Wednesday, April 28, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 158-160)


範例

(a) I tried to dissuade him from it, but in vain.

(b) I tried to dissuade him from it, but without avail.

(c) I tried to dissuade him from it, but without success.

(d) I tried to dissuade him from it, but all to no purpose.

(e) I tried to dissuade him from it, but with the same result.

       Etc.          etc.

= (a) I tried to dissuade him from it, but it was in van.

= (b) I tried to dissuade him from it, but it was without avail.

       Etc.          etc.

彼をして思ひ止まらせようとしたが其甲斐が無かつた。


解説

but の次には it is, was 等の省略有り。


用例

1.  In the meantime I endeavoured, but all in vain, to sound him in regard to the object of the expedition.

    E. A. Poe

斯うやつて居る間私は彼が山中へ出掛けて行く目的は何であるか、それとなく探つて見ようと骨折つたが、更に其効が無かつた。


2.  There was no mountain in Asia, no desert in Africa, no plain, or village, or town in south or central Europe, that he had not searched: but in vain.

亞細亞の山も亞弗利加の沙漠も、南歐中歐の原も村も都も一つとして捜さぬ所はなかつたが其甲斐が無かつた。


3.  The by-standers were eager to save it: several persons instantly followed its track; the friends who had long fed and fondled it, were calling the name it had hitherto known; but in vain.

    U. R. IV.

側に居た人々はそれを助けてやらうと一生懸命、數名の人はすぐそのあとを逐つて行き、久しい間其鹿を養ひ愛して居た人達はこれまで呼び馴れた名を呼んだが其甲斐が無かつた。


4.  I called him by his name and shook, but without avail.

    J. E. Muddock

私は彼の名を呼んで搖ぶつて見たが其効が無かつた。


5.  "Bravo, Villefort!" said the Marquis; "Well said! I am always beseeching the Marchioness to forget the past, but without avail. You, I hope, will be more successful."

    A. Dumas

公爵は云つた。「うまいぞヴィルフオート!うまく云つた、實は昔の事は忘れて呉れって始終家内に頼んで居るんだが効驗がない、どうか、貴公はわしよりもうまくやつて呉れ」。


6.  The hunter endeavoured to call back his dog; but with no better success.

    S. U. R.

猟師は自分の犬を呼び戻さうとしたが、依然として効が無かつた。


7.  They struggled bravely for their rights, but, for a time without success.

    G. P. Quackenbos

    彼等は權利の爲に勇ましく戰つた、併し一時は効が無かつた。


8.  Some of his adherents endeavoured to set him on the throne again, but without success.

    Parley

彼の幕下の或者は再び彼を王位に即けようとしたが功を奏しなかつた。


9.  On the next day, fresh search was made, and the inquiries renewed; but with no better success.

    C. Dickens

    翌日また新たに捜索をはじめ、色々尋ねて見たが、前日同様何の効も無かつた。


10. I said everything to touch his heart, but all to no purpose.

    C. Doyle

    私は彼の心を動かさうと色々云つて見たが、何の役にも立たなかつた。


11. I drove it away again, but to as little purpose as the first time.

    A. Dumas

    私は再びそれを逐ひ拂つたが、初の時と同様殆ど効が無かつた。


12. So pushing through the bush we proceeded to hunt every other likely spot, but with the same result.

    H. R. Haggard

    そこで藪の中を搔き分け乍ら、獣の居さうな所は殘さず捜して見たが矢張り同様の結果に終つた。


13. For three hours or more we wandered about in a broiling sun looking for something to kill, but with absolutely no results.

    H. R. Haggard

    一行は三時間も、いや、それ以上も煮えるやうな日に照らされて、何か獲物は無いかと捜し廻つたが、全く何の得る所もなかつた。


Saturday, April 24, 2021

シリル・ヘア「死が森のなかを」(1954)

久しぶりにシリル・ヘアを読んで思ったのは落ち着いたいい文章を書くということ。奇想を弄んだり、衒学趣味に陥ったりすることなく、平明な文章を紡いでいる。落ち着いた気持ちで物語の展開を見守ることができた。


しかし文章の趣味は保守的だけれど、推理となるとシリル・ヘアはなかなか鋭い。本篇の主要人物の一人ペティグルーが家主対店子の争いを法廷で裁く場面が最初のほうに出て来るが、家主の側が決定的に勝利を収めそうに思えたとき、ペティグルーはじつにささいな、係争とは関係のない事柄に注目して、そこから店子の側に有利な判断を引き出してくる。わたしはイギリスの法律に詳しくないので、そういうものなのかと感心しながら読んだのだが、要するにうっかり読み過ごしてしまいそうな細かな描写の中に、じつはヒントが隠されているので、シリル・ヘアを読むときは、名文に酔っていてはいけないのである。

物語は観光地の小さなコミュニティーで起きる。そこに住むミセス・ピンクという未亡人があるとき森のなかで殺される。ミセス・ピンクは不思議な人物で、慈善事業やコミュニティー活動の手伝いをし、わずかな収入を得ながら貧乏な暮らしを続けていた。面白いのは彼女の評価が村の内部でまっぷたつに分かれている点だ。彼女は上流階級の人間から見ると、毒にも薬にもならない平凡な人物だった。ところが村の人々の評価はまるで違う。彼らは彼女がロンドンの法律家と毎月手紙でやりとりをしているのを知っていた。そして法律家と頻繁にやりとりできるのなら金を持っているのに違いない、なのに貧乏な振りをしているとはどういうことだ、と彼女に不審の目を向けていたのである。

