Monday, April 29, 2024

ロジャー・トーリー「殺人への四十二日間」

ロジャー・トーリーは1901年に生まれ、1946年に急性アルコール中毒で亡くなったアメリカのパルプ作家である。ハードボイルドをたくさん書いているが、いずれも短編か中編で、長編は本書だけではないだろうか。ハメットやチャンドラーのようなトップレベルの作品ではないが、しかしこの時代のある種の雰囲気を身に纏っていて、わたしはそこが楽しかった。

主人公で語り手の私立探偵ショーン・コネルは、意外にももとピアニストで、昔は仲間とクラブで演奏し金を稼いでいた。この物語のなかでもリノのとあるバーで昔の音楽仲間に出逢い、そこで演奏をはじめるという場面がある。そのあたりの描写は非常に活気に満ちていて、バーの騒然とした情景が映画のように彷彿と目の前に浮かんでくるのである。三十年代後半の風俗を、誇張をまじえてはいるのだろうが、これほど活写できる人はあまり記憶がない。

さて話のほうだが……。ウェンデルという船会社の社長が南アメリカから戻ってくると妻がリノの町へ行き、離婚の手続きを開始していた。どうやら彼女は悪党弁護士にそそのかされて夫に話をすることなくいきなりリノへ出発したらしい。ウェンデルは妻に事情を聞こうとリノへ乗り込むが、悪徳弁護士が警察に手を回し、彼を捕まえさせて強制的にニューヨークへ帰してしまった。そこでウェンデルは私立探偵のショーン・コネルに妻との話し合いの場を設けて欲しいと頼むのである。

悪徳弁護士と警察権力が手を結んだろくでもない離婚騒動だが、コネルがリノに乗り込んで直ぐに、事件がそれだけではないことに気づく。ウェンデルの妻は小間使いを連れてリノへ行ったのだが、その小間使いが殺されていたのである。しかもコネルが調べたところ、その小間使いは過去につまらぬ犯罪を幾つも犯していたようだ。今回の離婚騒動は見た目よりももっと大きな事件とつながっているらしい。それをコネルが探っていくという物語である。

本作は脇役が大勢登場する。コネルの助手役を務めるレスター青年、ウェンデルをコネルに紹介する飲んべえのジョーイ・フリー、リノの保安官、ジーメン(G-man)、コネルがピアノ演奏をするバーの店主等々、彼らが物語にたいへんな活気を与えている。どれも個性豊かで、その会話はユーモアに満ちている。たとえばコネルが部屋を借りたアパートの大家(女)がこんなことをいう。


 「あたしはセブンアップで、そこらへんの女が手にする以上の金をすってしまったよ。でもお金なんかなんの価値があるんだい。食えもしなけりゃ、寒いときに毛布の代わりにもなりゃしない」

 「ものが買えるだろう」とおれは言った。

 彼女はにやりと笑った。「はっ! 食事だって一度に一食食うだけさ。寝ると言ったって一つのベッドに寝るだけさ。金なんてひざまづいて拝むようなものじゃないよ」

 悪徳弁護士のクランドルが同じような考えの持ち主なら、ウェンデルも苦労はしなかっただろうに、とおれは思った。


悪徳弁護士は馬鹿高い手数料をふんだくるためにウェンデル夫人に離婚手続きをさせるのだが、下宿のおばさんはその形而下的議論で弁護士の拝金主義を批判する。これによって脇役にすぎない一登場人物は、一瞬、大役を担う登場人物と同じレベルまで引き上げられる。どの登場人物もこんな具合に一瞬光るものを見せるのだ。こういう書き方がなかなかうまい。

 ハードボイルドとしてはせいぜい良く言っても中の中といったところだが、ほかの部分で面白いものを見せてくれる作家だ。かえすがえすも若くして亡くなったことがおしまれる。

Friday, April 26, 2024

ウォルド・フランク「チョーク・フェイス」


この本は近いうちに読み直さなければならない。じつに奇妙な、魅力たっぷりのホラーである。

作者のウォルド・フランクは1889年、ニュージャージーに生まれ、政治的な活動家として生涯を過ごした。ラテンアメリカに関する著作が多数あり、小説も数作書いている。しかし「チョーク・フェイス」みたいなホラーを書いているとは知らなかった。

