Saturday, April 24, 2021

シリル・ヘア「死が森のなかを」(1954)

久しぶりにシリル・ヘアを読んで思ったのは落ち着いたいい文章を書くということ。奇想を弄んだり、衒学趣味に陥ったりすることなく、平明な文章を紡いでいる。落ち着いた気持ちで物語の展開を見守ることができた。


しかし文章の趣味は保守的だけれど、推理となるとシリル・ヘアはなかなか鋭い。本篇の主要人物の一人ペティグルーが家主対店子の争いを法廷で裁く場面が最初のほうに出て来るが、家主の側が決定的に勝利を収めそうに思えたとき、ペティグルーはじつにささいな、係争とは関係のない事柄に注目して、そこから店子の側に有利な判断を引き出してくる。わたしはイギリスの法律に詳しくないので、そういうものなのかと感心しながら読んだのだが、要するにうっかり読み過ごしてしまいそうな細かな描写の中に、じつはヒントが隠されているので、シリル・ヘアを読むときは、名文に酔っていてはいけないのである。

物語は観光地の小さなコミュニティーで起きる。そこに住むミセス・ピンクという未亡人があるとき森のなかで殺される。ミセス・ピンクは不思議な人物で、慈善事業やコミュニティー活動の手伝いをし、わずかな収入を得ながら貧乏な暮らしを続けていた。面白いのは彼女の評価が村の内部でまっぷたつに分かれている点だ。彼女は上流階級の人間から見ると、毒にも薬にもならない平凡な人物だった。ところが村の人々の評価はまるで違う。彼らは彼女がロンドンの法律家と毎月手紙でやりとりをしているのを知っていた。そして法律家と頻繁にやりとりできるのなら金を持っているのに違いない、なのに貧乏な振りをしているとはどういうことだ、と彼女に不審の目を向けていたのである。

この平凡なようでいて、じつは謎を隠したミセス・ピンクの実態が明らかになるにつれ、事件も次第に明らかになる。

本書の推理もヘアの名作「英国的殺人」とどこか似通っている。これは説明するとネタバレになるので差し控えるが、ヘアには人間を社会的機能に置き換える視線がある。社会的機能に置き換えると人間の唯一性は失われ、代替が可能になるのである。おなじ社会的機能をおびているのであれば、同一視の可能な存在となるのだ。ミステリを通してこうした構造主義的な考え方を表現したのはヘアの第一の功績だと思う。

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