのだそうだ。面白いからちょっと説明をする。宇宙はビッグバンによってできた。ビッグバンによって核融合が起き、いろいろな物質ができるのだが、鉄とか亜鉛といったものはなかなかできない。こうしたある種の物質はビッグバン後、星ができ、その内部の核の部分で精製されるのだそうだ。そしていつか星は爆発を起こし宇宙にダストをばらまく。そのダストがまた集合して星を作る。それは鉄とか亜鉛とかをはじめからもつ星である。地球はそういう星なのだそうだ。われわれの身体を作る鉄やら亜鉛やらはスター・ダスト由来なのである。

3 科学者は文学を鼻で笑うけれど、彼らは文学的なるものにいともたやすく落ち込むことがある。われわれがいる宇宙というのはいろいろと生物の棲息に都合のよい環境ができている。たとえば地球は太陽から遠すぎもせず、近すぎもしない。粒子のレベルで見てもその属性はこの宇宙を存続させるにちょうど都合のいいものとなっているのだそうだ。こんなに都合良くすべてができているのはなぜか。この問いにある科学者は、神様がいるから、と答えるのだという。いやはや。

もちろん単なる偶然とみなす科学者もいる。だいたい神様がいると考えたところで、そこからなにか新しい考えが生まれてくるわけでもない。なのに、偶然の集合を、必然と勘違いしてしまうらしいのだ。これは恋人の言説とよく似ている。彼らは自分たちの出会いは運命に導かれていたのだと考える。実際は偶然に偶然が重なった事件にすぎないのだけれど、恋に落ちた人間はそれを必然と見なすのである。天変地異に意味を与えようとする人々もおなじような間違いに陥っている。東北に大震災がおきたとき、それを人間への罰だと云った人々がいるが、とんでもない。地殻の大きな動きは偶然に起きただけである。その偶然に意味を付与するなんて悪い冗談だ。わたしはそうした後付けの意味を「文学」と称しているが、こういうものに惑わされないように文学を研究するのである。つまり文学とは文学批判の謂なのである。

Tuesday, July 27, 2021

ゲーム実況者のための英語(9)

「ヤクザ・ゼロ」のいちばん最期の部分。主人公の一人真島が、愛する女のオルゴール時計を修理し、それを彼女に返す場面。そして真島がとうとうもう一人の主人公桐生と対面する場面。ゲーマーはみな Finally! とか Fated meeting と叫ぶ部分である。ビデオゲームをしない人のためにつけ加えると、ゲームのコントローラーはしばらく触らずに放っておくと勝手にゲームを一時中断させてしまう。

I can't deal with this emotion!

Jazz: Did he fix1 the watch?
Aenne: It's gonna pop out2 of the ground?
Jas: Did he bury it? Oh he did3 fix it.
Aenne: Stupid Majima.
Jazz: Aenne.
Aenne: Fucking Majima making me cry like a baby4.
Jazz: Because he loves.
Aenne: Oh, shit! I can't deal with this emotion!5
Jazz: Goddam it, controler!
Aenne: Oh my god! Thank you, controller, for giving me a moment6.

ジャズ:彼(真島)、時計を直したの?
アナ:地面から(時計が)飛び出してくるのかな。
ジャズ:彼は時計を埋めたの? ああ、本当に直したんだ。
アナ:馬鹿よ、真島は。
ジャズ:アナ。
アナ:真島の馬鹿。わたしを赤ん坊みたいに泣かせて。
ジャズ:彼は恋しているのよ。
アナ:ちょっと、なによ。わたしはまだ泣いているっていうのに。
ジャズ:このコントローラーめ。
アナ:ちょっと! ありがとう、コントローラー。おかげで一息つけたわ。

1 fix は「修理する」。
2 pop out は「飛び出す」。「~から飛び出す」という場合はこの文のように pop out of ... と言う。
3 この did は「本当に~したんだ」の意味。動詞で表現される事態が本当であることを強調するもの。did を強く発音していることに注意。
4 「赤ん坊のように泣く」という決まり文句。すぐ泣く人や、ぐずぐず言ってばかりの人を crybaby とも言う。Don't be a crybaby. 「めそめそするんじゃないよ」。
5 deal with は「対処する」。「この気持ちに対処できない」とは、真島の悲恋にまだ涙しているのに、待ちに待った主人公同士の出会いが訪れ、泣いたらいいのか、胸をどきどきさせたらいいのか、わからないということ。
6 この a moment は「一息つく間」の意味。コントローラーのおかげで混乱した気持ちをリセットする時間がもらえたわけである。

Saturday, July 24, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Ein Berliner Alltag

Irgendwo1 pfeift es2. Ich fahre3 aus dem Schlaf empor4. Ist es schon sechs5? Schnell das Licht an6! Wieder7 fünf Streichhölzer8, bis das Licht endlich brennt! Und sie sind so kostbar! Auf Zuteilung9 gabs10 schon lang11 keine12 mehr und schwarz13 kosten14 sie 30 West-Pfennig15.

逐語訳:Irgendwo どこかで pfeift es 汽笛が鳴る。Ich 私は aus dem Schlaf 眠りから fahre empor ハッと目ざめる。schon もう sechs 六時 Ist es かしら? Schnell はやく das Licht あかりを an (=anzünden) 点けよう! das Licht あかりが endlich 遂に brennt 燃える bis までには Wieder また(いつもの様に) fünf 五本の Streichhölzer 燐寸を(すらなければならなかった)! Und しかも Sie それらの燐寸は So とても kostbar 貴重 sind なのだ! Auf Zuteilung 配給では schon lang すでに久しく keine (Streichhölzer) mehr もはやマッチなんてものは gabs (= gab es) 手に入らなかった und そして schwarz 闇だと sie マッチは 30 West-Pfennig 三十西部片 kosten かかるのだ。

:【1】irgendwo: irgend は「不定詞」というものを作るための助詞です。疑問詞の前につけて不定詞を造ることもあり、またすでに存する不定詞につけて、不定の意をさらに強めることもあります。
irgendwo 何処かで
irgendwohin 何処かへ
irgendwoher 何処からか
irgendwann 何時か
irgendwie 何とかして
irgend (同)
irgendwer 誰かが
irgend jemand (同)
irgendwas 何物か
irgend etwas (同)
irgendwelch- 何等かの
irgendein- (同)
【2】pfeift es: Es pfeift (笛が鳴る、汽笛が鳴る)という非人称動詞。サイレンだったら Die Sirene heult (または ertönt)といいます。同じような非人称動詞の例:Es läutet am Telefon (電話のベルが鳴る)、Es schlägt zwölf (十二時が鳴る)。
fahren の具体的な意味【3】fahre......empor: 俄破と目ざめることを aus dem Schlaf emporfahren と云ったのですが、文字通りに訳すれば「眠りからハッと飛び立つ」とでも云ったような構造です。初歩単語としての fahren は、「乗物で行く」ことを意味しますが、その基礎をなしている fahren の具体的な意味を知っておく必要があります。日本語には「ハッと」とか「サッと」とか「スルスルと」とか「グイグイと」とか云ったように、運動の様相を実感的に描き出す擬音詞が豊富なので、動詞そのものによる表現力はすこぶる貧弱ですが、独逸語や英語は、そうした擬音詞を用いることが少いかわりに具体動作の微妙な様相を表現する動詞がすこぶる豊富です。殊に英語はその点あらゆる文化国語中の第一位と云っていいでしょう。ドイツ語も、英語ほどではないが、とにかくそうした動詞が多い。此の fahren は、「サッと動く」ことです。たとえば手をポケットへサッと突っ込むことを mit der Hand in die Tasche fahren といい、隕石が地中深くめり込むのも Der Meteorstein fährt tief in die Erde hinein といい、寝床から俄破とはね起きるのも aus dem Bett fahren です。テキストでは aus dem Bett ではなく aus dem Schlaf ですから、単に目がさめることを云うのですが、その目覚め方を一つの運動の如く表現しています。empor- すなわち「上へ」という前綴を用いたのは、睡眠という状態をば、たとえば深い底に沈んだ状態と見るからです。
【4】empor: in die Höhe というも同じ。
【5】sechs: sechs Uhr.
【6】an: an は、火を点す、という意味の動詞に附き物の前綴で、ちょうど英語の on にあたります。マッチでつけるのなら anstecken、anzünden、電気だとスイッチをひねるから andrehen (捻ってともす)、anknipsen (パチンとともす)などと云います。此の Schnell das Licht an! には動詞がありませんが、単に an だけでもって「点せ!」「点そう!」などの意になるのです。

光を…………点す
 |anzünden
das Licht |anzünde
 |andrehen
 |anknipsen
【7】Wieder: schon wieder (またもや、また候)の意。
【8】Streichhölzer: Streichholz, n. (燐寸)の複数形。streichen (こする)と Holz (木)とから、縮小形で Streichhölzchen とも云います。
【9】Auf Zuteilung: 「配給」(Zuteilung)という重要単語をよく覚えましょう。同じような「割りあて」は Rationierung です。――それから、何でもない auf (「で」)という前置詞の機能に注意。「配給で」の反対は「闇で」ですが、これも auf schwarz とも云えます(註12参照)。
|Zuteilung 配給で
|schwarz 闇で
Auf|Kredit 信用で、掛けで
|Abzahlung 賦で
|Abonnement 予約申込で
【10】gabs: gab's と書くのが正式ですが、ちかごろはどんどん一語扱いにします。gab es です。Es gab は「存在する」という用法以外に「預ける」「貰える」(man bekommt)という通俗の用法があります。(註48を見よ)。
【11】schon lang: schon lange に対する通俗形。schon längst とも云う。
【12】keine: keine Streichhölzer の代り。英の ~n't anyany には keine、keinen、keines などを用います。
【13】schwarz (闇では):これは auf Zuteilung と同じように auf schwarz ともいうのですが、ここではもっと簡潔に schwarz となっています。こうした粗略な形がモダーンになってきたのを見ても、いかに現在のドイツ人が「闇で」という句を頻繁に口にするかがわかります。schwarz は Schwarzmarkt (闇市;英:black market)から。
【14】kosten: 代価がいくらいくらかかる、ということを kosten と云います。Was kostet das? (それはいくらですか)、Das kostet zwei Mark (それは二マルクです)。
【15】West-Pfennig (西独フェンニヒ):現在用いられている単語としてよく覚えましょう。私も戦後はじめてドイツの新聞を見たので、はじめて此の単語に接したわけです。Mark (馬克)の方は、10 Mark West とか 10 Mark Ost とか云っているようです。Westmark、Ostmark とも云うのかも知れませんが、伯林の周囲の州の名が Mark Brandenburg で、これが普通単に Mark と云われていますから、Westmark などというと、地名とゴッチャになってずいぶん話が間違いそうです。或いはそのために Mark West というのかも知れません。なにしろまだ新聞を二三十頁よんだきりですから、たしかな事は不明です。

 Nun aber16 raus17 aus dem Bett18! Tante Berta19 und die Kinder schlafen noch. Wir schlafen im Winter alle im Wohnzimmer, es ist wärmer als im eiskalten20 Nebenzimmer. Also waschen21. Puh22! ist23 das Badezimmer kalt! Da steht der Gasbadeofen24 und der Warmwasserspeicher25 ist auch da, aber werden wir ihn26 je27 wieder anstecken28 können29? Ja, im „goldenen30“ Westen31! Aber in Berlin, in den Westsektoren32?

