Friday, May 31, 2019

A. Fielding という謎の作家

プロジェクト・グーテンバーグ・オーストラリアを見たら、先月、今月と A. Fielding の作品がデジタル化されてコレクションに加わっている。

A. Fielding は謎のミステリ作家で、生年も没年も不明である。ペンネームに A. Fielding あるいは A. E. Fielding あるいは Archibald Fielding を用いていたが、本名は Dorothy Feilding であるらしい。貴族の Lady Dorothy Feilding ではないかといわれたこともあったが、gadetection の記事によると、これは間違いのようだ、とある。ある人が当時の電話帳や選挙人名簿を使ってこの作家の足取りを追跡しようとしたが、結局たいしたことはわからなかった。

ただ1920年代から40年代にかけて発表された二十数冊のミステリ小説だけが残っている。二十世紀に入っても作者の伝記的情報がまったくわからない例があるというのはちょっと驚きである。こうした例は彼女だけでは無いのだけれど。

わたしの記憶が正しければ、たしかクリスティが A. Fielding の愛読者だったはずだ。わたしは A. Fielding の「牧師館にて」(Mystery at the Rectory 1936)を読んだことがあるが、文章が素人的であること、稚気に充ちた仕掛けがあること、犯人の意外さという点でクリスティによく似ていると思った。他の作品も読みたかったのだが、あのころは PDF にも text ファイルにも epub ファイルにも電子化されたものがなかったのであきらめた。

それがプロジェクト・グーテンバーグ・オーストラリアで次々と電子化され、目録を見ると A. Fielding の未読の作品が六冊も収録されている。これから全部読まなくちゃならない。

Wednesday, May 29, 2019

エドナ・ファーバー

プロジェクト・グーテンバーグ・カナダが五月の十六日にエドナ・ファーバーの「ソー・ビッグ」を蔵書に加えた。Fadepage.com も今年に入ってこの本を電子化した。作者は1968年沒だから、今年彼女はパブリック・ドメイン入りしたのである。しかもピューリッツァー賞を受賞した名作だから今年に入ってさっそく電子化の作業が始まったのだろう。

「ソー・ビッグ」とは妙なタイトルだが、主人公は生まれたときに非常に大きくて、そのため「とても大きい」が彼のニックネームになってしまったのである。

それはともかく、エドナ・ファーバーの本なんて図書館でも書店でも見たことがないと、ふと思い、調べて見たら、「ソー・ビッグ」は1956年に山西英一に訳されて以来、新訳は出ていない。公立図書館の所蔵状況はどうなのだろうと調べたら、国立国会図書館を含む四館にしかこの本はない。たぶんどこの図書館でも書庫入りしているだろうから、一般人がこの本を目にすることはまずないだろう。

映画にもなった「ジャイアンツ」はどうだろう。これも1956年に山西英一が訳して以来、新訳は出ていない。公立図書館の所蔵状況はというと、これは十四館にあるようだ。映画になった分だけ数は多い。

ついでだから「サラトガ本線」はどうだろう。これは1950年に竹内和子という人が翻訳を出している。これは九館に本が所蔵されている。

1952年に大久保康雄が訳した「ショウ・ボート」はどうかというと、これは十四館に本がある。

しかし前述した理由からたぶん本を目にする人はいないだろう。

「氷の宮殿」や「シマロン」は映画化もされたけど、日本語訳すら出てないようだ。この前、アーノルド・ベネットの翻訳を調べたときも肝腎な作品が訳されてなかったり、入手困難な状況に陥っていることを知り愕然としたが、エドナ・ファーバーもそうなのか。日本は翻訳大国などといわれるが、案外たいしたことはない。

Monday, May 27, 2019

オートミール

食事はなるべくタンパク質を多く摂り、脂質を減らすようにしている。揚げ物などはもう何年も食べていないし、見ただけでいやになる。

主食はオートミールだ。お米はほとんど食べない。ボディビルダーが減量するときはオートミールを食べると聞いて、どんなものだろうと思っていたが、繊維質やミネラルがお米よりも多いし、実際に牛乳などでふやかして食べてみると、お粥と変わりない食感である。味がないので好きなように味付けができる。

調理が簡単というのもいい。お米は炊かなければならないが、オートミールは容れ物から出して五分以内に調理が完了する。わたしがよくやるのはオートミールをレンジパックに入れ、スライスした乾燥ガーリックを加え、さらに削った鰹節を細かく手で砕いてたっぷり混ぜ込む。それに水を加え、生卵二つを上に載せてレンジで温める。五分くらいで結構おいしい食事ができあがる。

問題は値段だが、これが実は安いのである。別に名前を出してもいいと思うが、わたしの家の近くの業務スーパーに行くと、五百グラムのオートミールが158円で手に入る。一回の食事で食べるのは四十グラムぐらいだから、この値段で十食以上はまかなえる。ちなみにガーリックや鰹節も業務スーパーで大きな袋に入っているやつを買えば、食費は隨分節約できる。業務スーパーはすごい、偉い、と大声で宣伝しておこう。