この本の語り手は若い医者である。勉強はよくできるようなのだが、精神的にはどことなく不安定で、その文章は妙にドラマチックになったりセンチメンタルな部分を見せたり、わたしの読解力に問題があるのかもしれないが、なんだかわけのわからない部分もある。両親とも仲がうまくいっていない。母親は彼が独立することを嫌い、ずっと自分の保護下に置こうとしている。彼はそれに反発しているが、どう見ても両親に守られている今の境遇に満足しているようだ。要するにこの男は世間で言う「わがままなぼんぼん」であり、物語論的に言えば「信用できない語り手」ということになる。彼は気に入っている女性と結婚したいと考えているが、彼女のほうは、彼を嫌ってもいないが、特に好きでもないらしい。

細かく書くと話がややこしくなるし、ネタバレにもなるので短くはしょると、この若い医者が連続殺人とおぼしき奇怪な死に興味を抱くようになる。その事件のいずれにおいても背の高い、黒いスーツを着た、白いつるつる頭の男が目撃されているのだ。しかも顔はのっぺりしているという。これが表題のチョーク・フェイスである。医者はこのチョーク・フェイスの正体を突き止めようとする……。

おそらく語り手のコンプレックスや不燃焼的恋愛関係がなんらかの形で連続殺人やチョーク・フェイスという形象に反映されているのだろう。とにかくサイケデリックというか、シュールというか、珍妙な作品なのだが、しかし面白い。明らかにフロイトの影響を受けて書かれたとわかる。わたしは読みながらルイス・レヴィの「たまねぎ男クスラドック」を思い出した。再読の際はノートを取り、じっくり考えながら読まなければならない。内容の議論はそれからだ。さっきも言ったように、語り手の精神状態が非常に特殊で、一回読んだだけではわたしにも理解できていないところが多いからである。ひょっとしたらとてつもなく不思議な、知られざる傑作なのかもしれない。今回はそんな予感を抱かせる小説だと報告するにとどめておく。

Tuesday, April 23, 2024

デイ・キーン「疑惑の種」

 

キーンは1969年に65歳くらいで亡くなっている。本書が書かれたのが1961年だから、晩年の作といっていいだろう。キーンの作品は前期や中期に書かれたミステリがおもに注目されるので、後期はどうなのだろうと興味をもって読んだ。

正直、悪くないという印象だ。

本書は人工授精をめぐる風俗小説である。物語が丁寧に書き込まれていて、50年代、60年代のフロリダの、そしてアメリカの人々の考え方がほんとうによくわかる。しかも叙述に工夫を施しているので、サスペンスというか、緊張感があり、こういう手並みはさすがキーンだなと思わざるをえなかった。


とあるハンサムな男と美しい女が結婚したが、両者のあいだにはいまだに子供ができない。男の父親は不動産で大儲けし、今はフロリダの実力者となっているのだが、その彼は自分の冨を受け継がせる孫の誕生をいまかいまかと待ち受けている。女も子供ができないことにいらだちを覚え、さらに義父のプレッシャーもあって、どうやら精神的に少々病んでいるようだ。彼女はかつて、他人の子供を勝手に連れ帰ったことがあったが、おなじような事件をまたもや引きおこす。前回の事件は大富豪の義父が金で表沙汰になるのを防いだが、今回は新聞社にかぎつけられ、ピンチだ。同時に義父は医者や精神科医に依頼して、不妊の根本原因をさぐってもらう。すると医者はすぐに夫のほうに問題があることを知る。昔かかった淋病のせいで子供をつくれない躰になっているのだ。いろいろ複雑な事情を勘案するなら、若夫婦にとって最善の対処法は、人工授精であろうと医者たちは結論した。

彼らはそれをまず妻に告げた。すると妻は人工授精の提案を受け容れるが、一つだけ条件をつけた。夫には内証でそれをやってほしい、なぜなら夫は子供っぽくて、自尊心が強く、他人の精子で子供ができることに耐えられないだろうから、というのだ。そこで医者は違法を承知で(人工授精には夫と妻の同意がなければならない)妻の要求通りにするのだが……。


人工授精は十八世紀から行われていたようだが、アメリカで一般になったのはここ半世紀あまりのことらしい。それまでは人工授精を姦淫と見なす風潮があった。が、いくつかの州がこれを認めるようになると、いろいろな法律制度がととのえられるようになった。本書の出版時期を考えると、これは人工授精が話題になりはじめた初期のころに書かれたのだろう。非常にトピカルな作品だと言える。

