Tuesday, May 17, 2022

ドナルド・ヘンダーソン・クラーク「せっかちな処女」(1931年)

作者はロマンスやミステリや脚本を書いて主に三十年代と四十年代に活躍した人である。わたしは初めて読む。

この作品のタイトルにある「せっかち impatient」には性的な意味がこめられていて、三十年代においてはスキャンダラスな響きを持っていたはずである。つまり古い道徳観への反発がこの本の主題になるのだろうとあたりをつけて読み始めた。


主人公はルース・ロビンというブロンドの美少女である。彼女は生まれてすぐに孤児となり、進歩的な考え方を持つ叔父によって育てられた。たとえば叔父はこんなことを彼女に教えた。いい結婚相手が見つかったら、その男と同棲生活を送ってみろ。それで気に入れば結婚すればいいし、不都合が見つかればやめればいい。今ならどうということもない考え方だが、この当時は「自由恋愛」と称して弾劾されるような性愛への態度である。しかしルースは叔父の教えに感化され、ある種ドライな女に育っていく。

高校を卒業し、叔父が亡くなると、ルースはそれまで育った田舎町を離れ、ニューヨークへ行こうとする。このあたりから彼女のまわりにさまざまな男どもが集まりはじめるが、ルースはじつに冷静に彼らに対処し、ときには法律すれすれの脅しまでつかって金を取ったり、利用したりする。ブロンドの美人というと、おつむが弱い女というステレオタイプが存在するが、彼女はそれとはまるでちがう。ほとんどフェム・フェタールのような狡猾さをそなえている。

しかし宗教的で古くさい考え方に縛られている田舎町においてこそ彼女はスキャンダラスな存在ではあるものの、ニューヨークのような大都会に来ると、彼女は有能な女と認められる。彼女はとある大会社の社長の秘書を務めていたのだが、給料を二倍にしてくれというと、社長は彼女の勤務態度、才腕に基づいて即座にその要求をのむくらいだ。さらにべつの男は彼女に女優の道をすすめる。やはり彼女の容姿だけでなく、その頭の切れとパーソナリティーに大物の素質を認めているのである。

その後彼女は妊娠し、医者に堕胎の相談をし、さらにシングルマザーとなる。あの当時では考えられないようなことをルースは次々とやってのけるのだ。

1930年代というのは一種の端境期であって、前時代的な考え方、つまりヴィクトリア朝的道徳観が一方にあり、また、そこから脱却しあらたな自由を求めようとする動きが他方にある時代だった。それはミステリを読んでいても頻繁にあらわれるテーマである。「せっかちな処女」もまずはそうした問題意識を共有している作品といっていい。いや、それをかなり過激に表現しているといってもいいだろう。そういう意味では面白いのだが、しかし読後感はなにかものたりなかった。過激さがものたりないというのではなく、なぜか最後までルースに共鳴できなかったのである。それよりも彼女にいろいろな智恵をつけた叔父ベンのほうが生き生きしていて印象に残った。

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