オートミールを食べはじめて体調もやや変化した。まず便通がよい。これは食物繊維が多いせいだろう。またやたらと腹持ちがいいのでオートミールを食べた後は次の食事まで間食をしなくなった。

わたしは味には頓着しないたちなので、これはいいものを見つけたと思っている。

Saturday, May 25, 2019

ジュニア・タッグ

ジュニア・タッグの季節が来た。ヘビー級に較べるとどうしても見劣りがしてしまうジュニア戦線だが、各選手ともそれは自覚している。どうやってジュニアを盛り立てていくか、それぞれ考えて試合をしているのだ。わたしはその姿勢が好きだし、だからこそ全日本のジュニアを応援する。

今回のバトル・オブ・グローリーでわたしが注目するのは岡田佑介とフランシスコ・アキラのチーム。思いも寄らぬ組み合わせだが、いずれもこれから上位を脅かそうと狙っている新鋭達である。しかもどちらも気合いが善く、見ていて気持ちがいい。岡田は技に派手さはないが、情念を感じさせるねちっこさがある。アキラは軽さは感じさせるが、すばやくて技の引き出しが新しい。この両者がどんな化学反応を見せるのか、じつに楽しみだ。アキラの身体がどれくらいできてきたのかも注目である。

今回はツトム・オースギ&バナナ千賀組と、Kagetora&ヨースケ サンタマリア組という、わたしが全く知らないチームも参戦している。名前からしてキャラの強そうな連中が集まったが、真面目な選手が多い全日本の戦いに、ちょっとしたスパイスを加えてくれそうな予感がする。

Tuesday, May 21, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 37-40)

範例
I
(a) Go and tell him all about it.
(b) Come and tell me all about it.
II
(a) Go tell him all about it.
(b) Come tell me all about it.
(a) 行て一切を彼に語れ。
(b) 來て一切を我に語れ。

解説
 Iの如く go, come, try, send 等の Verb の後に用ひたる and は目的又は結果を示す Infinitive の to (= in order to)......と解す可し。
 されば
(a) Go and tell him about it.
(b) Come and tell me all about it.

(a) Go to tell him all about it.
(b) Come to tell me all about it.
と解す可きものにして to tell は Purpose を示す Infinitive Phrase なり。
 II は I の and を省略したるものにして I と同義なり。
 但、この and は二個の行爲を結ぶ Conjunction に過ぎずして此語に目的又は結果の意有りと云ふにはあらず、唯前後の文勢より其意を生ずとの謂なり。
 猶ほ此處に云ふ and は俗語又は方言に在りては前記以外の Verb にも用ひらる。

用例

I

1.  Well, try and think.
    それなら、考へて見よ。
2.  Do go to his house and thank him.
    Johnson
    禮を云ひにあの人の家に行きなさい。
3.  You will come and see us sometimes, won't you?
    時々遊びにいらつしやい(ませんか)。
4.  What I did do, was to try and gain time by questioning her.
    W. Collins
    私の實際やつた事は色々尋ねて見て時間を引き延ばさうとするのであつた。
5.  Try and keep Rochester at a distance: distrust yourself as well as him.
    C. Bronte
    ロチエスターさんは遠ざけるやうにするがよい、自分もあの方をも信賴せぬがよい。
6.  "I will go and help her," said Lord Arleigh, looking at Phillippa's face.
    M. Clay
    アーレー卿はフイリツパの顔を見ながら云つた「私が力になつてやらう」。
7.  If any of my readers should be disposed to think me weak, let him try and imagine the situation.
    J. E. Muddock
    讀者の中、若し私を臆病だと思ふ者が有らば此時の場合を想像して見るがよい。
8.  "Try and profit by me," continued the stream; "you are idle, or work and complain, I work and am happy."
    N. E. R. III.
    小川は續けて云つた「私のする事を見て利益を得るやうにしなさい、お前さんは遊んで居るか、働いて不平を云ふかして居るが、私は働いて滿足して居るのです」。