この平凡なようでいて、じつは謎を隠したミセス・ピンクの実態が明らかになるにつれ、事件も次第に明らかになる。

本書の推理もヘアの名作「英国的殺人」とどこか似通っている。これは説明するとネタバレになるので差し控えるが、ヘアには人間を社会的機能に置き換える視線がある。社会的機能に置き換えると人間の唯一性は失われ、代替が可能になるのである。おなじ社会的機能をおびているのであれば、同一視の可能な存在となるのだ。ミステリを通してこうした構造主義的な考え方を表現したのはヘアの第一の功績だと思う。

Wednesday, April 21, 2021

カク・ミチオ 「ハイパースペース」(1994)

 リーマン幾何学からアインシュタイン、そして量子力学という線でハイパースペースつまり多次元の問題を解説した、非常にわかりやすく興味深い科学入門書である。このブログでは何度も書いたが、門外漢向けに書かれた科学的入門書を書かせたらアメリカは断トツの実力を発揮する。もちろんわたしのような素人読者は議論の細部までは理解が行き届かないが、しかし大きな図柄はちゃんと把握できるように、工夫されている。しかも文章は生きが良く、難解に陥らない。アメリカにはこういうものが書けるライターが何人もいる。おそらく日米のこの差は科学力そのものの差を示しているのだと思う。

本書の要点はわれわれが住む三次元世界(時間を四つ目の次元とする考え方ももちろんある)の現象は個々ばらばらのように見えても、それを高次元からとらえなおせば、簡明・統一的な姿にまとめあげることができるということだ。

これは実は文学の研究も同じである。たとえば一つのテクスト内におけるさまざまな事象は、テキストと同じレベルに留まっている限り、それを統一的に把握することは出来ない。せいぜい事象の分類・整理ができるだけである。それを本当の意味で「把握」するには、テキストのレベルを超えたレベルに到達しなければならない。そのときはじめてさまざまな事象に簡明で統一的な姿を与えることが出来る。

カクは本書の中ほどでアインシュタインの相対性理論とスタンダード・モデルについてこんな比喩的物語を提出している。三次元の世界に美しい多面体の水晶があると考えてほしい。これがある日突然粉々に爆発する。ビッグバンである。破片は二次元世界にふりそそいだ。二次元世界の人々は破片を集めて研究する。この破片には二種類あるようだった。綺麗に平らな面を持つものと、そうでないものである。もちろん前者は多面体の表面の破片であり、後者は内部の破片だが、そんなことは二次元世界の人々にはわからない。しかし研究の末、彼らは前者からある理論を導き出した。それがアインシュタインの相対性理論である。そして後者からはスタンダード・モデルを導き出した。さて、ここに大天才が出現し、三次元世界を考えれば相対性理論とスタンダード・モデルは一体的な理論になることを証明する。これが超ひも理論である。

わたしはこれを読みながら、文学のことを考えた。これと同じようなことが文学でも起きてないだろうか。カクは結晶を外側と内側に分割しているけれど、これはたとえば形式と内容という古くからある問題に関係づけられないだろうか。わたしはクロード・ホートンの「わが名はジョナサン・スクリブナー」の後書きでメタレベルとか、この作品の形式と内容の不可思議な関係について簡単に説明をしたのだが、もう一度この問題を考え直してみたくなった。



Sunday, April 18, 2021

啓蒙とは

トランプ大統領が選挙の不正を演説で訴えたとき、それをライブで流していた放送局のキャスターが内容に偽りがあるとして即座に放送をやめさせた。ああいうところを見ると、アメリカは、まだまだデモクラシーを回復する力を持っていると思う。嘘を嘘として切り捨てられる力、それが啓蒙の力である。

「人間を殺してはいけないと言うが、その根拠はなにか? われわれはその理由をもう一度考え直すべきではないか」などという人々がいる。そんな議論に加わってはいけない。馬鹿なことを言うなとはなっから否定すればいいのである。それができないようなら、そのような人々には啓蒙の力がまだ及んでいないのである。

「女はレイプされて嫌だ嫌だと言いながらひそかに喜んでいるんだ」などとある種の男は考える。だからレイプを犯罪とみなすのはおかしいなどと一昔前はよく言われたものだ。こんな議論につきあってはいけない。「なにを言っているのか」と一喝して相手を黙らせるのが啓蒙的な態度である。そんな議論を年がら年じゅうしなくちゃならない社会になど誰が住みたいと思うものか。

日本のジャーナリズムが駄目なのはこうした啓蒙的な態度が取れない点である。意見は公平性に欠けることがないよう両論を併記しろと政府に言われて、唯々諾々とそれに従っている。彼らは人を殺してもよいという理由ものせるし、レイプしてもよいという理由も、その反対論とおなじ重要性を持つものとしてのせている。これでは駄目なのである。

アメリカのキャスターのように噓は噓と切り捨てられなければならない。桜を見る会の問題がいまだに決着しないのも、じつは啓蒙の力が日本にはないからである。


Wednesday, April 14, 2021

ゲーム実況者のための英語

ジェイムズさんは、お世辞にも品がよいとは言えない話し方をする人だが、その反応は素朴で見ていて面白い。



What the fuck!


What the fuck?

What the fuck!

(He) is limping!

Oh, my God!

What the fuck!

What the fuck!

Agro!

With one fucking leg down!

How?

How'd you survive that fall?

I went through that fall three times (and) never came back!


(馬の鳴き声を聞いて)なんだ?

どうなってるんだ!

足を引きずっている!

どうしたんだ!

どういうことだ!

どういうことだ!

アグロ!

足を一本やられちまって!

どうやって……?

(あんなに高い所から墜落したのに)どうやって生き延びたんだ?

おれは三回墜落して、生きて戻ることはなかったんだぞ!


