Sunday, September 29, 2019

エセル・リナ・ホワイト「はじめて彼が死んだとき」(1935)

ホワイトはミステリだけでなくノワール作品も書いていたのか。本書は三人の男女が保険金詐欺をたくらみ、ついにそれが露見するまでの過程を描いている。

詐欺を企むのは若いバクスター夫妻と彼らの下宿人のパギーという男だ。夫に多額の保険金をかけ、その後夫の死を偽装しようとしたのである。医者とか葬儀屋が夫の死体に近づかないよう随分苦労したが、彼らはなんとか保険金を騙し取ることに成功する。

しかしそのあとがまた大変だった。夫のバクスターは女に取り入るのがうまいが、先見の明のきかない、場当たり的な男で、次々とへまをしでかす。たとえば彼が「死んだ」あとは、新しい名前で生活しなければならないのに、美しい女に出会ってのぼせあがり、ついうっかりと本名を名乗ってしまう。お金の使い方もでたらめだし、妻がいるのに他の女と結婚しようなどと平気で考える。これではいつか詐欺が露見するのも無理はない。妻やバギーがいたからこそ、なんとか詐欺を成功させ、その後の生活を送っている有様だ。

この作品は面白く読めるけれども、ホワイトの作品の中でそれほど出来がいいとは言えない。なにが不満かというと、主人公バクスターの性格の陰影のなさが気になるのである。なぜ彼はこれほどまでに能天気に描かれるのか。他の作品ではたいてい女性が主人公で、そくそくと迫りくる危険に彼らは敏感に反応するのだけれど、バクスターは危険をまるで感知せず、バギーにそれを指摘されたときは急にパニックに陥り、衝動的な行為に走る。そんな人間がいないわけではないけれど、しかし「こんなに脇が甘くて、衝動的では、詐欺なんて失敗するに決まっている」とわたしはついつい思い、物語の後半にまったくサスペンスを感じなかったのである。しかしこれはホワイトの他の作品を知っているから抱く感想であって、この作品では作者はなにかいつもと異なるものを書こうとしたのかもしれない。

Saturday, September 28, 2019

無用の用

アブラハム・フレックスナーという科学者が一九三九年に短いエッセイを発表した。それが The Usefulness of Useless Knowledge というタイトルで、欧米では今もよく読まれている。ごくごくまっとうな意見(科学が人類に益しない発明をしてしまうのは、まったくの偶然である、という議論はナイーブすぎて疑問だが)なのだが、一部の人にはどうも理解されないようだ。

作者はべつに科学に於いて有用性を無視しろとはいっていない。逆に、有用性ばかりを考えて、無用な追求、なんの役に立つのかわからない研究を切り捨てる態度に異議を申し立てているのである。科学研究とはなによりもまず科学者がその好奇心を満たすためのものなのだ。好奇心にとりつかれた彼らにとって有用性など眼中にない。ひたすら知識の虜となる。そうした無用の知識が大量に生産されたとき、だれかがその知識の利用の仕方に気づき、有用な発明が生まれるというのである。ミシシッピ川は無数の小流れの集合によって形成される、とフレックスナーは比喩を用いて説明している。

われわれはエジソンを偉人だと思っているが、フレックスナーによると、彼は無数にあった無用の知識を再利用した男にすぎないということになる。確かにそうだ。彼は科学者とはいえない。彼は発明家なのである。

日本は成果主義を取り、大学から無用の知識、無用の研究を排除する方針のようだが、それは科学の力を弱める方向にしか働かないだろう。見識の無い人間が上に立つとろくなことが起きない。

Thursday, September 26, 2019

情けない小泉環境相

わたしはアメリカの大学で教鞭を取っていたとき、自分をカッコにくくるという経験をした。わたしは日本を全く知らない人々に話をするわけだから、日本的な感性や論理をふりまわしてはいけない。かといって「彼ら」の論理や感性に則って日本を語ることは、不可能だし、可能だとしても間違いであるように思われた。そこで日本的でもなく、「彼ら」的でもない(「アメリカ」ではない。わたしの授業を聞いていたのはアメリカ人以外の学生も多かった)、しかしいずれの側にも認識可能な第三の論理の地平を求める必要があった。わたしは自分に対して現象学的な還元をやりながら、授業の計画を練っていた。

他者に理解させようする努力はこのような緊張を強いるものだ。しかし日本の政治家はそれをまるきり理解していない。安倍首相の外交を見てもそれはわかるし、小泉環境相が国連で気候変動への取り組みが「セクシー」であるべきだ、などとほざいたところにもあらわれている。

