ラカンの精神分析の議論は非常にわかりにくい。それは彼の議論がパラドキシカルだからである。思い切り単純化するとその核心には「存在しないはずのものがなぜ存在するのか」という疑問がある。存在しないはずなのに、存在しているという、わけのわからぬ疑問から出発するから、その議論は一貫してパラドクスを含み続ける。だから一定の知的訓練を経ていないと、彼の理論はたんなる阿呆陀羅経に聞こえるのである。
2023年に出版された本書は、このパラドキシカルな性格に留意しつつ、ラカンの理論を最大限にわかりやすく解説した本だ。わたしはラカンの専門家ではないけれど、おそらく今後ラカンの入門書と云えば、本書が一番手か二番手に推薦される本になるだろう。
鏡像段階、想像界/象徴界/現実界、オブジェクトa、無意識、性的関係(sexuation)等々の基本概念が丁寧に解説されている。それぞれの章の終わりには、その章の内容が簡潔にまとめられているという配慮ぶりで、これはもう「よくわかるシリーズ」みたいな参考書並みの簡明さである。パラドキシカルな性格にはとくに注意して説明がされており、作者の説明を聞くとなるほどそれぞれの概念の二重性はそのようにして立ち現れてくるのかと、得心がいく。ラカンの議論はその精妙さにおいて一つの極北をなすので、関心のある向きは是非本書を一読して欲しい。まったくの素人にもラカンの思考術とでもいうべきものが、なんとなく感じ取られるはずである。
ただしわたしが「ラカン入門」を夢中になって読んだかというと……そんなことはない。少々あくびをかみ殺しながら通読したというのが本当のところだ。なるほどよくわかるように書かれているが、このわかりやすさはラカンの理論の刺激的な部分を犠牲にして成り立っていると思う。この欠点については作者自身も自覚していて、本書を読んだらここに書かれていることなど忘れてラカン本体に取りつくことを推薦している。ラカンの高弟ジャック・アラン・ミレールはラカンの議論の刺激的な部分をかなり保持したまま、それを解説する名手だが(そのかわり難解である)、そのミレールでさえラカンの原文と比べると水で薄めたように感じられる。「ラカン入門」は原酒を水で百倍薄めたようなもので、誰でも呑めるように、しかし味わいだけはなんとか感じ取られるように書かれている。しかし本物の味わいはこんなものではない。いや、ラカンの読解はまだ終わっておらず、そこから新しい「味わい=読み方」を引き出してくるのがわれわれに課せられた仕事なのである。