II

1. Go look up the tree and see if there is any ripe fruit on it.
    H. R. Haggard
    行つて樹を見て熟した果物が有るか御覽なさい。
2.  Come along, and let's go see the cocking-match at Winchester.
    W. M. Thackeray
    さあ、ヰンチエスターへ闘鶏を見に行かう。
3.  The bowsprit, shrouds, and bobstay -- well, go see how they look.
    V. Hugo
    突梁、網具、斜檣支索……いや、貴樣行てどんなか見て來い。
4.  And now I must go saddle the brown mare, and be off to Norton Bury.
    Mr. Craik
    では僕は鹿毛に鞍を置いてノートンベリへ行て來よう。
5.  A hollow wind did seem to answer, "No! Go seek elsewhere."
    G. Herbert
    聲低き風は答ふるが如く見えぬ「否、行いて他に求めよ」と。
6.  "I go shoot at the camp-meeting at Stamford," replied the Indian.
    N, Hawthorne
    「私はスタムフオードの郊外會に射撃に行きます」と印度人は答へた。
7.  The mother blessed her son, and bade him go strike a blow for his country.
    G. P. Quackenbos
    母は其子に祝福を與へ「行て國家の爲に一撃を打てよ」と命じた。
8.  Then we shall go to the theatre in Duke Street, where we shall meet Mohun; and then we shall all go sup at the Rose or the Greyhound.
    W. M. Thackeray
    それから我々は公爵町の芝居に行つてモーハンに會ひ、それから薔薇樓又は獵犬亭へ晩餐をたべに行くのだ。
9.  Go draw the cork, tip the decanter; but when your great toe shall set you a-roaring, it will be no affair of mine.
    N. Hawthorne
    行いて栓を抜き德利を傾けよ、併しお前さんの拇指が痛んで苦痛の聲を揚げてもそれは決して私の知つた事では有りません。
10. "Go call Sir Oliver!" said Sir Nigel; and presently the portly knight made his way all astraddle down the slippery deck.
    C. Doyle
    「行てサー・オリヴーを呼べ」とナイジエルが云ふと間も無く肥満した武士が滑かな甲板に馬乗りになて下りて來た。
11. "Very well," cried I, "that's a good girl, I find you are perfectly qualified for making converts, and so go help your mother to make the gooseberry-pie.
    O. Goldsmith
    「なるほど。感心な子だ、噫人を改心させる事がうまからう、だから行て阿母さんに手傳てすぐり饅頭を拵へるがよい」。
  that's a good girl (= you are a good girl)「お前感心な子だ」

Sunday, May 19, 2019

「微妙な依存関係」マイケル・タルボット作

マイケル・タルボットは1953年にミシガンに生まれ、1992年、三十八歳で亡くなった。彼の早すぎる死はほんとうに残念だ。彼は「超一流」というにふさわしいホラー作家だったから。アイデアだけでなく、文章でも読ませる才人だった。

Delicate Dependency (1992).jpg

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バンパイア小説である The Delicate Dependency「微妙な依存関係」は、ヴィクトリア女王時代のイギリスを舞台にしている。医学者であるグラッドストーンは、ふとした機縁から若くて美貌のバンパイアを家に泊めることになる。このバンパイアはグラッドストーンの家を出るとき、なぜか彼の娘を誘拐していく。

グラッドストーンは娘を取り返すためにフランス、そしてイタリアへと向かい、そこではらはらどきどきの冒険を繰り返す。その過程で彼はバンパイアがはるか昔から人間たちといっしょに共存してきたこと、そして今、彼らがなにか大きな企みをくわだてていることを知る。

その企みとはなにか。彼は娘を取り返すことができるのか。

そういった内容である。

語り手は医者のグラッドストーンで、ヴィクトリア女王時代の書き手らしく、物語の進展はゆっくりとしていて、しかも説明が細かい。短気な人なら飛ばし読みをしそうな書き方だが、なにしろ文章がすばらしいから、しっかりと読んでしまう。わたしは大衆文学こそよい文章で書かれねばならないと固く信じている。

変わった表題がついているが、これを説明するとネタばらしになるので、やめておく。

この作品はホラー小説という親しみやすい形式はとっているものの、いくつか考えるべき問題を含んでいる。知は人間の栄光であると共に、まさしく人間それ自体をほろぼすような禍々しいなにかでもある。知のこのような背反的性格にどのようにどのように立ち向かうべきなのか、われわれはまだ答を見出していない。そのことをわたしはこの作品を読み終えてあらためて思った。

またヴァンパイアが人間社会に介入・操作するやり方、つまり幻とミスコミュニケーションは、じつはヴァンパイアがいなくても人間の社会において常に起こらざるをえない、ある種の揺れ、不安定性のことではないか。人間はシンボルを使ってコミュニケーションをはかり、文化を発展させるが、このシンボルの体系には必然的にある種の脆弱性がつきまとう。それは予期しない誤解や間違いをかならず生み出すのだ。ヴァンパイアはシンボル体系に寄生し、その制御不能な位相として働いている。このとらえ方はなかなか面白く、わたしはもっと時間をかけて考えて見たいと思う。

マイケル・タルボットはこの作品の他にも「夜の怪物」という傑作を書いている。興味のある方は是非一読を願いたい。

Friday, May 17, 2019

筋肉と寝返り


変なタイトルだが、たぶん筋トレをしている人なら経験があると思う。腕や胸の筋肉が大きくなると、寝返りを打つとき、それまでとはちがった感覚を味わう。

腕が太くなると、寝返ろうとしたとき、腕にその動きを阻止されることがある。腕が細かったころは、軽々と腕の上を乗り越えて身体がごろりと回転したが、太くなると、道を遮る倒木のように、身体の動きを邪魔するのである。はじめてそれを経験したときは、びっくりして夜中に目が覚めてしまった。

胸の肉がついてくると、俯けに寝たときに、肥大した胸が圧迫されて、ちょっとだけ苦しい。睡眠には問題ないが、一瞬、胸が邪魔だと思う。筋トレをするなら睡眠環境も整える必要があると、ごろ寝しながらわたしはよく考える。

