ネットサーフィンをしていたら Hatena Blog に +from scratch+ というブログをつけていらした方が、わたしの翻訳「グランド・バビロン・ホテル」を書評してくれていた。
面白く読んでいただいたようで、訳者としてなによりだが、最後のところで「何となく江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズやイギリス時代のヒッチコック映画の雰囲気を感じ」たとおっしゃっているのを見て、なかなか鋭い本の読み手でいらっしゃると感心した。
「グランド・バビロン・ホテル」は十九世紀世紀末から二十世紀初頭にかけて大量にあらわれた廉価版犯罪小説の雰囲気がむんむんする作品なのだ。
ベネットは超一流の文学者だった。この「超一流」というのは伊達ではない。十九世紀が小説という形式を完成させた時代だとしたら、まさにその完成形を生み出した偉大な文学者の一人なのである。だからこそ、小説形式を破壊しようと考えたモダニストたちから目の敵にされたのだ。
彼は「老妻物語」とか「ファイブ・タウンズの物語」といった傑作を書きながら、他方で文学的な内容というより冒険譚に近い物語も書いた。当時は下層階級まで教育が行き渡り、識字率はぐんと高くなったのだが、なんとか文字が読めるという程度の、あまり教養のない人々が大勢いた。彼らはおもにペニー・ドレッドフルという、安くてセンセーショナルな犯罪物語を好んで読んでいた。ベネットはそこに目をつけたのだ。彼らが好む犯罪的な物語を書いて本の売り上げを伸ばそう。ま、簡単に言えば、彼は一流の文学者でありながら商魂もたくましかったのである。
しかしそのおかげで格調の高いペニー・ドレッドフルが生まれた。「格調の高い」「ペニー・ドレッドフル」なんて語義矛盾だが、しかしそうとしかいいようがない。「グランド・バビロン・ホテル」は堂々たる文章で書かれた大衆向け娯楽作品なのだ。
Sunday, May 5, 2019
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
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