ウィリアム・マーチ(1893ー1954)は「K中隊」「悪い種」「姿見」など注目すべき作品を書いたが、今は忘れられた作家になってしまった。わたしは代表作といわれる「姿見」はまだ読んでいないが(けっこう大きな本で気合いが入ったときでないと読み出せない)「悪い種」にも「K中隊」にも感銘を受けた。作家には、創作意欲の衝動に突き動かされて闇雲に書くというタイプと、自分が書きたいことを明確に意識化し、計画立てて書くタイプがいるが、ウィリアム・マーチは後者のタイプではないだろうか。話の内容が非常に理知的に整理されている印象がある。「九十九の寓話」はタイトル通りの寓話集である。寓話は最後に示される教訓が納得されるよう、効果的に短い話を構成しなければならない。ウィリアム・マーチには適した物語形式ではないだろうか。
その中に、軍備増強を目指す今の日本にぴったりの一編があったので、訳出しておく。この一編にかぎらず本編の寓話の多くが二十世紀の政治状況を反映している。
象と羚羊
永いこと羚羊と象はいさかいもなく暮らしてきたが、あるとき羚羊は自分たちが力の面で象に劣ることを意識しだした。「われわれは象となかよくやっているし、これからもずっとそうであることを望むが、今は起こるとは思えぬ攻撃を受けた時のことを考え、われわれの立場を強化しておこう」
そこで彼らは歩哨の数をそれまでの一人から、十人、十二人に増やし、くさび形の隊形を組んで見張りに当たるようにした。象たちは羚羊たちの変化に戸惑い、その理由を尋ねた。羚羊は自分たちの立場を説明した。「だが、どうしてだね」と象は訊き返した。「これまでわたしたちがきみらを傷つけたことなどあるだろうか」
「いいや」と羚羊は言った。「偶然、惨事に襲われたときの用意だよ」それでもまだ困惑したままの象は額をあわせて協議し、象と羚羊の関係は緊張したものになった。とうとう象は羚羊を疑いの目で見たり、彼らを避けるために顔を背けるようになった。「ほら、どうだね」と羚羊は言った。「思っていた通りにうまくいっているじゃないか」かくして事態はいっそう悪化し、今や心底おびえた羚羊は防塞を築き、地面を掘りはじめた。
ジャングルの端からそれを見ていた大勢の象は、パニックを起こしてどっと走り出し、羚羊のとりでに襲いかかってそれを突き毀し、生き残った羚羊を森のなかへ追いやった。
惨事を予想する者が失望することは滅多にない。