わたしはアメリカの大学で教鞭を取っていたとき、自分をカッコにくくるという経験をした。わたしは日本を全く知らない人々に話をするわけだから、日本的な感性や論理をふりまわしてはいけない。かといって「彼ら」の論理や感性に則って日本を語ることは、不可能だし、可能だとしても間違いであるように思われた。そこで日本的でもなく、「彼ら」的でもない(「アメリカ」ではない。わたしの授業を聞いていたのはアメリカ人以外の学生も多かった)、しかしいずれの側にも認識可能な第三の論理の地平を求める必要があった。わたしは自分に対して現象学的な還元をやりながら、授業の計画を練っていた。
他者に理解させようする努力はこのような緊張を強いるものだ。しかし日本の政治家はそれをまるきり理解していない。安倍首相の外交を見てもそれはわかるし、小泉環境相が国連で気候変動への取り組みが「セクシー」であるべきだ、などとほざいたところにもあらわれている。
小泉は理解、つまり他者との共通の基盤を形作ろうとはしていない。自分勝手な(悪しき意味での)詩的ないし私的言語を垂れ流しているに過ぎない。外国のメディアから笑われ、馬鹿にされるのも当然である。
他者とか他者性に対してまったく思いが及ばず、戦略的な意思疎通の手段を考えない連中が、日本の国際的な評判をどんどん落としている。
Thursday, September 26, 2019
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
§4. Solch ein kleines Kind weiß von gar nichts. そんな 小さな子供は何も知らない。 一般的に「さような」という際には solch- を用います(英語の such )が、その用法には二三の場合が区別されます。まず題文...
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昨年アマゾンから出版したチャールズ・ペリー作「溺れゆく若い男の肖像」とロバート・レスリー・ベレム作「ブルーマーダー」の販売を停止します。理由は著作権保護期間に対するわたしの勘違いで、いずれの作品もまだ日本ではパブリックドメイン入りをしていませんでした。自分の迂闊さを反省し、読者の...
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