Monday, August 30, 2021

欲望の対象

われわれは複雑な確定記述の束からできている。たとえばAさんはXという会社の社員であり、Yという女性の良人であり、Zという子供の父親である。さらにビデオゲームの愛好者であり、月に一度はプロレス会場へ足を運び、その帰りにあるお気に入りの寿司屋で寿司を食う。髪は天然パーマで、顎が四角く、マラソンのアマチュア選手である。マイナンバーカードの番号は***であり、銀行通帳は二つあり、現在住宅ローンの返済の途中である。われわれはそういったさまざまな対人関係、社会契約関係、特徴の束として存在している。

ところで、もしもこの確定記述の束を一つ一つ剥いでいったら、最後にわれわれはどうなるだろう。われわれはこの世から消えてしまうわけではない。しかし確定記述をすべて失った「もの」は、いかなる確定記述も不可能なものであり、それは言語的に名指すことのできないものとなるだろう。

荒っぽく言えば、確定記述の束として存在しているとき、われわれはラカンのいう象徴界に位置しており、いかなる名指しも不可能なものとなるとき、われわれは現実界に位置している。そして現実界から象徴界に移行すること、つまり名指すことのできない「もの」という状態を否定され、名指しうる存在として社会の一部と化することをラカンは「去勢」と呼んだ。

この象徴界と現実界は截然と区別され、相互の関係がまるでないというわけではない。象徴界にあらわれる「欲望の対象」はまさに去勢されていない現実界のかけらなのである。もちろん対象は確定記述の束としてある。しかしそれが持つ魅力は確定記述のどこにも存在していない。魅力は現実界に由来するからである。このような魅力をスラヴォイ・ジジェクは「崇高なもの」と呼んだ。

女の子が自分を好いている男に向かって「わたしのどこが好きなの」と尋ねることがある。この質問はトリッキーであり、どう答えようが女の子を満足させることが出来ない。「髪の毛のつやがすてきだ」と言えば、「髪の毛のつやがすてきな人は自分以外にもいる。そういう人なら誰でもいいのか」と反論されるだろう。どのような確定記述を答として提出しようと、そのような確定記述に合致する人はほかにもいると言って、女は男をからかい続けることができる。男が女見出している魅力は確定記述の束のなかにはない。それは現実界に由来するのだ。ラカンはそれを表現するために「あなたの中にあってあなた以上のもの」という言い廻しを造った。

確定記述の束にすぎないものがなぜ突然、現実界に由来する崇高性を帯びるのか。それは対象を見る者の視線にある種の歪みが生じるから、あるいは対象と見る者がある種の配置に収まると、対象の見え方に歪みが生じ、その歪みが魅力になるのである。このことは機会を改めてまた書こうと思う。

Friday, August 27, 2021

ジョン・ラッセル・ファーン「死は問いかける」

これは短編集である。本のタイトルにもなり本書に収められた作品の中で一番長い「死は問いかける」を紹介しておく。


フィラデルフィアの郊外にアブナー・ヒルトンという男が住んでいた。尾羽うち枯らした貧乏人の悪党である。家も最近のホラーゲームに出て来そうな、暗鬱で汚れきり、朽ちかけたしろものである。しかしこのアブナーは金儲けの計略を立てていた。父親は大金持ちなのだが、遺書に寄ればそれはアブナーの姪に渡ることになっている。しかし姪が死ねば……そう、彼が巨万の富を得るのである。彼は姪を自分の家に呼び出し、殺す算段を立てていた。

しかしただ殺しただけでは彼が疑われてしまう。そこで姪を殺したら、姪の恋人をおびきよせ、拷問に掛けて気を狂わせてしまおうと考えていた。そして彼が狂気にかられて姪を殺したことにしてしまおうというのである。

この二段構えの犯罪計画を彼は実行していく。彼を訪ねてきた姪を殺害し、そのあとすぐ姪のあとを追ってきた恋人を拘束し、拷問にかける。(ちなみにこの拷問は恋人を床に固定し、天井から水滴を一滴一滴額にたらすという手口である。このやり方はどこかで読んだ覚えがあるが、きくのだろうか?)

ところがこの拷問の最中に家の中で妙な物音が聞こえるようになる。誰かのささやくような声だ。次第に明瞭になっていくその声はこう言っていた。「聞こえる、アブナー・ヒルトン。わたしは生きている! なぜわたしを殺したのか、理由を聞くために墓から戻ってきたのよ。わたしが埋められた場所を見てごらん! どんなに深く掘ってもわたしはいない! 掘ってみなさい! 掘ってみなさい!」

アブナーはじっとしていられなくなり、狂ったように姪を埋めた庭を掘り返すが、死体はたしかになくなっている。いったいこれはどうしたことか! 姪は本当に幽霊になったのか?