Wednesday, May 15, 2019

コンピュータと文学

買い物をするたびにいつも思う。レジの行列はなんとかならないのか。レジ打ちの人がピッと音がするまで機械の前でバーコードをかざす。音がしないときは鳴るまで何度もバーコードの部分を広げて商品を左右に振らなければならない。将棋や囲碁やチェスでは人間の実力を越え、車の自動運転を可能にし、会計士を失職させるくらい優秀なコンピュータだが、こんな単純な作業をこなすシステムが開発されていないところを見ると、案外たいしたことはないなとも思う。

ガーディアン紙に「ロボット作家の台頭」という記事が出ていたが、わたしは眉につばしながら読んだ。案外面白い記事である。

最近 GPT2 というテキストの書けるマシーンが出来たらしい。それを作った技術者は悪意のある利用を避けるため、調整された上位モデルはリリースしないと言っている。

なんだか物騒な物言いだが、じつはこの GPT2 は統計的な分析手法を利用するだけのものらしい。つまり元となるデータがあって、それを分析してつぎに来そうな文章を作っていくのである。

たとえばオーエルの「1984」の出だしの文章「四月の明るく寒いある日、時計は十三時を打った」を与えると、こんなふうに続けるらしい。「わたしは車に乗って新しい仕事をしにシアトルへ向かっていた。わたしはガソリンを入れ、鍵を差し込み、車を走らせた。わたしはその日がどんな日になるか想像してみた。今から百年後だ。二千四十五年にわたしは中国の貧しい田舎で教師をしていた。わたしは中国の歴史と科学の歴史からはじめた」

なんだかよくわからない内容ができあがる。一応英語の文法は守っているようだ。しかし「高慢と偏見」の出だしを与えてできた文章は文法も間違っている。

GPT2 に Brexit の記事を書かせるともっとひどい。笑ってしまったのは「英国は将来上位十大学のうち最大三十パーセントまでを失う」という表現で、いくら understatement の得意な英語といえども、ここまでもってまわった言い方はコミックノベルのなかでくらいしかお目にかかれない。

記事の書き手も現状を見る限り、空港で売られている型にはまったスリラーを書かせたり、人間が書いたラフな原稿を編集したり磨きをかけることになら GPT2 は使えるかも知れないと言っている。

われわれはすべては詰まるところデータであると考えがちだ。だから大量のデータを扱うシリコンバリーはなんでもできると思ってしまう。

しかし書くことはデータ処理ではない。「それは表現の手段であり、それを使うということは、あなたがなにか表現したいことを持っていることを意味する。意欲をもたないコンピュータ・プログラムは表現したいものを持たない」「ロボットが豊かな内面を持ち、まわりの世界を理解できるようにならなければ、物語を語ることはできない」と記事の書き手は言う。

これは正直、問題のある発言だ。たとえばすぐれた書き手は豊かな内面を持っているのか、とか、内面、すなわち意識とはある種の錯覚ではないのか、などといった議論が噴出してくるからである。

しかし人間のシンボル利用が、たんなるデータ処理ではない、という点は、わたしも同意する。たとえば GPT2 が作ったという文章を見て思ったのだが、そこには「否定文」が出てこない。もちろん記事で紹介されているのはほんの一部なので、実際には否定文も作るのだろうけど、人間のように否定が使えるかどうかははなはだ疑問である。たとえばスラヴォイ・ジジェクが言っていたが、「ミルク抜きのコーヒー」と「砂糖抜きのコーヒー」はどちらもブラックコーヒーだが、人間はそこに区別を見る。実際、この区別を利用したジョークもある。しかしコンピュータにその区別ができるだろうか。ジジェクはコンピュータの専門家幾人にもこの質問をしたそうだが、だれもはっきりした返事はできなかったという。

ケネス・バークは言語の起源は否定にあると主張していたが、コンピュータがどれくらい否定を、さらには否定の否定を、理解できるのか、興味深いところではある。

Monday, May 13, 2019

著作権法という矛盾

以前、自分の翻訳作品が海賊版として流れたらどうするか、というようなことを書いたが、ここでは著作権という概念それ自体がある種の矛盾を含むということについて書こう。

子供が大きくなる過程で、大人の「真似をする」ように、文化を身につけるというのは他者を摸倣すること、他者からなにかを借りることである。日本に文学が生まれたのは、中国が漢字を用いるという事実を知って衝撃を受け、それを輸入し、みずからも用いたからである。短歌には本歌取りという技法があるが、あれは他の歌の力を借りることで己の世界を広げようとするものである。文化を広げるという動きそのものが技法という形に結晶化したのだ。小説の分野で言えば、画期的な小説というのはみんなパロディなのだと言っていい。それはそれまで主流を占めていたある型を摸倣しながら、しかしあらたな形を作り出した作品なのである。「ドンキホーテ」だって「ユリシーズ」だって「ボバリー夫人」だってそうだ。シェイクスピアの戯曲ももととなる逸話が存在している。彼はそれを反覆しながら、そこに新たな認識をもたらしたのだ。文学だけじゃなく、文化全体が真似をすること、借りることを基盤に発達してきた。

わたしはサブカルチャーにはまったくうといのだが、コミックマーケットがあれほどの賑わいを見せるのは、二次創作がかなり自由に許されているからである。アメリカなどでも二次創作が盛んで、そのなかからはメジャーな出版社からデビューするような人々もでてきている。