1. What the fuck! これも非常によく使われる驚きの表現。書かれるときはこの三語の頭文字をとって WTF と省略されることもある。

2. (He) is limping! 主語は省略されている。言わなくても主語が明白な場合、口語ではまま起きる現象。limp は足をひきずって歩くこと。

3. With one fucking leg down! With はいわゆる付帯状況の with。fucking は前にも説明したが意味のない強意語。down は「故障して」の意味。この場合は「ケガして」。My computer is down (ぼくのコンピュータは故障した)などと使う。

4. 馬の名前。

5. survive は「(目的語)のあとも生き残る」の意味。

6. How'd you は How did you の省略形。まぎらわしいが How would you.... という場合も How'd you と省略される。これらの差はコンテクストから判断するしかない。

7. went through that fall go through は「経験する」。ここでの I はプレーヤー=ゲームの主人公を指す。ゲームの主人公が三回ジャンプを試みたが、すべて失敗して落下し、二度と戻ることはなかった(ゲームエンド)。おまえ(馬のアグロ)もジャンプに失敗したのに、それでも戻ってきたのか! ということ。このゲームを知らない人には状況が飲み込みにくいかもしれないが、興味があればゲームプレイを実際に見ていただきたい。

Sunday, April 11, 2021

関口存男「趣味のドイツ語」

Frei

„Große Neuigkeit1, Kinder2!“ verküdete3 Franz. Er war der Primus4. „Große Neuigkeit, Kinder! Nachmittags5 gibt es6 keinen Unterricht7!“

逐語訳:Große 大 Neuigkeit ニゥースだよ Kinder 諸君(と) Franz フランツは verkündete 告げた。Er かれは der Primus 主席 war であった。Große Neuigkeit, Kinder 大変なニウスだぜ諸君! Nachmittags 午後には es それは keinen Unterricht 何等の授業をも gibt 与え[ない]。

:【1】Neuigkeit: これが丁度 news に該当するドイツ語です。Zeitung ということもあります。(Zeitung には「新聞」以外に「報道」、「ニュース」の意もあるのです)
【2】Kinder! 「子供たち」という語ですが、日常用語として、大勢の人にむかって親しく呼びかける時には、たとえ相手が大人でも Kinder! (諸君!)といいます。英語でも boys といいます。だから Kinder とか boys とか云われて、人を小児扱いにしやがる、なんて怒ってはいけないわけです、それが習慣なんですから。
【3】verkünden (告げる、告知する、報道する)の過去形。
【4】Primus (主席):これは元来ラテン語で、der Erste (第一位のもの)の意です。生徒の主席ばかりではありませんが、普通単に Primus というと大抵主席、すなわち我国の組長のことを云います。同時に primus inter pares [プームス・インテル・ーレス]という独逸語でも英語でもよく用いられるラテン語を序でに記憶しておきましょう。これは『同輩中の第一位者』すなわち主席ということです。pares は「互いに等しき者」、inter はドイツ語の unter、英の among にあたる前置詞。つまり長とか親方といったような封建的、隷属的関係ではなくて、権利も地位も同等であるが、古参とか長老とか或いは単に高等小使とか云った意味の代表者だという時に用いる語です。たとえば、総理大臣なんてのもそれで、他の大臣は決して総理の手下ではない、総理は単に primus inter pares なのだ、などと云います。der Primus というのはこれから起ったのです。
【5】Nachmittag (午後に)は副詞で、am Nachmittag というのと同じです。反対は vormittags、「昼に」は mittags です。ただし Montag Nachmittag (または Montagnachmittag)などと、他の語と結合すると近頃は大抵 s を省きます。
【6】gibt es (正順ならば es gibt となる)は英の there is (……がある)と同意の熟語です。但し、分解すると「それが……を与える」という構造ですから、次に来る名詞は勿論四格にならなければなりません(keinen Unterricht がそれ)
【7】Unterricht, m. (授業):「授業する」という動詞はアクセントが動詞の方にあって unterrichten [ウンテル・ヒテン]ですが、名詞の方は前綴の方にアクセントがあります。

 „Wir haben8 also9 frei?“ fragte10 Willi11. Alle12 sahen13 einander14 an15 und trauten16 ihren17 Ohren18 kaum19.  Der Primus lachte: „Man hat ja20 frei, wenn man keinen Unterricht hat!“

逐語訳:also それでは Wir おれ達は frei 自由に haben 持つか?[と] Willi ヴィルリーが fragte たずねた。Alle みんなは einander おたがいを sahen an 眺め[合っ]た und そして ihren Ohren かれらの耳に kaum ほとんど trauten 信じ[なかっ]た。  Der Primus 主席は lachte 笑っ[て言っ]た:man 吾人が keinen Unterricht 何等の授業をも hat 持た[ない] wenn とすれば Man 吾人は ja 申すまでもなく frei 自由に hat 持つ。

