首藤瓜於という人が「脳男」という作品を書いている。このタイトルは「電脳男」とでもしたほうがわかりやすい。自分では何もせず、他人から命令を与えられてはじめて動くという人間が主人公である。まるでコマンドを打ち込まれてはじめて仕事をするコンピュータみたいなものだ。それがあるとき自律的に行動することをおぼえ、凶悪犯を殺害していくのである。
コンピュータが進化していつか意識を持つようになるのではないか、などと考える人がいるが、そうした一般的想像力に依拠した、他愛のない物語である。
コンピュータが人間から職を奪うと言われ、実際に会計士とかは被害にあっているようだが、こういう単純作業はできても翻訳のような作業はコンピュータには無理である。スラヴォイ・ジジェクがこんなことを言っていた。砂糖・ミルク抜きのコーヒーとブラックコーヒーは、実体としては同じものであるにもかかわらず、人間はちがうものとして認識することがある。たとえばこんなジョークがある。ある客がカフェで「砂糖抜きのコーヒーをくれ」と言う。それに対してウエイターは「旦那、うちに砂糖はないんだ。ミルクはあるから、ミルクなしのコーヒーならできますぜ」問題はコンピュータにこうした違いがわかるかということである。ジジェクは何人もの専門家に聞いたが、曖昧な返答しか帰ってこなかったと言う。
翻訳に於いてはこのような「差」をきちんと表出できるかどうかが大切なのだ。わたしは作品を読み込んでそのテーマについて考える。そしてわたしが見出した解釈にそって訳文を決定していく。どういう名詞を使い、形容詞を使うか、それはわたしの作品にたいする解釈次第で変わってくるのである。そのような行為がコンピュータにできるとはとても考えられない。
ちなみにわたしが翻訳書の後書きで積極的に作品の解釈について語るのは、その本を訳す際の方針となった考え方を明示するためである。
Wednesday, August 7, 2019
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
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