逐語訳:Nun aber さていよいよ aus dem Bett 床から raus 出よう! Tante Berta ベルター叔母さん und と die Kinder 子供たちは noch まだ schlafen 眠っている。Wir わたしたちは im Winter 冬は alle みんな im Wohnzimmer 居間で schlafen 寝る。es 居間は im eiskalten Nebenzimmer 氷のようにつめたい隣の間における als よりは ist wärmer より暖かい(から)。Also では waschen [顔を]洗いましょう。Puh! ウワーッ! das Badezimmer 浴室は kalt 寒い ist こと! Da そこには Gasbadeofen 浴室用の瓦斯ヒーターが steht ある und また der Warmwasserspeicher 湯のタンク auch も da そこに ist ある、aber けれども wir わたしたちは ihn そのヒーターを je いつか wieder ふたたび anstecken 点火することが können 出来る werden だろうか? Ja, それはもちろん im „goldenen“ Westen! 「黄金の」西[独]でなら(そんな望みもあるだろう)! Aber しかし in Berlin, 伯林で、in den Westsektoren 西方地区で(そんな望みがあるだろうか)?

さあさあ! nun aber / jetzt aber【16】Nun aber: 「さあ!」という督促の語調を表現するのが nun aber あるいは jetzt aber です。「さあさあ速く!」は Nun aber schnell! 「さあさあ行こう!」は Jetzt aber komm! 「さあさあ仕事にとりかかろう!」は Jetzt aber ans Werk! ――ついでに覚えていただきたいのはこういう時には動詞の過去分詞を用いることが多いという点です:Jetzt aber gearbeitet! (さあさあ勉強した!) Jetzt aber eingestiegen! (さあ乗車だ!) Nun aber alles gestanden! (さあ、一切合切白状した!)。
【17】raus: raus は heraus の略形ですが、通俗語では(特に北独)hinaus をも heraus をも共に raus といいます。(その他 hinein、herein を rein といい、hinauf、herauf を rauf というなど)。
【18】Nun aber raus aus dem Bett: は、註15で述べた文形を用いるならば Nun aber raus aus dem Bett gekrochen! (gekrochen は kriechen、匍う、より)あるいは Nun aber aus dem Bett rausgekrochen! (さあ床から這い出た!)しかし前出の Schnell das Licht an! と同じように、Nun aber raus! だけでも「さあ出よう!」の意になります。つまり、命令的な語調の文では、前綴だけで充分に意志が通ずるから、動詞の不用なことが多いのです。たとえば:「起きろ!」は Auf! (完全に云えば Aufgestanden! 「始め!」は Los! 「お這いんなさい!」は Herein! 「去れ!」は Hinweg! など。
【19】Tante Berta (ベルターおばちゃん):これは勿論、筆者に対して叔母さんの関係にあるのではなく、筆者の子供たちの叔母さんで筆者に対してはおそらく妹だろうと思います。日本でも西洋でも家に子供がいると、すべてを子供中心で呼ぶようになるのです。東京でも、子供のある妻君は良人のことを「おとうさま」と呼びます。私の娘たちなども、私に向って「おじいさん」とか「おじいちゃま」とか云います。孫が九人もいるからそうなったのです。
【20】eiskalt: こんな語は、すべて eis の方にも kalt の方にも、つまり両方ともアクセントつけて発音するがよろしい。たとえば totsicher (絶対確実)などでも tot と sich- との両方に力を入れて発音します。
【21】Also waschen: 此の文は、あんまり簡単すぎて、初歩の人はまごつくかも知れません。waschen は不定形のままです。「さて洗面と」「では洗面」「いよいよ洗面」です。日常会話や、日記や、その他簡潔を尚ぶ場合には、よく不定形のままが用いられます。Also arbeiten (では仕事でもするか)、Besser schlafen! (寝た方がました)、Nicht denken (考えては駄目)、Nur handeln (とにかく実行々々)など。
【22】Puh! おそろしい時、いやな時、たまらない時、悪臭に接したとき、などの間投詞。ここは突然寒気に接したからですが。Huh! とも云います。
Ist das aber kalt! おお寒い【23】Ist das......: 此の文は、間投文ですが、動詞が文頭へ行っているのに注意。通俗語では Wie kalt ist doch das Badezimmer! (何と浴室の寒いことよ!)などという代りに Ist das Badezimmer kalt! という形を用いることが多いのです。ここでは這入っていませんが、大抵よく aber を入れて Ist das Badezimmer aber kalt! という風に云います。「きさまは何て馬鹿野郎だ!」なら Bist du aber ein Döskopp! 「おれ達は運がよかったなア!」なら Haben wir aber Glück gehabt! 「この児は何て頭が好いんだろう!」なら Ist das Kind aber gescheit! など。――英語でも同様の構造を用いることがあります。Boy, am I glad to see you! とか Does he stink! (あいつのいやな匂い!)とかいったように。
【24】Gasbadeofen, m.: Gas (瓦斯)Bade (浴)Ofen (ストーヴ)。――Badeofen は風呂釜です。
【25】Warmwasserspeicher: Warmwassertank, m. とも云います。Speicher, m. というのは、倉庫、その他、何でも物を貯蔵するところを云います。
【26】ihm はもちろん前者の方を指します。火をつけるのはヒーターの方でしょうから。
【27】je: jemals (いつか)。
【28】anstecken: 註6.
【29】Ja: 「それは勿論」と自からうなずく ja。
【30】„goldenen“: 引用符がついているのは、近頃そういう通り言葉ができてしまっているからでしょう。golden というのは、Das Goldene Zeitalter (黄金時代)などという golden。
【31】Westen: もちろん Westzone (西方地区)即ち米英仏の占領地のこと。
【32】Westsektoren: 伯林に四ケ国が分拠している、その地区を Sektor (区)というのです。地域、即ち広い地帯のときは Zone と云いますが、伯林市の各地区のような狭い地区は Sektor といいます。Sektor は、Doktor などと同様、単数の際には前にアクセントがありますが、複数になって Sektoren となると -or- の方にアクセントが移ります。――それから、Aber in Berlin, in den Westsektoren? という疑問文は、否定文の代りです。否定文の代りに疑問文を用いるのは普通の現象で、たとえば「真夏にどうかと思うねえ……」と云ったような時には、単に Aber mitten im Hochsommer? と云えばいいでしょう。

 Nun rasch33 in die Kleider34! Der Rock35 ist hinten schon wieder so blank36 vom37 ewigen38 Radeln39, und die Schuhe haben schiefe40 Absätze41 und die Sohlen42 sind dünn. Wie lange werden sie es43 noch machen?

逐語訳:Nun さあ rasch はやく in die Kleider 着物を着よう! Der Rock スカートは vom ewigen Radeln のべつ幕なしの自転車乗りのために hinten うしろの所が schon wieder また候 so blank こんなに黒光りして ist, いる、und そして die Schuhe 靴は schiefe 歪んだ Absätze かかとを haben 持っている und そして die Sohlen 靴の底は dünn 薄っぺら sind だ。Wie lange 如何に長く sie 靴の底は noch まだ es machen 持ちこたえる werden だろうか?

:【33】Nun rasch: Nun aber rasch (さあ早く)です。(註15を見よ)。
„服の中へ滑り込む“という表現【34】in die Kleider: 直訳すると「着物の中へ!」ですが、これが着物を着ることです。英語もドイツ語も、着物を着ることを「着物の中へ滑り込む」とか「着物の中へ云々する」とかいう風に表現します(まるで着物を乗物か家屋のように考えているものと見えます)。たとえば「私はオーバーを着た」は Ich schlüpfte in meinen Überzieher (英:I slid in my overcoat)、「私の妻が私にオーバーを着せてくれた」なら Meine Frau half mir in den Überzieher (英:My wife helped me into my overcoat)、「かれはいそいでズボンをはいた」なら Er warf sich in die Hosen (英:He hustled into his trouserspants か)。
Der Rock: 男のは「上衣」、女のは「スカート」!【35】Der Rock には二つの意味があるから注意! 男について云う場合には「上衣」のことですが、女の場合は(本篇は女)スカートです。これはよくまちがえる有名な問題ですから、覚えておいて下さい。上衣とスカートじゃあ相当ちがいますからね。――いずれ皆さんに試験をしますが、これなどは好い問題ですな……。
【36】blank: フランス語の blanc [ブン]白い、から来た語ですが、英語にもドイツ語にも「白い」(weiß, white)という語が別にちゃんとあるから、blank の方は、「てかてか」、「白びかりのする」、「黒びかりのする」の意か(それが此の場合)、あるいは、いわゆるブランク、すなわち空白でなんにもない所のことを云います(英語の blank はもっぱら此の方の意)。
形容詞と von: 「何々のために云々した」【37】vom: 「なんとかのためにどうなっている」という時には von を用います(英は with)。Die Füße sind wund vom vielen Herumlaufen (足が方々駆けまわったためにうずく)、Die Hüften sind steif vom unbequemen Sitzen (窮屈な腰かけ方をしたために腰のへんが凝っている)、Ich bin ermüdet von der Reise (私は旅のために疲れている)、Das Zimmer ist ganz hell vom Mondschein (部屋は月光のために明るい)、Der Weg ist schlüpfrig vom gestrigen Regen (道は昨日の雨でぬらぬらしている)、など。英:The air was heavy with tabacco smoke (空中はタバコの煙でムッとしていた)。
【38】ewig: 永久の。(即ち、何々し通し、ということを誇張して云う)。
radeln: 自転車に乗る / auteln: 自動車に乗る【39】Radeln: 自転車は、完全にいうと Fahrrad, n. (bicycle) ですが、通俗には略して単に Rad といいます。英の bike ですつまり。そこで自転車に乗ることを radfahren と云う以外に、よく radeln といいます。同じく「自動車にのる」(auteln)というのも Auto (自動車)から作られています。
【40】Absätze: Absatz が靴のかかとです。(Absatz にはいろんな意味がありますから御注意、本書の「怪談」の記事参照)。
【42】Sohle, f.: これは靴の底、あるいは足の裏のこと。
【43】es machen: es は何を指しているのか? などと考えてはいけません。これは es machen という形の熟語で、es だけには何の意味もありません。「間に合う」、「役に立つ」、「持つ」、の意です。殊に es lange machen というと、主として「持つ」即ち無事で、達者で、寿命がつづくことを云います。Er wird es nicht lange machen といえば、「あいつはモウ先が長くない」ということになります。

 Unterdessen44 sind Tante Berta und die Kinder fertig, gewaschen, sauber45 angezogen46. Wir setzen uns an den behaglichen47 Kaffeetisch. Es gibt48 die übliche49 Nährmittelsuppe50 und Brot, geschmiert51 oder ungeschmiert, wie52 die Zuteilung es gestattet53.