ところが「厳密」さを装った法律が作品の権利とやらを囲い込み、あれもだめだ、これもしちゃいかん、と周囲に制限を設けはじめたら文化はしぼんでしまうのだ。作品の権利を保護することによる経済的利益があるだろうと、主張する人もいるが、わたしは全体的に見れば利益は減ると考える。中国が歴史上例を見ない短期間にあそこまで発展したのは、じつのところ著作権がないも同然の国だったからである。科学技術上のアイデアを含めたすべての文化ががんがん行き交うようになると、文化は発展せざるをえない。それを特許などと言うもので囲い込んでいる国はたちまち置き去りにされてしまう。将棋のコンピュータプログラムなどはそのいい例だ。プログラマー個人がノウハウを一人で蓄積していた頃はプログラムの実力は毎年ほんのわずかずつしか上昇しなかった。ところが突出したプログラムがあらわれ、それが誰でも使えるような形で公開されると、プログラムの実力は毎年ホップ、ステップ、ジャンプのように飛躍的に上がっていった。

知の囲い込みは、資本主義内部に於ける矛盾となってあらわれている。囲い込んで権利を主張すると、たしかに幾ばくかの利益が生じるだろう。しかし全体としてみたとき、それは文化の発展と技術の革新を阻害し、損害を生むのである。

Saturday, May 11, 2019

ゼウス&丸山敦組に期待する

全日本のタッグの面白さは、組み合わせの意外性にある。去年は秋山が関本と組み、ファンを喜ばせた。宮原とヨシタツだって、所属選手とフリーの選手の組み合わせで、われわれはびっくりした。最初は仲が悪そうだったので、どうなることかと思ったら、案外うまくいっている。今度はゼウスと丸山敦の取り合わせだ。強面の代表格と、おちゃらけの代表格がくっついたんだから、最初はちょっと唖然とした。しかし丸山の「緩さ」はゼウスに心のゆとりをもたらすかもしれないし、逆にゼウスの本気は丸山の怖さを引き出すかも知れない。いや、そうなってほしい、というのがわたしの願いである。

ゼウスは一度三冠を取ったものの、短期間で王座を宮原に譲り、チャンピオン・カーニバルでの成績もちょっとさえなかった。誰もが知っているように、ゼウスは真面目な選手で、ひたすら道を求めるように肉体を鍛え、試合では真っ向勝負をいどむ。それはすばらしいのだが、反面、あまりにも直線的、あまりにも硬直的すぎる印象がある。もうすこし曲線的に、もうすこしずるく試合をして、ある種の緩急を表現したほうがいいのじゃないかと思う。彼の試合はすごいけれども、それは単調なすごさなのだ。宮原に三冠を取られたときも、最後はぽきっと折れたように負けてしまったが、ゼウスがちがう戦い方を知っていたなら、宮原といえどもゼウスにどれだけ勝てるかわからない。

丸山はジュニアとして最近はあまり活躍していないようだが、これを機にひとつ奮起してほしい。観客を楽しませるのも大事だけれど、肝腎な試合では強さを見せて存在感をアピールしてほしい。わたしは丸山と竹田誠志のタッグチームをいつも応援しているが、ゼウスと丸山のコンビもそれ以上に応援し、期待をかける。

Thursday, May 9, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 31-36)

範例
(a) One step further, and you will be in the street.
(b) One second more, and the barricade was captured.
(a) もう一歩進めば汝は外に出る。
(b) もう一秒して防障は奪はれた。

解説
上掲の文は Compound Sentence にして初の Clause に Verb の省略有り、之を補へば
(a) Take one step further, and you will be in the street.
(b) There was one second more, and the barricade was captured.
(a) もう一歩進め、さすれば汝は外に出で有らう。
(b) もう一秒有つた、而て防障は奪はれた。
となる。而て此構文は多くの場合 Complex Sentence 又は Simple Sentence に改むる事を得。さる場合には初の Clause は Dependent Clause 又は Adverbial Phrase として Verb を修飾するものとす。
 上例を書き改むれば
(a) If you take one step further, you will be in the street.
(b) In one second more, the barricade was captured.
(a) もう一歩先に進めば汝は外に出るで有らう。
(b) もう一秒して防障は奪はれた。
の如し、即ち (a) は Complex Sentence にして If you take one step further は條件を示す Adverbial Clause として will be を修飾し、(b) は Simple Sentence にして In one second more は時間を示す Adverbial Phrase として was captured を修飾す。