ファーンの小説はどんなに怪奇を描いていようと、必ず説明が与えられる。ミステリでも謎には必ず(擬似)科学的説明がほどこされるのだ。怪奇を怪奇として描いたヴィクトリア朝後期から1920年代、あるいは30年代と比較すると時代が変わったと思わざるを得ない。ファーンは技術進歩を目の当たりにして育った世代なのである。本篇に於いてもその説明を読むと「なんだ、そんなことか」となるけれど、しかしそれまでの物語の雰囲気は血なまぐさく、ホラーの味わいたっぷりである。

Tuesday, August 24, 2021

ホレス・マッコイ「腐敗の町」

ビジネスも政治も警察もすべてギャング組織に牛耳られた町を正常に戻すべく、一人の男が立ち上がる。冒頭から倉庫が焼け、ギャング団との抗争のなか、次々と人が死んでいく。もちろん最後には善玉が勝つのだが、ヒーローは多くの仲間や父親すらも失うことになる。

この手の物語の代表格はもちろんハメットの「赤い収穫」だ。この名作と比較すると「腐敗の町」はかなり劣る。どちらもパルプ小説だが、ハメットのほうが暴力に対してより深い洞察を見せている。またマッコイにはある種のセンチメンタリズムがある。彼の代表作 They shoot horses, don't they? のタイトルを見ただけでもそれはわかるだろう。このセンチメンタリズムがわたしには耐えられないのである。

Friday, August 20, 2021

ゲーム実況者のための英語(10)

Katie さんはかくぜつがよく、聞きやすい。スラングを用いることもそれほど多くないので、英語の中級者、とりわけ声質の似ている人が範とするに足る、魅力的な話者である。

What's going on?

Fuck!1
Oh, my God!
What is happening?2
Is he chasing3 me?
What's happening?
Where did he go?
Did he just run away?4
Oh, my God.
What's going on?
Uh....Sir?5
I don't know what's happening.
People are killing themselves for some reason.6

1. 驚いたときにも Fuck! と叫ぶことがある。心に溜まった過剰なエネルギーを吐き出すときによく使われる。
2. What's happening? も What's going on? もおなじ意味。
3. chase は「追いかける」
4. run away は「走り去る」。away はこの場合「その場から離れて」の意味。Go away! は「行きなさい!」「ここから去れ」ということ。
5. Sir は男性に呼びかけるときに使う。女性に呼びかける場合は madam、あるいは省略形の ma'am を用いる。
6. for some reason は「何らかの理由で」。some は「はっきりしないある(理由)」という意味。

(人間が落ちてきて)びっくりした!
いったい何が起きているの?
あの人、わたしを追いかけているのかな。
なにがなんだかわからない。
あの人、どこにいったのかしら。
走り去ったの?
あら、あら。
どうなっているの?
あのう、もしもし?
何が起きているのかわからないわね。
どういうわけか、みんな自殺している。

Tuesday, August 17, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 171-176)


範例


I

Such habits cannot be too severely censured.

Such habits cannot be sufficiently censured.

Such habits cannot be censured severely enough.


II

Its importance can scarcely be exaggerated.

Its importance can hardly be over-estimated.


I

斯様な習慣は如何に厳重に非難してもよい。


II

其肝要なる事は殆ど誇張(過重)することが出來ないほどである。


解説


cannot      too

出來ぬ     過ぎるほど

It is difficult   enough

困難である    十分

It is impossible  sufficiently

不可能である  十分


Can hardly      exaggerate

Can scarcely          誇張する

殆ど……する事は   over-estimate

出來ぬ                  過重する


如何に……しても……し過ぎる事はない。

如何に……しても……しきれぬ。

如何に……しても猶ほ足らざる心地す。

如何に……してもよい。

……すればするほどよい。

の如く譯す可し。例えば

We cannot be too honest.

(a) 人間はいくら正直でも正直すぎる事はない。

(b) 人間はいくら正直でもよい。

(c) 正直であればあるほどよい。

等。

We cannot be too careful in this world.

(a) 人はこの世に於ては如何に注意しても注意し過ぎる事はない。

(b) 人はこの世に於ては如何に注意しても猶ほ足らない心地がする。

(c) 人はこの世に於てはどれほど氣をつけてもよい。

等の如し。


用例

I

1.  You cannot be too careful in the choice of your friends.

友を撰ぶには飽くまで注意しなくてはならない。

2.  The importance of that action cannot be too much valued.

    四一 専門

其行爲の價値は測り知る事が出來ない。

3.  You are very kind to say so. I cannot thank you too much.

    三八 長崎 高商

さうおつしやつて下さるのは誠に御親切、御禮の申しやうが有りません。

4.  A man who received a kindness cannot be too greatful for it.

    三九 高校

恩を受けた人はそれに對して如何に感謝してもよい。

5  He has his way to make in the world, and cannot begin too early.

 大正元 新潟醫専

 彼は獨力前途を開拓せねばならぬ、故に如何に早く始めても早すぎると云ふ事はない。

6.  Children cannot pay too much attention to the wishes of their parents.

 三一 海機

 子供等は出來る限り兩親の欲する所に注意せねばならない。

7.  You cannot be too careful in this world; our best friends often deceive us.

 三八 名古屋 亮工

 此世の中では充分注意しなくてはならない、親友でも我々を欺く事が往々ある。

8.  It cannot be too often repeated that it is not helps but obstacles, not facilities but difficulties, that make men.

 大正元 上田**(二字不明)

 人を作るは助で無くして障碍で有り、便宜で無くして困難で有る事は幾度繰り返して云つても差支は無い。

9.  No one cannot possess too much gratitude any more than he can have too much honesty or truthfulness.

 感謝の念は如何に厚くても善いのは丁度正直なること、眞實なることの如何に深くてもよいのと同じである。

 any more than he can は just as he can not と解す可し。

10. "Nothing of the kind," answered the Duck, "every one must make a beginning, and parents cannot be too patient."

