Saturday, November 23, 2024

アンソニー・ホロウィッツ「かささぎ殺人事件」

 


ずっと昔、「一粒で二度おいしい」という宣伝文句があった。「かささぎ殺人事件」はそんな作品である。この作品にはふたつのミステリーが押し込められている。

スーザン・ライランドは小さな出版社の編集者で、アラン・コンウェイというベストセラー作家の遺作を受け取る。本書の前半では読者はこの遺作をスーザンとともに読むことになる。まるまる一冊読むわけだから結構な分量がある。

遺作の内容はある村で起きた殺人事件をアティカス・ピュントという癌に冒され余命幾ばくもない名探偵が解決するというものだ。黄金時代を彷彿とさせる設定で、とくに名探偵が死を間近にひかえているという点で、いくつかの高名な作品を思い出させる。

ところがこの作品、最後の三章が抜けているのである。名探偵の調査が一応終わり、最後の解決編へと向かうといちばんいいところで、原稿が途切れてしまう。スーザンは失われた草稿を探してベストセラー作家だった男の周辺を探ることになる。そしてアラン・コンウェイの死ははたして報じられているように自殺だったのか、と疑問を抱くようになる。つまり今度は彼女が探偵となって事件を解決しようとするのだ。このスーザンの探求が本書の後半部分となる。面白いのは、二つ目の殺人事件を解決する過程で、現実とフィクション(小説の世界)が微妙に入りくんでいくところなのだが、ここは読んでのお楽しみとしておこう。

通常の探偵小説の二倍の長さがあって、登場人物が多いので、表を作ってときどき確認しなければならなかったが、稚気にあふれた楽しい作品だった。本国イギリスでも日本でも評価の高い作品だが、前半部分はアガサ・クリスティーの見事なパスティーシュ、いや黄金期の定番設定に対するすばらしいオマージュになっていて、作者のミステリに対する愛がひしひしと感じられる。前半部分の謎解きもかなりよく出来ている。推理の論理構成がすごいというより、犯人隠し(目くらまし)の技術が巧妙で、わたしも完全にひっかかった。

しかしこの作品がはたして世評ほどの出来かというと、ちょっと疑問がある。現代と過去(1950年代)、現実とフィクションの交錯が見所なのだが、それがまだ弱い。もっとこれらのあいだにもっと連関を持たせる工夫があればよかったのに、と思わざるをえない。また、後半部分の推理における作者殺害動機も、わたしにはよくわからない。すくなくとわたしが犯人のような立場の人間だったとしても、あんな理由でアランを殺そうとはまったく思わないだろう。イギリス人には奇矯な人が確かに多いし、その存在を許す社会ではあるけれど、あの動機には……ちょっと納得がいかない。

しかし本作はミステリという分野におけるあらたなゲームのやり方を提示しており(もちろん先行作品はある)、今後こういう形式の可能性が探られ、また洗練もされていくだろう。その意味では記念碑的な作品ではないだろうか。

関口存男「新ドイツ語大講座 下」(4)

§4.  Solch ein kleines Kind weiß von gar nichts. そんな 小さな子供は何も知らない。  一般的に「さような」という際には solch- を用います(英語の such )が、その用法には二三の場合が区別されます。まず題文...