擬似的現実と真正の現実は区別ができない。われわれのまわりにある現実は、いつも擬似的現実によって補完されなければならない。
(これを理解するにはポケモンゴーを見るといい)これは純粋にイデオロギー的ゲームと言える。これは真正の現実から擬似的現実に逃避するためのゲームではない。デバイスを通してあなたは現実を見るが、しかしそこにはそれ以上のもの、つまりポケモンが見える。それがあなたの欲望をかきたて、それが現実に統一性を与える。最初は混乱した現実があるのかもしれないが、そこにポケモンが登場することで現実に意味が与えられる。
ポケモンゴーのゲームをもっとも巧みにプレイしたのはアドルフ・ヒットラーだ。彼のゲームは反ユダヤ主義という名前がつく。ユダヤ人はポケモンと同じ働きを持っている。1930年代初頭、ドイツは混乱していた。そこにヒットラーがあらわれ、「ユダヤ人を探せ」と言う。面白いことに、そのとたんにすべてが意味を持つようになった。
ポケモンゴーは新しいものをもたらしたのではない。イデオロギーに包まれたわれわれの生活の中に、常にすでにあったものである。イデオロギーはいつも拡張現実として作用する。
われわれが現実を見るとき、気をつけなければならないのは、われわれが見ているものは中性的で無邪気な現実ではないということだ。いつもそれは拡張現実なのだ。
(スラヴォイ・ジジェクの講演から抜粋 元ネタhttps://www.youtube.com/watch?v=P7CYDTSDjA0)
Thursday, February 14, 2019
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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