:【8】haben frei 「自由に持つ」 「自由に持つ」は熟語で、別に何を自由に持つという四格を入れなくても、此のままで「学校がお休み」という意味になります。不定形でいうと frei haben です。
【9】also: では、それでは、じゃあ。
【10】fragte は fragen (問う)の過去。此の動詞は三要形は普通規則的ですが、過去には frug という別形もあって、ドイツ人の中には百人中二人や三人は、斯ういうときに fragte と云わないで frug という人があることを記憶しておいて下さい。過去分詞は勿論必ず gefragt です。
【11】Willi: これは Wilhelm という人名の通称です。英語でも -y 或いは -ie の語尾をよく用いるように、ドイツもよく -i をつけます。その他 Heinrich を Heini というなど。
【12】alle (みんなが):こういう語は、元来は形容詞的に名詞にかぶせて用いるのですが(alle Jungen すべての少年たちが、など)、また名詞を省いて、それ自身を名詞として用いることも多いのです:viele (多くの者が)、wenige (少数のものが)、beide (両人が)、einzelne (個々の者が)など。みな小文字で好いのです(その点が普通の形容詞とちがっています)が、此処は文頭のため大文字になっています。
【13】sahen (見た):これは sehen (見る)の過去形(-en 語尾は複数三人称ゆえ)です。sehen の三要形は sehen, sah, gesehen.
【14】einander (お互いを)は英の each other。――einer den andern (独りが他を)と云っても同じ。
【15】an: これは、sahen と合して一つの意味をなすものです。すなわち ansehen (眺める、顔をながめる)という分離動詞なのです。――『或人の顔を眺める』ことを ansehen というのですが、その時には相手の人間を四格にします。『かれは私の顔を見る』なら、Er sieht mich an です。――それから an の用法について一寸。英語で look at......, smile at...... (或人に頬笑みかける)、bark at...... (或人に吠えつく)、shout at...... (或人をどなりつける)、などと、とにかく或人に向って真向から云々するという場合にすべて at をつけますが、そういう時にはドイツ語では凡て動詞に an- をつけるのです。そして相手を四格にします。He looks at me: Er sieht mich an. He smiles at me: Er lächelt mich an. He shouted at me: Er shrie mich an. The dog barks at the moon: Der Hund bellt den Mond an.
【16】trauten: trauen (信ずる)の過去。
【17】Ihr = their.
【18】Ohr, n. (耳)の複数は Ohren (詳しい知識になりますが、こんなドイツ固有の簡単な「中性名詞」が複数で -en という語尾をとるなどということは極く珍らしい現象で、普通は、Ohr 以外には、Bett、床、Auge、眼、Ende、終、Herz、心、Hemd、シャツ、の五つで合わせて六語だけと思って下さい。男性だってそう沢山はありません(弱変化以外には)。-en という複数語尾は主として女性です。
【19】kaum は「ほとんど(云々しない)」という否定詞です。英:scarcely, hardly.
【20】ja: これは yes の意の ja ではなく、文の途中にあるときには、助勢詞と云って、文全体にはずみをつけるためのことばにすぎません。『だって……じゃないか』とか、女なら『……だわ』、『……じゃないの』、『……だわよ』とかいったような、特に強く云う際にドイツ語では ja を挿入するのです。『そりゃ間違ってるわよ!』なら Da ist ja falsch! 『あいつの云うことが本当だよ』 Er hat ja recht. 『あいつが来たぜ』 Da kommt er ja. ――『わたしどうして好いかわかんないわ』 Ich weiß ja nicht, was ich tun soll. ――『だって私あなたが好きなんですもの』 Aber ich liebe Sie ja so! ――日本語には『よ』や『ぜ』や『な』や『わ』や『だわ』や『もの』と、いろいろありますがドイツ語には ja (うんと強い時には doch)だけしかありません。

 Jetzt21 brach22 der Sturm los23. Die ganze Klasse geriet24 außer25 Rand und Band26. Der eine pfiff. Der andere jubelte27. Der dritte28 hieb29 auf das Pult30. Der vierte sprang auf die Bank und wieherte. Der fünfte tanzte im Klassenzimmer herum31. Der sechste stand Kopf32. Der siebente riß seinem Nebenmann33 das Heft aus der Hand und schmiß es zum Fenster hinaus34. Der achte kletterte dem neunten35 auf die Schultern36. Der zehnte gab dem elften eine derbe37 Ohrfeige38, daß39 es klatschte40. Der zwölfte gab dem dreizehnten41 einen Fußtritt42.

逐語訳:Jetzt 今や der Sturm 嵐が brach los 勃発した。Die ganze Klasse 全クラスが Rand und Band 縁(ふち)と箍(たが) außer の外に geriet 陥入った。Der eine 一人は pfiff (三要形:pfeifen, pfiff, gepfiffen)口笛を吹いた。Der andere 他の者は jubelte 歓呼した。Der Dritte 三人目は auf das Pult 机の上を hieb (三要形:hauen, hieb, gehauen)はたいた。Der vierte 四人目は auf die Bank ベンチの上へ sprang (三要形:springen, sprang, gesprungen)躍[り上]った、und そして wieherte 嘶いた。Der fünfte 五人目は im Klassenzimmer 教室の中を tanzte herum 踊り廻った。Der sechste 六人目は stand Kopf 逆立ちした。Der siebente 七人目は seinem Nebenmann かれの隣の男に das Heft 手帳を aus der Hand 手から riß (三要形:reißen, riß, gerissen)ひったくった und そして es それを zum Fenster hinaus 窓から外へ schmiß (三要形:schmeißen, schmiß, geschmissen)投げた。Der achte 八人目は dem neunten 九人目に auf die Schultern 方の上へ kletterte 攀じのぼった。Der zehnte 十人目は den elften 十一人目に es それが klatschte パチンと鳴った daß ほど eine derbe Ohrfeige 猛烈なびんたを gab (三要形:geben, gab, gegeben)与えた。Der zwölfte 十二人目は dem dreizehnten 十三人目に einen Fußtritt 足蹴を gab 与えた。