 O. Wilde

 家鴨は云つた「決してそんな事はない。誰にも初は有るのだから親と云ふものは幾らでも氣をねらなくてはいけない」。

 "Nothing of the kind" 「そのやうな事は決してない」kind の代りに sort を用ふるも可なり。

11. Gloves, shoes, and boots must always be faultless. Gloves cannot be too light for the carriage, or too dark for the streets.

 手袋、半靴、深靴は必ず缺點が有つてはならぬ、乗車用手袋は出來る丈色の薄きを尚び、外出用手袋は出來る丈色の濃きを可とす。

12. English Grammar, or the art of speaking and writing the English language correctly, cannot in this country be too much studied.

 英文法、即ち、英語を正確に語り且つ書くの術は此國にては如何に研究を積むも足れりと云ふ事はない。

13. I cannot too much impress upon your mind that labour is the condition which Nature has imposed on us in every station in life; there is nothing worth having that can be had without it.

 勞働は人生の有らゆる階級に於て天が吾人に課した條件で有ると云ふ事を諸君の心に如何深く印銘しても足れりと云ふ事は無い、これ所有する價値の有るものにして勞働なくして得らるゝものは一も無いからである。

 Nature を大文字にて現はしたるは擬人せるなり。


II

14. Of Impey's conduct, it is impossible to speak too severely.

    T. B. Macaulay

 イムペイの行爲に就ては如何に嚴酷に批評しても酷に過ぎると云ふ事は無い。

15. It is difficult to speak in terms of too high praise of his merits.

 四一 長崎高商

 彼の功績は如何に賞讃するも猶ほ足らない心地がする。

16. The importance of scientific cookery can hardly be exaggerated.

 P. G. Hamerton

 科學的料理法の重要なることは殆ど誇張することが出來ないほどである。

17. It is difficult to over-estimate the importance of the establishment of an anterior brain.

 Thomson & Geddes

 前脳確立の重要なる事は之を過重せむとするも困難である。

18. It is impossible to admire too much the confidence of the English, even in business.

 Max O'Rell

 英人の信を重んずるは如何に褒めても褒め盡す事は出來ぬ、商賣に於てもさうである。

19. The thrice-wise Helena finished her work, looked at the slipper, and couldn't admire it enough.

 R. N. Bain

 實に賢明なヘレナ姫は仕事をすましスリツパを見ましたが實に美しくて如何に賞めてもほめ盡すことが出來ないほどでした。

 thrice-wise の thrice は highly, fully, very の意、thrice-blessed, thrice-favoured などの如く用ふ。

20. It would be impossible to exaggerate the astonishment of Francis Scrymgeour at this unexpected information.

 R. L. Stevenson

 この思ひ掛けない事を聞いた時のフランシス・スクリムジアの驚は誇張する事が出來ないほどである。

21. The importance of the discoveries made during the thirty years of his life in Africa cannot be overestimated.

  N. N. R. V.

 阿弗利加在住三十年間に爲されたる彼が發見の價値は之を過重せむとするも得可からず。

22. And Zor'ka still lives with his wife, and cannot love her enough, and he rejoices in his good fortune without over-much boasting.

  R. N. Bain

 そしてゾルカは今なほ其妻と一緒に暮して居りますが如何に可愛がつても可愛がりきれぬほどで、餘り自慢はしないで其幸運を樂しんで居ります。

23. "On the contrary," replied Mr. Morris, "I am obliged to you for all you say. It would be impossible to exaggerate the gravity of my proposal."

 R. L. Stevenson

 モリス氏は答へた「いや、それどころではない、私は却て貴下の御言葉に對して感謝して居る次第です。實はこの事件の重大なる事は殆ど誇張することが出來ない位ですから」。

24. It is impossible to overestimate the importance of training the young to virtuous habits. In them they are the easiest formed, and when formed they last for life.

 三七 海兵

 青年に善良なる習慣を養はしむるの肝要なる、之を過重せむとするも不可能なり。良習慣の形成さるゝや青年に在りて最も易く、而も永久消滅せざるものなり。

 when formed の when の次には they are を補ひ見よ。

25. There was once upon a time an old man and an old woman, and they had two orphan grandchildren so lovely, gentle, and good, that the old man and the old woman could not love them enough.

