わたしは映画をほとんど見ない。映画館にはたぶん十年以上行ったことがない。テレビは持っていないし、YouTube でも映画を見た記憶は……翻訳している作品が映画化されている場合は見た事があるが、それ以外では娯楽としても映画は見ていない。
しかし最近、戦争小説を訳そうと思って、内外の小説を読みあさっているうちに、映画に於いてはゾンビとの戦いが繰り広げられていることを知った。そこで一本だけ YouTube にあがっている作品を見てみた。タイトルは忘れた。いま、検索して探してみたが、どういうわけか見当たらない。著作権の問題にでもひっかかったのだろうか。
話は簡単で、廃墟と化したポスト・アポカリプティックな都市に、人間とゾンビが存在している。人間はゾンビから身を守るためにひとつの建物の中にかたまって住んでいる。ゾンビは夜になるとあらわれるので、昼のあいだに食料などを調達しなければならない。
ゾンビたちは動きがすばやく、知性があり、人間たちの砦にしだいに迫っていく。人間たちはその都市を脱出しようとバスを見つけてくるのだが、乗りかけたところにゾンビが群れをなして襲いかかってくる。
そういうわかりやすい話なのだが、わたしは見ながら、これは階級の問題を扱っていると見ることもできると考えた。ゾンビへの恐怖は、プロレタリアートがプレカリアートやワーキング・プアへ転落することへの恐怖に置き換えることができると思ったのである。すくなくともそうした社会状況が、このゾンビというありえないものに、かすかなリアリティを与えている。人間たち(プロレタリアート)は富裕層のいる場所をめざして逃げようとするが、日々の戦いのうちに、一人一人脱落し、ゾンビ化する。
ペーター・スローターダイクが言っていたが、現在の社会は内と外に分割されつつある。内側にいて人間的生を享受するものと、外側に排除され、非人間的な生に甘んじなければならない人々とに。ゾンビとの戦いは、この境界線に於いて起きている。
ゾンビ映画やゾンビ小説にはどうも食指が動かなかったが、階級問題に関連づけられているのなら、すこしは見たり読んだりしてみようかと思う。
Wednesday, September 25, 2019
ジュリアン・マクラーレン・ロス「四十年代回想録」
ジュリアン・マクラーレン=ロス(1912-1964)はボヘミアン的な生活を送っていたことで有名な、ロンドン生まれの小説家、脚本家である。ボヘミアンというのは、まあ、まともな社会生活に適合できないはみ出し者、くらいの意味である。ロンドンでもパリでもそうだが、芸術家でボヘミアンという...
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