Tuesday, June 1, 2021

ジョン・ラッセル・ファーン「見知らぬ男」1950年

この作品は分類するならSFということになるだろう。ペーパーバックの裏に書いてある内容紹介を見て、スリラーだろうと思ったのだが、読み進めるうちに期待は裏切られた。

主人公はグレンダ・カーライルという若い女性新聞記者。彼女が隕石の取材をして疲労困憊しながら家に帰る途中、暴漢に襲われそうになる。そこにどこからともなくあらわれたのが「トマス・スミス」、日本語で言えば「山田一郎」みたいな名前の男だ。彼が暴漢を睨み付けると、暴漢は悲鳴を上げて逃げ出してしまった。

その後トマスはグレンダを家まで送るのだが、グレンダはトマスが世の中の常識を知らないことや、お金を持っていないことに驚く。しかも翌日、新聞社へ行くと、前夜彼女を襲った暴漢が死亡したというではないか。それだけではない。彼女の近所で起きた暴行未遂事件の犯人もトマスに会った後、奇妙な死を遂げているのだ。この不思議な男の記事を書こうとグレンダが編集長と相談していたとき、なんと誰あろう、トマス・スミス本人が新聞社にやってくる。

 こんな具合に話ははじまり、そのあとトマス・スミスの超能力が次々と明らかにされていく。ダイヤをつくってみせたり、人の心を読んでみたり、催眠術師のように人を自由にあやつったり、病気を治したり……。

 もちろんこんな能力を自分の利益のために利用しようと考える不逞の輩が出てくる。産業界を牛耳る億万長者たちだ。トマス・スミスとグレンダは彼らを相手に闘いもする。

 読みながらこれと似たような作品をいくつも思い出した。半村良の「岬一郎」とか、リチャード・マーシュの「キリスト再臨」とかである。よく言われることだけれど、わたしも超能力者の原型はキリストだと思っている。超能力者が市井にあらわれたときの混乱は、おそらくキリストがナザレにあらわれたときの混乱を反覆している。

 しかしこの作品はそんなに出来がいいとはいえない。だいたいジョン・ラッセル・ファーンはミステリはかなり手堅い書き方をするけれども、SFは穴だらけの、奔放すぎる、子供向けパルプみたいな作品になりがちだ。ただし英語はひどく読みやすいので、勉強するにはちょうどいいかもしれない。

独逸語大講座(20)

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