阿川弘之の「南蛮阿房列車」を読んでいたら中国を旅していたとき阿川が漢詩をつくったというエピソードが載っていた。このとき彼は遠藤周作を旅のともとし、さらに中国人の若い青年を通訳として連れていた。中国人の通訳がまず日本人の中国訪問を歓迎する五言絶句らしきものを書いたのだが、最後の二句が
風光天限好
中日増友情
という、一読ひどいしろものだった。そこで阿川が――もちろん彼に漢籍の素養なんかありはしないが、それでもお笑いぐさにひとつと、「新中国阿房列車之賦」なる詩をつくった。
東方紅上車窓歓
両友回来有深感
四十年歳月如夢
遼東半島春色淡
というのがそれで、一応平仄はあっているし、起承転結も守られているけど、とってつけたような内容で、これまた感心しない。(ちなみに「四十年」云々というのは、日本が中国を領有していたころ阿川も遠藤も大陸で生活していたからである)
それを見て同行していた遠藤周作が「俺がそれに日本語訳をつけたるわ」と題を「旧中国狂人列車之賦」と改め、
きちがいれっしゃのさわがしさ
おのれわくわくつれめいわく
しらがのおっさんありゃなんじゃ
はるかぜまでがわろうとる
という詩(?)をつくった。漢詩の翻訳としては、佐藤春夫には遠く及ばないけれど、しかし狐狸庵先生らしい出来である。
わたしは文人が即興でつくった詩が好きである。べつにうまくはなくてもいいのだ。それなりの作品を即座にでっちあげることのできる彼らの運動神経・反射神経ならぬ「言語」神経を見ることができれば、話の種にもなって楽しいのである。たとえば漱石ならどんな漢詩をひねりだしただろう。あるいは石川淳なら。