小泉は理解、つまり他者との共通の基盤を形作ろうとはしていない。自分勝手な(悪しき意味での)詩的ないし私的言語を垂れ流しているに過ぎない。外国のメディアから笑われ、馬鹿にされるのも当然である。

他者とか他者性に対してまったく思いが及ばず、戦略的な意思疎通の手段を考えない連中が、日本の国際的な評判をどんどん落としている。

Wednesday, September 25, 2019

ゾンビ

わたしは映画をほとんど見ない。映画館にはたぶん十年以上行ったことがない。テレビは持っていないし、YouTube でも映画を見た記憶は……翻訳している作品が映画化されている場合は見た事があるが、それ以外では娯楽としても映画は見ていない。

しかし最近、戦争小説を訳そうと思って、内外の小説を読みあさっているうちに、映画に於いてはゾンビとの戦いが繰り広げられていることを知った。そこで一本だけ YouTube にあがっている作品を見てみた。タイトルは忘れた。いま、検索して探してみたが、どういうわけか見当たらない。著作権の問題にでもひっかかったのだろうか。

話は簡単で、廃墟と化したポスト・アポカリプティックな都市に、人間とゾンビが存在している。人間はゾンビから身を守るためにひとつの建物の中にかたまって住んでいる。ゾンビは夜になるとあらわれるので、昼のあいだに食料などを調達しなければならない。

ゾンビたちは動きがすばやく、知性があり、人間たちの砦にしだいに迫っていく。人間たちはその都市を脱出しようとバスを見つけてくるのだが、乗りかけたところにゾンビが群れをなして襲いかかってくる。

そういうわかりやすい話なのだが、わたしは見ながら、これは階級の問題を扱っていると見ることもできると考えた。ゾンビへの恐怖は、プロレタリアートがプレカリアートやワーキング・プアへ転落することへの恐怖に置き換えることができると思ったのである。すくなくともそうした社会状況が、このゾンビというありえないものに、かすかなリアリティを与えている。人間たち(プロレタリアート)は富裕層のいる場所をめざして逃げようとするが、日々の戦いのうちに、一人一人脱落し、ゾンビ化する。

ペーター・スローターダイクが言っていたが、現在の社会は内と外に分割されつつある。内側にいて人間的生を享受するものと、外側に排除され、非人間的な生に甘んじなければならない人々とに。ゾンビとの戦いは、この境界線に於いて起きている。

ゾンビ映画やゾンビ小説にはどうも食指が動かなかったが、階級問題に関連づけられているのなら、すこしは見たり読んだりしてみようかと思う。

Saturday, September 21, 2019

「皮膚の下」ミシェル・フェイバー作

前から読もうと思って、なぜか引き延ばしになっていた本だ。思い切って尻をすえ、一気に読み切った。

この本に関しては、ネタバレせずに書評することはできないので、そこは御寛恕願いたい。

一言で言えば、宇宙人が地球人を誘拐し、美味しくその肉を食べてしまうという話である。地球人は牛や豚のように飼育され、高級食材として異星人の星で売られるのだ。

これが動物の肉を食べている人間への、ある種の批判になっていることはすぐに見て取れるが、わたしが気になったのは、物語の階級的な側面である。

ここには明らかに三つの階級が存在する。異星にある超巨大企業(ここが人肉を売っている)、その下で過酷な労働条件のもと働いている人々(人間を誘拐したり、食肉加工する人々)、そして誘拐され食肉にされる人々である。最後の人々は、職も家族もなく、社会から脱落した人々である。登場人物はこの三つの階層にはっきりとわかれている。

小説の舞台がイギリスなので、イギリスを例にとっていうが、昔はイギリスは植民地の人々を搾取して富を得ていた。しかし外で搾取することができなくなると、今度は内側に無理やり「外」を創り出すようになる。それがプレカリアートだ。これによって国内の貧富の差は拡大していった。

プレカリアートは内側に存在していながら、実質上「外」と見なされ、軽蔑と唾棄の対象になる。そしてなぜかプロレタリアートはプレカリアートを激しく憎む。いつ自分たちがプレカリアートになるかわからないからである。一種の近親憎悪とでもいおうか。本当の問題は金持ちだけがますます富を増大させる、そのような仕組みにあるのに、プロレタリアートはその下の階層に対して嫌悪をつのらせるのである。

