シマックは牧歌的な場面からSF的な情況へと、ふと移行するところに特徴がある。ハードな科学技術や科学理論をもとに書かれた今ふうの作品と比べると「甘い」印象を与えるだろう。しかしわたしはシマックが好きである。ソファに座り、ウィスキーを飲みながらのんびりと読書したいときなど、シマックを選ぶことがある。シマックの小説はかなりの数を読んでいるはずだが、「マストドニア」は今回が初めてだった。
しかしこの小説は奇妙に楽しめなかった。元考古学者が家の近所にタイムトンネルを発見し、たまたま彼のもとを訪れた昔の恋人が、それを商業利用しようとする。つまり恐竜のいる時代に人を送り込んで恐竜狩りを楽しませ、がっぽり金を稼ごうとするのだ。そのための税制対策とか、狩猟の際に用いる巨大な銃の話が出てくる。わたしはハンティングのような残酷な話にも、品性下劣な金稼ぎの話にも興味はない。この小説には知恵の遅れた、しかし動物と話ができる、心優しい男が登場するが、わたしは彼のような人物に共感する。またシマックの作品でも「太陽を巡る輪」のように資本主義を批判する内容の小説のほうが面白いと思う。ところが本書はアメリカの牧歌的無垢の世界が、アメリカの資本主義的強欲の世界に転化していくのである。
これはわたしが知っているシマックとはちょっと違う、という気がした。たしかに主人公の元考古学者はタイムトラベルで荒稼ぎをはじめる以前の生活、安穏とした田舎暮らしを懐かしく思い、金持ちになりたいとあくせくしているのは彼の恋人のほうなのだけれど、それでもこの作品には違和感を感じた。「太陽を巡る輪」の印象があまりにも鮮烈で、シマックの作品においては牧歌的なものと資本主義的なものが対立すると思い込んでいたのだが、本書を読むとかならずしもそうではないような気がする。のんびりとした牧歌的世界と、たえざる活動を要求する資本主義世界とは、案外、矛盾なく共存する部分があるのではないか。たとえば中国における権威主義と資本主義の合体が、おそるべき経済的成功を生んだように、一見相反するものの組み合わせがじつは効果的な結果を生み出すことがある。アメリカ的な無垢と資本主義のあいだにもそういう関係があるのだろう。これからシマックを読むときは注意しなければならない。