 R. N. Bain

 昔、爺さんと婆さんがあつて二人の親のない孫を持て居ましたが實に愛らしく、物靜かで心だてが善かつたものですから老人夫婦は如何に愛しても愛しきれないほどでした。

 once upon a time 昔。

26. One must learn as early as possible to discriminate in the right way. That is the greatest art of life, one of the most important and indispensable. That is a fact which we cannot early enough impress upon our children.

 四二 神戸 高商

 人は出來得る限り早く正當に事物を識別する事を學ばざる可からず、これ處世の第一義にして極めて緊要缺く可からざるものゝ一、如何に幼きより兒童に教ゆるも早きに失する虞なき事實なり。

Thursday, August 12, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Hallo!

TANAKA: Hallo1, bist du's2, Kimikosan? Hier3 spricht Tanaka.
REIKO: Nein, ich bin nicht Kimiko, wohl aber4 Reiko, ihre jüngere Schwester5. Nicht zu jung, nein6, bin7 schon neunzehn Jahre alt, und sehr hübsch8, wissen Sie9. Habe10 die Mädchenschule11 summa cum laude12 absolviert13. Kann ausgezeichnet14 schneidern15, so japanisch wie16 europäisch. Klavier17 spielen18 kann ich auch. Tippen19 kann ich auch ein bißchen20. Ich habe auch Blumenarrangement21 gelernt. Nur von Teezeremonie22 wieß ich noch nichts, aber wer fragt23 heutzutage24 nach Teezeremonie? Uebrigens25 bin ich kerngesund26, habe noch keine ernstzunehmende27 Krankheit durchgemacht28. Wünschen Sie sonst29 noch etwas von mir zu30 wissen?

逐語訳:TANAKA: Hallo もしもし bist du's あなたですか Kimikosan 君子さん? Hier こちらで spricht 話しているのは Tanaka 田中[です]。
REIKO: Nein いいえ、ich わたしは Kimiko 君子では bin nicht ありません、wohl aber そうではなくて ihre 君子の jüngere Schwester 妹[である] Reiko 玲子[です]。zu jung あまりに若すぎる nicht [というほどでは]ありません、nein どう致しまして、schon もう neunzehn Jahre alt 十九才 bin です、und そして sehr hübsch 非常に綺麗 wissen Sie ですよ。die Mädchenschule 女学校を summa cum laude 優等で habe absolviert 卒業しました。so japanisch 日本流にも europäisch 西洋式にも ausgezeichnet すてきに schneidern 裁縫することが Kann できます。Klavier ピアノを spielen 弾くこと auch も kann ich 私は出来ます。Tippen タイプライターを打つこと auch も ein bißchen 少々は kann ich できます。Ich 私は Blumenarrangement 生花 auch も habe gelernt 習いました。Nur ただ Teezeremonie 茶の湯 von に就ては noch まだ nichts 何も weiß 知り[ません]、aber しかし wer 誰が heutzutage 今日の世に nach Teezeremonie 茶の湯のことなどを fragt とやかく問題にするでしょう? Uebrigens それから ich わたしは kerngesund シンから丈夫 bin です、noch まだ ernst- 真面目に nehmen 取る zu 可き -de ほどの Krankheit 病気を durchgemacht 閲し habe た keine ことがありません。Sie あなたは sonst そのほかに noch なお von mir わたしに就て etwas なにか zu wissen 知ることを Wünschen お望みですか?

