以前、ひも理論について書かれたカクの入門書を読んでいろいろと刺激を受けたので、今回はコスモロジーを扱った本をのぞいてみた。これまたよくできた素人向けの本でほとんど一気に読み終わってしまった。
面白かった点をいくつか書き記しておく。
1 天文学者のトマス・ゴールドが同僚のフレッド・ホイルやハーマン・ボンディに Steady State Theory (宇宙はビッグバンによってできたのではなく、ずっと静的な状態で存在してきたとする考え)を説明した後、「まあ映画の Dead of Night に似ているね」と云ったという。Dead of Night は一九四五年につくられた幽霊映画だ。これは映画の終わりが映画の始まりにつながるように作られている。つまり初めも終わりもない物語構造なのだ。小説ならジョイスの「フィネガンス・ウエイク」とおなじである。このような円環的な物語を引き合いに出すことよってゴールドは、宇宙には始まりも終わりもないという点を表現したのだろう。
わたしは科学者が新しい理論を組み立てるとき、どんな物語がその構造を支えているのか、興味がある。どんなに奇怪な現象を説明する、どんなに奇々怪々な理論も「物語性」を持っている。量子力学に含まれる物語は科学の分野で一般に見られる物語とは異なるので、多くの人々が困惑しているが、しかし「物語」という点から見るなら、量子力学はそれほど不思議なものではない。なにもないところから、なにかが生まれる、などという話は神話時代からたくさんあるからだ。
人間は言語・記号で思考する。だから基本的にわれわれは言語・記号によって表現しうる範囲内でしか思考できない。(「基本的に」と書いたのは言語・記号で思考しうる外のことがらについてもぼんやりとならわかるからである。また言語・記号は根本的なパラドックスをはらんでいて、言語・記号による思考もこのパラドックスを逃れ得ないはずである)この言語・記号による思考の型をわたしは「物語」と呼んでいる。どんなに驚くような科学的発見もじつはこの「型」「物語」に沿ったものなのである。
2 わたしは筋トレをしているせいか、「あなたの身体はあなたが食べる物でできている」という言葉をよく聞く。しかし宇宙論学者にいわせると、われわれの身体はスター・ダストによってできているのだそうだ。面白いからちょっと説明をする。宇宙はビッグバンによってできた。ビッグバンによって核融合が起き、いろいろな物質ができるのだが、鉄とか亜鉛といったものはなかなかできない。こうしたある種の物質はビッグバン後、星ができ、その内部の核の部分で精製されるのだそうだ。そしていつか星は爆発を起こし宇宙にダストをばらまく。そのダストがまた集合して星を作る。それは鉄とか亜鉛とかをはじめからもつ星である。地球はそういう星なのだそうだ。われわれの身体を作る鉄やら亜鉛やらはスター・ダスト由来なのである。
3 科学者は文学を鼻で笑うけれど、彼らは文学的なるものにいともたやすく落ち込むことがある。われわれがいる宇宙というのはいろいろと生物の棲息に都合のよい環境ができている。たとえば地球は太陽から遠すぎもせず、近すぎもしない。粒子のレベルで見てもその属性はこの宇宙を存続させるにちょうど都合のいいものとなっているのだそうだ。こんなに都合良くすべてができているのはなぜか。この問いにある科学者は、神様がいるから、と答えるのだという。いやはや。
もちろん単なる偶然とみなす科学者もいる。だいたい神様がいると考えたところで、そこからなにか新しい考えが生まれてくるわけでもない。なのに、偶然の集合を、必然と勘違いしてしまうらしいのだ。これは恋人の言説とよく似ている。彼らは自分たちの出会いは運命に導かれていたのだと考える。実際は偶然に偶然が重なった事件にすぎないのだけれど、恋に落ちた人間はそれを必然と見なすのである。天変地異に意味を与えようとする人々もおなじような間違いに陥っている。東北に大震災がおきたとき、それを人間への罰だと云った人々がいるが、とんでもない。地殻の大きな動きは偶然に起きただけである。その偶然に意味を付与するなんて悪い冗談だ。わたしはそうした後付けの意味を「文学」と称しているが、こういうものに惑わされないように文学を研究するのである。つまり文学とは文学批判の謂なのである。