「ミセス・バルフェイムは殺人の決心をした」という一文で本作ははじまる。
ミセス・バルフェイムは当時で云う「新しい女」の一人である。家に閉じこもる古いタイプの女性ではなく、男性顔負けの知的な会話もすれば、地域の社交をリードしもする。
彼女の良人デイブは考え方がやや古い政治家で、妻の活動ぶりがお気に召さない。二人の間はしだいに冷えていくが、しかしミセス・バルフェイムは離婚することは考えていない。彼女もその程度には社会的な体面を考えているのだ。彼女は若い法律家の卵から「自分と結婚してくれ」と迫られるが、断る。
さて、あるとき、酔っ払った良人に知人達の前で恥をかかされたミセス・バルフェイムは、良人を毒殺しようとする。良人が家に帰ってきたら毒入りの飲み物を飲ませようと考えたのだ。ところが良人は家に入る前に何者かによって銃殺される。
はたして殺したのは誰か。
良人は政治家だから、敵は何人かいる。さっそく捜査がはじまった。しかし政敵にはみなアリバイが成立し、一方ミセス・バルフェイムは不審な行動ゆえについに逮捕される。彼女を愛する若い法律家が彼女を助けようとするのだが……。
これはミセス・バルフェイムの欲望を犯人が模倣する物語だ。こういう「代理」の構造を持つミステリはほかにもたくさんある。シリル・ヘアの「イギリス的な殺人」などはその代表作と言えるだろう。
AがBの代理をするとき、非常に奇妙な現象が起きる。AとBはたしかに異なる人物だ。本作に於いてもミセス・バルフェイムは魅力的で、社交の中心的存在である。それに対してBは容貌的にもずっと劣り、結婚もしていない。ところが両者のあいだには恐ろしく奇妙な類似が発生する。本作の場合、犯人はバルフェイムの良人を撃ち殺すが、ミセス・バルフェイムもピストルを撃っている(もっともこれは良人に当たらない)。ミセス・バルフェイムは犯人から盗んだ毒薬を良人に飲ませようとして失敗するが、犯人もおなじ手口で彼を殺すことができたことは最後で明らかにされる。BがやったことをAも「ほとんど」やっており、AがやろうとしたことはBが実行したかも知れないことなのだ。
この不思議な同一と非同一の関係がミステリにはよく見られる。わたしはこれをトポロジカルなねじれの関係として考えようと思っている。
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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