:【1】Hallo: 電話用語の「モシモシ」です。英語のハロー(或はヘロー)はハ(またはヘ)の方を上げて発音しているようですが、ドイツ人は大抵ローの方を上げます。
Es ist ich (それは僕です)ということはドイツ語では云わない!【2】bist du's? はもちろん bist du es? で、「それはおまえか?」(即ち、そちらの電話口にいるのはあなたですか)です。この bist というのによく注目して下さい。「それはおまえである」とか「それは私である」とか「それは彼である」とかいう際には、Es ist du とか Es ist ich とか Es ist er とかいうことはドイツ語では云わないのです。その代りに、大抵の場合、代名詞を前に出して同時に動詞は代名詞の人称に一致させて Ich bin es; Du bist es; Er ist es というのです。代名詞を後へ持って来る時には、前の es は強めて Das とします(Das bin ich; Das bist du; Das ist er; Das sind wir, 等)。英語、仏語は It is I あるいは It is me (C'est moi), It is you (C'est toi, C'est vous), It is he (C'est lui) という風に、三人称扱いで普通の云い方をするから日本人には受け入れやすいが、ドイツ語の方の習慣はちょっと変っているから特に注意しておぼえる必要があります。――ついでですが、仏王ルイ十四世が豪語したという、L'Etat c'est moi! (国家、それはすなわち朕だ!)という人を喰ったことばは、今では知識人の常識となっていて、英語でもドイツ語でも原語のフランス語のままで引用されますが、これは直訳すると Der Staat, das ist ich となります。けれどもそんなことは文法上許されないから、訳するなら Der Staat, das bin ich というか、或いはもっと簡単に Der Staat bin ich といわなくてはなりません。つまり Ich bin der Staat というのと同じ意味なのですから。
【3】Hier spricht: 電話用句としておぼえる必要があります。「こちら」は hier、「そちら」は dort です(da ではないということを特におぼえる必要があるのです)。「そちらはどなた?」といって問うときは Wer dort? あるいは Wer spricht dort? ――「こちらは田中です」 Hier Tanaka はあるいは Hier spricht Tanaka.
wohl aber と sondern との差【4】wohl aber: wohl aber は、用い場所としては、だいたい sondern と同じようなものです。ただ、wohl aber の方は、「……なら」という日本語に該当する場合に用いられます。たとえば、「僕は英語は話せません、ドイツ語なら話せますが」という時には、単に Ich spreche nicht Englisch, sondern Deutsch と云わないで、「……なら」という気持を尊重して Ich spreche nicht Englisch, wohl aber Deutsch と云った方がよいというわけです。――テキストの場合、「わたしは君子ではありません、その妹の玲子でならあります」は日本語として少し変ですが、しかし云っている気持はその気持なので、そこにまた独文のおもしろさがあるのです。
APPOSITIONアッポジツィーン [同格説明語]【5】Reiko, ihre jüngere Schwester: 「彼女の妹玲子」ですが、此の ihre jüngere Schwester は Reiko を説明するために添加された句で、こんなのを文法では Apposition と云います。Apposition は、後に添加されると此の様にコンマを打ちますが、前に置けばコンマは要りません:Ihre jüngere Schwester Reiko。――他の例で云えば「ソ連外相ヴィシンスキイ」なら Der sowjetrussische Außenminister Wischinski あるいは Wischinski, der sowjetrussische Außenminister。
【6】Nicht zu jung, nein: これは、妹と云ったから、(妹のことをドイツ語では「若い方」の姉妹というものですから)、まだほんの子供だと思われては大変とおもって、あわてて申しわけするために這入った句です。
会話では主語を省いてすぐ動詞で文を始める事が多い。【7】bin: 主語の ich が省かれています。いったい会話においては主語を省くことが多いのです。Ich danke の代りに単に Danke、 ich bitte の代りに Bitte というのなどは熟成形式になっていますが、熟成形式でない時も、わかり切っている時にはよく省きます。Ist wohl nicht möglich! (まさかそんなこともないでしょうが)Weiß nicht! (存じませんねえ)Geht nicht. (駄目です)Kommt noch immer nicht. (まだやって来ない)Will nach Deutschland, sagt man. (ドイツへ行くんだってさ)Muß Geld haben. (よっぽどお金があるんだろう)など。
【8】hübsch: だいたい schön と同じ意味ですが、schön ほど正格なことばではなく、くだけた調子の語ですから、むしろ「きれいな」、「シャンな」ぐらいのところでしょう。「シャン」といえば、これはドイツ語の schön から来たことばだそうです。本当かどうかは知りませんが。
Wissen Sie [you know] の使いどころ。【9】wissen Sie: これは会話ではしきりに用いられる句で、ちょうど英語の you know ですが、小説の翻訳などを見ていると、この wissen Sie の使いどころを翻訳家がよく知らないと見えて、「あなたは御存じでしょう」とか「あなたも御存じのように」などとヘンな曲訳をしているのが大部分のように見受けます。此の句は、そんな時に使うのではなくて、むしろそれとは正反対のとき、即ち、鋭く定義するならば「あなたは御存じないでしょうが」という場合に用いるのです。即ち、相手に向って、相手の知らないことを教えてやる時に you know というのです。「あなたは知る」というのは、「これであなたは知る」すなわち、「これであなたにもおわかりになるでしょう」という意味でいうので、決して「あなたも既に御存じでしょうが」というのではないのです。たとえば、相手の男が、自分を未婚者と見て、なんだかんだ変なことを云い出したとします。するとその女は、「わたし、結婚しているのよ」というでしょう。此の「……のよ」という、人に新事実を教える口調が you know、wissen Sie なのです。Ich bin verheiratet, wissen Sie. I'm married, you know. こんなのを、「わたしは御存じの通り結婚しています」などと訳しては、読む者としては、はてな、相手の男はそんな事を知っているはずないが……と思って、ヘンな気がするでしょう。いったい翻訳というやつを読んでいると、到る処で、ちょっとした事がすべてこんな変な気がするようになっているので、それが積りに積って、全体の感じがなんだか靴の底から足を搔くような感じになって来るのですが、その主な原因は、こうした種類の「誤訳」です。訳者自身は誤訳というほどの誤ではないと思っているかも知れませんが、語学の見地からは立派な誤訳なのです。
【10】Habe: Ich habe.
【11】Mädchenschule: 女学校。Töchterschule または Höhere Töchterschule ともいう。
【12】summa cum laude: これは「優等で」というラテン語。cum は mit。summa は höchst (最高の)。laude (Nominativ は laus で、第三変化に属し、GEN. laudis、DAT. laudi、Abl. laude、AKK. laudem。この laude は ABLATIV です。)は Lob, n. (褒めること、称讃)即ち mit höchstem Lobe (最高の称讃を以て)の意です。ただ、なぜ cum summa laude という順にしないで、形容詞を前にやって summa cum laude という変な順にならべるかという問題ですが、これはラテン語独特の語順で、名詞に形容詞がついて、それにまた前置詞が伴う際には、大抵形容詞を前に出して、形容詞と名詞とで前置詞を挟み打ちにするのが普通なのです。ラテン語の文や句には、ほとんど一定の語順というものがなく、「考え得る限りのあらゆる語順が全部許される」と云っている学者すらあるほどですが、しかし、場合によるとこういう風に一定の語順のようなものがあることもあるのです。
