アブラハム・フレックスナーという科学者が一九三九年に短いエッセイを発表した。それが The Usefulness of Useless Knowledge というタイトルで、欧米では今もよく読まれている。ごくごくまっとうな意見(科学が人類に益しない発明をしてしまうのは、まったくの偶然である、という議論はナイーブすぎて疑問だが)なのだが、一部の人にはどうも理解されないようだ。
作者はべつに科学に於いて有用性を無視しろとはいっていない。逆に、有用性ばかりを考えて、無用な追求、なんの役に立つのかわからない研究を切り捨てる態度に異議を申し立てているのである。科学研究とはなによりもまず科学者がその好奇心を満たすためのものなのだ。好奇心にとりつかれた彼らにとって有用性など眼中にない。ひたすら知識の虜となる。そうした無用の知識が大量に生産されたとき、だれかがその知識の利用の仕方に気づき、有用な発明が生まれるというのである。ミシシッピ川は無数の小流れの集合によって形成される、とフレックスナーは比喩を用いて説明している。
われわれはエジソンを偉人だと思っているが、フレックスナーによると、彼は無数にあった無用の知識を再利用した男にすぎないということになる。確かにそうだ。彼は科学者とはいえない。彼は発明家なのである。
日本は成果主義を取り、大学から無用の知識、無用の研究を排除する方針のようだが、それは科学の力を弱める方向にしか働かないだろう。見識の無い人間が上に立つとろくなことが起きない。
Saturday, September 28, 2019
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
§4. Solch ein kleines Kind weiß von gar nichts. そんな 小さな子供は何も知らない。 一般的に「さような」という際には solch- を用います(英語の such )が、その用法には二三の場合が区別されます。まず題文...
-
昨年アマゾンから出版したチャールズ・ペリー作「溺れゆく若い男の肖像」とロバート・レスリー・ベレム作「ブルーマーダー」の販売を停止します。理由は著作権保護期間に対するわたしの勘違いで、いずれの作品もまだ日本ではパブリックドメイン入りをしていませんでした。自分の迂闊さを反省し、読者の...
-
久しぶりにプロレスの話を書く。 四月二十八日に行われたチャンピオン・カーニバルで大谷選手がケガをした。肩の骨の骨折と聞いている。ビデオを見る限り、大谷選手がリングのエプロンからリング下の相手に一廻転して体当たりをくわせようとしたようである。そのときの落ち方が悪く、堅い床に肩をぶつ...
-
ジョン・ラッセル・ファーンが1957年に書いたミステリ。おそらくファーンが書いたミステリのなかでももっとも出来のよい一作ではないか。 テリーという映写技師が借金に困り、とうとう自分が勤める映画館の金庫から金を盗むことになる。もともとこの映画館には泥棒がよく入っていたので、偽装する...