わたしはこの階級的な構造が「皮膚の下」に反映されていると思う。SF的な仕掛けが用いられているが、核心にあるのはまさしく今の社会の現実である。最下層の労働者を骨までしゃぶり(この物語では実際に肉をしゃぶられるわけだが)用無しになればぽいと捨ててしまう過酷な資本主義の姿がここにある。そして本当の敵を見間違う人々の姿が。

Tuesday, September 17, 2019

被害者は誰だ


この写真を見てピンと来る人も多いだろう。そう、切り裂きジャックの犯行を報じる Illustrated Police News の挿絵である。今と違って、昔の新聞は事件の内容を挿絵入りで報じることがよくあった。

切り裂きジャックは五人の女性を殺した。しかし結局捕まらなかったために、犯人は誰なのかという点がずいぶんと取り沙汰されてきた。ヴィクトリア女王の孫が犯人ではないか、などという説まであって、不謹慎な言い方だが、犯人捜しの歴史をひもとくと結構楽しい。

しかしこのたびハリー・ルーベンホールドが出した「五人」というノンフィクションは、殺された五人の女性に焦点を合わせている。ガーディアン紙の書評者がいうように、このような本はもっと早くに書かれるべきだった。われわれは犯人捜しにやっきになって、肝腎の五人の女性をなおざりにしてきてしまった。しかも誰か分からない犯人に注目するより、被害者を調べた方が、当時の社会のありようがより明瞭になるのである。被害者の女性を通してこそ、切り裂きジャックの本当の闇が浮かびあがるのだ。

五人の女性はみな経歴が似ている。幼年時代などと言うものはないに等しく、すぐさま子供を産み、アルコール依存症になり、貧困、絶望、ホームレスの生活を送ることになる。彼らのうち二人は確かに売春婦だったが、残りの三人は売春をしていたという証拠がないのに、なぜか警察は売春婦が狙われたと考え、彼らもいかがわしい商売に手を染めていただろうと先入観を持つ。しかしルーベンホールドは、彼らが性を売り物にしていたから狙われたのではなく、酒に酔い、ホームレスで、なによりも寝込んでいたから狙われたのだと考える。切り裂きジャックはいなくなっても誰も気にしないような相手を選んで殺していたのだ。

社会からはみ出した、ほとんどパーリアのような女性が殺されたということ。これは重要な点である。ある種の差別意識がはたらいていることを示唆するからである。なるほど切り裂きジャックはサイコかもしれない。狂っているのかも知れない。しかしハムレットじゃないが、Though this be madness, yet there is method in it、つまり差別意識という method がこの犯罪には存在している。そしてこの差別意識は警察も、おそらくはほかの大勢の人々も共有するものではなかったか。われわれは切り裂きジャックの特異な性格にばかり眼がゆきがちだが、じつは「ある種の人間は無用である」といった、社会に見えない形で蔓延する差別意識がその犯罪に関与していたとしたらどうだろう。そう考えると切り裂きジャックは社会の徴候と読むこともできるようになる。

Sunday, September 15, 2019

COLLECTION OF ENGLISH IDIOMS

早稲田大學敎授 深澤裕次郎著
應用英文解釋法
東京英文週報社發行

(p. 54-62)

I
(a) They shot the spy, that brave Japanese.
(b) She was still living, that missing girl.
II
(c) Certainly this was the beautiful trait of his, to do his work well.
III
(d) At least they have this in common, that when they do work, they work well.
(e) The rumour that our steamship Sakata-maru was sunk proved only too true.
IV
(f) The doctor has just told me, what I always feared that hers is an incurable disease.
(g) He rashly ventured to swim across the turbulent river, an act which cost him his life.

(a) 彼等は彼の勇武の日本人なる軍事探偵を銃殺した。
(b) あの行衛不明の娘なる彼の女はまだ存命で居た。
(c) 仕事をよくすると云ふ事は確に彼の美質である。
(d) 彼等は働く時にはよく働くと云ふこの點丈は似て居る。
(e) 汽船坂田丸撃沈の報は不幸にして事實であつた。
(f) 彼の女の病は不治の病だと今醫者に聞いたが、これは前から自分の氣遣つて居た所だ。
(g) 彼は無謀にも濁流を泳いで渡らうとしたが、それが爲に命を失つた。