逐語訳:Unterdessen そうこうするうちに Tante Berta ベルター叔母さん und も die Kinder 小児たちも fertig, 仕度がととのい、gewaschen 洗面もすみ sauber 小ざっぱりと angezogen 着衣して ist しまった。Wir わたしたちは an den behaglichen Kaffeetisch たのしい珈琲卓に setzen uns 着席する。die übliche Nährmittelsuppe おきまりの食糧品スープ und それから die Zuteilung 配給[事情]が es それを gestattet 許す wie に応じて geschmiert oder ungeschmiert [或いは]塗ったり或いは塗らなかったりの Brot パン Es gibt が出る。

:【44】Unterdessen: 「その間に」、「そうしている間に」、「そうこうするうちに」(一方では)の意。英:in the meantime, in the meanwhile あるいは単に meanwhile。――これは unterdes とも indes とも indessen とも云います。
【45】sauber: 「小ざっぱりした」、「小じんまりした」、「小綺麗な」、「きちんとした」ことを sauber といいます。
【46】angezogen: ちゃんとした服を着ることを sich anziehen といいます。その過去分詞です。(ちゃんとした、というのは、ねまきや、襯衣や、パジャマや、浴衣ではないということです。だから、同じ「服」という語でも、Anzug というと、ねまきや襯衣や、その他そんな変則的な服ではなく、お座敷に出られるようなちゃんとした服のことしか云いません。Der Herr ist nicht angezogen! といえば旦那様は、ねまきのままだとか、仕事着だとかシャツのままだとかいう申しわけです。まさか真ぱだかというわけではありません。
【47】behaglich: gemütlich と同じで、打ち寛ろいだ、気のおけないことを云います。あるいは通俗によく云う「たのしい」です(せまいながらもたのしい我が家、なんていうやつ)。
【48】Es gibt: 食事のときに御馳走が「出る」ことを es gibt というのです。Was gibt's zum Mittagessen? (お昼には何が出るか)とか Zum Abendessen gibt's Rindfleisch (晩は牛肉だ)などというのが日常ドイツ語です。
【49】üblich: 「例の」、「おきまりの」、「常例の」です。少し皮肉って「またか」といったような時には unvermeidlich (不可避の)などとも云います。此の筆者も配給のスープにはあきあきしているのでしょうから、ほんとうは unvermeidlich とでも云いたかったのでしょうが、米軍に対して配慮したのかも知れません。
【50】Nährmittelsuppe: 自家ですっかり初めから料理して作る Suppe ではなく、「滋養食糧」(Nährmittel)という名目の下に、カロリーの見地から支給される、おそらくは缶詰のスープなんでしょう。私も此の語には初めて接したので、そう想像するだけです。
【51】geschmiert oder ungeschmiert: パンにバターを塗る、靴にあぶらを塗る、その「塗る」が schmieren。
【52】wie: これは je nachdem (……に従って、……に応じて、……のまにまに)と同じです。
【53】gestatten は、「許す」すなわち ermöglichen (可能ならしめる)の意です。「事情の許すかぎり」と云ったような時の許すです。zulassen とも云います。

 Aber dann muß ich ins Amt54 und die Kinder zur Schule. Sie werden noch schnell55 beauftragt56, gleich57 nach der Schule das Strauchwerk58 von der Straße zu sammeln und nach Haus zu bringen. Die Straßenbäume in unserer Gegend werden gefällt59, die Bevölkerung60 darf das anfallende61 Reisig62 sammeln.

逐語訳:Aber ところで dann その次には ich 私は ins Amt 役所へ und そして die Kinder 子供たちは zur Schule 学校へ muß [行か]ねばならない。Sie 子供たちは noch schnell その際にチョット gleich nach der Schule 学校がすんだら早速 von der Straße 道路の das Strauchwerk 樹枝類を zu sammeln 集め und て nach Hause zu bringen 家へ持ってかえるように werden beauftragt 依頼される。in unserer Gegend わたしたちの附近の Die Straßenbäume 街路樹が werden gefällt 伐りたおされ[るので] die Bevölkerung 一般人民は das anfallende Reisig 屑として残る樹枝を darf sammeln 拾い集めてよろしい(ということになったからだ)。

:【54】Amt, n.: 「役所」、「局」、「署」です。Polizeiamt 警察署、とか Postamt 郵便局、とか Steueramt 税務署、とか。
noch schnell ちょっと(大急ぎで)【55】noch schnell: ふと思い出して、あゝそうだと云うので「チョット」物をたのんだり、タバコを買ったり、便所へ行ったりすることがありますが……ありますがじゃない、それがむしろ此のあわただしい人生の常態ですが、そうした時の「チョット」をドイツ語で noch schnell あるいは schnell noch というのです。――これは noch の方に「チョット」の意味があるので、たとえば汽車の出る間際に「ちょっと窓ぎわで」肝腎な用事を云いのこしたり(noch am Wagenfenster)「ちょっと通りすがりに」女の手を握ったり(noch beim Vorbeihuschen)するのが、すべて此の noch で表現されます。
独逸人は受動表現がマンネリズになっている。【56】beauftragt: 「依頼」(der Auftrag)という名詞から「用事をたのむ」という beauftragen が作られています。――次に、文法の見地から、sie werden beauftragt という受働文の此の場合における用い方に注目しましょう。日本語の意識から考えると、どうも此の場合に子供が主語になって受動の形が用いてあるのが奇妙な感じがしませんか? Ich beauftrage sie noch schnell (私は出がけにちょっと子供たちにたのむ)と云うべきはずの所が、「子供たちが頼まれる」という変な云い方がしてあるのは、日本人には当然奇異に感ぜられる筈です。――これはドイツ語の奇癖ともいう可き現象で、殊に、ごく事務的に、客観的に描写しようとする時には、やたらと受動形を用いることがドイツ人には一つのマンネリズムになっているのです。一日の行事を述べるにも、「先ず眼がさまされ次には欠伸がなされ(それが欠伸され)、やがて寝床が去られ、顔が洗われ、歯がみがかれ、食事が摂られ、仕事がととのえられて、それからそれが学校へ行かれ」るのが普通です。お料理の仕方をのべるにも、「まず野菜が細かく刻まれ、次に水が切られ」ます。吾人(man)が野菜を刻んだのではドイツ人の趣味には合わないものと見えます。困ったことだが、こういう悪趣味はマアどこの国語にもあるからやむを得ないでしょう。まあ、慣れることですな。
【57】gleich nach: 「の直後」(unmittelbar nach)というに同じ。
【58】Strauchwerk: 単に Strauch というに同じ。Strauch は英の shrub、つまり「灌木」が原意ですが、ここでは樹枝(Gezweig、Reisig)のことを灌木といったのです。太い幹がなくて、ただ枝と葉ばかりのゴシャゴシャしたものだからです。Werk というのは、Zueg (物、類)と同じで、色んな語のうしろにつけます。単に靴(Schuhe)と云えば好いところを、Schuhwerk と云ったりするなど。語によると Ge- をつけます。Gestein (岩石)、Gezweig (枝類)、Gevögel (鳥類)、Getier (獣類)など。物をアイマイに、総括的に指すために、こうしたものを前後につけるのです。
【59】gefällt: fallen (落ちる、たおれる)に対して fällen (たおす)という他動詞があります。(gefällt は gefallen、気に入る、とは関係なし)。
【60】Bevölkerung: 官僚用語で、地方民、一般人、地元の一般大衆のことを Bevölkerung と云います。
【61】anfallend: 副産物として、或いは屑として「出る」ことを anfallen というので、たとえば石炭の液化をするときに、ついでに之れ之れの物質が anfallen するなどと云います。茲も、街路樹を切るというのですから、枝をはらって、太い幹だけ持って行くので、たくさん枝があとに残る、即ち anfallen するわけです。
【62】Reisig, n.: Reiser (Reis の複)あるいは das Reisig は、榾(ほだ)、すなわち薪の細いのです。私は木曽にいましたが、木曽辺では「ぼや」と云っているようです。太い薪とはちがって、すぐボヤボヤと燃えてしまって、いっこうでがないからでしょうか。(それから、-ig という語尾の単語はほとんど凡て男性なのに、これだけは中性で、めずらしい現象ですから覚えておいて下さい)。

 Auf dem Rade überlege ich die Geldsorgen. Wir wohnen noch im elterlichen Haus. Alle haben Miete63 gezahlt, nur der Arzt nicht, der die erste Etage64 bewohnt65. Er hat sich sehr entschuldigt66, der arme Mann kann nichts dafür67.

逐語訳:Auf dem Rade 自転車上で ich 私は die Geldsorgen お金の心配を überlege 一考する。Wir わたしたちは noch まだ im elterlichen Haus 両親の家に wohnen 住んでいる。alle 皆が Miete 間代を haben gezahlt 払ってしまった nur ただ die erste Etage 二階を(に) bewohnt 住んでいる der ところの der Arzt 医師(だけが) nicht [間代を払わ]ない。Er かれは sehr 非常に hat sich entschuldigt 陳謝した。der arme Mann この気の毒な人は dafür それに対して kann nichts 何事もなし得ないのだ(=かれとしてはやむを得ぬ仕儀なのだ)。
:【63】Miete, f.: 家賃、間代(借りることを mieten というのから生じたもの)。
【64】die erst Etage: der erste Stock ともいう。一階にあらず、二階です。従って zweite Etage は三階、以上順々に数字がずれます。一階は Erdgeschoß (地階)といいます。そういえば日本語の方がむしろ間違っていると云っていいでしょう。一つも階が無いのを称して一階と呼び、一つの階があるのを称して二階と呼ぶが如きは、矛盾これより甚だしきはないでしょう。一階は無階、二階は一階と呼ぶのが正しい筈です。そうじゃないでしょうか?――Etage はフランス語ゆえ ge をジェと発音します。
【65】die erste Etage bewohnt: 単に wohnen を使うと in der ersten Etage wohnt ですが、be- のついた形を用いると直接四格を支配することになります。大抵の動詞はそうです。Man lacht über seine Eitelkeit または Man belacht seine Eitelkeit (人はかれの見栄坊を笑う)、Ich klopfe auf das Brett または Ich beklopfe das Brett (私は板をたたく)等。
【66】sich entschuldigen (英:excuse oneself、または apologize)弁解する、申しわけする、あやまる、陳謝する。
【67】kann nichts dafür: それに対して何とも致し方がない、処置なし。すなわち、そのお医者さんに責任はないという意です。

 Unterdes finde ich auf der Straße Koksstückchen68 und ich steige wohl fünfmal ab69, um sie in den70 für diesen Zweck am Rad hängenden Beutel zu sammeln. Als ich endlich im Amt ankomme, ist der Beutel halbvoll. Tante Berta wird sich freuen!