舞台はフロリダの港町で、登場人物はかなりの数になる。視点が次々と移り変わり、いろいろな人の生活ぶりが示されていく。本書の中心人物である、若い夫婦の過去や現在が示されるだけではない。朝鮮戦争に徴兵され、性格も人生も一変してしまう若い男、生活の安定を求め三十近くも年上の男と結婚するが、こっそり浮気をし奔放な性生活を送る女、好色な医師、警察や司法すら金で威圧するビジネスマン、大富豪の情婦、こうした人々の生活ぶりを通じて、当時のアメリカのありようがパノラミックに浮き彫りにされていくのである。

とりわけ人工授精に対する人々の反応は、当時の宗教的考え方や世相を反映していて勉強になった。人工授精なんて牛のやることだ、という侮蔑の言葉にはびっくりである。いまの我々は人工授精の「治療」的側面を重視するが、ほんの五十年程前まではそうでもなかったのだ。

多視点を利用した書き方は非常に有効で、後半に入って人工授精の事実があばかれる過程は、軽く胸がどきどきした。標準以上のいい作品である。

Saturday, April 20, 2024

アダム・ベッカー「リアルとはどういうことか」

 


量子力学の入門書というより、幾人かの物理学者に焦点を合わせ、詳しくその考え方を論じた本で、深みのある内容になっている。科学的事実そのものよりも、科学者の哲学といったものに焦点を合わせており、量子力学に興味のある人文系の人間には格好の参考書だ。翻訳も出ているようだ。

この本からわたしが学んだことはいくつもある。たとえば二十世紀における科学の発展は、エルンスト・マッハ流の考え方がその土台となっているという事実。ニュートンなどは、時間と空間は絶対的な尺度であると想定して議論をはじめる。世界はこういうものであるという思い込みがまずあって、そこから世界の探求がはじまるのである。それをオーストリアのエルンスト・マッハは批判した。科学はいかなる想定も、「世界はこういうものだ」という思い込みもなく、実験結果から議論を積み上げていくべきだという。アインシュタインの相対性理論は、マッハ流の思い込みを排した考え方から生まれてきた。だからこそ、のちに彼が「神はさいころを振らない」などと、量子力学の不完全性を主張したとき、他の科学者は驚いたのだ。相対性理論を思いついた偉大な科学者でさえ、思い込みに捕らわれているのか、と。

ただ、本書の後のほうで取り扱われるデイヴィッド・ボームは、果たして科学者は本当に何の思い込みもなく研究をしているのか、という点に疑問をなげかけている。わたしも同じ疑問を持つ。人間はまっさらな状態でものを見るわけではない。なんらかの想定が必ずある。ただその想定が新しい発見を見いだすようなものであるのか、そうでないのか、という違いはある。だからマッハの考え方は、とらわれない発想を持つという意味では賛成できるが、科学者はいかなる思い込みも排さねばならないという禁止を意味するのであれば、わたしは首をひねらざるを得ない。いつかマッハをちゃんと読もうと思う。

わたしが学んだ二つ目はデイヴィッド・ボームが共産主義のシンパだったことである。この事実はほかの量子力学の入門書には出ていなかった(と思う)。しかし粒子を確率論的に広がる波ではなく、どの時点においてもあくまで一つの粒子と見なす彼の考え方は、ある意味で唯物論なのだ。彼は世界中の物理学者から批判され、嘲られたとき、ソ連の科学者なら応援してくれるかもしれないと考えた。唯物論がソ連の国家的イデオロギーであったからだ。しかし「キリスト教的無神論」などを読むと、現代の唯物論者ジジェクはボームの考え方を否定している。ここらへんは面白い。

本書を読んでわたしははじめてボームという人間に興味を持った。彼のパイロットウエーブの考え方がシュレーディンガー方程式から出てきたものだという点も面白いが、それ以上に彼のドラマチックな人生に魅了された。政治的信条や友人関係のせいで、軍が彼のマンハッタン計画への参加を認めず、しかし彼が原爆開発にとって重要な研究をしていたため、その研究ノート類を没収し、論文を書くことまで禁じたという逸話は、今の日本の情報保護法の行く末を暗示していると思う。彼は晩年になって自分の議論が間違いではないかと思うようになったらしいが、多少専門的になってもかまわないから、その理由を知りたいと思った。また彼はアメリカ国籍を再取得しようとした際、国から共産主義とは決別したと一筆書けと命じられ、その要求を拒否した。わたしにはボームが無骨な、しかし筋の通った生き方を貫く、人間くさい科学者に見える。

