ブッカー賞候補のロング・リストに Nick Drnaso の Sabrina というグラフィック・ノベルがあがったときはびっくりした。ボブ・ディランがノーベル賞を取ったときよりも驚きは大きい。日本の芥川賞を、漫画家がマンガで受賞したら……そう考えれば一般の人にもわたしの驚きがすこしは理解してもらえるかもしれない。
しかしグラフィック・ノベルにも良い作品がときおり見られることは事実だ。2006年に出たショーン・タンの「到着」もそのひとつである。
これは移民たちが故国における貧困や政治的混乱を脱し、異国での生活に慣れるまでを描いている。
文字は一切なく、すべてが絵によって語られる。まるで白黒映画、それもエイゼンシュタインあたりの無声映画を思い起こさせる作品だ。
また、この作品に描かれている世界は、現実の世界を強く想起させはするものの、すべて想像上の世界である。移民たちが後にする故国は、この地球上のいずれの国とも特定されていない。移り住むことになる国も、おとぎ話に出てくるような、不思議にあふれた国である。
移民にとって風習も生活の仕組みもまるでちがう異国は、おとぎ話の国のように思えるものだ。わたしも外国で生活していたから、その感覚は多少理解できる。
この作品は移民の女の子が新しい国に馴れはじめ、あらたにやってきた移民に道を教えるという、ささやかな、しかし力強い場面で終わっている。わたしはそれこそ「戦艦ポチョムキン」を見たときくらい心を揺さぶられた。
ただ、不満もある。移民を扱った小説や映画は、この作品よりもはるかに複雑で困難な現実を描いている。それと較べるなら、「到着」はあまりにもナイーブな作品だ。絵だけで表現しようとすると、どうしても現実は単純化される。グラフィック・ノベルの欠点のひとつだろう。ブッカー賞の候補にあがった Sabrina がどれくらい現実と切り結んでいるのか、非常に興味がある。
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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