解説

Noun, Pronoun, Noun Phrase, Noun Clause が他の Noun, Pronoun, Noun Phrase, Noun Clause 等を布衍説明すること有り、之を Appositive (同格語)又は Noun (Phrase, Clause) in Apposition (同格名詞、句、節)と稱す、これ説明するものと説明せらるゝものと格を同じうするを以てなり。即ち、範例中 (a) Japanese は spy と同格にして Objective Case. (b) girl は She と同格にして Nominative Case. (c) Noun Phrase の to do his work well は this と同格にして Nominative Case. (d) Noun Clause の (that) when they do work, they work well は this と同格にして Objective Case. (e) Noun Clause の (that) our steamship Sakata-maru was sunk は rumour と同格にして  Nominative Case. (f) Noun Clause の what I always feared は (that) hers is an incurable disease と同格にして Objective Case なり。而てこの Clause は其説明せむとする Noun 又は Noun Clause の前に在るを普通とす。猶ほ (d) (e) (f) の ( )内の that は Conjunction にして Clause の一部を成さず。(g) act は前の Sentence 又は其 Sentence 中に含まるゝ Noun を布衍説明するものなり。例へば

(a) You were silent when accused -- a clear confession of guilt.
貴下は罪を負はされし時に沈默し居たり、これ、明かに己の罪を認めたるものなり。

(b) He permitted me to consult his library -- a kindness which I shall not forget.
彼は其藏書の使用を余に許せり、これ、余の忘るゝ能はざる親切なり。

(c) He was said to have disobeyed his parents -- a fault deemed unpardonable in those days.
彼は兩親に負きたりと云へり、これ當時に於ては許し難しとせられたる過失なり。

の中 confession, kindness, fault は一の Emphatic word を以て前の Sentence の趣旨を反復せるものと見るも可、又は Sentence 又は Sentence 中に含める Noun と同格と見るも可なり。Sentence 中に含める Noun と同格と見れば次の如く書き改むるを得。

(a) You kept silence when accused -- a clear confession of guilt.

(b) He gave me permission to consult his library -- a kindness which I shall not forget.

(c) He was said to have been guilty of disobedience towards his parents -- a fault deemed unpardonable in those days.

即ち、confession は silence と、kindness は permission と、fault は disobedience と、いづれも同格なり、猶ほ本文の場合には其同格名詞の前に which is, was 等を補ひて解する事を得。



He was prudent, and he sometimes pushed prudence even to daring, which is a great quality at sea.
    I. F. Hapgood
彼は思慮深かつた、而して時には其思慮を大胆と云ふ程度にまで押進めたが、これは海上では大事な事である。

この場合の which is は之を削るも意味に於て消長なし。

用例
I
Noun 又は Pronoun が同一 Sentence 中の他の Noun 又は Pronoun と同格なるもの。

1.  They were Corsicans, these two men.
    C. Doyle
    彼等はコルシカ人であつた、この二人は。
2.  He was flesh and blood, then, this Emperor.
    C. Doyle
    して見ると彼は人間であつたのだ、この皇帝は。
3.  It was a voluptuous scene, that masquerade.
    E. A. Poe
    そは肉感的光景であつた、彼の假面舞踏會は。
4.  They were happy days, those of Oliver's recovery.
    C. Dickens
    それ等の月日(オリヴァーの全快の月日)は愉快な月日で有つた。
5.  He was a very pleasant-spoken man -- that photographer.
    M. Quad
    彼は中々面白い男であつた――其寫眞師は。
6.  But John -- my John Halifax -- he sat in his cart, and drove.
    Mrs. Craik
    併しジヨン――私のジヨン・ハリフアックス――彼は荷車に乗つて之を驅つて居た。
7.  It was a long waiting until they came home -- my father and John.
    Mrs. Craik
    彼等(父とジヨン)が歸つて來るまでは中々待遠であつた。
8.  Aha! see now how they trouble the brain -- these books! -- these books!
    N. Hawthorne
    いや、どうも頭を惡くするものだと云ふ事が今分つたでせう……この書物と云ふ奴は……この書物と云ふ奴は。
9.  We started about four o'clock -- Legrand, Jupiter, the dog, and myself.
    E. A. Poe
    我々(レグランド、ジユピター、犬、及び私)は四時頃出掛けた。
10. The monks may have planted it; they liked fruit, those old fellows.
    Mrs. Craik
    僧侶がそれを植ゑたので有らう。彼等は果物が好きで有つた、彼の昔の僧侶達は。
11. It was an anxious business, this inspection, and left me downhearted.
    R. L. Stevenson
    この檢査は心配な事で、私は氣が沈んで了つた。
12. They went together, the father and son, so like in face yet so dissimilar in mind.
    C. Braeme
    彼等は立ち並んで行つた、顔はよく似て居るが腹の中は全で違つて居る父子は立ち並んで向うへ行つた。
13. The paradise dreamed of by this demon had resumed its true form, the sepulchre.
    V. Hugo
    此惡魔が胸中に描いて居た樂園は墳墓と云ふ眞正の形を取つた。
14. They are, in fact, subjected to the vast movements to and fro of the hurricane, that woodchopper of the sea.
    V. Hugo
    此等の岩石は彼の海上の樵夫とも稱す可き暴風のあるゝが儘になるものである。
15. "Jeal," cried my father, rousing himself, "give us some breakfast, the lad and me -- we have had a hard night's work together."
    Mrs. Craik
    父は不圖氣が着いたやうに身を起し「ジエールわし等に何か朝飯を呉れ、あの若者とわしに、……今夜の仕事は實に骨が折れたからな」。