三つ目の発見は、多世界解釈を提唱したヒュー・エヴェレットがSF小説のファンだったことだ。彼はずばぬけた秀才だった。しかし、情報処理能力に長けた人間にはよく見られることだが、勉強にはあまり時間をさかず、ひたすらSFを読んでいたらしい。多世界などという発想もいかにもSF的だし、実際、SFの領域ではこれをテーマにした作品が目白押しである。しかしエヴェレットの議論は、理論が示唆するところを徹底的につきつめることから生まれてきた。やはりマッハ流の考え方が根底にあるのである。

この発想の根底にあるものに着目するところが本書のいちばんの特徴だし、それがこの本を面白くしている。作者が第八章でクーンのパラダイム論をとりあげるのは当然だろう。そして根本的な考え方を培うものとして人文科学の重要性を意識するのも当然だろう。アインシュタインやボーアのころは哲学が科学者の重要な教養となっていたが、第二次世界大戦以降、物理学は極端に専門化され、物理学の学徒たちは人文科学を習わなくなってしまったと作者は嘆く。

本書に対して一つだけ不満を感じたことがある。それはボーアに対する評価だ。ボーアの文章が曖昧で難解だということは何度も繰り返されるが、作者はボーアを真剣に読み込もうとしたのだろうか。後半部分に進むにつれ、ボーアはいわば悪者扱いされている。けれどもわたしはボーアの認識はいまだ充分に解明し尽くされていないと思う。その可能性はまだ人に知らぬまま残っているのではないか。本書の説明によるとボーアはウィーン学派の影響を受けているとあるが、はたして彼の考え方はウィーン学派とか実証主義の枠内にとどまるものだろうか。


Wednesday, April 17, 2024

独逸語大講座(19)

Der Mönch schlug die Augen auf,1 sah das schöne Bildnis an,2 wurde ganz rot und eine Zeit lang3 konnte4 er nicht aufstehen. Endlich stand er doch5 auf, trat hinzu,6 warf7 sich dem8 Mädchen zu Füßen und begann laut zu beten: „ du ewiger Gott, beschäme9 mich nicht vor meinen Kameraden! Sei10 mir doch11 gnädig12 und laß13 einmal ein großes Wunder geschehen14! Gib15 diesem Gesicht Farbe, diesen Händen Wärme, bewege16 diese Füße, löse17 diese Zunge, gib diesem Leib18 eine Seele19!" Da20 er ein Jüngling reinen21 Herzens22 war, wurde seine Bitte auf der Stelle23 erhört. Sofort belebte sich24 die Figur, die Gewänder25 rauschten, Gesicht und Hände färbten sich26 und das Haar wuchs.27 Die Gestalt fing an umherzuwandern,28 wenn auch29 im Anfang noch ein wenig30 taumelnd.31 Aus dem Mund kamen Worte,32 erst wie zum33 Versuch, dann aber die schönen, lieblichen Gedanken,34 wie sie35 die jungen Mädchen zu haben pflegen.36

