Thursday, February 28, 2019

マッチョのための文学案内(3)

「スーパーマッチョ」 Le Surmale, roman moderne by Alfred Jarry

スペイン語の書籍カタログを見ていたら
El Supermacho
なんてタイトルがあった。誰だ、ふざけやがって、と思って作者を見たら、アルフレッド・ジャリとある。ジャリは十九世紀の終わりから二十世紀のはじめにかけて活躍したフランス人の作家・劇作家だ。わたしは作者名を見て、ああ、あれか、と思い出した。El Supermacho は、日本語では「超男性」とか訳されている本だ。そうか、スペイン語では「スーパーマッチョ」なのか。

「超男性」なんて週刊誌の広告にでも出て来そうな言葉だが、実際、絶倫男の話でもあるのだから、この日本語のタイトルは間違いではない。主人公は肉体を鍛錬し、人間をも、機械をも越えようとする。この本を読むと今のボディビルダーがジムで訓練する様子を思わず思い起こす。トレッドミルの上でいつまでも歩き、走り続ける人々。ダンベルを反覆して持ち上げる動作の繰り返し。しかもより大きな重量を扱えるように努力を重ねる。まさしく自己の身体をより優秀な機械に変貌させようとしているのではないか。筋肉を鉄に変えようとしているのではないか。この本の主人公も最後には、肉体を鉄の塊にないあわせるようにして死ぬ。

性行為は愛の行為であり、機械的動作とは対極にあるように思われるが、しかしあれは煎じ詰めれば in-out-in-out という反覆行為に過ぎない。鉄の筋肉を持てば、この反覆行為はいくらでも続けることが出来る。それゆえ主人公は絶倫男、「超男性」なのである。

いったい主人公(マルクイユ)はどれくらいの肉体能力を持っていたのか。それは自転車と汽車による凄絶な一万マイルレースを読めばわかる。無限の運動を可能にする、新発明の永久運動食を食べた五人のサイクリストと、機関車が一万マイル競争をすることになる。五人のサイクリストは一台の自転車、つまり五人乗りの自転車をこぐ。彼らは一秒も休むことなく、糞尿も垂れ流しのまま自転車をこぎ、ついにそのうちの一人は死んでしまうのだが、それでも機関車とデッドヒートを演じながら何昼夜もゴールを目ざす。レースの最中にサイクリストの一人が、彼らの後ろから追いかけてくる一台の自転車に気づく。それは影のように彼らのあとについてきたかと思うと、ゴール直前で彼らを抜き去り、もちろん機関車も抜き去ってゴールする。これが主人公マルクイユである。

「超男性」は、肉体を鉄化する、というある種のロマンティシズム、そしてグロテスクさを描いた代表的な作品と言えるだろう。

もっとも現在のボディビルダーはステロイドにまみれて死んでいく。そこには鉄化とは微妙に違う何かがあるようだ。それを洞察し小説化することはジャリの切り開いた伝統を引き継ぎ、更新することであると思うのだが、なぜかボディビルを扱った作品を小説家は書こうとしない。

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