用例
1.  One false step, and then facilis descensus Averni.
    D. Donovan
  一歩踏み誤れば所謂「奈落に落つるは易し」となる。
    facilis descensus Averni = Easy is the descent to Avernus (= the lower world)「奈落に落つるは易し」即ち「(?)は易し」の意の拉丁語。
2.  A word from me, and the alternative has gone forever.
    C. Dickens
    私の一言でもうどうする事も出來なくなつて了ふ。
  alternative 採る可き策
3.  One flash of those bright moist eyes, and he walked hastily across the road.
    Mrs. Craik
    其の涼しいうるんだ眼がキラリと光つたかと思ふと彼は急いで道を横切つて向へ行た。
4.  No; a thousand times no! A few short days, and all belong to Arthur Dynecourt.
    The Duchess
  否、決してさる事は無い。二三日立ちさへすれば一切のものが、アーサー・ダインコートの有となるのである。
5.  One other such fit of merriment, and I must throw off my clerical wig and band.
    N. Hawthorne
    今一度斯樣に笑ひましたら、私は早や僧侶の假髪と帶とを脱ぎ捨てねばなりません。
6.  A turn to the right, and we are in wide, desolate stretch of apparently waste ground.
    G. R. Sims
    右へ曲ると廣い、人の居らぬ、荒地の樣な所へ來る。
7.  A single word from me, and your doom is sealed without hope, and your last hour is come.
    W. M. Thackeray
    私の一言で汝の運命は望なく定まつて了ひ、汝の最後の時刻は來て了ふ。
    doom is sealed.「運命定まる」、doom の代りに fate を用ふる事あり。
8.  One hoist of the reat head, and out of the hole i came like a periwinkle out of his shell.
    E. R. Haggard
    彼が大きな頭をぐつと上げると私は貝から出て來る螺のやうに其の穴から出て來た。
9.  The silent grasp of a few rough arms and all would have been over, the victim must have been absolutely passive at their will.
    E. A. Poe
    二三の屈強の腕が無言で掴まへれば萬事了てしまひ、被害者は全く意になつて了ふで有らう。
10. A few weeks since and I was wandering in the desert with a dying child, and with scarcely a possession left in the world except a store of buried ivory that I never expected to see again.
    E. H. Haggard
    其れから二三週間して私は死にかゝつた子供をつれ、迚も再び見ようとは思はれない埋めた象牙の外には殘つた財産とては殆どなくて砂漠をさまようて居た。
11. A word from me, the house, lands, baronetcy, were gone from him for ever -- a word from me, and he was driven out into the world a nameless penniless friendless outcast! The man's whole future hung on my lips -- and he knew it by this time as certainly as I did.
    W. Collins
    私の一言で邸も田地も男爵の榮位も永久彼のものではなくなる。私の一言で彼は名も無く金もなく友も無い宿無しとなつて世の中へ追ひ出されるのである。彼の全き生涯は私の唇に懸て居るのである。而して彼は今では私と同樣其の事を知て居るのである。
  for ever 永久に。hung on my lips 私の言次第でどうでもなるの意。
12. Another second and the secret was out.
    R. Haggard
    もう一秒して秘密がわかつた。
13. Another moment, and she had pulled it open.
    R. L. Stevenson
    忽ちにして彼の女は其の戸を引き開けた。
14. Another step before my fall, and the world had seen me no more.
    E. A. Poe
    倒るゝ前に今一歩進むと自分はもう此世の者では無かつたのである。
15. "Another minute, and she will despise me for a hypocrite," thought I.
    C. Bronte
    「もう直ぐに彼の女は僞善者として私を卑むであらう」と私は考へました。
16. Another offence of this kind, and I will _flog_ you: mark that -- _flog_ you, Ralph.
    Dean Farrar
    二度と再び斯う云ふ事をするとおれは貴樣をなぐるぞ、よいか――貴樣をなぐるぞ、ラルフ。
  mark that「それを注意せよ」は「おぼえて居れ」の意。mark you などとも云ふ。
17. Another minute, and it was suffused with a crimson flush: and a heavy wildness came over the soft blue eye.
    C. Dickens
    忽ちにして其顔は颯と赤くなつた。而して如何にも物狂ほしい樣子が優しい碧い目に浮かんで來た。
18. Yet a little while, and she will be beyond your reach!
    N. Hawthorne
    もう暫くすれば彼の女は汝等に見えなくなつてしまふ。
19. Yet a day, and men breathed with greater freedom.
    E. A. Poe
    又一日たつたが人々は前よりも易々と呼吸した。
20. Yet another day -- and the evil was not altogether upon us.
    E. A. Poe
    又一日たつたが禍は全く我々の身に及ばなかつた。
21. Yet one minute, and I felt that the struggle would be over.
    E. A. Poe
    もう一分たてば苦しみは終るであらうと私は思つた。
22. One word more, and my story is done.
    R. L. Stevenson
    もう一言話せば私の話は終る。
23. A moment more, and I had fettered him to the granite.
    E. A. Poe
    忽ちにして私は彼を花崗岩に縛して了つた。
24. One minute more, and they would have won their bet.
    J. verne
    もう一分たてば彼等は賭に勝つたで有らう。
25. Another word of your duelling, and I break you between these fingers.
    C. Doyles
    決闘などの事を今一とこと云つて見ろこの指でひねり潰して了ふぞ。
26. A few minutes more and he would turn to her and tell her she was free.
    C. M. Braeme
    もう二三分たてば彼は女の方に向いて「あなたは自由です」と云ふで有らう。
27. One word more on this shady subject and we will get out into the light again.
    G. R. Sims
    この陰氣な事はもう一とこと丈け述べて再び明るい所へ出よう。
28. A few more days of agony like this, and I shall be free forever from Hugh Fernely.
    C. M. Braeme
    斯う云ふ苦しみがもう二三日續けば私は永久ヒューフアーンリを忘れて了ひます。
29. A hundred yards more and they passed through a gap in a wall.
    A. Dumas
    もう百ヤード行つてから彼等は塀にある入口を通つて中へ入つた。
30. A hundred miles further and we shall cross the Ural Mountains, and be in Asiatic Russia.
    Hugh Conway
    百里行くと我々は烏拉爾山を越え亞細亞露西亞に入る。
31. A little further on, and I was out of the grounds and following the lane that wound gently upward to the nearest hills.
    W. Collins
    も少し行つてから私は庭を出て小徑を辿つて居たが、この小徑は右に左に曲り乍ら徐かに近い山に登つて行くのであつた。
32. The air was intensely cold; I looked round, and the forest had disappeared behind me; a few steps more, and there was the stillness of death itself.
    A. Chamisso
    空氣は甚だしく冷たくなつた。振り向いて見ると後の森はいつの間にか消えて了つて、あたりは死んだやうに靜かになつて居た。
33. Two or three steps further and her life would have been in serious jeopardy, when I slid down the face of the sand-hill, which is there precipitous, and, running half-way forward, called her to stop.
    R. L. Stevenson
    もう二三歩行くと彼女の生命は危險であつたのだが私は其の邊の急になて居る砂丘の面を辷り下り、半分から先は走つて行つてまてと彼女を呼んだ。
34. A little longer, and thou needest not to be afraid to trace whose child she is.
    N. Hawthorne
    もう少したてばあなたはあれが誰の子だと云ふ事を心配せずともよくなります。
35. one hand's breadth nearer, and he was saved -- but the tide bore him onward, under the dark arches of the bridge, and he sunk to the bottom.
    C. Dickens
    掌の幅ほど近づけば或は彼は救はれたかも知れぬけれども潮は橋の下の暗いの下に彼を押し流し哀れや彼は水底に沈んで了つた。
36. A few hours longer and the deep, mysterious ocean will quench and hide forever the symbol which we have caused to burn upon her bosom!
    N. Hawthorne
    二三時間たてば深い不思議な大洋は汝等が彼女の胸の上に燃えさせた印、[緋文字]を永久に消して隠して了ふ。