訳。僧は der Mönch 眼を die Augen 開けた schlug auf, 美しい像を das schöne Bildnis 眺めた sah an, 真赤に ganz rot なった wurde そして und しばらくの間は eine Zeit lang 起ち上ることが aufstehen 出来なかった konnte er nicht. しかし〔流石に〕doch 遂には endlich 起ち上って stand er auf 歩み寄り trat hinzu 娘の足下に dem Mädchen zu Füßen 身を投げ伏して warf sich そして und 大きな声で laut 祈り始めた begann zu beten:「おゝ、汝永遠なる神よ „o du ewiger Gott わが同輩等の前に vor meinen Kameraden 我を恥しめ給う勿れ beschäme mich nicht, 冀くば doch 我に慈悲深くあり給え sei mir gnädig 而して und 一度 einmal 一つの大なる奇蹟を ein großes Wunder 起らしめ給え laß geschehen! 此の顔に diesem Gesicht 色を与え給え gib Farbe, 此の〔両〕手に diesen Händen 温熱を〔与え給え〕 Wärme 此等の足を diese Füße 動かし給え bewege, 此の舌を解き給え löse diese Zunge, 此の体に diesem Leibe 一つの魂を授け給え」 gib eine Seele!“ 彼は er 浄き心を持った青年 ein Jüngling reinen Herzens であった war ので da 彼の願いは seine Bitte 立ち所に auf der Stelle 聴届けられた wurde erhört すぐさま sofort 像は die Figur 活気づいた belebte sich 衣は die Gewänder ざわめいた rauschten 顔と手は Gesicht und Hände 色づいた färbten sich そして und 髪の毛は das Haar 生えた wuchs. 似姿は die Gestalt あちこちとぶらつき始めた fing an umherzuwandern 勿論(たとえ)wenn auch 初めの中は im Anfang まだ noch 少々 ein wenig よろめきつつ taumelnd. 〔ではあったにしろ〕。口からは aus dem Mund 言葉が洩れて来た kamen Worte 先ず最初は erst あたかも試験的の如くに wie zum Versuch, しかし其の次には dann aber 若い娘達が die jungen Mädchen 持つのを常とする zu haben pflegen ような wie sie 〔左様な〕美しい可愛らしい考えが die schönen, lieblichen Gedanken 〔口から洩れて来た〕[kamen aus dem Mund.]

註。――1. aufschlagen (開ける)の過去。――2. ansehen は分離動詞。――3. eine Zeit lang (暫時)は熟語。eine Zeitlang とも書く。――4. können の過去。――5. doch=矢張り、さすがに、それにも拘らず、とは云え、それでも。――6. hinzutreten (歩み寄る)の過去。treten (踏む、歩む、英語の to tread)の三要形は treten, trat, getreten.――7. werfen (投げる)の過去。此処では sich werfen (身を投げる)という再帰動詞。――8. 日本語から考えると zu den Füßen des Mädchens (娘の足下に)と云いそうな訳だが、ドイツ語では dem Mädchen zu Füßen (娘に足下に)という。つまり両方とも同じである。――9. beschämen (恥かしめる)の命令形。命令形は、一般的規則としては =e の語尾を採る事になっているが、geben (ich gebe, du gibst, er gibt)の型で人称変化する動詞(第二巻 119)に限って =e を附けず、且つ幹母音が i になる。gib! (与えよ)。――10. sein (to be)の命令形(英語の be!)――これは前項に述べた命令法に関する通則の例外である。――11. 命令文にはよく doch (どうか、どうぞ)を入れる。第5項で説明した doch とは別物である。――12. 英語の grace は die Knabe, gracious は gnädig.――13. lassen の命令形 lasse の =e を省いた省略形。この方を多く用いる。――14. geschehen は英語の to happen, (生ずる、出来する、起る、行われる)。――15. geben の命令形。――16. bewegen (動かす)の命令形。――17. lösen (解く)の命令形。――18. der Leib=der Körper.――19. die Seele 魂(英 soul)=der Geist 精神(英 spirit).――20. 接続詞としての da は、略 weil と同意、(……であるが故に)。――21. 二格の =en という語尾に関しては文法第一巻の98参照。――22. das Herz (英 heart)の格変化は変則で、das Herz, des Herzens, dem Herz, 又は dem Herzen, das Herz.――reinen Herzens (清き心の)が「清き心を持った」という意味になる。第一巻読本の部55頁註7.に説明したのもこれと似た語法である。――23. auf der Stelle (立ち所に)は熟語。――24. sich beleben (活気づく)は四格の再帰代名詞を伴う再帰動詞。Leben (命)から来ている。――25. 単数は das Gewand. 即ち das Kleid (着物)に対する詩語。――26. sich färben (色が差す、彩られる)も再帰動詞。――27.wachsen, wuchs, gewachsen (生える)chs [クス] の発音に注意すべし。(第一巻 24ー26項)。――28. wandeln は漫歩すること、wandern (てくてく歩く)とは少し違う。――umher= は「あちこち……し廻る」と云う意の前綴(英 about).――29.wenn だけならば「若しも」、wenn auch は「たとえ……にしろ」(英 though)――30.ein wenig=a little, somewhat.――31.taumeln (よろめく)の現在分詞が taumelnd (よろめきつつ)=nd, =end は英語の -ing に相当する。――32.Wort, n. (言葉)には複数形が二つある。die Wörter は「単語」(即ち意味の関連せざる数個の言葉)で die Worte は「詞」即ち一連の文句である。――33.zu は「……の為め」――zum Versuch は「試みの為め」。――34. der Gedanke 又は der Gedanken (考え、思想)二格以下はすべて =en の方で変化する。即ち des Gedankens, dem Gedanken, den Gedanken. 複数は四格とも Gedanken.――35.sie は「それらを」(Gedanken を受ける代名詞)――wie と sie と二つで結びついて一種の関係代名詞を形成する。(詳細は第二巻171に就て見よ)。――36.「云々するのを例とする、常とする、週刊とする」は zu……pflegen である。此の zu に就いてはいずれ第四巻で説明する事になっている。