:【21】jetzt (今)という語は、強く用いると、こういうように『サア』、『いよいよ』の意になります。或る一瞬間を鋭く浮かべ上がらせるための副詞です。同じ『今』の意に nun という語もありますが、此の方は jetzt にくらべると、少し「のんき」な、「ぐずぐず」した語で、長く間の延びた現在の瞬間を意味します。たとえば、『さて斯うなると、ちょっとどうしていいかわからんな』(Nun weiß ich nicht, was ich anfangen soll)の「さて斯うなると」が nun です。また、人に何か問われて急に返事ができず、『そうですねえ……』という時には nun...... と云います。それに反して、ワンツースリーで『それッ』と掛け声をかける『ソレッ!』という奴は Jetzt! です。これで区別がわかったでしょう……という時の「これで」は、のんきに云えば Nun kennt ihr den Unterschied で、少し鋭く劇的に云えば Jetzt kennt ihr den Unterschied となります。
【22】brach: brechen (破れる)の三要形は brechen, brach, gebrochen.――ただし此の動詞は、前出の sahen an と同じく、分離動詞 losbrechen (爆発する、英:burst)です。
【23】los: これは何でも勢よく「おっ初まる」ことを意味する前綴です。lossingen なら『勢よく歌い出す』、losgehen なら『勢よくスタートを切る』あるいは『ズドンと発射する』等の意になります。会話調では、『さあ始めた!』という時に Los! los! と云います。
【24】geriet は geraten (陥入る)の過去形(三要形:geraten, geriet, geraten)。
【25】außer は『……の外へ』で、はずれることを意味する前置詞。『の外で』の意のこともありますが、此処のように『の外へ』という用法の際は aus と殆ど同じ。
【26】Rand und Band: Rand は縁、Band は箍(たが)ですが、これは熟語で außer Rand und Band で『箍をはずす』即ち『乱調子』になることを意味します。
【27】jubeln: 「歓呼する」、即ちワーッということ。
【28】dritt: 英:third.――人は、他はという時には der eine、der andere というか、或いは einer、ein anderer ともいいます。すべて -e という語尾をつける点に注目。1 から12までは eins、zwei、drei、vier、fünf、sechs、sieben、acht、neun、zehn、 elf、zwölf ですが、本文中に出て来るのはすべて序数、(第何番目という際の数詞)です。第一は erst、第二は zweit、第三は dreit ではなくて dritt、以下はすべて zweit と同じように t をつけて行きます。
【29】hauen は「打つ」「たたく」(schlagen, schlug, geschlagen と同じ)
【30】Pult, n. 教室にあるような、簡単な机のことを Pult と云います。食卓やデスクは Tisch です。
【31】herum (あちこち)は umher (あちこち)と同じ。herumtanzen (躍りまわる)は分離動詞。
【32】Kopf stehen (または分離動詞として kopfstehen)は『逆立ちする』という熟語。Handstand machen ともいう。
【33】seinem Nebenmann (横の男に)とは「横の男から」の意。
【34】zum Fenster hinaus: 直訳すると『窓の方へ・外へ』ですが、これはドイツ語特有の癖で hinaus (表へ、外へ[出る])を用いる時には形式的に zu を用いることになっているのです。たとえば『国を出てゆく』というときには、Ich gehe aus dem Land ですが、gehen の代りに hinausgehen (出てゆく)という分離動詞を用いると、aus の代りに zu を用いて Ich gehe zum Lande hinaus となります。『かれは女中を家から追い出した』は Er jagte das Mädchen aus dem Haus というか或いは Er jagte das Mädchen zum Hause hinaus です。zu......hinaus、zu......heraus という形式としておぼえておく必要があります。
【35】dem neunten: これも「九人目のに」と三格になっていますが、日本語でなら「九人目の奴の」という時に三格を用いるのがドイツ語特有のくせです。
【36】Schultern. (肩)の単数は Schulter. 複数語尾が n ですから、此の語は女性です。
【37】derb という形容詞は、『猛烈な』、『こっぴどい』、『ひどい』。
【38】Ohrfeige, f. は平手打ち、即ちぶん殴ること。
【39】daß: 『いやというほど』とか『ピシャというほど』とかいう時の『ほど』に daß を用います。so daß (……ことほど左様に)と同じ daß です。
【40】klatschen という動詞は klatsch! (ピシャリ!)から造ったもの。
【41】12までの数は紹介しましたが、13から19まではすべて -zehn をつけます:13 = dreizehn, 14 = vierzehn, 15 = fünfzehn 等。『……番目』はそれに t を加えるわけ。
【42】Fußtritt, m. 「蹴ること」です。tritt は treten (踏みつける)より。

 „Ruhe43!“ erschallte44 die Donnerstimme45 des gefürchteten46 Lehrers in den Tumult47 hinein48. Er stand in der Tür und hatte49 dem Spektakel50 zugeschaut51. Allgemeine52 Stille.  „Nachmittags gibt53 es Unterricht“

逐語訳:„Ruhe!“ 「静粛!」(と) des gefürchteten 恐れられたる Lehrers 先生の die Donnerstimme 雷のような声が in den Tumult 此の混乱の中へと erschallte hinein 響き込んだ。Er かれは in der Tür 扉の中に stand 立っていた und そして dem Spektakel この大騒ぎに hatte......zugeschaut 見物していたのであった。Allgemeine 一般の(一同の) Stille 沈黙。  Nachmittags 午後には es それが Unterricht 授業を gibt 与える。

:【43】Ruhe, f. は「静粛」という名詞ですが、「やかましい!」「静かにしろ!」という時には普通 Ruhe! と云います。発音も、ほんとうは「ルーエ」ですが、大きな声でどなる時には大抵 h をひびかせて「ルーーヘーー」と云います。だから、ドイツ人が「ルーヘー」と発音するのを聞くこともあるでしょうが、発音がまちがっている、などと思ってはいけません。発音しない h は、決して如何なる場合にも絶対に発音しないというのはなくて、力を入れて発音するときには、ハッキリ聞かせることがあるのです。
【44】erschallen (ひびきわたる)―― er- という前綴は、『……わたる』の意ですが、schallen の三要形は強弱二種があります:schallen, scholl, geschollen, または schallen, schallte, geschallt.
【45】Donnerstimme は Donner (雷)と Stimme (声)との合成語。
【46】gefürchtet は fürchten (恐れる)の過去分詞で『恐れられた』(即ち恐怖の的となっている)。こわい先生のことを gefürchteter Lehrer と云います。
【47】Tumult, m. 混乱、騒ぎ。
【48】hinein (中へ)は hineinerschallen (ひびき込む)という分離動詞と解してもよろしい、あるいは in den Tumult hinein (騒ぎのまっただなかへ)というのが一つの形式だと思ってもよろしい。in だけでもわかるのですが、なお更に念を入れてよく hinein という副詞を追加します。
【49】hatte zugeschaut (見物していたのであった)は zuschauen (見物する)という動詞を「過去完了」という形に用いたものです(英語の「大過去」)。過去完了とは、hatte 等、haben (動詞によっては sein)の過去形と過去分詞とをもって構成し、『……したのであった』、『……しておいた』、『……してしまっていた』の意を表します。
【50】Spektakel, n. 前出の Tumult とまあ同じような意の語。
【51】zugeschaut: zuschauen (見物する)は分離動詞ですから zu-schauen と切って、切ったところに ge をつけて過去分詞を造ります。schauen は sehen と同意語。見物人は Zuschauer です。
【52】allgemeine Stille: allgemein という形容詞は「一般的」ですが、(たとえば allgemeine Regel 一般的規則、通則)「一般的」ということは、人間について云うときには「一同の」意になります。此処も、「みんなが黙る」(alle verstummen)とでもいうところを、まるで芝居の「と書き」のように、簡潔に「一同の沈黙」といったわけ。
【53】gibt: 字の間が空いているのに注目。これは英語ならば斜字(イタリク)を用いるところを、ドイツ語ではこうした隔字体を用いるので、此の一語を強調するためです。英語では、動詞を強調するときには do を用いるといったようなことがありますが、ドイツ語は、口でいう時には力を入れて発音する、書く時には隔字体、という方法があるのみです。

