ジュリアン・マクラーレン=ロス(1912-1964)はボヘミアン的な生活を送っていたことで有名な、ロンドン生まれの小説家、脚本家である。ボヘミアンというのは、まあ、まともな社会生活に適合できないはみ出し者、くらいの意味である。ロンドンでもパリでもそうだが、芸術家でボヘミアンという連中が寄り集まって小さなコミュニティーをつくってきた。ロセッティとスインバーンはヴィクトリア朝のお上品で道徳的な社会に刃向かったし、ワイルドやビアズレイはデカダンの中心的存在だった。ディラン・トマスは空襲のさなかに飲んだくれ、フランシス・ベーコンとその友人たちもソーホーで遊び暮らしていた。パンクなどというのもこの流れのなかにあると言えるだろう。
しかしボヘミアンと言ってもずばぬけた芸術的才能の持ち主が多かった点は、上に挙げた名前を見てもわかるだろう。ジュリアン・マクラーレン・ロスも心臓発作で亡くなるまでのあいだにとびきりすぐれた作品を少なくとも二作残している。一つは OF LOVE AND HUNGER という小説で、これはガーディアンが選出した「死ぬまでに誰もが読むべき小説千冊」に選ばれている。アンソニー・パウエルはこの小説を評して、パトリック・ハミルトンやスコット・フィッツジェラルドに匹敵する作品と言ったが、これには全面的に賛同する。もう一つは未完に終わった本書「四十年代回想録」である。
これは掃除機のセールスマンをしながら日銭を稼ぎ、出版社やBBCなどに短編小説や脚本を売り込んでいた30年代後半から、戦中戦後の時期に、彼がどんな文人、出版関係者と出会い、どんな会話を交わしたのかが克明に記されている。見たものを完璧に記憶できるフォトグラフィック・メモリーを持つ人がいるが、マクラーレン=ロスは会話を記憶する特殊な才能を持っているらしい。当時の著名人とのやり取りが生き生きと再現されていて、興味が尽きない。第二章でははじめてグラハム・グリーンの家を訪ねたときの様子が描かれているが、わたしがグリーンの小説のファンであるせいか、夢中になって読んだ。面白い。とりわけグリーンがとある映画評の中で「ギャングに支配された街は封建制度と似ている」と書いたのに対し、それはグリーンがアメリカ英語を聞き違えていたことから生まれたと判明する部分は、強烈なフロイト的興味をかきたてた。
当時文筆家としてやっていくのがどれくらい大変だったかという苦労話も面白い。彼はグリーンの A Gun For Sale を BBC のためにラジオドラマ化する仕事を請け負ったのだが、そのディレクターみたいな人物からいつ放送できるかわからないと言われた。なにしろ国際情勢がきなくさかったから、武器商人の物語を軽々しく放送することはできなかったのだ。契約では脚本家の報酬の半分は放送後に支払われることになっていたから、いつ放送されるかわからないという状況は金欠状態のマクラーレン・ロスにとってさぞかしつらかっただろうと思う。
この作品には三十年代、四十年代に活躍した作家や文芸関係の人間がたくさん出て来て、そこも魅力である。たとえば G.S. マーローの名前が出て来たときは目を疑ってしまった。マーローは三十年代に「我は汝の兄弟なり」という奇抜な小説を書いて有名になった人だ。たぶん日本では未紹介の作家だろう。イギリスでも今、彼を知っている人がどれだけいるか。そのマーローとマクラーレン・ロスが出会って、そののちマクラーレン・ロスが「我は汝の兄弟なり」をドラマ化していると知り、かなり興奮してしまった。なんとかして読みたいものだ。脚本はヴァル・ギルグッドという BBC のディレクターに渡ったそうだが、BBC のアーカイブのどこかに眠っていやしないだろうか。
彼が従軍したときの逸話も傑作なものばかりだ。新兵として訓練を受けているとき、彼らは銃のかわりにホウキを持たされたそうだ。銃が充分になかったのである。兜すらなかった。ドイツの飛行機に基地を襲われて、ようやく兜が配布された。そのとき上官が兜をかぶり新兵に「銃把でおれを殴って見ろ」と言った。みんなの前で兜の安全性を実証しようとしたのだ。新兵はいやいや殴りつけたが、とたんに兜から血が流れだし、上官はぶっ倒れてしまった。あとでわかったが、兜のねじがゆるんでいて、銃把で叩かれたとき、それが頭に喰い込んだらしい。兵士たちは上官の頭のねじもゆるんでいたのだろうと噂し、彼を殴らされた新兵はそれ以後、自信をもって銃を扱うことが出来なくなったそうだ。
この作品は InternetArchive で読めるので、四十年代のイギリス文壇の様子を知りたい人は、ぜひ読んでほしい。当時の大物作家や編集者との会話が印象深く記録されている。スラングが多いけれども、コンテキストからだいたい意味は想像がつくと思う。