Sunday, April 14, 2024

英語読解のヒント(110)

110. any one else's

基本表現と解説
  • You never see him in anybody else's company. 「彼が(あの人以外の)ほかの人といっしょにいることはけっしてない」

any one else, some one else, anybody else, every one else, somebody else, everybody else などは一個の複合名詞と見なされ、所有形は any one else's, some one else's のようになる。

例文1

For that matter, everybody knew everybody else’s family horse-and-carriage, could identify such a silhouette half a mile down the street....

Booth Tarkington, The Magnificent Ambersons

実際、だれもがほかの家族の馬車を知っており、半マイル先からでもそれを見分けることができた……。

例文2

 "But, my dear," said Sowerberry, "I want to ask your advice."
 "No, no, don’t ask mine," replied Mrs. Sowerberry, in an affecting manner: "ask somebody else's."

Charles Dickens, Oliver Twist

 「でも、おまえ」とソウアベリは言った。「おまえの意見が聞きたいんだよ」
 「いいえ、聞かないでちょうだい」とソウアベリ夫人はいたましい声を出した。「ほかの人の意見を聞いてください」

例文3

He felt quite pathetic over the notion of his own fate, as if it had been some one else’s, and made a little imaginative vignette of the scene in the morning, when they should find his body.

R. L. Stevenson, "A Lodging for the Night"

彼は自分の運命を他人の運命ででもあるかのようにあわれに感じ、朝自分の死体が人々に発見される光景をちょっと想像してみた。

Friday, April 12, 2024

英語読解のヒント(109)

109. at one's elbow(s)

基本表現と解説
  • The lamp stood on the table at his elbow. 「ランプはすぐそばの卓上にあった」

「すぐそばに」「目と鼻の先に」という意味。

例文1

Sir Roger, planting himself at our Historian's Elbow, was very attentive to every thing he said....

Joseph Addison, Sir Roger de Coverley

サー・ロジャーはわれらが歴史家のそばに立って、彼の言うことを非常に注意して聞いていた。

例文2

"Ah, I can not help thinking Adrian is doing very wisely," observes Arthur Dynecourt, some evil genius at his elbow urging him to lie.

Margaret Wolfe Hungerford, The Haunted Chamber

「ああ、エイドリアンはとてもうまくやっていると思わざるをえません」とアーサー・ダインコートは言ったが、彼のそばにいる悪魔が彼にそう言わせたのだ。

例文3

"There may be a devilish Indian behind every tree," said Goodman Brown, to himself; and he glanced fearfully behind him, as he added, "What if the devil himself should be at my very elbow!"

Nathaniel Hawthorne, "Young Goodman Brown"

「どの木の後ろにも悪魔のようなインディアンが隠れているのかもしれないぞ」とグッドマン・ブラウンはひとりごちた。彼はこわごわ後ろを振り返り、こう付け加えた。「その悪魔がおれのすぐ横に立っていたらどうしよう」

Thursday, April 11, 2024

お詫びとお知らせ

昨年アマゾンから出版したチャールズ・ペリー作「溺れゆく若い男の肖像」とロバート・レスリー・ベレム作「ブルーマーダー」の販売を停止します。理由は著作権保護期間に対するわたしの勘違いで、いずれの作品もまだ日本ではパブリックドメイン入りをしていませんでした。自分の迂闊さを反省し、読者の方々にご迷惑をおかけしますことを心から陳謝いたします。

林清俊


Monday, April 8, 2024

英語読解のヒント(108)

108. about one's ears

基本表現と解説
  • Blows showered about my ears. 「袋叩きにあった」

about one's ears とは「すぐそばに」の意味で、げんこつや弾丸、あるいは火災や家屋倒壊の際にものが間近に、あるいは頭上に落ちかかることをあらわす。

例文1

"Tut; you had best stay where you are, for the night grows wilder every instant." As he spoke there came a whoop and scream of wind in the chimney, as if the old place were coming down about our ears.

