Saturday, September 28, 2019

無用の用

アブラハム・フレックスナーという科学者が一九三九年に短いエッセイを発表した。それが The Usefulness of Useless Knowledge というタイトルで、欧米では今もよく読まれている。ごくごくまっとうな意見(科学が人類に益しない発明をしてしまうのは、まったくの偶然である、という議論はナイーブすぎて疑問だが)なのだが、一部の人にはどうも理解されないようだ。

作者はべつに科学に於いて有用性を無視しろとはいっていない。逆に、有用性ばかりを考えて、無用な追求、なんの役に立つのかわからない研究を切り捨てる態度に異議を申し立てているのである。科学研究とはなによりもまず科学者がその好奇心を満たすためのものなのだ。好奇心にとりつかれた彼らにとって有用性など眼中にない。ひたすら知識の虜となる。そうした無用の知識が大量に生産されたとき、だれかがその知識の利用の仕方に気づき、有用な発明が生まれるというのである。ミシシッピ川は無数の小流れの集合によって形成される、とフレックスナーは比喩を用いて説明している。

われわれはエジソンを偉人だと思っているが、フレックスナーによると、彼は無数にあった無用の知識を再利用した男にすぎないということになる。確かにそうだ。彼は科学者とはいえない。彼は発明家なのである。

日本は成果主義を取り、大学から無用の知識、無用の研究を排除する方針のようだが、それは科学の力を弱める方向にしか働かないだろう。見識の無い人間が上に立つとろくなことが起きない。

独逸語大講座(20)

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