【13】absolvieren: 「卒業する」こと。但し「卒業生」の方は普通 Abiturient と云います。
【14】ausgezeichnet: 英の excellently で、「優秀に」、「すばらしく」、「すてきに」。もちろん形容詞としても用います。褒めるときに「すてきすてき!」というのは Ausgezeichnet! (英:Excellent!)です。
【15】schneidern: これは Schneider, m. 仕立屋、から作った動詞で、「お裁縫をする」ことです。名詞を動詞として用いることは、ドイツ語では英語ほど自由ではありませんが -er に終る名詞は、そのあとに -n を附して、派生動詞を作ることができます:gärtnern (庭作りをする)、schustern (靴の修繕をする)、schriftstellern (著述に従事する)、dichtern (文士のような真似をする、dichten と区別する)、schauspielern (役者をする)、doktern (医療する)これは Doktor のことを通俗に Dokter とも云うからです。
【16】so...... wie......は sowohl......als auch......で、「……も……も」と二つものを並べるための接続形式です。so......の方も wie......の方も対等の重さを持っているので、決して「……の如く……をも」ではありません。時には so の方を省くこともあります。そうすると、語調がなおも高まって、Tod wie Leben (生死いずれも)、Mann wie Frau (男女ともに)などということになります。
【17】Klavier, n. ドイツ語にも das Piano、das Pianoforte という語がないではありませんが、普通は das Klavier の方を用います。
【18】Klavier spelen: 一語につづけて Klavierspielen と書くこともできます。ドイツ語では、一語と一句との差は、こういう風に、ごくアイマイなことが多いのです。
【19】Tippen: 指先でトントンと打つことを tippen というので、それからタイプを打つこと(maschinenschreiben)をtippen というのです。Tipp tapp! という音から来ています。――Tippen は動詞の不定法と見てもよし、また das Tippen という名詞と見ることもできます。ドイツ語では、不定形と名詞との境界も、ごくアイマイです。
【20】ein bißchen: 「少し」、即ち etwas または ein wenig と同じ。
【21】Blumenarrangement, n. (生花):もちろん西洋に生花という事はないのですが、普通はこう云っているようです(英も flower arrangement)。Arrangement は元来が仏語ですから、仏式に発音します。arrangieren (アランーレン)が「アレンジする」という動詞。
【22】Teezeremonie, f.: 「茶の湯」、Tee は茶、Zeremonie は「儀式」のこと。
【23】fragt nach......: これは「云々を問う」の意から、「云々をとやかく問題もしり」、「云々のことをやかましく云う」、「云々を重要視する」という意味になります。Wer kümmert sich um Teezeremonie? (茶の湯のことなんか誰が気にかけるものか)というのに同じ。
【24】heutzutage: 「現今」、「当今の世に」という副詞。英:nowadays。単に heute ということもあります。
übrigens の意味 (1) 但し (2) それから【25】Übrigens: übrigens ですが、大文字の時には Ü を用いることもあり、Ue とすることもあります。小文字の ä、ö、ü、 を ae、oe、ue、と綴ることは非常に稀で、よっぽど設備の不完全な印刷所で印刷する場合とか、あるいは英文だけしか打てないタイプライターで打つ場合とか、或いは Goethe など、特殊な人名の場合に限られますが、大文字の方の Ä、Ö、Ü は、Ae、Oe、Ue と印刷することはかなり多いのです。――次に、よく用いられる übrigens という副詞的接続詞の意味ですが、これはちょっと日本語にはピッタリあてはまる訳語のないことばで、むづかしい漢語で「因みに」(ちなみに)とでも云えばややあてはまりますが、それでもまだ何処となくぴったりしない事が起って来ます。要するに、前に云った事柄と多少関係して、何か補足的な事を言い足す場合に übrigens と云うのです。「ついでに云えば」とか「一寸申し添えますが」とか「申しおくれましたが」とか云った気持です。多少前文の意味と反したこと、あるいは制限を付加するような内容のことを云う時には「但し」という日本語があてはまります。たとえば、「わたしはどうも金の持てない性分らしい」などと云ったあとで übrigens bin ich kerngesund と附足すときなら「ただし身体の方はとても丈夫です」と訳することができます。けれども、此のテキストのような場合になると、「ただし」と云っては変で、「それに」とか「それから」とかなんとか云った方が自然です。まず此の二つの場合を心得ておけば übrigens の用法は大体わかります。
Ae = Ä
Oe = Ö
Ue = Ü
【26】kerngesund: 「シンから丈夫な」、「頑健な」です。der Kern というのは、「核」、「中核」、「しん」のことです。
zu -end と zu -en【27】ernstzunehmende: これは ernst zu nehmende と三語に分解すればわかります(逐語訳を見よ)。ただ ernst nehmen (真面目に取る)という語が、たびたび用いられるために、ほとんど ernstnehmen という分離動詞のごとくなってしまったので、そのために一語に綴ることになったのです。――ernstnehmen は、真剣に考える、重大視する、本当に心配することです。nehmend という形は、nehmen に対する現在分詞の形で、英語で言えば take に対する taking のようなものですが、現在分詞はすべて形容詞として用いることができますから、それで -e という語尾がついているわけです。それから ernst zu nehmend のように zu が附加される場合には、特殊な意味が生じ「云々す可き」という意味になります(即ち「云々することのできる」、あるいは本文の ernst zu nehmend の場合のごとく「云々せねばならぬ」の意、このどちらかになります)。この zu -end という形は、zu -en という形と同じものなのですが、名詞の前に冠せて、普通の形容詞のごとく格語尾を附加するときには、不定形では困るので、現在分詞の方の形を用いるのです。たとえば「此の病気は重大視すべきである」は Diese Krankheit ist ernst zu nehmen ですが、「此の重大視す可き病気」となると Diese ernst zu nehmende Krankheit となるのです。同じく「この単語は容易に覚えられる」は Diese Vokabel ist leicht zu behalten ですが、「容易に覚えられる単語」となると Eine leicht zu behaltende Vokabel となります。
【28】durchgemacht: durchmachen は durch (英:through)でわかる通り、「通過する」の意から「経る」、「嘗める」、「閲(けみ)する」、すなわち、病気や試験や、その他何か厄介なことを一通り通過する、即ち「罹る」ことを云います。英語では go through (あるいは undergo)と云います。
【29】sonst: 「ほかに」、「その他」、「それ以外」(英:else)。
【30】zu wissen: wünschen (英:wish, want)があるので zu が用いてありますが、wollen ならば zu は要らないところです。

