バヤード・ヴェイラーのかなり有名なミステリ劇である。1916年に出ている。
とある屋敷で降霊術が開かれる。降霊術というのは霊媒がトランス状態に陥り、死者と交信するというやつだ。二十世紀の初頭はこれが英米で大流行した。さて劇の中の霊媒も電気を消した真っ暗な部屋の中で、守護霊に憑依され、丸く円を描くように椅子を並べて座っている参加者たちの質問に答えはじめる。
参加者の一人が、彼らの知人で、最近殺された男と話がしたいと言う。そしてその男の霊に、おまえを殺害した犯人は誰かと問うたのである。
その瞬間、問いを発した男は悲鳴をあげる。
異変に気づいた参加者の一人が明かりをつけると、問いを発した男は背中にナイフを刺され事切れている。
犯人は参加者の誰かだ。
さっそく警察が呼ばれ、ドノヒューという警部が犯人を追い詰めていくのだが、その過程で降霊術が開かれるに至った裏の事情も明らかにされていく。
本作は推理劇ではない。犯人は、登場人物の一人が打った芝居にまんまとひっかかり、その尻尾をあらわすにすぎないからである。証拠を積み重ねて論理的に警部が犯人を推測するわけではない。
しかしミステリのある種の型はちゃんとできあがっている。つまり警部が登場し、「誤った結論」を導き出し、その「誤り」が正され、真犯人がつかまる、という具合に物語は推移するからだ。
この誤りの訂正の部分が、のちの本格推理小説では、名探偵が開陳するところの推理となるのである。
1916年の段階では、まだその部分が充分に開発されていなかった。これはわたしのブログで何度も書いていることだが、本格的な推理は「事件=物語」の外部に立つ探偵があらわれるようにならなければならないのだ。
しかし降霊会というのはじつに魅力的なセッティングである。神秘的な闇があり、霊媒のいかがわしさがあり、日常を反転した奇怪な瞬間が現出する。
E.C.R.ロラック「作者の死」
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