II
Noun Phrase が Noun 又は Pronoun と同格なるもの。

1.  O let us still the secret joy partake
    To follow virtue e'en for virtue's sake.
    願くはなほ德の爲に德を求むてふ隱れたる樂を味はむ。
  To follow virtue e'en for virtue's sake とは他に何か爲めにする所あつて德を守るにあらずして德を守ると云ふ其事自身が樂しき故に之を守るとの意。

2.  Yes, this is the central passion of all men of true ability, to do their work well; their happiness lies in that, and not in the amount of their profits, or even in their reputation.
    P. G. Hamerton
    然り、其仕事をよくすると云ふ事は眞の才幹を具へた人の中心の情である。彼等の樂は之に存するのであつて、その利益の量に存するのでもなく其名譽に存するのでもない。

3.  If there is one lesson which experience teaches, surely it is this, to make plans that are strictly limited, and to arrange our work in a practicable way within the limits that we must accept.
    P. G. Hamerton
    若し經驗が吾人に敎へる一つの敎調が有りとせばそれは確にこれである、曰く、嚴密な制限の有る計畫を立て、其制限内で實行の出來るやうに順序を立てることである。
  must accept「甘受せねばならぬ」とは「已むを得ずとして從はねばならぬ」との意。

III
Noun Clause が Noun 又は Pronoun と同格なるもの。

1.  In the serene expression of her face he read the divine Beatitude, "Blessed are the pure in heart."
    H. W. Longfellow
    彼の女の穏やかなる顔色のうちに彼は「心の清きものは福なり」てふ尊き幸福を讀めり。
  "Blessed are the pure in heart." 馬太傳五章八節にあり。

2.  Well, I certainly have this in common with the disciples of Esculapius, that I can never call an hour my own.
    A. Dumas
    で、一時間も自分の時間と云ふのは無いと云ふこの點丈は確にエスキユラピアスの弟子と共通である。
  the disciples of Esculapius は「醫師」を云ふ。Esculapius は醫術の神なり。
  註 原文では「this disciple of Esculapius は「醫師」を云ふ」となっているが訂正した。

3.  Kant's example is a good one so far as this, that it proved a sort of independence of character which would be valuable to every student.
    P. G. Hamerton
    カントの例は學者には何人にも必要なる意志の獨立とも云ふ可きものであつたと云ふこの點までは善いのである。

4.  All intellectual lives, however much they may differ in the variety of their purposes, have at least this purpose in common, that they are mainly devoted to self education of one kind or another.
    P. G. Hamerton
  智的生活なるものは其目的の差はどうであつても、主として何か自己修養をやるものだと云ふこの目的丈は共通である。

IV

Noun clause が Noun 又は Noun Clause と同格なるもの。

1.  She looked, indeed, what afterwards found she really was, an under-teacher.
    C. Bronte
    彼女は實に下の教師の樣に見えたが、實際さうで有る事は後になつて分つた。

2.  Scot felt, what every sensitive nature should feel, that poverty is a much lighter burden to bear than debt.
    S. Smiles
    スコツトは貧窮は負債よりも遙かに輕いものと感じたが、之は感じ易い人なら誰でも感ずる所である。

3.  She wanted -- what some people want throughout life -- a grief that should deeply touch her, and thus humanise and make her capable of sympathy.
    N. Hawthorne
    彼女は自分の心を深く動かし、而て人情を篤からしめ、同情の心を起さしむる所の悲哀と云ふものを缺いて居たが、之はと世を終るまで持たない人のあるものである。