意訳:『諸君一大ニュースだ!』とフランツは発表した。フランツは主席学生だった。『諸君、一大ニュースだ! 午後は授業なし!』
 『じゃお休みかい?』とヴィルリーが問うた。みんなお互いに顔を見合ったままで、ほとんど自分の耳を信ずることができなかったのである。
 主席学生は笑って云った:『授業がないと云うんだから、もちろんお休みにきまってるじゃないか!』
 さあ大変。全クラスは底抜け騒ぎだ。ある者は口笛を吹く。ある者は歓呼する。ある者は机をひっぱたく。ある者はベンチの上に躍り上って馬のように嘶く。ある者はダンスしながら教室の中をひとわたり浮れ廻る。ある者は逆立ちする。ある者は他の者の手から手帳を引ったくって窓から外へ投り出す。ある者は傍にいた奴の肩に攀じ登る。ある者は隣の男をとっつかまえていきなりピシャッと頬ぺたを張り飛ばす。ある者は横の奴を蹴っ飛ばかす。
 『やかましい!』大喝一声、この混乱のまっただなかに、おっかない先生の声が響いた。先生は戸口に立っていた。かれは先程からの大騒ぎをずっと見ていたのだ。一同沈黙。
 『午後は授業をやる。』

Wednesday, April 7, 2021

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著

應用英文解釋法

東京英文週報社發行


(p. 152-158)


範例

(a) I do not deny (doubt, etc.) but        it is true.

(b) I do not deny (doubt, etc.) but that it is true.

(c) I do not deny (doubt, etc.) but what it is true.

     = I do not deny (doubt, etc.) that it is true

     余は其事の事實なるを否定せ(疑は)ず。


解説

  Deny, doubt, despair, scruple, make no question 等否定の意を有する語の後に在る but, but that, but what は次の如く解す可し。

(a) But        |

(b) But that |    = that = こと

(c) But what | 

(c) は (b) の誤りて生じたる形なり。

[註一]茲に云ふ but that = that と次の例に於ける but (= except) that =that......not とを混同す可からず。

  I have no fear but that he will recover.

     =I have no fear that he will not recover.

     彼が全快せずと云ふ虞は毫もこれなし。

     =I am sure that he will recover.

     必ず彼は全快す可し。

若し此場合に but that を that と見る時は

   I have no fear that he will recover.

   彼が全快すと云ふ虞は毫もこれなし。

となりて全快を恐るゝ意に聞ゆ可し。

[註二]茲に云ふ but that = that と次の例に於ける (a) but what (=but that) = that......not. (b) but what = except that (those) which と混同す可からず。

(a) I have no fear but what he will recover.

    = I have no fear that he will not recover.

    彼が全快せずと云ふ虞は毫もこれなし。

(b) I did nothing but what I was told to do.

    = I did nothing except that which I was told to do.

    余は命ぜられたる事の外は何事も爲さゞりき。


用例

1.  I cannot deny but that it is easy.

    Paley

    余はその事の容易なるを否定し得ず。


2.  It cannot be denied but he is a rascal.

    彼の奸物なるは否定するを得ず。


3.  I will not deny but that it is a difficult thing.

    Patrick

    余はその事の難事なるを否定せず。


4.  "Nor can I deny," continued he, "but I have an interest in being first to deliver this message, as I expect for my reward to be honoured with Miss Sophy's hand as a partner."

    O. Goldsmith

    彼は語を繼いで云つた「それから、また、私はこのお知らせをするのに自分が一番先きで嬉しいと思ふことを否むことは出來ません、と申すのは他でも有りませんが、私は御褒美としてソフイヤさんに舞踏のお相手になつて頂けると思ひますから」。


5.  I do not doubt but he is ill.

    余は彼の病氣なること疑はず。


6.  Doubt not but he will be here.

    A. Ayres

    彼の此處に來ること疑ふ勿れ。


7.  Who doubted but the catastrophe was over?

    T. Carlyle

    禍の終れる事を誰か疑ひし。


8.  I doubt not but I shall find them tractable.

    Shakespeare

    余は彼等が御し易しかる可きを疑はず。


9.  I do not doubt but England is at present as polite a nation as any in the world.

    Addison

    余は英國が現今世界中如何なる國民にも劣らぬ鄭重の國民なるを疑はず。

as......as any (nation) 如何なる(國民)にも劣らぬ。


10. As he directed his looks and conversation to Olivia, it was no longer doubted but that she was the object that induced him to be our visitor.