逐語訳:Unterdes そうしているうちに ich 私は auf der Straße 街路上に Koksstückchen コークスの片塊を finde みつける und そして ich わたしは sie それらのコークスのかけらを für diesen Zweck この目的のために am Rad 自転車に hängenden ぶらさげてある in den......Beutel 袋の中へ zu sammeln 拾い集めるために wohl およそ fünfmal 五度[ばかり]も steige ab [自転車から]降りる。endlich 遂に im Amt 役所に ich 私が ankomme 到着する(到着した) als 時には der Beutel その袋は halbvoll 半分通り充ちて ist いる。Tante Berta ベルター叔母さんが sich freuen よろこぶ wird だろう!

:【68】Koksstückchen: Koks は英の coke から来た語。したがって Ko は長く発音します。
【69】absteigen: 下は「下馬する」こと、今は何でも「降りる」こと。バスや電車は普通 aussteigen。
【70】den はずっと後の Beutel の冠詞。für diesen Zweck am Rad hängenden (この目的のために自転車にぶらさがった)は全体が一つの形容詞のようなもので、den と Beutel との間にはさまっているのです。これは英語にも仏語にも無い語順です。

意訳:どこかで汽笛が鳴る。はッと眼をさます。もう六時かしら? さっそく火を点そうとしたが、あかりが点くまでには、またマッチを五本もすってしまった。マッチは貴重だ。配給ではもう久しく来ないし、闇で買うとなると一箇がおどろく勿れ三十西独ペニイもする。
 さあ起きましょう! ベルター叔母さんも子供たちもまだよく寝ている。わたしたちはみんな居間の方にねることにしているのだ。隣の部屋はとても寒く、居間の方がずっと暖かなものだから。さて洗面。そのまた浴室の寒いことと云ったら、お話にもならない。風呂の瓦斯ヒーターもあり、湯タンクも立派にあるのだが、そもそもこんなものを燃せる時が来るかしら? 西独の楽天地ならいざ知らず、伯林西方地区なんてところにいては、そんな事は夢物語だ。
 さあ、はやく服を着よう。自転車にばかり乗っているのでスカートのお尻のところがまたテカテカになってしまった。靴も踵がちびてゆがんでいる、底もうすっぺらだ。何時まで持つものかしら。
 そのうちにやがてベルターおばさんも子供たちも仕度ができ、顔を洗って、きちんとした服装になる。やがてみんなで楽しい珈琲のテーブルに着く。御馳走はいつもの食糧品スープとパン。パンに塗るものは、その時々の配給次第で、あることもあり、ないこともある。
 それからわたしは役所へ、子供たちは学校へ行く。出掛け間際に、放課後はすぐ行って道路に落ちている枝を拾って家へもってかえるように子供たちにたのむ。附近の街路樹が伐採されるので、枝をはらったのを一般人が拾ってもいいということになっていたので。
 自転車で走りながら金のやりくりをかんがえる。わたしたちはまだ生家に住んでいるのだが、みんな間代を払ってくれたけれども、二階にいるお医者さんだけまだ払わない。なんだかとても断りを云っていた。気の毒に、どうにもならないらしい。
 途中、往来の上にコークスのかけらが落ちているのをみつけ、およそ五度ばかりも自転車をとめ、それを拾って、こういう時の用意にと自転車にぶらさげた袋に入れる。役所につく頃には袋に半分ほどもたまる。さぞベルターおばちゃんがよろこぶだろう。

Wednesday, July 21, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 166-170)


範例


(a) I could not but smile at the idea.

(b) I could not do otherwise than smile at the idea.

  私はそれを聞いて笑ふ(より)外、出來なかつた。

(c) I could not help smiling at the idea.

  私はそれを聞いて笑はずには居られなかつた。


解説

     | Who can but             |

(a)  | No one can but         | +Infinitive.

     |One cannot but          |

(b) One cannot do otherwise than  |

(c) One cannot help + Gerund.

(a)(b)(c) 同意義にして (a) の Cannot, dare not, who can, no one can 等の次には be anything 又は do anything を省略せり。

 but の次の Infinitive は上の例に於けるが如く "to" を略するを常とす。而てこの Infinitive は Noun Infinitive にして "but (=except)" の Object なり。猶ほ假に省略を補ひ、同意義の形を列擧すれば次の如し。

(1) Who could but (to) smile at the idea?

(2) No one could (do anything) but (to) smile at the idea.

(3) I could not (do anything) but (to) smile at the idea.

(4) I could not do otherwise than (to) smile at the idea.

(5) I could not help smiling.

(6) I could not avoid smiling.

(7) I could not forbear smiling.

(8) I could not keep from smiling.

(9) I could not desist from smiling.

(10) I could not refrain from smiling.

(11) I could not abstain from smiling.

(12) I could not hold back from smiling.

(13) I could not keep back from smiling.

         Etc.                      etc.


用例

1.  She could not but tremble at these preparations.

    N. Hawthorne

    女はこれ等の準備を見て震えざるを得なかった。

2.  The live crimson rushed madly over John's face. Mrs. Jessop saw it; she could not but see.

    Mrs. Craik

    ジヨンの顔はさつと眞赤になつた。ヂェソツプ夫人はそれを見た。見ざるを得なかつたのである。

3.  The way was so well known to her that she could not but wonder that she had failed before.

    A. Trollope

    道は夫人によく分つて居たのだから、どうして前に間違つたか不思議に思はざるを得なかつた。

4.  I could not but conclude that this promenade was chosen with an eye to secrecy; for the spot was open only to seaside.

    R. L. Stevenson

    斯んな所を撰んで散歩するのは人目を忍ぶ爲で有つたと斷ぜざるを得なかつた、と云ふのは、この場所は海の方へのみ開いて居たからである。

  with an eye to secrecy 「人目を忍ぶ積りで」。with an eye (a view) to は「……するつもりで」なり。

5.  I could not but think what a beautiful young man he must have been before he had learned to accept things as they are.

    C. Doyle

    事物を有りの儘に見るやうになる前には彼はさぞ立派な青年で有つたらうと思はざるを得なかつた。

6.  He could not but feel puzzled by so strange a state of affairs, which could put his "Dearest" in one house and himself in another.

    Mrs. Burnett

    彼は自分の「おつかさん」を一方の家に置き、自分を他方の家に置くと云ふ不思議な状態を見て變だなと感ぜざるを得なかつた。

  "Dearest (mother)" 母親のこと、其子が常に "Dearest (最愛の母)" と呼び居るが故也。

7.  When we look back to the events of our last war, we cannot but admire the devotion, the bravery, and the energy of those men who conducted it to so glorious a close.

    三二**(二字不明)

  吾人は最近の戦爭中に起つた事件を回顧する時は之をして斯の如き光榮有る終結を告げしめた人々の熱心、勇武、元氣を嘆美せずには居られない。

8.  I was taking a walk in this place last night between the hours of nine and ten, and could not but fancy it one of the most proper scenes in the world for a ghost to appear in.

  四三 東北農大

  私は昨夜九時と十時の間に此處で散歩をして居たが、幽靈が出るには最も適當な場所の一つと思はざるを得なかつた。

9.  For the moment, I was hurt; then I could not but respect the honest pride which thus intimated that he knew his own position, and wished neither to igonore nor to alter it; all advances between us must evidently come from my side.

  Mrs. Craik

  私は一時は不快に感じたけれども、ヂヨンは自分の地位を知つて居て、其地位を無視する事も變へる事も欲しない事を斯うして現はしたその正直な誇を尊敬せざるを得なかつた。故に二人の間の事は總て私の方から進んでせねばならなかつたのである。

10. He was, as I have said, a huge man enormous shoulders; and as he stood there, with his face flushed with rage and his sword advanced, I could not but think that, in spite of all his villainies, he had a proper figure for a grenadier.

    C. Doyle

    前にも云つた通り彼は肩幅の大きい魁偉なる男であつた。而て憤怒の爲に滿面朱を濺ぎ、刀を突き出して立つて居た時は悪人ながらも歩兵として立派な姿勢を持て居ると思はざるを得なかつた。

    In spite of all his villanies あのやうに姦悪なるに拘らず。


11. It was evident that she could not do otherwise than leave her fortune to these young people, because they no longer required it.

    V. Hugo

    彼女は此等の若い人達に財産を遺すより外ない事が明かであつた、と云ふのは、彼等は早やそれを要せないからである。


12. Finding it so directly on the threshold of our narrative, which is now about to issue from that inauspicious portal, we could hardly do otherwise that pluck one of its flowers, and present it to the readers.

    N. Hawthorne

  其薔薇今その不吉なる監獄の門から出で來ようとする物語の首途(かどで)にあるので、吾人は其花の一つを摘んで、之を讀者に呈せざるを得ない。

  Finding it it は監獄の門側に生へて居た薔薇(rose-bush)を指す。


13. From this moment he avoided him as much as he could, and when duty imperiously compelled him, and he could not do otherwise than appear before the Mayor, he addressed him with profound respect.

    V. Hugo

  この時から彼は出來る丈け市長を避けた。それから職務上どうでも市長の前に出ねばならなかつた時には、深き敬意を表して彼に話しかけた。

 when duty imperiously compelled him 職務がどうでも彼を餘儀なくした時には。


14. I cannot help forming some opinion of a man's character from his dress.

    四一 仙臺高工

  私は服装に依つて人の人物を幾分判断せずには居られない。


15. A born poet can no more help being a poet than an eagle can help soaring.

    三二 一高

  生れながらにして詩人なる人がどうしても詩人にならずに居られないのは丁度鷲がどうしても飛ばずには居られないのと同じである。

    a born poet...... soaring は A born poet cannot help being a poet just as an eagle cannot help soaring と解す可し。


16. "Have you any idea who did it?" "I couldn't help having an idea after what I've seen," he said.

