Saturday, August 26, 2023

ウォレン・ミラー「クール・ワールド」

 

ウォレン・ミラーが一九五九年に発表したギャング小説。五十年代のハーレムを舞台に二つのギャング団が激突する。一つはブラッドを首領とするクロコダイル団。もう一つはウルフ団である。物語はクロコダイル団に所属するデュークという少年によって語られる。彼は16歳だが、団の幹部だ。彼は団のトップに立ちたいと考えている。今の首領ブラッドは麻薬に溺れて戦う気力をなくし、団をまとめる器ではない。デュークは何とか金を工面して拳銃を手に入れ、ブラッドを蹴落とし、ウルフ団に立ち向かおうと考える。拳銃の金を手に入れるためなら彼は麻薬を売り、男色すらいとわない。しかし拳銃が買えるほどの金はなかなかたまらない。そうこうするうちにクロコダイル団のメンバーがウルフ団に殺される。ブラッドを追放し、クロコダイル団のトップになったデュークは部下に命じてウルフ団との戦争の準備をさせる。彼は戦争までに拳銃を手に入れたかったが、残念ながらその願いは叶わなかった。彼と部下たちはナイフを武器にウルフ団と決着を着ける戦いにいどむ。

デュークは拳銃を手にしてウエスタンのヒーローみたいに活躍する自分を頭に思い浮かべるが、ここからもすぐわかるように拳銃は男性(男根)のシンボルとなっている。そしてこのようなものは決して手に入れられないのである。男性のシンボルとは不在のシンボルなのだ。言葉を換えて言えば、充実した男性などありえない、ということだ。しかし人間はいつもこの充実した男性像に魅惑され、その虜になってしまう。

軍拡を目指す日本もデュークとまったくおなじで、おのれの不全感を武器という男性的シンボルの入手によって充実感に変えようとしている。愚かな指導者をいただく国家はハーレムのギャングとなんら異なる所はない。クロコダイル団とウルフ団はそれぞれ「大使」を派遣して、決裂するのが眼に見えている話し合いを行い、戦争へと向かうのだが、どうも作者はギャング団の抗争に、現実の国家の戦争の姿を重ね合わせているようなふしがある。

デュークは戦争をやらかしたあと逮捕され、更正施設に入れられる。そしてそこでものを作り出したり、学ぶことの重要性を知り、はじめて社会に出て行く第一歩を踏み出すのだが、日本も早く幼稚な男根願望を脱して国際社会の一員になることの意味に気がつかなければならない。そういうことを考えさせるという点で、この作品は面白かったが、しかし……この程度の認識ならほかにもいろいろな作品によって表現されている。

ウォレン・ミラーを知っている人はあまりいないと思うが、彼はアメリカの風俗を小説にまとめるのが得意な人だ。アメリカの風俗が表層的なせいかどうかわからないが、彼の小説もどこか薄っぺらいところがある。私が今年翻訳してアマゾンから出した「溺れゆく若い男の肖像」は三十年代のギャングを描いているが、あれにはどこか実存的な重さがそなわっている。しかし本書にはそれがない。軽快に読めるところは評価するが、読み終わって印象に残るものがあるかと問われると、残念ながら否といわざるをえないだろう。全編アフリカ系アメリカ人の俗語で書かれていて、この手の英語になれていないと面食らうかも知れない。

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