4.  That I should ever be, what was my poor father's one desire, his assistant and successor in his business, was, I knew, a thing totally impossible.
    Mrs. Craik
    私が父の片腕となり、また、其職を繼ぐと云ふこと(この事は父の唯一の願であつたのだが)は全く不可能で有ると私は知つた。

5.  We observed also, what have often proved since, that the nature of a horse can be told by his color, from the coquettish light bay, full of fancies and nerves, to the hardy chestnut, and from the docile roan to the pig-headed rusty-black.
    C. Doyle
  我々はまた馬の性質と云ふものは、氣の多い神經質な若い女のやうな薄栗毛より、頑丈な栗毛に至るまで、大人しい葦毛より遅鈍な赤黒に至るまで、其色で分ると云ふ事を知つたが、これは爾來屡私が証明し得た所である。

6.  Onward he came, sticking up in his saddle with rigid perpendicularity, a tall, thin, figure in rusty black, whom the show-man and the conjurer shortly recognized to be, what his aspect sufficiently indicated, a travelling preacher of great fame among the Methodists.
    N. Hawthorne
    彼は羊羹色になつた黑衣を纏うた丈高き痩躯を棒立に鞍上に立てゝやつて來た。而て見世物師と手品師とは間もなく此男をば、その風采にもそれと知らるゝところの、メソヂスト敎徒中有名なる巡廻説教師と見て取つた。

V
Noun が Sentece 又は Sentence 中に含まれたる Noun と同格なるもの。

1.  He put up that lean finger again, his solitary gesuture.
    H. G. Wells
    彼は再び其痩せた指を擧げたが、彼の身振りは其外には無かつた。

2.  On the contrary, I am often wrong -- a luxury no critic can afford.
    J. Galsworthy
    其反對で私はよく間違ふ事が有る、これは世の批評家などの到底出來ない贅澤である。

3.  A cock which is not seen, can be heard crowing there, an extremely disagreeable thing.
    V. Hugo
    姿は見えないが鷄が其處に鳴いて居た、これは實に厭なものだ。

4.  His (Javert's) wrinkled chin thrust up his lips towards his nose, a sign of stern reverie.
    V. Hugo
    彼(ヂヤヴェール)の皺の寄つた腮は唇を鼻の方へ突き上げて居た、これ何か深く考へて居る印である。

5.  On this he worked eight hours, either in lecturing or writing -- a long stretch of uninterrupted labour.
    P. G. Hamerton
    これ丈(の食物)で彼は講演をするか著述をするかして八時間働いたが、これ間斷なき勞働を長く續けたと云ふものである。

6.  At the moment when Gilliat came alongside the reef, the tide was falling, a favourable circumstance.
    V. Hugo
    ギリヤットが礁の側に來た時に潮が退きつゝあつた、が之は都合の善い事であつた。

7.  The plastering had here, in great measure, resisted the action of the fire -- a fact which I attributed to its having been recently spread.
    E. A. Poe
    此所の壁は大部分火の作用に抵抗した、之は未だ塗つて間が無いからだと私は思つた。
    a fact which は which fact とするも同じ。

8.  But Mr. Malthus sat in his place, with his head in his hands, and his hands upon the table, drunk and motionless -- a thing stricken down.
    R. L. Stevenson
    併しマルサス氏は頭を手の上に載せ、手を卓の上に置き、醉つたやうにぢつとして自分の席に坐つて居たが、まるで、死んだやうであつた。

9.  At last the child went off into a sound natural slumber -- an example that I should have been glad to follow had it not been for my burning curiosity.
    H. R. Haggard
    終に子供はすやすやとよく眠つて了つた、が若し私の燃えるやうな好奇心が無かつたなら、私も喜んで其眞似をしたかも知れなかつた。

10. He was a slender man, with white, fragile hands, and eyes that glanced half a dozen different ways at once, -- a habit it probably acquired from watching the boys.
    T. B. Aldrich
    彼は白い柔かい手の、それから同時に四方八方を眺めるやうな眼をした痩形の人であつた、これは恐らくは子供等を注意する事から來た習慣で有らう。

11. A few lights, like the blinking of eyes about to close, gleamed redly here and there from the small windows in the roofs, a sign of the retiring of the servants.
    V. Hugo
    今にも閉ぢようとする眼の瞬くやうな僅かの燈火があちこちの屋根の小窓から赤く洩れて居たが、これは婢僕が床に就かうとする證據であつた。

Saturday, September 14, 2019

What books are the most shocking or disturbing?