  「誰がやつたと云ふお心當りが有りますか」「あれを見てはどうしても心當りがつかずには居られない」と彼は云つた。

  after what I've seen あれを見ては have an idea 見當がつく。


17. What makes the matter worse is, that we cannot help spoiling air ourselves by the very act of breathing.

    N. N. R. IV

    其上困る事は呼吸そのものに依つて我々自ら空氣を不潔にせずには居られない事である。

  What makes the matter worse 「其事を更に惡しくするものは……」にて「其上に」「おまけに」「糅てゝ加へて」などの意。the very act of breathing 「呼吸と云ふその事」にて breathing itself (呼吸そのもの)と云ふに同じ。


18. I could not help smiling at their vanity, particularly that of my wife, from whom I expected more discretion.

    O. Goldsmith

    私は彼等の虚榮心、特に妻の虚榮心を見て笑はずには居られなかつた。これ、妻には彼等よりも分別が有ると思つて居たからである。

  that は vanity。from whom I expected more discretion 「もつと考が有るだろうと思つて居たに全で子供のやうだ」の意。

Sunday, July 18, 2021

ケネス・バーク

ケネス・バークの議論は、「人間とは象徴・記号を使う存在だ」というところから始まる。そして象徴や記号の特質が人間的思考を支配するさまを鋭く指摘する。たとえば象徴や記号は個々別々のものを一般化、抽象化する。河原に転がる石は一つ一つが独自の相貌を持っているけれども、われわれがそれを「石」という語で指し示すとき、個々別々の相貌は消去され、石という観念があらわれる。これが一般化、抽象化だ。バークは国家とか人種をめぐって馬鹿げた戦争が起きているのは、人間がこうした抽象と現実を取り違えているからだと指摘する。民族とか国家とか人種とかいった概念はポストモダンの時期に盛んに脱構築されたが、バークはそれに先んじて、象徴・記号の観点からその作業をやっていたのだと言える。

バークは否定がいかに発生したかについて興味深い論文を残している。自然界には否定は存在しない。人間は「濡れていない」というけれど、自然界においてその状態はたんに「乾いている」だけである。人間はいかにして否定を獲得したのか。その発生を論理のレベルで考察したのである。それは肯定の内部から次第に否定が発生する過程をたどった興味深い論考で、わたしは大学生の時に読んで感銘を受けた。つまり肯定と否定は対立するのではなく、連続しているのだ。肯定の論理をつきつめると、いつの間にか否定に変化しているのである。

明暗、善悪、男女、上下、内外といった二項対立は二次元的、あるいは三次元的なイメージでとらえられているけれども、バークが考察しているような状態、つまり対立と見えるものが連続しているという事態は三次元的には考えられない。内部が同時に外部でもあるという事態はクラインの壺のように四次元的なものでなければならないからだ。

おなじことをもっと精緻に論理化したのがラカンである。ラカンも言語から出発して、その特性が人間をどう形づくっているかを検証していった。そしてその働き方を説明するのにメビウスの輪、クロスキャップ、クラインの壺といったトポロジカルなイメージを用いるようになった。

バークはそこまで自分の思考をつきつめているとは思えないけれど(いや、バークをすべて読んだわけではないから断言は出来ない)、しかしラカンとおなじ方向に進んでいたことはまちがいない。バークの研究はあまり盛んではないようだが、わたしは興味をもって読んでいる。

Thursday, July 15, 2021

エリザベス・マイアース「ミセス・クリストファー」(1946)

Elizabeth Myers (1912 - 1947) は才能豊かな作家として注目されたが結核のために早世した女性である。たまたま Internet Archive に本書があったので読んでみたが、一ページ目から度肝を抜かれた。

標題にもなっているミセス・クリストファーは社会的地位もある六十五歳のご婦人である。息子さんは警察の要職にある。しかし姪が放埒な生活を送り、麻薬などもやっていたため、とある悪党に強請をかけられることになった。彼女は姪に代わって強請の金を支払ってやっていた。

この悪党はミセス・クリストファーを含め四人の金蔓を持っていた。その三人を彼は自分の家に呼びつけ、さんざん嫌みを言う。金蔓の三人は弱みを握られているから反論もできない。物語はいきなりこの場面から始まるのだ。そして始まった途端、業を煮やしたミセス・クリストファーが拳銃を取り出し、一発で恐喝者を殺してしまう。最初の一ページにこんなことが書いてあるのだから、さすがにわたしもびっくりしてしまった。

その後、ミセス・クリストファーと三人の被害者は死体を残したまま、誰もいない恐喝者の家を出て行こうとする。全員がミセス・クリストファーに感謝し、警察が事件をかぎつけて、彼らのもとに来ても彼女のことは黙っているつもりだった。しかしミセス・クリストファーは誤ってあなた方が犯人扱いされてはいけないと、自分の名前を住所を明かして、去って行く。

このあとが少々奇妙なことになる。ミセス・クリストファーはそのまままっすぐ息子の家へ向かう。そして警察に勤める彼に、自分は殺人犯であると自白するのだ。そして息子は母親のキリスト教信者としての考え方を聞くうちに、おかしな誘惑にかられる。母親は残りの被害者三人は彼女が犯人であるとは絶対に云わないと考えている。しかしそうだろうか。そこでこう提案するのだ。お母さんはしばらくじっとしていて下さい。事件が発覚したら犯人の情報提供者には五百ポンドを出すという広告を出します。それを見て本当に三人の被害者がお母さんを裏切らないか、試してみましょう、と。

ミセス・クリストファーに「助けられた」ほかの三人の人々は、高額の賞金がもらえることを知り、どう反応するか。

センセーショナルな書き出しだが、じつは本書は T. F. Powys の作品のようなアレゴリカルな作品、あるいは Charles William の作品のような形而上学的作品だと言える。端的に言えば、ミセス・クリストファー(<b>Christ</b>opher) を裏切るか、裏切らないかという問題は、キリストを裏切るかどうかという問題、キリストを裏切るとはどういうことなのかという問題につながる。キリストは人類の罪を背負って十字架についたわけだが、ミセス・クリストファーも強請られている他の人々の代わりに罪を背負い、彼らを解放してやる。そして解放された人類が恩を感じるのではなく、キリストを裏切るように、強請の被害者だった人々も彼らを解放してくれた恩人を裏切るのである。当然ながら物語のあちらこちらに聖書への言及が見られるし、冒頭ミセス・クリストファーに銃殺される男の名前はサイン(Sine)で、これは Sin (罪)という語を内に含んでいる。いろいろな仕掛けがあって知的ゲームとしては面白い。また次のようなパラドクスを説いた一節は非常にラカン的である。

Life was a very queer game. Who'd have thought that to go free meant that you had to live under discipline! Who'd have thought that doing exactly as one liked was not freedom but captivity to a horror--the horror of realizing that without taboo everything was of equal value and, consequently, no value, and the will so far from being an instrument of power became a mere will-o'-the wisp; that real freedom meant doing what somebody else liked--what God liked--God whom he denied but in whom he could not help believing.

この点はわたしもまったく同じことを考えている。

さらに罪(guilt)の観念と金(経済)の関係が描かれているが、これは前から気になっていたテーマである。キリストが人類の代わりに罪を背負い、われわれを罪から解放したとき、じつは我々はキリストに負債を負うことになる。この自由・解放が負債・重荷によって可能になるという構造は貨幣経済をも支配しているのではないのか。貨幣を得ることは負債を背負い込むことではないのか。この問題については、時間をおいて本作を読み直し、もう一度考えたいと思う。

ただ、神学的な議論があまりにも生な形で提示されていて、それが興をそいでいる感じはぬぐえない。T. F. Powys や Charles William はそこをうまく物語に落とし込んでいるのだが、その巧みさが若きマイアースにはまだなかったのだろう。しかし可能性を秘めた作家であることはよくわかる。もっと長生きしてたくさんの作品を残すべき人だったと思う。

Monday, July 12, 2021

ザ・アレスビス「誰がコーラリーを殺したのか」(1927)

 以前おなじ作者の「死者の徴」を読んで面白かったので、それより二年前に出された本作を読んでみた。「死者の徴」は筋運びが巧みで、途中まで圧倒的な面白さをを維持しつづけたが、本作はそれほどでもなかった。舞台はサンフランシスコのチャイナタウン。チャイナタウンだからそこにある店は中国系の移民が経営しているのだが、じつは二軒だけアメリカ人の店があった。霧の深いある晩、そのうちの一つで殺人事件が起きる。誰もいないはずの店内で店主の女性が椅子に座ったまま死んでいたのだ。それを発見したたった一人の店員は大声をあげて外に飛び出してくる。現場の近くにたまたま来ていた新聞記者のダービーは、殺人現場の目撃者となり、この事件の解決に乗り出すことになる。

「死者の徴」ほどではないけれど、ダービーがチャイナタウンにたむろするあやしげな乞食や巨漢や医者などに出会い、話を聞きながら、しだいに事件の真相に迫っていく過程はまあまあ面白い。日本の作家で云えば岡嶋二人の作品のような面白さだ。時流に乗った話題を巧みに取り入れ、深さはないけれども、そのぶんテンポよく物語を進めていく。

数年前に「死者の徴」を読んでから作者のザ・アレスビスとは誰なのだろうと思っていたが、Allen J. Hubin による Crime Fiction IV: A Comprehensive Bibliography 1749-2000 によると、これは Helen Rose Bamberger (1888-1940) と Raymond Steven Bamberger (1877-1957) という夫婦のコンビ名であるらしい。彼らはこの名前を使って小説を三作出している。

Friday, July 9, 2021

ゲーム実況者のための英語(8)

「ヤクザ・ゼロ」には悠然と通りを歩く巨漢が登場する。この巨漢と戦って負けると有り金をみな取られてしまう。しかし勝てば彼が持っている金を全部自分のものにすることができる。巨漢は強力な敵だが、勝てば大金が手に入るので、たいていのゲーマーは巨漢を見つけるとすぐにセーブポイントへ行ってセーブし、彼に闘いをいどむ。セーブするのは負けても金を失わずにやり直せるようにするためだ。

Out of my way

Oh! Do I......Is this my chance to1 fight him?
Save your2 game, save your game.
I wanna fight, I wanna fight, I wanna fight him.
Out of my way.3
I'm taking this sucker4 down.
I got my sights on him5 Look, he is right there.6
I'm taking him down7.
Hey, buddy!
He hasn't noticed me yet.
Senpai! Notice me8.

