Wednesday, July 1, 2020

「ジュリアン・グラント 道に迷う」

クロード・ホートンの Julian Grant Loses His Way (1933) を読んだ。主人公のジュリアンは、変人の父親に育てられ、俗世間から隔離されたハーミテイジ(「隠者のいおり」という意味)というお屋敷で成人になるまで育てられる。ところがロンドンで働くようになってすぐ、父が亡くなり、彼は莫大な遺産を受け継ぐことになる。今まで質素な暮らしをしていた人間が急に大金を手にすると生活習慣も性格も変わってしまうように、ジュリアンも途端に贅沢で我が儘な人間になる。彼は若く魅力のある男なのだが、その我が儘さゆえに、四人の女性を次々と破滅に追いやる。

しかしこの小説は単に主人公の女性遍歴を追っているだけではない。冒頭にある種の謎がおかれていて、読者はその謎の解明を期待しながら主人公の破壊的な愛の物語を読むことになる。

ホートンの小説はどれもこれも似通っている。主人公の生い立ちやら、行動パターンもそっくりだ。それはホートンがきわめて狭い範囲内で小説を書いていたということを意味するとわたしは思っていた。しかしこの小説を読みながら、ちがう解釈も可能ではないかと気がついた。

ホートンはよく、ある種の人間はいくつもの可能性を持っている、という。その人は芸術家としても成功するし、実業家としても成功しうる。一流の俳優にもなれれば、碩学にもなれる。単に才能豊かであるという言い方では片付かない、まったき他者になる可能性、それがある種の人にはあるというのだ。このモチーフがいちばん見事に表現されているのが、彼の代表作である「わが名はジョナサン・スクリブナー」だろう。

彼はAにもなれたし、Aとはまるきり正反対のBにも、Bとはまるで方向性のちがうCにもなれた。ホートンの小説は一作一作がその異なる可能性を描いているのではないだろうか。だとすれば、彼の小説世界は狭いけれども、彼の文学的キャリアは一貫した、ある思考の線に貫かれている、と言えるだろう。

独逸語大講座(20)

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