Arthur Conan Doyle, Uncle Bernac

「いやいや、ここに泊まっていったほうがいい。今晩は天気がますます荒れていくから」彼がそう言ったとき、煙突の中からびゅーという風の叫び声が聞こえた。まるでこの古い家が頭の上に崩れかかってくるかのようだった。

例文2

The whole pavilion, it was plain, had gone alight like a box of matches, and now not only flamed sky high to land and sea, but threatened with every moment to crumble and fall in about our ears.

R. L. Stevenson, The Pavilion on the Links

楼閣全体がマッチ箱のように燃えていることは明らかだった。陸のほうへも海のほうへも空高く炎が立ちのぼっているだけではない。いつわれわれの頭の上に崩れてくるかもわからないありさまだった。

例文3

But now, alas! the outlaws were at the wood's edge. Another flight of arrows whistled about our ears; and the stranger, with a groan, clapped his right hand to his side and tried manfully to pluck away a shaft which was quivering there.

Bernard Marshall, Cedric the Forester

しかし、なんとしたことか、無頼漢どもが森のはずれで待ち構えていた。またもやわれわれは雨あられと矢を射られた。見知らぬ男はひと声呻くと右手を脇腹にあて、豪胆にもそこに揺れている矢を引き抜こうとした。

Saturday, April 6, 2024

英語読解のヒント(107)

107. close the door on と close the door behind

基本表現と解説
  • He closed the door on her. 「彼は彼女を中に入れて(あるいは外に出して)ドアを閉めた」
  • He closed the door behind him. 「彼は中に入って(あるいは外に出て)ドアを閉めた」

ドアの開け閉めに関しては shut someone out (締め出す)/ shut someone in (閉じ込める)/ lock oneself out (鍵を中に置き忘れて入れなくなる) などもよく使われる表現。

例文1

"Good-bye," I said then, and gave her the letter. As the door closed behind her I sank into my chair...

Edith Nesbit, "From the Dead"

「それじゃあ」とわたしは言い、彼女に手紙を渡した。彼女が部屋を出てドアが閉められると、わたしは椅子に沈み込んだ……。

例文2

"One moment," I asked. "Did the stable-boy, when he ran out with the dog, leave the door unlocked behind him?"

Arthur Conan Doyle, "The Adventure of Silver Blaze"

「ちょっと待った。馬番の男の子は犬と飛び出していったとき、戸を閉めたのかね」

例文3

And I called to mind the little girl who had tried to give some bread to the hungry John Halifax, and whose cry of pain we heard as the door shut upon her.

Dinah Mulock Craik, John Halifax, Gentleman

わたしはあの娘を思い出した。腹を減らしたジョン・ハリファックスにパンを与えようとした娘、ドアが閉まるとき中から苦痛の悲鳴をあげたあの娘だ。

Wednesday, April 3, 2024

英語読解のヒント(106)

106. be done with と have done with

基本表現と解説
  • What is past is done with. 「すんだことはすんだこと」
  • Let us snap his neck and have done with it. 「やつの首をねじって早く片付けてしまおう」

be done with は済んでしまった「状態」に主眼があり、have done with はことを終えるという「動作」とか「行為」に主眼がある。

例文1

I cannot put a pistol to my head and draw the trigger; for something stronger than myself withholds the act; and although I loathe life, I have not strength enough in my body to take hold of death and be done with it.

R. L. Stevenson, New Arabian Nights

わたしは自分の頭に拳銃を当て、引き金を引く勇気がない。自分より強いなにかが、わたしを引き留めるのです。生きていることが嫌でたまらないが、死に神をつかまえて人生にけりをつける力がこの身体にはないんです。

例文2

Do you believe that men have a spiritual existence after they have done with this life?

J. E. Muddock, Stories Weird and Wonderful

人間はこの世をおさらばしたあと、霊として存在するようになると思いますか。

例文3

"My wife?" he cried. "I have done with my wife for good. I will not hear her name. I am sick of her very name."

R. L. Stevenson, New Arabian Nights

「妻だと? わたしは妻と金輪際縁を切ったんだ。彼女の名前なんぞ聞きたくもない。名前を聞くだけで胸が悪くなる」

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...