あら。わたし……彼と戦えるのかな?
セーブしよう、セーブしよう。
戦いたいの、戦いたいの、戦いたいの。
どいて。
あいつを倒すんだから。
見つけたわよ。 ほら、あそこにいる。
倒してやる。
ヘイ、あんた!
まだ気づかないわ。
せんぱい! わたしに気づいて!

1. this is my chance to ... 「これは……する機会だ」This is my chance to escape. 「逃げるチャンスだ」This is my chance to show people what I can do. 「こいつはぼくの才能をみんなに見せるチャンスだ」なお、クリスタルさんが次の行で「セーブしよう」と言っているのは、セーブしないでこの大きな男と闘い、負けてしまうと、有り金を持って行かれてしまうからである。
2. your は操作しているゲームの主人公に語りかけて言っている言葉。
3. out of my way は Get out of my way の省略形。「わたしの道から出ていけ」つまり「どけ、どけ」という意味。
4. sucker にはいくつかの意味がある。一つは「騙されやすい人」。もう一つは for を伴う形で「……が大好きな人」(I am a sucker for video games. ぼくはビデオゲームが好きで好きでしょうがない)。ここでは単に「やつ、野郎」の意味。
5 get my sights on とは「見つけてそれに狙いを定める」という意味。 6. right there 単に He is there でもいいが、right を加えると「ちょうどあそこ、すぐそこ」という意味になる。
7. take...down ここでは「倒す、やっつける」という意味。
8. Senpai! Notice me. 日本のアニメによく出てくる言い廻しを使っている。

Tuesday, July 6, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Herr Berndt ist soeben ausgegangen

Du willst Herrn1 Berndt2 besuchen. Du gehst zu seiner Wohnung und klopfst an die3 Haustür4 oder drückst5 auf den Knopf6 der elektrischen Klingel7. Die Tür geht auf8. Das Dienstmädchen erscheint. Da fragst du: „Empfangen9 die Herrschaften10?“ oder „Ist Herr Berndt zu sprechen11?“

逐語訳:Du 汝は Herrn Berndt ベルント氏を besuchen 訪問しようと willst 思う。Du 汝は zu seiner Wohnung かれの住居へ gehst 行って und そして an die Haustür 玄関の扉を klopfst たたく oder 或いは der elektrischen klingel 電鈴の auf den Knopf ボタンを drückst 押す。Die Tür 扉が geht auf 開く。Das Dienstmädchen 女中が erscheint あらわれる。Da すると du 汝は fragst 問う:die Herrschaften 御主人たちは Empfangen? [客を]引見しますか? oder あるいは Herr Berndt ベルント氏は zu sprechen 面会すべく Ist? ありますか?

:【1】Herrn Berndt: Herr をつけた場合の格変化を此の表に示します。もっとも、実際的にはこの外に、よく定冠詞を附しても用います:der Herr Berndt, des Herrn Berndt[s], dem Herrn Berndt, den Herrn Berndt,――たとえば、「ベルント氏のお宅」は Herrn Berndts Wohnung あるいは Die Wohnung des Herrn Berndt です。(Herr Berndts Wohnung あるいは Die Wohnung des Herrn Berndts とも稀には云います。ドイツ語の文法というやつは、こういう点が、どうも画一的に簡素化されていないので困りますが)
Herr Berndt ベルント氏は
Herrn Berndts ベルント氏の
Herrn Berndt ベルント氏に
Herrn Berndt ベルント氏を
【2】Berndt: 人名にはよく dt という綴字が出て来ますが、d は発音しません:Bernhardt, Reinhardt, Bodenstedt, Langenscheidt, Mundt, Wundt, Schmidt 等々。
【3】an die: an die Tür klopfen で「扉をノックする」(稀には an der......とも云いますが、an die の方が普通)
【4】Haustür: 部屋の扉と区別して、玄関の扉をかく云う。
【5】drücken: drücken が英 press で、drucken が英 print です。意味も綴も似ているのでよく初学者が混同します。
【6】Knopf: ボタン(英:button)。もちろん服についているボタンのことをいうのですが、電鈴のボタンにも用いるのです。
【7】Klingel, f. 「呼鈴」のこと。一名 Schelle ともいう。elektrisch (電気の)のアクセントに注意。-isch の語尾のときは、必ずその一つ前にアクセントがある。(die elektrische Klingel = 英:the electric bell
【8】geht auf: aufgehen (あく)。auf- が英の open に相当する:aufstoßen 押しあける:push open、aufziehen 引き開ける:pull open、aufspringen バッと開く:swing open、aufwerfen 烈しく開ける:throw open.
【9】Empfangen: empfangen は、物のときには「受け取る」、人の時には「引見する」、「接見する」、「迎える」。だから元来は Gäste empfangen (客を迎える)という可きところですが、普通は Gäste を省いて empfangen だけですでに「客と会う」意味に用いられます。たとえば Mein Vater empfängst nur sonntags (父は日曜日を面会日ときめています)などと云うのがそれです。参照:Empfang, m. 接待。Empfangszimmer, n. 応接室。
【10】die Herrschaften: 此の語は一種の敬語で、いわゆる「皆さん」にあたります。大勢に向って呼びかけるときなどには、極くなれなれしく云う時には Kinder! (boys!)と云いますが、丁寧に云うときには Herrschaften! (gentlemen!) Meine Damen und Herren! (ladies and gentlemen)です。呼びかける時ばかりではない。此の場合のように、家の御主人や、奥さんや、その他の家人を一括して丁寧に呼ぶ「こちらさま」というやつには die Herrschaften というのです。Empfangen die Herrschaften? はつまり「こちらのお宅の方々は今日は来客をお通しになりますか?」ということで、これが面会に行った際の最も丁寧な最初の挨拶であるということをよくおぼえておく必要があります。
【11】Ist......zu sprechen: sprechen (話す)という動詞を直接人間の四格とともに用いると「会見する」意味になります。だからこそ Ist er zu sprechen? (かれは会見すべくあるか?=かれに会見できますか?)ということが言えるわけです。
Ich habe ihn gesprochen 私は彼に面会した。
Ich habe mit ihm gesprochen 私は彼と話した。

 Nun aber12 hört man oft fragen13, ja14 bei uns15 in Japan16 ist es sogar17 zur einzig18 möglichen19 Formel20 geworden: „Ist Herr Berndt zu Hause21?“ Diese Wendung22 ist nach Möglichkeit23 zu vermeiden24. Sie setzt stillschweigends25 voraus26, daß, wenn einer27 zu Hause ist, er ohne weiteres28 auch zu sprechen sein soll29. Dies30 ist aber eine ziemlich starke31 Zumutung32, die höchstens33 unter34 den besten Freunden möglich ist. Eine solche Frage klingt35 nicht wie eine Erkundigung36, sondern beinah37 wie eine Kreuzfrage38. Welch ein energisches Vorgehen39 dem andern40 erst mal41 den Rückzug abschneiden42 zu wollen43! Welch44 ein unliebsames45, heimtückisches46 Verfahren47, den andern gleichsam48 in die Falle49 zu locken50!

逐語訳:Nun aber ところで扨て man 吾人は oft しばしば fragen [次の如く]問うのを hört 聞く、ja いな、それどころか bei uns 我々の許(=我が国) in Japan 日本に於ては es それは einzig möglichen ただ一つ可能なる zur Formel 形式に sogar すら ist geworden なってしまっている(というのは即ち次の文句が):Ist Herr Berndt zu Hause? ベルント氏は御在宅ですか? Diese Wendung 此の言い廻しは nach Möglichkeit できるだけ zu vermeiden 避けるべき ist である。Sie 此の言い廻しは einer 或る人が zu Hause ist 在宅である wenn ならば er その人は ohne weiteres ただちにもって auch 同時にまた zu sprechen 面会可能で sein ある soll はずのものだ daß ということを stillschweigends 暗黙裡に setzt voraus 前提する。Dies 此の事は aber 然しながら höchstens たかだか unter den besten Freunden 極く仲の好い友達同士の間においてのみ möglich ist 可能なる eine ziemlich 相当 starke ひどい Zumutung 強要 ist である。Eine solche かくのごとき Frage 問いは eine Erkundigung 問い合せ wie のごとく nicht ではなく sondern むしろ beinah ほとんど eine Kreuzfrage 対決尋問 wie のごとく klingt ひびく。dem andern 相手に対して erst mal まず以て den Rückzug 退却(=退路)を abschneiden 遮断せんと wollen 欲する zu がごときは Welch ein 何たる energisches 強硬なる Vorgehen! 行動ぞや。den andern 相手を gleichsam さながら in die Falle 罠の中へ locken 誘い[込む] zu とは Welch ein 何たる unliebsames 意地のわるい heimtückisches 陰険なる Verfahren! やり口ぞや!

