首藤瓜於という人が「脳男」という作品を書いている。このタイトルは「電脳男」とでもしたほうがわかりやすい。自分では何もせず、他人から命令を与えられてはじめて動くという人間が主人公である。まるでコマンドを打ち込まれてはじめて仕事をするコンピュータみたいなものだ。それがあるとき自律的に行動することをおぼえ、凶悪犯を殺害していくのである。
コンピュータが進化していつか意識を持つようになるのではないか、などと考える人がいるが、そうした一般的想像力に依拠した、他愛のない物語である。
コンピュータが人間から職を奪うと言われ、実際に会計士とかは被害にあっているようだが、こういう単純作業はできても翻訳のような作業はコンピュータには無理である。スラヴォイ・ジジェクがこんなことを言っていた。砂糖・ミルク抜きのコーヒーとブラックコーヒーは、実体としては同じものであるにもかかわらず、人間はちがうものとして認識することがある。たとえばこんなジョークがある。ある客がカフェで「砂糖抜きのコーヒーをくれ」と言う。それに対してウエイターは「旦那、うちに砂糖はないんだ。ミルクはあるから、ミルクなしのコーヒーならできますぜ」問題はコンピュータにこうした違いがわかるかということである。ジジェクは何人もの専門家に聞いたが、曖昧な返答しか帰ってこなかったと言う。
翻訳に於いてはこのような「差」をきちんと表出できるかどうかが大切なのだ。わたしは作品を読み込んでそのテーマについて考える。そしてわたしが見出した解釈にそって訳文を決定していく。どういう名詞を使い、形容詞を使うか、それはわたしの作品にたいする解釈次第で変わってくるのである。そのような行為がコンピュータにできるとはとても考えられない。
ちなみにわたしが翻訳書の後書きで積極的に作品の解釈について語るのは、その本を訳す際の方針となった考え方を明示するためである。
Wednesday, August 7, 2019
アリス・ジョリー「マッチ箱の少女」
この本はまだ読んでいない。ただ数日前に作者がガーディアン紙に新作「マッチ箱の少女」に関する一文を寄稿していて、それが面白かったのでさっそく注文した。寄稿された記事のタイトルは「自閉症に関する彼の研究は思いやりに溢れていた――ハンス・アスペルガーはいかにしてナチスに協力したか」( ...
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ウィリアム・スローン(William Sloane)は1906年に生まれ、74年に亡くなるまで編集者として活躍したが、実は30年代に二冊だけ小説も書いている。これが非常に出来のよい作品で、なぜ日本語の訳が出ていないのか、不思議なくらいである。 一冊は37年に出た「夜を歩いて」...
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「ミセス・バルフェイムは殺人の決心をした」という一文で本作ははじまる。 ミセス・バルフェイムは当時で云う「新しい女」の一人である。家に閉じこもる古いタイプの女性ではなく、男性顔負けの知的な会話もすれば、地域の社交をリードしもする。 彼女の良人デイブは考え方がやや古い政治家...