TANAKA: Nein danke31, aber ich möchte32 gern mit Fräulein Kimiko sprechen......
REIKO: (schmeißt33 den Hörer34 klatsch! auf die Gabel35.)

逐語訳:TANAKA: Nein danke いいえ有がとう、aber しかし ich 僕は mit Fräulein Kimiko 君子さんと sprechen 話し möchte gern たいのですが……
REIKO: (den Hörer 受話器を klatsch! ガチャン!と auf die Gabel 叉架の上に schmeißt たたきつける)

:【31】Nein danke: これは「いえ結構です」、「いやモウ沢山です」すなわち丁寧に辞退するときの会話用句。
【32】ich möchte gern: これは、「云々したい」という常套形式として記憶すること。gern は「好んで」という副詞で、必ずしも無くたっていいのですが、möchte というと大抵 gern をつける事が多いのです。
ich möchte gern.
I want to
I should like to
I would like to
【33】schmeißt: schmeißen (たたきつける、なげる)は werfen と同意ですが、werfen よりは少し乱暴な、ぞんざいな語です。(三要形:schmeißen, schmiß, geschmissen)
【34】Hörer, m.: 電話の受話器、電信の受信器。
【35】Gabel, f.: 「肉さし」(フォーク)のことも Gabel といいますが、その他何でも「二叉」になったものの事をいうので、ここでは、卓上電話の受話器をかけておく二叉になった台です。

意訳 田中:アーもしもし、君子さんですか? こちらは田中ですが。
 玲子:いえ、君子じゃありません。君子じゃありませんが、君子の妹の玲子です。妹と云っても、そんなに子供な訳ではありませんわ。だってモウ十九なんですもの。ちょっと綺麗よ。女学校は優等で卒業しましたの。お裁縫は和裁でも洋裁でも上手にできます。ピアノも弾けます。タイプライターも少し打てます。それから生花も習いました。茶の湯だけはまだよく存じません。だって近頃はまさか茶の湯ができないからと云ってとやかくおっしゃる方もないでしょう? それから、からだの方はとても丈夫です。まだ病気らしい病気というものをしたことがありません。そのほかにまだ何か御存じになりたい点がございますかしら?
 田中:いや、モウ大体そのへんで結構ですが、実はちょっと君子さんに話したいことがるんで……
 玲子:(受話器をガチャンと二叉の上にたたきつける)

Monday, August 9, 2021

ユージーン・サンドウ

先日プロジェクト・グーテンバークによって Eugen Sandow の Strength and How to Obtain it が電子化され公開された。ユージーン・サンドウは筋トレをしている人なら聞いたことがあると思う。十九世紀の後半に活躍したボディビルダーである。プロイセン生まれだから、彼の名前はオイゲン・ザンドウと呼ぶのが正確なのかもしれない。いまあるボディビル・コンテストは彼が創始したものだ。