    O. Goldsmith

    彼がオリヴィヤの方計り眺め、オリヴィヤに計り話しかけたのから見れば、彼をして今日我家を訪問せしめた目的はオリヴィヤで有る事は最早疑を容れなかつた。

induced him to be our visitor 彼を客たるやうにした


11. She addressed him by name, and hence he could not doubt but that she had to do with him; but who was this girl, and how did she know his name?

    V. Hugo

    彼女は彼の名を呼んだ。だから自分に用の有る事は疑へなかつたが、併しこの女は一體誰で有らう、どうして自分の名を知つたので有らう。

addressed him by name 名を呼んで言を掛けた。had to do with 「關係があつた」「用が有つた」。


12. "Lieutenant Rich," he added, addressing Brackenbury, "I have heard much of you of late; and I cannot doubt but you have also heard of me. I am Major O'Rooke."

    R. L. Stevenson

    彼はブラッケンベリに向つてまた斯う云つた「リッチ中尉、私は近頃あなたのお噂を大分聞いたが、あなたも私の事をお聞きになつたと思ふ。私はオルーク少佐です」。

of late (=lately) 近頃。O'Rooke (O'Connell), O'Donnell, etc. は愛蘭起源のの名にして O は Gaelic の Mac. Norman の Fitz と同じく Son (子)の意也。


13. I have no doubt but that he will go.

    A. Ayres

    余は彼が行く可きを疑はず。


14. We......have no doubt but it will yet spring up.

    Livingstone

    我々はそれがまだ生える事を少しも疑はず。


15. There is no reasonable doubt but that it is all it professes to be.

    A. Ayres

    それが自ら公言する通りなりとの事を疑ふ可き正當の理由なし。

reasonable doubt 道理ある疑。


16. There can be no doubt but that the burglary is the work of professional cracksmen.

    N. Y. Herald

    この盗難は本職の泥棒の業(わざ)なること疑を容れず。


17. She had injured the man. Though she had done it most unwittingly, there could be no doubt but that she had injured him.

    A. Trollope

    夫人は其男に害を加へた。夫人は何の氣もなくしたのでは有るが、害を加へたことは確である。


18. Had Japan been able to rest content with the sport of war, there is no doubt but that the edge of naval ambitions would have become unconsciously blunted.

    H.C.S. Wright.

    日本がこの戦利品丈を以て甘んじて居ることが出來たならば、日本海軍の野心の鋒鋩は何時の間にか鈍くなつた事は疑ない。

Had Japan been = If Japan had been. rest content 甘んじて居る、安んじて居る。


19. The matter, however, so far concluded that there was no further question of police interferences, nor any doubt but that the lady, with husband, was to be allowed to leave Paris by the night train.

    A. Trollope

    さり乍ら最早巡査を煩はす必要もなし、無論夫人は良人と共に夜汽車で巴里を立つも構はぬとまでに話は進んだ。

further questions この上の問題。


20. Be that as it may, there was little doubt but that he would have made a leap, as soon as the intervening fire had burned down; to its friendly presence, therefore, on this occasion, as a means of Providence, we owed our lives.

    U. R. IV.

    それは何れにしても中間にある焚火が消えて了つたら、豹は忽ち飛び掛つたことは殆ど疑なかつた。それ故今度も焚火のお陰で助かつたのだが、これ天帝の加護に外ならぬのである。

Be that as it may (=however that may be) それはどう有らうとも。兎に角。to its friendly presence......we owed our lives 「幸にもその焚火有つたことに我々の生命を負うた」とは「幸にも焚火のあつた爲に命を拾うた」との意。as a means of Providence 天帝加護の一手段として。


21. In the concluding months of 1909 there was a sudden development in Tokyo and Yokohama of the use of solid rubber tyres for Jinrikishas, and there is little doubt but that the fashion will spread to nearly all the large towns in the provinces.

    四三*(一字不明)島亮等農林

  千九百九年の暮の數月間、護謨輪を人車に應用する事が京濱間に俄に流行して來た。で、この流行は地方の大都會の殆ど總てに擴がるで有らうと云ふことは殆ど疑を容れない。


22. "He'll make a capital workman one of these days," she would probably say. "No fear but what Isaac will do well in the world and be a rich man before he dies."

    N. Hawthorne

    祖母(おばあさん)は多分斯う云つたで有らう「あの子はその中立派な職人になります。アイザツクは屹度偉(ゑら)くなつて死ぬる前に金持になります」。

one of these days いづれその中に。No fear but what = There is no fear that.


23. They questioned not but to strike terror into the Romans.

    W. Watton

    彼等は羅馬人を戦慄せしむる事を疑はなかつた。


24. There is no question but the King of Spain will reform the most of the abuses.

    J. Addison

  西班牙王が大概の弊風は之を改革すと云ふは毫も疑を容れず。

to strike terror into を戦慄せしむ。


25. If he were not speedily relieved, no question but he must be speedily discovered.

    R. L. Stevenson

    若し彼が直ちに救はれなければ、直ちに發見されるに違ない事は確である。

no question but の前に there is を補ひ見よ。


26. Had not my friend found this expedient to break the omen, I question not but half the women in the company would have fallen sick that very night.

    J. Addison

    私の友人がその不吉の兆を除ける爲め、この妙案を思ひつかなかつたなら、其處に居合せた婦人の半數は、その夜の中に病氣になつたで有らう。

Had not my friend = If my friend had not. that very night 明朝とも云はず其晩直ぐに。


27. Amidst all the evils that threatened me, I will look up to him for help, and question not but He will either avert them, or turn them to my advantage.

    J. Addison

    私を脅かす一切の禍のうちにあつて、私は神を仰いで冥助を求め、神がその禍を除けて下さるか又は之を福に轉じて下さるを疑はない。


28. Among the several persons that flourish in this glorious reign, there is no question but such a future historian, as the person of whom I am speaking, will make mention of the men of genius and learning who have now any figure in the British nation.