ガーディアン紙の文芸欄で、タイトルにあるような質問が読者に投げかけられ、さまざまな答が返ってきた。これを読むのが非常に面白かった。返答者はいずれもかなりの読書好きだから、わたしの知らない作者の本が結構あげられている。こういうのを頼りにわたしはちょっとずつ自分の読書の幅を広げるのである。

タイトルの shocking or disturbing という表現は解釈が難しい。いやいや、意味は簡単だが、この形容詞を二つ並べるなら、なにやらホラー小説を挙げてくれと言われているように思われる。しかし shocking と disturbing をそれぞれ単独にとらえるなら、つまり、あなたにとってショッキングな本はなんであったか、そしてディスタービングな本はなんであったかと、別々に問われるなら、ホラー小説以外の本を挙げることも可能なようにとれる。そういうわけで、この問いにたいする答はじつにさまざま。「若き芸術家の肖像」を挙げる人もあれば、「アメリカン・サイコ」を挙げる人もある。「閨房哲学」を挙げる人があれば、「ねじまき鳥」を挙げる人もある。だいぶ混乱した様相を呈しているが、感じ方は人によっていろいろだということをあらためて教えてくれるという意味で、この例外的に多い読者コメントを読むのは有益だった。

わたしにとってショッキングな本とはなんだったろうか。おそらくわたしもジョイスをあげなければならないだろう。「ユリシーズ」を時間をかけて読み、気がつくと自分の文学的趣味ががらりと変わってしまっていた。「ユリシーズ」を読んだあとの数年間、わたしは一定以上の認識を持たない作品が稚拙で読めず、自分の変化に呆然としていたような気がする。

ディスタービングな本はあったか。あった。エリザベス・ジェンキンスという人が書いた「ハリエット」という小説で、平静な気持ちで読めないどころか、怒りで爆発しそうになり、一日に二三十ページしか読むことができなかった。

ではホラー小説でショッキング、あるいはディスタービングな本はあったか。これは思いつかない。ホラー小説はどんなにグロテスクな場面でも、かえって楽しく読めてしまうのである。どんなに内蔵があふれてきても作り物とわかっているからホラー映画は怖くないし、平気でおやつが食べられるのと同じである。

Wednesday, September 11, 2019

言語を使うこと、教えること

日本人だから日本語を教えることができる、というのは、とんでもない間違いだ。そんな人には助詞の「は」と「が」の使い分けはどうなっているのか、あるいは仮定形の「れば」や「なら」の違いを説明してくれと言えばいい。彼らが考える「規則」とやらに例外がいくらでもあることに気づき、黙り込むだろう。やはり教えるにはそれなりの訓練を受けなければならない。

また、最近は本が読まれなくなり、多少とも古い本、たとえば高橋和巳や武田泰淳あたりでも読んで意味のとれない人が多い。作家も語彙力がどんどん減ってきている。わたしは思想的にはまったく共鳴しないものの、三島由紀夫を読むことが多いのは、彼の語彙力の豊かさに触れることで、自分の日本語を活性化させんがためである。

これはアメリカ人やイギリス人についてもいえることだ。彼らはいろいろな英語を使っているが、言語を使えるからといって、教えられるとはかぎらない。日本人はその点がわからっておらず、たんにアメリカ人だからという理由で英語について教えを請うたりする。しかし文法的な説明がきちんとできるようになるには、彼らも相当勉強しなければならないのだ。とりわけアメリカでは学校で文法を教えないことが多いから、大学生あたりでも「主語」とか「形容詞」とか「時制」なんて言葉を知らない人がいる。こういう連中に文法の質問をしても意味がない。

わたしは翻訳をしていて、充分に意味のとれない文章にぶつかることがよくある。その場合は、文学の修養を受けた、いわゆる教養のある人々に質問をすることにしている。わたしが訳す作品は百年以上も前のヴィクトリア朝時代の本も含まれているから、その当時の文章になれた人でないと、とんちんかんな答しか返ってこない。スインバーンの詩とかペイターあたりの一節に関する質問は、一般のネイティブには荷が重すぎる。知った振りをして答えるかも知れないが、その内容はめちゃくちゃでまるで参考にならない。自分で考え抜いた方がましなくらいである。

われわれは言語を「使いこなして」いると思い込んでいるが、それは間違いなのだ。言語を空気のように、透明なもののように思っている人は、じつは言語を知らない。自国語であってもその使用に躓きを経験する人のほうが、言語の実相に近づいている。

