19世紀の世紀末にあらわれた魅力的な小説の一つに「エティドルパ」がある。これは神秘学とSFを混ぜ合わせたような作品、あるいは日本で言う「伝奇小説」的な味わいを持つ、一風変わった作品である。この手の本が好きな人なら読書に没頭してしまうだろう。國枝史郎のような白熱した想像力が物語を支えているのだ。
神秘学に興味を持つルウェリン・ドルーリーという男が、自分が属する秘密組織(フリーメーソンのような組織を考えればいい)の貴重な情報を外部に漏らす。秘密組織はその罰としてルウェリンをとある場所へ送り込む。その場所とは、人類にはいまだ公にされていない地下世界だった。そしてルウェリンは、地上世界とは全く異なる原理に支配される地下世界の驚異を目の当たりにする。
といってもこの物語の大半は、「地上世界の科学や哲学的常識が、いかに特殊な原理のもとに成立しているか」という点を強調する議論で占められている。が、長々と続くこの議論に辟易するかといえば、さにあらず。その口調の熱気に思わず魅了されてしまうのだ。ここがこの作品の一番の美点と言っていいだろう。もちろんこの議論にはおかしなところが多多あるし、常識をひっくり返そうとしていながら、結局凡庸な理念(たとえば愛)に帰着するという欠点を持っているが、それでも当時の考え方の度台を揺るがそうとする試みは興味深い。
標題の Etidorhpa はアフロディテの綴りをさかさまにしたものである。この Etidorhpa という美しい女(女神)は地下世界の中心を愛の原理によって支配しているようなのだ。(「ようなのだ」と曖昧な言い方にせざるをえないのは、物語が地下世界の中心となるべき場所へ着く手前で打ち切られているからである。地下世界の核心部分、地上世界を超越した領域は、言語による表現を絶しているのだろうか。この終わり方はかえって想像力を刺激するものとなっている)イギリス文学に通じている人ならすぐサミュエル・バトラーの「エレホン」(1872)を思い出すだろう。あれも nowhere の綴りをさかさまにしたタイトルで、ユートピアを描こうとしたからである。そしてバトラーもヴィクトリア朝の既成観念を転覆させようとした。十九世紀世紀末における欧米の精神風土を探る上で貴重な作品だと思う。