:【12】Nun aber: 順序通りに訳すと「さて然し」、これは「ところでさて」という熟語としておぼえること。
【13】hört man......fragen: hören という動詞には直接 fragen 等の不定形を結びつけて「云々するのを聞く」という意味になります。Ich höre ihn laut lesen (私はかれが声を出して読むのを聞く)など。相手の人間(ihn)を一格にしないで四格にするところに注目。このテキストでは相手の人間は省かれていますが。
【14】ja: この ja は「否、それどころか」という時の ja です。たとえば、「それはむつかしい、否それどころか不可能だ」は Das ist schwer, ja unmöglich です。(英語では nay とか ay とか古いところでは、たとえば沙翁の劇曲などでは yea という語を用います)
【15】bei uns: 「われらが許」とは、「僕たちのとこ」の意にも用い、また此処のように「我国では」の意にも用います。
【16】bei uns in Japan: 副詞的な句を連続して二つ用いる癖については前号„Mehr Physik!“の註を見よ。
【17】sogar: この語は、独立してこれだけを訳するとすれば、「あまつさえ」、「それどころか」、「おどろくなかれ」、「遂には」とでも云うより仕方がありません。しかし、この語が他の語あるいは他の句の前に置かれるときには、「……すら」、「……さえ」、「……まで」にあたります:sogar im Wasser (水中ですら)、sogar Herr Berndt (ベルント氏さえ)、sogar am Sonntag (日曜日にすら)、Er klopft sogar an die Tür! (かれは遂には扉までたたく!)、――此のテキストの場合も sogar zur einzig möglichen Formel (唯一の可能なる形式とすら)とつづけて考えること。――なお、動詞とも結合できます。そういう時には、最も軽い gar を用いることもできます:Er empfängt gar! (あの男、来客にまで会う!)
【18】einzig: 唯一つ。(allein と同じ)もっとも、これは形容詞にも用いられる語ですから、einzigen (=alleinigen) となってもよいところです。
よく混同される三語:
einzig 唯一の
einig 二三の
einzeln 個々の
【19】möglich: 「可能な」という語は、英独とも、社交界用語としては、「おかしくない」、「習慣上許された」の意味に用いることがあります。その反対は unmöglich (英:impossible)で、これは「おかしな」、「どうかと思われるような」、「そんなのは無いでしょうと云いたくなるような」、です。たとえば、美容院へ行ったら、「おかしな」パーマーに結っちゃって、これじゃあはずかしくて人前に出られない、といって憤慨するときには、英語なら an impossible perm! ドイツ語なら eine unmögliche Dauerwelle! です。
【20】Formel, f.: 習慣や申し合せできまっている「型」や「形式」や「式」を云います。ここはつまり Stehender Ausdruck (きまった云い方)の意です。
【21】Ist Herr B. zu Hause?: Ist Herr B. da? とも云う。
【22】Wendung, f.: ちょうど「云い廻わし」(すなわち「文句のひねりかた」)にあたる語。wenden という動詞は、縦にしてみたり横にしてみたり、いろいろに「ひっくりかえす」こと、すなわち「ひねる」ことです。やかましく云えば Redewendung (文句の云い廻し)、Ausdrucksweise (表現様式)
【23】nach Möglichkeit: 「なるたけ」、「できるだけ」という熟語。möglichst とも云います。形容詞や副詞の前では möglichst を用いて möglichst viel (なるたけ沢山)あるいは so viel wie [nur] möglich (なるたけ沢山)と云います。
nach Möglichkeit できるだけ
nach Tunlichkeit できるだけ
nach Kräften 力の及ぶ限り
nach Herzenslust 思う存分
nach Leibeskräften 一生懸命
【24】ist zu vermeiden: 「避けるべきである」ですが、ここの「可き」(ist zu)は、「ねばならぬ」の方の意。すなわち Das soll man vermeiden というに同じ。――前に Herr Berndt ist zu sprechen (ベルントさんは面会可能である)というのがありました。此の ist zu と、ここに出て来た ist zu とを比較して見ると、ist zu には大体二つの場合があることがわかりましょう。(漢語の「可き」にも同様の区別があります。「避く可し」といえば、[A]避けることが可能である、という場合と、[B]避けよ! という場合とがあります。だから ist zu [英:is to]は、漢語の「可し」と全然同じなのです。)
【25】stillschweigends: 「暗黙裡に」、「暗に」、「それとなく」、という副詞です(英:implicitly; impliedly)あるいは「云わずと知れた」何とかかとか云いますが、あれにちょっと似ています。たとえば「のみ」と云えば槌は云わなくても含めてあるときに stillschweigends というのです。――近頃よく云うことばに、「すいう含みでやってくれ」とか、「この言葉にはすいう含みがあるんだ」なんて事を申します。月給の方は出来るだけなんとかする、というのは即ち大体半年後位には一万円位にするという「含み」はあっても、辞令にはそんなことは書いてない、そこが「含み」なんで、大いに含んで待っていると、半年たっても一年たっても何の音沙汰もない……ということもあるでしょう。此の「含みとして」は unausdrücklich とも云い、その反対の「はっきりと口に出して」、「表向きに」の方は ausdrücklich と云います。また、英独とも、論文などではラテン語を用いて explicite (明文的に)、implicite (含意的)にと云うこともあります。法律や哲学をやる人には非常に重要な術語です。なほ stillschweigends は、うしろの s を取った stillschweigend の形でも用いられます。また、形容語として用いる際にはもちろん s は除きます。たとえば黙契、無言の諒解、すなわち所謂る「含み」は ein stillschweigendes Einverständnis (英:a tacit agreement あるいは a tacit understanding)です。 ausdrücklich 口に出して(言葉にして)
英:explicitly
unausdrücklich それとなく
英:implicitly
【26】setzt voraus: voraussetzen (前提する)とは、考えの出発点としている、ということ。(Sie setzt voraus, daß......は Ihr liegt der Gedanke zugrunde, daß...... あるいは Sie geht von der Meinung aus, daß......)
【27】einer: これは man というに同じ。(man を使うと、これを次に er で受けることはできませんから、er ohne weiteres 云々は man ohne weiteres 云々とかわらなければなりますまい。)
【28】ohne weiteres: これは熟語で、「直ちに以て」、「一足飛びに」、「何の造作もなく」です。一つの事から次の事への移り行きが、何のめんどうもなく、一挙に運んでしまうという時に ohne weiteres 「わけもなく」、「手もなく」、「あっさりと」というのです。「あっさりと兜をぬぐ」なんてのもこれで、ohne weiteres die Waffen strecken (あっさりと武器を差し出す)です。
【29】soll: sollen という助動詞は「可き」という意味ですから、sein soll で「ある可だ」となります。
【30】Dies = Dieses (この事は)
【31】stark: ひどい、はげしい、無茶な。
【32】Zumutung: 虫のいい期待、あつかましい要求、のことを云います。元来の意味としては、べつにあつかましいとか虫のいいという意味はないのですが、実際用いる時には、そういう悪い意味に用いることが多いのです。
【33】höchstens: 「たかだか」、「せいぜい」です。hö の発音は長いから注意(hoch も「ホーホ」です。―― -stens という語尾で「最大限度」または「最小限度」を示す副詞が若干あります故、左表の単語だけはおぼえておくこと。―― -stens の語尾の代りに zum~sten という形式を用いてもよろしい。即ち zum höchsten, zum mindesten, zum frühesten など。(am~sten)と混同しないこと!)
höchstens 高々
wenigstens 少くとも、せめて
mindestens 少くとも、せめて
frühestens 早くとも、早くて
spätestens おそくとも、おそくて
【34】unter: zwischen ともいう。英:among, between
【35】klingt: 日本語でも、そんなことを云うと「ひびき」が悪いなどと云いますが、英独も「耳ざわり」の問題を klingen (英:sound)「ひびく」という動詞で表現します。
【36】Erkundigung: 「問い合せ」、「お伺い」のことを Erkundigung または Anfrage と云います。sich erkundigen (たずねる)に対する名詞です。たとえば Er erkundigte sich nach meinem Befinden (かれは私の容態をたずねてくれた)など。
【37】beinah: 「ほとんど」は beinah あるいは beinahe、または fast です。その他、誇張して「ほとんど」、「まるで」という時には geradezu、direkt とも云います。此の場合も geradezu と云ってよろしい(「まるで……のようにきこえる」)
     |beinah[e]
ほとんど |fast
     |geradezu
【38】Kreuzfrage: 裁判の用語で、いわゆる「対質訊問」、「対決訊問」すなわち、法廷で堂々と相手にむかってイエスかノーか、ハッキリした責任ある答辞を求めることを云います。戦犯裁判のときにラジオで中継されたのはみな此の Kreuzfrage (英:cross-examination)のところです。それから転じて、普通は何でも「対決」したり、「きめつけ」たりすることを Kreuzfrage と云います。
【39】Vorgehen: よく「相手の出方を見て……」などと云う、あの「出方」が Vorgehen です。(英:move)したがって、斯う斯ういう態度に出る、斯ういう手を打つ、などというときに so und so vorgehen といいます。energisch vorgehen といえば、強硬な態度に出る、です。
【40】dem andern: いわゆる「当の相手」、「先方の男」のことを der andere と云います。Da antwortete der andere とあれば、「すると相手は答えた」です。Gesprächspartner (英:interlocutor)「話し相手」とも云えます。
【41】erst mal: 「先ず以て云々してかかる」という「先ず以て」です。たとえば語学をやるには、「まず文法を研究しなければなりません」(Man muß erst einmal Grammatik studieren)、研究も研究だが、「その前にチョット先ず一服しなくては」(Da muß man erst mal rauchen)、など。mal は完全に云うと einmal です。発音も、本当は「マール」ですが、「ちょっと」という時には短かく「マル」と発音する方が普通です。 erst mal  |
erst einmal |先ずちょっと
【42】den Rückzug abschneiden (退路を遮断する)は熟語。
【43】zu wollen (欲するということ):英語の will には(元来の助動詞用法すなわち動詞の不定形と結びつく用法においては)to will などという不定形は存在しませんが、ドイツ語の will には wollen という立派な不定形があります。それの他、canmust なども同じで、英語の方は不定形がありませんが、ドイツ語の方は können、müssen という不定形があって、しかも頻繁に使用されるのです。
【44】Welch ein (何たる……ぞや!):was für ein と同じで「何という……だろう!」という時に用います。次に出て来る solch ein (かくの如き)と同様、不定冠詞のみが語尾変化をして、welch、solch の方には語尾をつけません。
【45】unliebsam: 「不親切な」、「意地のわるい」という形容詞。-sam (ザーム)というのは、英語の -some で、よく出てくる形容詞の語尾です。(ただし、意味と構造の一致しているのは heilsam = wholesome [身のためになる]ぐらいなもので、その他は、英が -some だからといってそれに平行したドイツ語が -sam という語尾を持っているとは限りません)――すぐ次に出てくる gleichsam は副詞です。
【46】heimtückisch: 「油断のならない」、「いんけんな」、「気のゆるせない」、「たちの悪い」。
【47】Verfahren, n.: 英:procedure (やり口、やり方)、従ってまた「手順」、「手続き」、あるいは犯罪に関してならば「手口」のことも云います。「これはどういう風な具合にやりますか?」(Wie macht man das? あるいは Wie verfährt man dabei?)「やり方が少しひどすぎる」(Was für ein ungerechtes Verfahren!)
gleichsam (英:as it were)謂わば[まるで]【48】gleichsam: 少し誇張して形容するときに「謂わばまるで……」何とかみたいだとか、「なんてことはない、まるで……」みたいだとか何とか云いますが、その「なんてこたない」とか「謂わば」とかいうのをドイツ語では gleichsam、英語では as it were と云います。(as it were はまるで文章みたいですが、一単語と思って好いのです――たとえば、「私は謂わば間違って結婚したようなものだ」なら Ich heiratete gleichsam aus Versehen (英:I got married, as it were, by mistake)――「謂わば」という意味には、この外になお sozusagen (英:so to speak)というのも使います。この方は力が弱く、単に不適当なことばを使うための申しわけです:Ich heiratete sozusagen aus Versehen (I got married, so to speak, by mistake)。――最も力の強いときには förmlich、geradezu、または direkt (なんてことはない、まるで;云々というも過言にあらず)英:actuallypositively)です:「かれはなんてことはない、まるで自殺したようなものだ」:Er beging geradezu Selbstmord (英:He positively committed suicide)。
【49】Falle, f.: 「わな」、「陥穽」(英:trapsnare
【50】locken: 誘う、いざなう、誘惑する。

 Das erprobteste51 Mittel, solch einen taktlosen52 Störenfried53 mit Anstand54 heimzuschicken55, ist und bleibt56 die bekannte Notlüge57: „Bedaure58, Herr Berndt ist soeben59 ausgegangen.“  Das60 „soeben“ darf61 nicht fehlen62, denn das Wörtchen63 soll64 unzweideutig65 andeuten66, daß Herr Berndt so bald nicht67 wieder da sein68 wird.