Monday, September 9, 2019

精神分析の今を知るために(8)

ジャック・ラカンがすばらしいことを言っている。妻が浮気をしていると思い込んでいる夫がいるとする。彼の疑念がすべて正しかったとしても(たとえば妻が事実として手当たり次第男をベッドに引きずり込んでいたとしても)、彼の嫉妬は病的(パソロジカル)である。病的な嫉妬は、彼のアイデンティティを維持するために必要とされる。このことは反ユダヤ主義や反移民を唱える人々にもいえる。移民の流入に異を唱える人は、彼等は原理主義者だとか、女性にたいする考え方がちがうとかいうが、それに対してわれわれは、彼等はわれわれと同じ教養ある人々だ、などと反論するのは間違いで、こう言うべきなのだ。なるほど彼等のうちには原理主義者がいたり、女性にたいする考え方のちがう人もいるだろうが、そのことはあなたが感じる移民への恐怖とは関係がない。移民への恐怖はパソロジカルなものであり、その源泉はべつのところにある。それはヨーロッパの不安定、社会福祉の喪失などから来ている。だから真の意味でヨーロッパを脅かしているのは、ヨーロッパを守ると言っている人々、右翼、反移民を唱える人々である。

YouTube "Slavoj Zizek - On the left" から一部内容を要約した。

Sunday, September 1, 2019

ディストピア

ガーディアン紙の文芸欄に「ディストピアン小説は多くの女性にとっての日常を描いている」 Dystopian fiction tells a pretty everyday story for many women という記事が出ていた。滅亡後の世界を描く、いわゆる post-apocalyptic と言われる作品が陰鬱、陰惨な状況を描き出しているが、そこに書かれたことは今、現実に起きていることだという。

ごくありきたりの日常レベルでも、女性は行動が制限されている。ウィル・セルフ(Will Self)という厭な名前の男性作家が、真夜中の散歩の楽しさについて書いているが、女性にはそれはできない。窓をあけたまま寝ることもできないし、バーで酒を飲んでいるとき、お酒をグラスに残したままお手洗いには行けない。なぜなら彼女がいないあいだに男がグラスの中に薬を入れるかも知れないからだ。(日本にもおなじことをした卑劣なジャーナリストがいたな)

イギリス国家統計局の調べによると(こっちの統計は日本と違って信頼していいだろう)、イングランドとウエールズに住む女性五人に一人は暴行をはたらかれた経験があるそうだ。これが世界レベルとなると、四人に一人となる。しかも有色人種の女性、難民の女性の割合が高くなる。記事には書いてないことだが、難民の女性が暴行されるケースが多いというのはひどい話だ。彼らは自国の過酷な現実を逃れ、いわばユートピアを求めて難民となるのだが、その行き着いた先がディストピアでは目の前が真っ暗になるではないか。

ディストピア小説というと「すばらしき新世界」とか「一九八四年」とか「われら」など男性作家による作品を思い浮かべるが、女性作家もたくさん書いている。アトウッドの The Handmaid's Tale はその中でももっとも有名だ。もしかしたら今の人にとってディストピア小説の代表はこの作品かも知れない。しかしビナ・シャーという女流作家が言うように「サウジ・アラビア、パキスタン、アフガニスタンで起きていることは、The Handmaid's Tale の中で起きていることよりもっとひどい」のだ。記事の書き手は言う。The Handmaid's Tale はテレビドラマ化され、、それには女性器切除のおそろしい場面が含まれていたが、しかし女性器切除はイングランドとウエールズだけでも十三万七千人の女性や少女に施されているのである。

さらに二○一八年、アメリカと英国の病院に於いては麻酔をかけられた女性に対して、本人の同意なく、骨盤検査が行われていたのだそうだ。アリゾナではインディアンの女性が十年も植物状態で病院に収容されていたのに、突然子供を産んだそうである。看護師がレイプの罪で逮捕された。病院は女性の身体を守るべき場所だが、そこもけっして安全ではない。

男性は、わたしも含めて、こうした現実に鈍感すぎると思う。とりわけ日本の男性は鈍感である。欧米においてはこうしたことは、少なくとも、盛んに議論されているのだが、日本には社会の亀裂を見まいとする力がことさら強くはたらいているようだ。

英語読解のヒント(111)

111. never so / ever so (1) 基本表現と解説 He looked never so healthy. 「彼がそのように健康そうに見えたことは今までになかった」 He looked ever so healthy. 「彼はじつに健康そうに見...