Wednesday, October 28, 2020

知性対野蛮

香港における中国の弾圧に対して、市民は公園でアップル・デイリーを広げて抗議した。アップル・デイリー(蘋果日報)の社長が弾圧の一環として逮捕されて以来、このタブロイド紙は一種、反抗の象徴となった。が、わたしが感慨深く思ったのは、「読む」という行為が政治的な態度の表明になるという点だ。

菅野完氏が学術会議問題にからんで官邸前にてハンストをはじめたが、そのとき彼は本に読み耽った。彼がハンスト現場に持って来た本や、彼が読書する姿を見て、同様に抗議の意志をもつ人々はハンスト現場に集まり、やはり本を読んだ。反知性的な政府の振る舞いに対して、知性的な姿勢を見せる人々の姿は、妙に印象的だった。

第二次大戦中、ニコ・ロストというユダヤ人ジャーナリストがダッハウの収容所に入れられたとき、彼は収容所の図書室にある本を読みふけった。日々、まわりでは人々が衰弱して死んでいき、彼も死体を埋めたりしていたのだが、けっして絶望にかられることなく本を読みつづけた。彼は自分の周囲で起きているのは野蛮であると見定め、それに対抗するには文化しかないと、決然と解放される日までドイツの古典を読みつづけた。地獄のような状況の中で読書はニコにできる最後の、しかし凄絶な抵抗活動だった。

人々はよく現実逃避のために本を読むのだ、などと言うけれど、読書はおそろしく政治的である。そのことは世界でもっとも古い文学迫害の例を見ればたちどころにわかるはずだ。つまりプラトンが詩人を国家から追放しようとした例を見れば。

じつを言うと政治家が持っている国家観というのは一種の物語である。それらは強いアメリカとか美しい日本とか、たいてい陳腐なタイトルがついていて、中身は劣悪であることが多い。文学の勉強の基本は、まずそうした劣悪さを見抜く目を養うことだ。つまり文学を学ぶとは、文学を批判する力を習得するということなのだ。

独逸語大講座(20)

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