しかし彼が本を残しているとは知らなかった。内容は二部構成になっていて、最初はトレーニングに関するもの、後半はサンドウの生い立ちを語ったものとなっている。写真が何葉も差し挟まれていて、男の裸を見るのが好きな筋トレファンにはそれだけでも興味深いだろう。サンドウの写真を二葉ほど掲げておく。




栄養学もいまほど発達しておらず、訓練の器具もろくなものがなかったあの当時に、よくまあこれだけ立派な肉体を作り上げたものだ。ステロイドばやりの昨今、こういう「自然」な肉体を見るとなぜかほっとする。

Friday, August 6, 2021

他者の視点

ガーディアンでもニューヨークタイムズでもタイムズ・リテラリ・サプルメントでも、英語圏の書評は国際的だ。自分の国の作家だけでなく、海外の作家の注目作もいち早く紹介してくれる。しかも日本とちがってLGBTに対する意識が高いので、多様性のある作家紹介になっている。Going Places: The international authors to read this summer というガーディアンの記事も、目配りの行き届いた、よい文学紹介になっている。

「今夏、読むべき本」として取り上げられているのは


1. ドイツ What You Can See from Here by Mariana Leky

2. フィンランド The Rabbit Factor by Antti Tuomainen

3. 日本 Black Box by Shiori Ito

4. アンゴラ Transparent City by Ondjaki

5. 中国 More Than One Child by Shen Yang

6. アルゼンチン Elena Knows by Claudia Pineiro

7. フランス The Last One by Tatima Daas

8. ロシア Just the Plague by Ludmila Ulitskaya

9. イタリア The Hummingbird by Sandro Veronesi


である。

1は精神分析的な味わいがある小説。2は人気作家による北欧ノワール。3は伊藤詩織のレイプ告発本。4はルワンダの下層階級を描き、5は中国の一人っ子政策に反してできた子供たちの命運を追っている。6は犯罪小説だが、抑圧的な社会における女性のありかたを研究し、7は複雑なアイデンティティーを担う若い女の生き方に着目した作品。8は「コロナ文学」ではなく、1939年にモスクワで発生した疫病を扱っている。9は実験的な書き方をした作品で、トラウマ的な記憶との和解を描いている。

日本の注目作として伊藤詩織の本を取り上げたのは選者の炯眼だと思う。フィクションのなかに一冊だけノンフィクションが混じり、奇妙な感じがするけれども、この選者が選んでいる作品はいずれも社会の陰を描いたものばかりだ。そして文化的劣化が進む一方の日本、コロナ禍で負の側面がますます露わになりつつある日本を、的確に表現している本として伊藤の著作は上位に位置するものだと思う。彼女が描くレイプの場面は、われわれをして男の醜く浅ましいファンタジー空間に直面せしめる。これが同時に(別姓婚をかたくなに否定し、女性蔑視発言をつづける)保守政治の原風景でもあることを、忘れてはならない。性的関係はじつは政治や文化の根底に潜み、それを規定する力を持つ。伊藤の作品はこのリストの中では異色であるかも知れないが、まさに性の政治性という、世界が直面している問題の本質を鋭くついている。

Tuesday, August 3, 2021

ベン・エイムズ・ウィリアムズ「狙われた女」(1922)

トウプという隠退した警部が、人間味あふれる洞察力をフルに発揮し、二つの事件を結びつけ、犯人を捕まえる作品だ。

最初の事件は横領事件。ピースという法律家がジャーヴィス財団の金をくすねて行方をくらませる。警察はさんざんピースの所在を突き止めようと苦労したのだが、なんと彼は変装してジャーヴィス財団の建物の雑役婦として働いていた。灯台もと暗しとはまさにこのこと。いや、ピースの変装術に感嘆すべきか。しかも彼は逃げ足も早い。トウプが財団を訪れたときには、彼はすでにとんずらをかましていた。

二つ目の事件は殺人事件。トウプが最初の事件で知り合ったジャーヴィス財団の人々と芝居を見に行ったときだ。芝居の最中に、役者を訪ねて舞台裏に来たある男が銃殺されたのである。この男がなんと最初の事件の関係者なのだ。トウプは二つの事件になんらかのつながりがあると感じ取る。もしかすると犯人はジャーヴィス財団の金を盗んだピースではないか。

ミステリの要素はたっぷり含まれているが、これは本格ミステリではない。犯人が怪人二十面相のような変装の名人であるということからして、江戸川乱歩かエドガー・ウオーレスのような冒険譚になるであろうと予想がつく。第二に、トウプ警部はジャーヴィス財団を切り盛りしているミス・モスという五十恰好の女性と恋に陥るのである。こんなふうに事件の関係者と探偵が関係を持ってしまうと、その作品は本格ミステリにならない。探偵はあくまで物語の外部に留まらなければならないのである。

そういう意味ではちょっとがっかりなのだが、しかしベン・エイムズ・ウィリアムズの文章は格調が高く、登場人物もそれぞれ個性豊かだし、プロットの組み立てもしっかりしている。これはこれで十分読ませる作品になっていると思う。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...