逐語訳:solch einen かくのごとき taktlosen 調子を心得ぬ Störenfried 平和攪乱者を mit Anstand 体裁よく heim-zu-schicken 送還する[ための] das erprobteste 最も試験済みの[最も確実な] Mittel 手法は die 次の如き bekannte 衆知の Notlüge 方便の嘘 ist である und と同時に bleibt 今度といえどもまたそうであろう:„Bedaure, お気の毒様、Herr Berndt ベルント氏は soeben たったいま ist ausgegangen お出かけになりました。“  Das „soeben“ 此の「たった今」というやつが fehlen 落ちては darf nicht ならないのである。denn いかんとなれば das Wörtchen 此のちょっとした一言が Herr Berndt ベルント氏は so bald そうすぐには wieder da sein かえっては来 nicht wird ないだろう daß という事を unzweideutig 露骨に andeuten ほのめかす soll ことを目的としたもの[だからである]。

:【51】erprobt: 「試験された」という元意から、もはや何度も試みられて、大丈夫という保証のついた、絶対確実と折紙のついた、という形容詞。同意の語に bewährt、probat もあります。
【52】taktlos: Takt, m. (調子、拍子)というのは要するに社交上の礼儀作法のことで、一名を der gute Ton とも云います。「拍子」と云い「音(ね)」(Ton)と云い、すべて音曲に関係のある語をもって来て社交上の微妙な呼吸を表現するところに注目。人に接する態度というものはほんとに歌を唱うったり楽器を弾いたりするのと同じで、拍子が百分の一秒おくれてもおかしい、早すぎてもおかしい、――褒めすぎると笑われる、褒め足りないと恨まれる、そのへんの「呼吸」がなかなかむつかしい、その「呼吸」のことを Takt というのです。taktlos (呼吸を心得ない)というのは要するに「礼をわきまえない」、「不作法な」です。
【53】Störenfried, m. : Fried は Friede (n) 平和、で、stören は「邪魔する」、「乱す」。人名に Siegfried とか Gottfried とか Winfried とかいうのが多いので、それに似せて作った「邪魔者」という語。
【54】mit Anstand: Anstand は「体裁」(anständig、体裁の好い)で、mit Anstand が「体よく」(即ち事を荒立てず、あたり触りなく)という副詞。
【55】heimzuschicken: heimschicken は nach Hause schicken、すなわち「家へ送る」、すなわち「帰らす」、「帰宅させる」こと。帰宅させるというのは、もちろん「追っ払う」、「玄関払いをくらわす」ことです。――なお、「剣つくをくらわす」ことを jemandem gehörig heimleuchten (或人に・しこたま・帰路を照らす)というのなどもこれと同じ云い方です。「お茶でもくらってサッサと帰れ」、「顔でも洗って出直せ」という風な態度を取ることを、灯をかかげて客を家から送り出すという動作によって表現するわけです。
ist und bleibt 何と云っても……である/断然……である【56】ist und bleibt: 単に ist という代りに、強めて ist und bleibt ということがあります。bleibt というのは、何と考え直して見ても矢っ張り考えが動かない、という点を強張するために附け加えるのです。Das Leben ist schön ならば単に「人生は美しい」、Das Leben bleibt schön ならば「人生は依然として美しい」、両者を合して Das Leben ist und bleibt schön と言うと、「いや、人生は何と云っても美しい」という意味になります。
【57】Notlüge, f.: 方便の嘘、窮余の嘘、其の場を取りつくろうための苦しい嘘を云います。だから大抵は Ausflüchte, pl. 遁辞、言いのがれ、の意味になります。――此の Not- は「やむを得ぬ」、「窮余の」、「緊急の」、「苦しまぎれの」です。Notlandung (不時着陸)、Notverordnung (緊急法令)、Notdach (間に合わせの屋根)、Notberuf (一時しのぎの職業)、Notverband (仮包帯)、Notwehr (正当防衛)、Notmaßnahme (応急措置)など。
【58】Bedaure: これは Ich bedaure (私は残念に存じます)の省略形で、英の I am sorry にあたります。英語の I am sorry もよく単に sorry と略されますが、それと同じわけです。
【59】soeben: たった今。単に eben とも云いますが、普通は念を入れるために soeben の方をよく用います。
【60】Das „soeben“: soeben は別に名詞ではないのですが、随時にちょっと名詞として用いたわけで、Das Wort soeben と同じ。名詞でないものを随時に名詞として用いるときには凡て中性として扱います:Was heißt das „aber“? 「然し」とは何事だ! など。
【61】darf nicht: 「……してはならない」此の場合は muß nicht とも soll nicht とも云えます。)dürfen は元来は may (……しても宜しい)に該当する助動詞ですが、nicht と共に用いると、「云々してはならぬ」。
【62】fehlen: 落ちる、脱ける、落脱する、欠ける。
【63】Wörtchen, n.: Wort に対する「縮小名詞」(Diminutiv、ディミヌィーフ)です。Wörtlein とも云えます。どんな名詞でも -chen、-lein の語尾を附して「小さな……」の意の名詞、すなわち縮小名詞を作ります。 用途・目的を云い表わす sollen【64】soll: sollen という助動詞は色々なときに用いますが、ここのは、「……する目的のものである」、「……する為めのものである」という語法です。たとえば、「これはいったい何の為めのものですか?」という時には Was soll das? と云えばわかります。答えとしては Das soll die Wäsche festhalten (それは洗濯物をはさんでとめておくためのものです)とか Das soll die Zaungäste fernhalten (それは野次連を近づけないようにするためのものです)とかいうことになります。助動詞というやつは、一般的な意味を知っただけでは駄目で、この場合のような具体的な「意味形態」を知る必要があります。
【65】unzweideutig: zweideutig は「意味が二様にとれる」すなわち「あいまいな」で、un- がつくと「はっきりした」、「露骨な」です。ここは副詞用法。
【66】andeuten: 英の hint (ほのめかす、匂わす、示唆する、暗示する)。すなわち unausdrücklich に(それとなく)伝えることです。
【67】so bald nicht: 意味は nicht so bald (そう早くは……しない)と同じですが、こういう風に nicht をうしろへ廻すと、so に力が這入ります。So einfach ist die Sache nicht (問題はしかし簡単に非ず)、So tragisch muß man das nicht nehmen (そうマア問題をむつかしく考えない方がよろしい)。
【68】wieder da sein: あるいは wieder dasein あるいは wiederdasein とも書きます。ほとんど zuruückkommen、heimkommen、zurückkehren、nach Hause kommen などと同意の熟語です。wieder zurück sein とも云います。

意訳:たとえばベルントさんを訪問したいと思う。するとまず其の宅へ行って、玄関の戸をたたくなり、ベルのボタンを押すなりする。すると扉が開いて女中が顔を出す。すると「御都合はいかがでしょうか?」あるいは「ベルントさんにお目にかかれるでしょうか?」と云って問う。
 ところが、往々にして、いや、本邦においてはそれがむしろ唯一の可能なる形式となってしまった観すらあるが、「ベルントさんは御在宅ですか?」と云って訊く人がある。此の言い廻わしはなるたけ避けた方がよい。此の言い廻わしは、およそ誰でも、在宅である以上は亦直ちに以て面会可能なるべき筈のものと無言裡にきめつけてしまっている所があるからいけない。これはずいぶん厚かましい態度というべきで、そうした態度は、最も仲の好い間柄に限って許さるべきものである。そう云う風な問い方をすると、伺っているというよりはむしろ対決でもしているような感じを与える。そもそも、いきなり相手の退路を遮断してかかろうなんて、そんな乱暴な出方あったものではない。それではまるで相手に鎌を掛けるようなもので、そんな人の悪い、腹黒いやり方ってあったものではない。
 そういう、礼をわきまえない五月蠅いお客を体よく追払うための最も好い方法は何かと云うと、それは即ち今も昔も、例の「あら、ベルントさんはたったいまお出掛けになりましたんですけど……」という誰知らぬ者なき見えすいた言いのがれである。
 「たったいま」というのが落ちてはいけない。この何でもない一語はベルントさんはそうすぐには帰って来ないぞということをハッキリほのめかすためのものだからである。

Saturday, July 3, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 165-166)


範例


I have hardly a moment I can call my own.

自分の時間と云ふのは殆ど一分も無い。


解説


To call (a thing) one's own.

  = To claim or regard as one's own.

 己の物と云ふ。

 己の物と見る。


用例


1.  She darn't call her soul her own.

    Dickens

    彼の女は自分の心をも自分のものと呼ぶ勇気がない。


2.  I've not had five minutes I could call my own the whole day.

    H. C. Pemberton

    わたしなんか自分の時間てものは一日の中五分も有りはしない。

the whole day 終日。


3.  Tonight the hours are our own: how know we to whom they shall belong tomorrow?

    H. Haggard

    今晩は私共の時間だが、明日は誰のものになるか分らない。

As for は如何にと云ふに。left it to drift 漂ふに任せた。


4.  As for Job, he had long since abandoned any attempt to call his reason his own, and left it to drift it upon the sea of circumstancs.

    R. Haggard

    ジョッブはと云うに、彼は早やずつと前にその理性を自分のものと呼ぶ事をやめて了つて、事情の海の上にそれを漂はせて了つた。


5.  Well, I at least resemble the disciples of Esculapius in one thing -- that of not being able to call a day my own, not even that of my betrothal.

    A. Dumas

  で、わしにはエスキュラピアスの弟子に似て居る點が少くも一つはある。一日も、いや、自分の結婚披露の日をさへ自分のものとは云へないと云ふこの一事である。

the disciples of Esculapius 「エスキュラピアスの弟子」とは「醫師」を云ふ(醫師は忙はしきものにて何時呼び立てらるゝやも知れずとの意) Esculapius は「醫術の神」なり。前の that は thing と同格、後の that は day と同格。


6.  To supply our own need, within the narrow limits of the few and transient hours that we can call our own, is enough for the wise everywhere, as it was for Montaigne in his tower.

    P. G. Hamerton

 古今東西、如何なる場合に於ても、賢き人に取つては、自分の時間と云へる僅少な過ぎ易い時間の、狭い範囲内にて、自分の必要を充たすことが出來れば、それで充分である、例へばなほ塔の中に籠つて研究して居たモンテーンに取つて、それが充分であつたと同じである。

Montaigne (1533-1592) 仏蘭西の文章家。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...