イングランド南部には草の生えた丘陵地帯が広がっている。英語ではダウンズと呼ばれているが、本書はそこにある小さな村を舞台にしている。海辺の近くで景色はいいのだが、とくに産業はなく、さびれた村だ。そこにレースコースを建設し、観光の目玉にしようという計画が持ち上がった。計画の主導者は村議員のスピークマンという男。彼は悪知恵の働く男でもあって、レースコース建設予定地に土地を持っている人からせっせと土地を買いあさっている。レースコース建設が現実のものとなったあかつきには高く転売しようとしているのだ。
この村議員が教会の内部で死体となって発見される。一応、心臓病のためという診断が下されるのだが、村では誰かが彼に毒を盛ったのではないかと噂されていた。実際、彼は敵も多いし、周辺には殺人を犯しかねないあやしげな人間が何名かいるのだ。しかし、もしも彼が毒殺されたのなら、いつ、どこで、誰の手によって毒を飲まされたのか。
鄙びた村社会で展開する殺人事件という、イギリスのミステリではよくある設定。伝統的な、沈滞した社会に、新しい、ダイナミックな資本主義が侵入してくるさまを描いた点でも、ブリティッシュ・ミステリの典型的な作品と言えるだろう。
さて、本書において探偵役を務めるのは、この村に住む親戚をたまたま訪ねて来たミス・パークスという老嬢である。ウッドソープの作品を読むのはこれがはじめてなので、彼女がどんな経歴の持ち主なのかよくわからないが、学校の教師をしていたことがあるようだ。ある人物を見て、彼女は「その尻をムチで叩いてやりたい」気持ちになったという。彼女は言いたいことをぴしりと真っ向から言ってのける気の強さを持っている。初対面の人間に対してもずけずけと遠慮のない物言いをするところが小気味いい。
事件の手掛かりは断片的に提示されていく。ミス・パークはそれを最後に総合し、事件の真相をあきらかにする。彼女の推理は、与えられた情報を上手に整理するだけで、たいして興趣のあるものではない。しかし本書には興味深いところが二点だけある。第一点はコミュニケーションの混乱。登場人物の中に一人おそろしく軽率な男がいて、彼は薬剤師なのに薬を間違えたり、いくつかの手紙を宛先を間違えて送ってしまうのだ。これが事件をややこしくしている。第二点はこの混乱の結果、思いも寄らぬ事態が引きおこされるわけだが、それはある意味に於いて事件が起きた村社会の無意識を表現することになるのだ。つまりレースコースを造るというスピークマンの目論見をその「殺害」によって否定するのである。村人たちは資本主義より伝統的な生活の継続を望んでいる。その願望がコミュニケーションの混乱を通して成就されるのである。これは面白い現象だ。マルケスが「予告された殺人の記録」という瞠目すべき作品を書いているが、それと非常によく似た問題を本書は扱っている。たぶん作者のウッドソープは自分が書いた作品の意義を理解していなかったと思うが、この作品はミステリという形式の、いまだあきらかにされていない可能性にかすかに触れていると思う。