クロード・ホートンが1942年に出した作品。
このタイトルは訳しにくい。All change! は「乗り換えてください」という意味だが、「みんな変化しろ」という意味もこめられている。
そう、これは人類が古い態度を捨て、新しい考え方を身につけるべきだと主張している作品である。人類は物質主義、拝金主義に陥り、どん詰まりまで来てしまった。もはやわれわれは路線に切り替えて進まなければならない。この物語の中では人々が記憶喪失にかかり、しかも記憶を失ったことを喜んでいる。人々は目覚めつつあるのだ。過去と手を切り、新しい方向性へと導かれることを喜んでいるのだ。
一方ではナチズムが台頭し、戦争への準備が進む。他方ではそうした戦争産業で資本主義が発達し、人々の考え方を支配していく。こういう状況において、ある種の閉塞感が人々のあいだに蔓延していたのだろう。「転換点」はそこからの離脱を夢見た作品と、ひとまずは言えるかもしれない。
物語の出だしは「わが名はジョナサン・スクリブナー」と似ている。語り手のドレイクが無一文でパリをうろついているとき、知り合いからクリストファーという男の付き人にならないかと持ちかけられる。クリストファーは才能にあふれた若者だったが、その後精神病院に入れられ、つい最近「正常」と判断され、退院することになったのだという。彼は巨万の富を持ち、血縁であるマナリング家とティーズデイル家がそれを付け狙っている。語り手のドレイクはこの両家の人々の醜い抗争の中に放りこまれることになるのだ。
マナリング家とティーズデイル家の人々は金の力によってしか生きていくことができない現代人をあらわしている。クリストファーは古い物質主義的な考え方を脱し(だから彼は狂人扱いされたわけだ)、新しい、豊かな精神主義を体現している。
正直に言えば、この作品はあまりにも図式化されていて、つまらない。「ジョナサン・スクリブナー」においてはスクリブナーの謎がうまく形成されていたが、クリストファーには(明らかに彼はスクリブナーの後継者ではあるものの)謎めいたところ、神秘的なところがないのである。あまりにも対立が明瞭すぎるからだ。
またクリストファーによってあらわされる新しい精神主義がいかなるものなのかも曖昧だ。現代のわれわれは資本主義に代わるシステムを見いだせずに苦しんでいる。しかも資本主義的な考え方がますます支配的になりつつある。民主主義も人権も資本主義がますます猛威をふるえるように変形されつつある。そんな戦いの渦中にあるわれわれから見て、クリストファーが曖昧にあらわしているような新しい道は、懐疑の対象でしかない。
おそらく作者のクロード・ホートンは同時代の精神状況をアレゴリカルに表現したかったのだろう。しかし彼が現実の中核にある問題を充分明瞭に把握していたとはいえない。この作品のすべてがどこか的外れな感じを与えるゆえんではないだろうか。
関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)
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