ハリエット・ラットランド(1901-1962)が1938年に出したミステリ。黄金期のミステリの香がページのあいだから匂い立つような作品だ。
場所はイギリスのとある療養所。ご老人や退役軍人やお金持ちが大勢、ここに長期滞在している。療養所だから医者や看護婦や雑用係も大勢住んでいる。
そこに美しい女性が一人やってくる。彼女は男性たちの注目を惹き、女性たちのやっかみの的となる。ところが彼女はある日、編み物用の鋼鉄の針を首の急所に刺され、死体となって発見される。
警察は迅速に捜査を進め、たちどころに犯人を捕まえる。
ところがどうだろう。犯人と思われた男が牢屋に入っているとき、第二の殺人が起きたのだ。しかも手口は第一の殺人とまったく同じ。首の急所に編み物針が突き刺さっていた。
ここで登場するのがミスタ・ウィンクリイだ。彼は療養所に客としてやってくるのだが、実はスコットランド・ヤードの特殊捜査課で活躍していた男である。彼は自分の正体を隠し、こっそりと真犯人をつきとめようと内密に捜査を進める。しかし彼が犯人を突き止めるよりも先に第三の殺人が……。
お屋敷の内部で人が次々と殺される、という設定は、黄金期のミステリにはよくみられたものだが、本編はそれを踏襲している。わたしは読みながらクリスティやヴァン・ダインやいろいろな作家の作品を思い出した。
しかしミスタ・ウィンクリイの推理の部分はまったく感心しなかった。ここには論理性はまったくない。証拠から有無を言わせぬ論理の力で犯人を見出すのではなく、ミスタ・ウィンクリイの印象が推理の決め手になっているのだ。
それ以外にもこの作品には読後、疑問がつきまとう。犯人があのような偏執的人間であるなら、なぜもっと早くに殺人を行わなかったのか。犯人が解剖学的知識を得て、首の急所を知ったとしても、知識と実践のあいだにはかなりの懸隔がある。それを作者は無視していないだろうか……。
ネタバレしたくないので、やや曖昧な書き方をしたが、とにかく、推理の部分は面白くない。ラットランドはまだ本格ミステリの根本的な構造を把握していないのだろう。探偵は物語の外部に立って、物語の徴候から、もう一つの物語を読み取らなければならない。ところがミスタ・ウィンクリイは充分に物語の外部に立ってはいない。彼はこんなことを言う。
「ドクタはわたしの親友ですから、疑いを掛けることはしませんでした……厳密な立場からすれば、もちろん、疑うべきだったんでしょうけどね」
ドクタは事件の関係者だ。本来なら探偵は関係者を例外なく疑うべきなのだ。この引用はミスタ・ウィンクリイの立ち位置が曖昧であることを示しているだろう。そして探偵の立ち位置が曖昧であることは、とりもなおさず、作者が本格ミステリをよく理解していないことを示していると思う。
エドワード・アタイヤ「残酷な火」
エドワード・アタイヤ(1903-1964)はレバノンに生まれ、オクスフォード大学に学び、スコットランド人の女性と結婚した作家である。自伝や「アラブ人」という評論が有名だが、ミステリも何冊か書いている。ウィキペディアの書誌を見る限り「残酷な火」(61)は彼が書いた最後のミステリ...

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