英国の歴史を復習しようと思って図書館に行き、棚にある本を何冊か読んでみた。乾いた記述が続く、正直にいってあまり面白いとはいえない本がほとんどだったが、一冊だけよかったのが今井登志喜の「英国社会史」だった。説明が詳しいだけでない。歴史や社会の解説書らしい客観的な記述の背後に、ドラマがうごめいているのを感じさせるのである。これが「英国社会史」の特徴で、いちばんすぐれているところだ。どこでもいいのだが、たとえばヘンリー八世による宗教改革の記述を読んでみるといい。王の離婚問題がどのようにして起き、どのようにしてとうとう離婚が成立し、その後僧院が解体されたか、その様子が、客観的な、学術的な記述で描かれているにもかかわらず、物語を読むような感覚で楽しく読める。
王は法王権を打破するために、また僧院の財産を手に入れる目的を以てこの仕事を進めたのである。王は、彼と意見を同じくしたクロムウェルを立てて、この僧院整理の仕事に著手させた。命を受けたクロムウェルは公然調査委員を任命して、悪評ある僧院を調べさせ、しかもなるたけ悪い報告を出させた。
わたしは最後の部分「なるたけ悪い報告を出させた」という言い回しに愉快を感じる。これがあるおかげでクロムウェルの腹黒さや調査委員のこずるい目つきまでが目の前に浮かんでくるのである。こういう書き方が本書の記述にある種の生々しさを与えている。また、
ヘンリー八世の宗教改革には、その後なお幾つかの偶像破壊運動が伴った。中世以来大抵の教会は聖物といわれる聖者の遺物とか、墓とかを持っていて、無智な信者がこれに巡礼するのが昔からの習慣であった。しかるにこの時代になると、一般にこうしたものの真偽が疑われるようになった。クランマーは僧院の廃止を実行した後に、偶像破壊の運動を起した。彼は聖者の墓を発いたり、教会の飾り物を出させたりし、特に聖トマスの墓を発いてその骨を焼いて撒き散らし、また、マリアの像を破壊して焼却させた。そして更に巡礼がこれらのものに参拝するのを禁止した。
この一節が示すように、今井はかなり具体的な記述を一般的解説文のなかに織り交ぜる。「聖トマスの墓を発いてその骨を焼いて撒き散らし」など、その振る舞いが目に浮かぶように、おそらく意図的に、表現されている。こうしたちょっとした配慮が類書にはない面白さを本書に与えている。もっともある程度イギリスの歴史に慣れ親しんでいなければ、情報の多さに怏々として、楽しむどころじゃないだろうけど。
この本はすでにパブリックドメイン入りをしていて、国立国会図書館デジタルライブラリーで読むことが出来る。ただしデジタルライブラリーの本は最後の部分が欠損しているので、図書館で新装版を読んだ方がいい。