Tuesday, May 7, 2019

アーノルド・ベネット(2)

前回アーノルド・ベネットについて書いたが、今回はそのつづき。

ベネットの代表作「老妻物語」(のちに改題されて「ふたりの女の物語」となったようだ)は日本語に訳されているけれど、その本がなかなか入手しにくいようだ。本を読んだ方がこんな感想を書いていた。話は面白いのだが、本を探すのに苦労した。しかもかなり高い値段で買わなければならなかった、と。

図書館にはあるのかなと思って検索してみたら、わたしが住む町の市立図書館にはないようだ。よく行く中央図書館で相互貸借願いを出して別の図書館から借りてもらわなければならない。

これは問題だ。最近ジャックリン・ウィルソンがガーディアンのインタビューに答えてこんなことを言っていた。「老妻物語」は非常に鋭い、人間の心理を深く抉った小説である。その通り。あれは物語として感動的であるだけでなく、人間にたいする洞察力の点でもずば抜けている。

そのすぐれた作品が入手困難とはこまったことである。ついでに調べたら「クレイハンガー」も訳が出ていないようだ。おいおい。どうなっているんだ。わたしが見たサイトの作品リストには「ライシーマン・ステップス」も「生き埋め」も翻訳されていないことになっているが、ほんとうなのか? 

まさかベネットの本がこんなに未訳のまま残っているとは思わなかった。ちょっと予定を変更して少なくとも「老妻物語」や「クレイハンガー」は訳そうか。あきれたなあ。

Sunday, May 5, 2019

アーノルド・ベネット

ネットサーフィンをしていたら Hatena Blog に +from scratch+ というブログをつけていらした方が、わたしの翻訳「グランド・バビロン・ホテル」を書評してくれていた。

面白く読んでいただいたようで、訳者としてなによりだが、最後のところで「何となく江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズやイギリス時代のヒッチコック映画の雰囲気を感じ」たとおっしゃっているのを見て、なかなか鋭い本の読み手でいらっしゃると感心した。

「グランド・バビロン・ホテル」は十九世紀世紀末から二十世紀初頭にかけて大量にあらわれた廉価版犯罪小説の雰囲気がむんむんする作品なのだ。

ベネットは超一流の文学者だった。この「超一流」というのは伊達ではない。十九世紀が小説という形式を完成させた時代だとしたら、まさにその完成形を生み出した偉大な文学者の一人なのである。だからこそ、小説形式を破壊しようと考えたモダニストたちから目の敵にされたのだ。