    J. Addison

    この榮ある御代に時めいて居る人々の中で、今私が語つて居るやうな將來の歴史かが有つて、今日英國民の中に頭角を現はして居る才人學者の事を語るで有らう。

make mention of の事を語る。have any figure 頭角を現はして居る。


29. It is my design in this paper to deliver down to posterity a faithful account of the Italian opera, and of the gradual progress which it has made upon the English stage; for there is no question but our great-grand-children will be very curious to know the reason why their forefathers used to sit together like an audience of foreigners in their own country, and to hear whole plays acted before them in a tongue which they did not understand.

    J. Addison

    私はこの文に於て以太利歌劇の忠實なる話と以太利歌劇が英國劇壇に於て漸次進歩し來つた跡を子孫の爲に語らうと思ふ。なぜかと云ふに、我々の曾孫(ひまご)に當る人々などが、自分の國に居ながら自分の祖先は外國の看客のやうにいつも神妙に坐て居て自分等に分らぬ言で演ずる芝居を終りまで聞いて居た譯を知りたいで有らうから。

Saturday, April 3, 2021

山路とメビウスの帯

スラヴォイ・ジジェクはよくメビウスの帯という比喩を用いる。一方の側面にそって進み続けると、いつのまにか反対の側にまわってしまうという、アレである。もしもこの帯の平面上を人が移動したなら、左にある心臓は反対側では右になる。それゆえこの曲面は向き付けが不可能であるとされる。

連続的であるにもかかわらず、向き付けの異なるなにかへと変貌するこの現象を、ジジェクは哲学や文学やさまざまな政治的事象のなかに見出す。それはきわめて刺激的な考察である。

わたしがこの比喩の重要性に気づいたのは今日出海の「山中放浪」を読んだときだった。これは第二次世界大戦中、マニラの山中で地獄のような逃避行をした記録なのだが、そのなかにこんなことが書かれていたのだ。米軍を逃れるために今と軍人たちはジープで延々山路を移動する。米軍が造った山道はまことに整備が行き届いていて、じつに快適に車を飛ばすことができた。その車中で今はつい眠りこんでしまうのだが、ふと目が醒めると真夜中で、道の脇にはそれこそどれだけ深いのかもわからぬおそろしい谷が口を開けている。その場面を読んだとき、これこそメビウスの帯だと思った。米軍の造った山道を走り出したとき、今は有用性とか利便性とか合理性といった、いわゆる「象徴界」に存在していた。ところが山路をその果てまで突き進むと、そこには崇高なるものの次元が切り開かれていた。崇高なるものは「象徴界」に回収され得ないものとしてその限界を刻むものだ。それに気づいて「山中放浪」を読むと、随所にこの反転現象が見つけられる。最大の反転現象は、まさに日本とマニラのあいだに存在する。日本では新聞記者たちが報国報道に余念がない。しかし今は彼らが現実をまるで知らないことにいらだつ。記者たちは自分たちだって危険を冒して戦地へ行っているというのだが、今はそれではまだ行き足りないのだ、もっと先へ行けと言う。記者たちは今を非国民よばわりし、結局彼らは酒の席で大げんかを演じ、今は血まみれになって宿に戻るのである。わたしは今の、もっと先へ行けという言葉に注目した。つまり日本における現実が反転する地点まで先へ進めという意味だと考えたのである。今は反転する地点まで行ってしまった。記者たちはまだそこまで行っていない。そして向き付けの不可能な地点まで行ってしまったからこそ、今と記者たちは理解し合えないのである。このギャップはどれほど言葉を積み重ねようとけっして埋めることができない、そういうギャップである。だから彼らはいくら言葉を重ねても理解し合えず、最後には暴力を用いざるをえないのだろう。

考えて見れば今がさまよった山路はメビウスの帯にそっくりではないか。わたしは文学における空間論は三次元的であってはならないと考えた。

ルネ・フュレップ=ミラー作「闇の深みへ」を訳したのもこのメビウス現象が如実に描かれているからである。この作品には山中を行軍する場面がふたつあるが、その両方において反転現象が起きている。物語の冒頭にあらわれる行軍の最中、主人公は自分たちが隊列をなしてたどっているこの道は目的地へ行く道ではないのではないかと疑問を抱く。そして彼は士官候補生に地図を見せられ、たしかに目的地へ通じている道だと一時的には納得する。しかし彼らは結局、雨と風が吹き荒れるおそるべき場所へ入り込んでしまう。今の「山中放浪」とおなじように崇高の次元に突き出てしまうのだ。地図というのは空間的位置にある秩序を与えたもの、つまりすぐれて象徴的なものだ。しかしメビウスの帯である山路は、象徴界を突っ切り、その限界地点まで人をいざなうのである。

二つ目の山中行軍は第二章にあらわれる。そこで兵士たちは歩きながら目的地にいる有名な娼館の女の話をしている。ここに見られるのは通常の欲望である。ところが突然主人公はべつの戦場へ向かわされることになる。そこでの使命は、敵にわざと攻撃をさせ、しかしけっして陣地をあけわたしてはならないという、とんでもないものだった。みずからを幾度も、反復的に、死の危険にさらすという、まさに死の欲動の領域へと主人公は突き進むのだ。欲望の領域から、死の欲動の領域へ。これくらいあざやかに反転現象を描いた作品はなかなかないだろうと思った。

この二作の読解を通じて山路がメビウスの帯の比喩となり得ることはよくわかった。ところで山路はよく「羊腸たる」という形容をともなう。そう、じつは腸もその形状がメビウスの帯に似ている。つまりわれわれはわれわれの内部に反転現象を抱え込んでいるのである。わたしはいま、そのことを考えている。


英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...