彼は「老妻物語」とか「ファイブ・タウンズの物語」といった傑作を書きながら、他方で文学的な内容というより冒険譚に近い物語も書いた。当時は下層階級まで教育が行き渡り、識字率はぐんと高くなったのだが、なんとか文字が読めるという程度の、あまり教養のない人々が大勢いた。彼らはおもにペニー・ドレッドフルという、安くてセンセーショナルな犯罪物語を好んで読んでいた。ベネットはそこに目をつけたのだ。彼らが好む犯罪的な物語を書いて本の売り上げを伸ばそう。ま、簡単に言えば、彼は一流の文学者でありながら商魂もたくましかったのである。

しかしそのおかげで格調の高いペニー・ドレッドフルが生まれた。「格調の高い」「ペニー・ドレッドフル」なんて語義矛盾だが、しかしそうとしかいいようがない。「グランド・バビロン・ホテル」は堂々たる文章で書かれた大衆向け娯楽作品なのだ。

Friday, May 3, 2019

兵器と動物

この前、超能力が軍事的な目的で研究されている話をしたが、今度は動物が軍事利用されている話。ジュールズ・ハワードという動物学者がガーディアン紙に「白イルカを武器利用するなら、人類は真の意味で道を迷ってしまったことになる」というタイトルの記事を書いていた。四月の三十日に掲載されたものだ。

それによると先週、ノルウエーのある漁村の海に白イルカがあらわれ、水から顔を出し、奇妙な振る舞いをしてみせたのだという。しかもこのイルカの身体にはなにかが巻きついていて、「サンクトペテルブルクの器材」と書かれていたのだそうだ。次の瞬間、白イルカは夢のように姿を消した。

イルカは偵察に使われていたのか、なんなのかはよくわからない。しかし軍事利用されていたことは間違いないだろう。ロシアもアメリカも、イルカやアシカを飼い慣らし、機雷捜査や物品回収、人命救助といった用途に役立てようとしている。2007年、アメリカ海軍は千四百万ドルを海軍計画に費やしたが、その中には七十五匹のイルカを機雷除去用に訓練する計画も入っていた。

これは記事とは関係ないが、人間も動物も、電気的に脳を刺激することによって自由に行動を操作できるらしい。実験はすでに成功しており、たとえば人間の頭に電極をとりつけ、それをコンピュータにつなぎ、人間が右と「思え」ば、右に動く電動椅子などが可能なのだそうである。海洋生物をそのような技術開発の対象にするところまでは、まだいっていないのかも知れないが、わたしは軍事的な研究は進められていると思う。昔は人間魚雷などというものがあったが、それが魚雷イルカに変わるだろうと思う。

話が横道にそれたが、記事の書き手はこうした状況を歎き、「胸が悪くなる」とまで言っている。わたしも同感である。彼は映画の「エイリアン」に言及し、地球の軍事企業が宇宙の果てまで行って酸を吐き出すモンスターを軍事利用のために捕獲する、などというアイデアは荒唐無稽もはなはだしいと思っていたが、イルカやクジラを武器化する軍事産業を見ると、あれは人間に対する正確な観察であったと思わざるを得ないと嘆息している。

わたしもこれを読んで、沖縄の海を平気で埋め立てる自衛隊や政府のメンタリティーがすこし理解できたような気がした。ジュゴンに兵器としての大きな価値があったなら、彼らはけっしてその生息地を埋め立てなかったにちがいない。

Wednesday, May 1, 2019

岡林の激闘

YouTube にチャンピオン・カーニバルの試合がずいぶんアップロードされている。手当たり次第見たけれども、どれも面白かった。とりわけ印象深かったのは大日本プロレス岡林の試合である。怪物的な筋力、体力、体格の持ち主で、圧倒的な迫力を発散していた。

ディラン・ジェイムズとの一戦は、二人のぜいぜいという喘ぎ声が生々しく響く、壮絶な試合だった。このビデオはアナウンサーの余計な声が入っておらず、観客の声援や選手の声、肉のぶつかる音がよく聞こえて、独特の印象を与えた。二人ともほんとうによく三十分を闘い抜いたと思う。ロープに飛んでのぶつかり合いや、逆水平チョップの打ち合いなど、ちょっと尋常ではなかった。巨大な肉体の塊どうしがぶつかる、ヘビー級の試合の面白さが全開だったが、怪我をしやしないかと、ひやひやする試合でもあった。全日本に出ているヘビー級の選手はぶつかり合いだけでプロレスの醍醐味を表現できるので、エプロン際での危ない攻防などは繰り広げなくてもいい。リング内で堂々と戦ってほしい。

もう一試合、岡林と宮原がチャンピオン決定戦をかけて戦った試合もすごかった。どちらもこの一戦に期するものがあったのだろう、どんなに強烈な攻撃を受けてもまた立ち上がってきた。その闘争本能はほとんど人間の域を超えているといっていい。わたしは岡林のほうが身体も大きいし、パワーも上なので、宮原がどうやって勝ったのか興味深く見ていたのだが、いやはや、現三冠チャンピオンはとてつもないスタミナと瞬発力の持ち主だ。とうとうゴーレムのような岡林も体力を使い果たし、三カウントを聞いてしまった。しかしこの一戦はすばらしかった。舞台もよかったし、両者の試合に対するモチベーションも最高だった。ファンを感動させる試合だったと思う。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...